『 まっていてね 』―ぼくときみの小さなおはなし―
芳乃 類
第1話
初めてぼくがきみに会ったのは、ポカポカした陽だまりの中。
震えるぼくを、きみはそっとそっと両手で優しく包み込んでくれた。
きみの手は、ちょっとだけぼくよりも小さくて、ぼくの尻尾ははみ出していたけれど、それでもきみの温もりが、ぼくのおなかから伝わってきて……陽だまりと一緒で気持ちよかったなぁ。
とっても不安だったんだ。だって、急に仲間から離されちゃうんだもん。
羽が生えそろっていないから、みんなで集まって温まっていたらさ、お店の店員さんがひょいとぼくを捕まえたんだ。だから、ぼくは慌てて店員さんの手をキッて噛んだんだ。
「いててて……。この子、元気そうですね。この子にしますか?」
「そうですね、それではこの子で」
そんな話し声が聞こえたかと思ったら、暗くて狭い部屋に押し込まれて……気がついたら、きみのおうちにいたんだよ。
「名前は決めた?」
ママの声がした。きみはうれしそうに言う。
「うん! はんぞうって名前にする!」
「はんぞう? へんなの」
おねえちゃんがクスクス笑う。すると、きみはムキになる。
「へんじゃないよっ! おじいちゃんがにんじゃの名前だっていってたもん!」
ママが笑う。
「あぁ、この前、おじいちゃんが言っていたわね。服部半蔵っていう有名な忍者ね」
「そうそれ!」
こうしてぼくの名前は『はんぞう』になった。だけど……、みんなひどいんだ。
おねえちゃんは『はんはん』って呼ぶし、ママは『はんちゃん』って呼ぶし、パパなんて『はんきち』って呼ぶんだよ……。
そのたびに、きみは頬をぷっくりふくらませながら
「この子の名前は『はんぞう』なの! ちゃんと呼んでよっ!」
って、怒ってくれた。
それでも、みんな好き勝手にぼくのことを呼ぶから、ぼくは『はん……』って聞こえたら、ぼくのことを呼んでいるんだなって思うことにした。
でも、きみだけはぼくのことを『はんぞう』って、ちゃんと呼んでくれたよね。
きみの朝は忙しそう。
眠い目をこすりながら、いつもぼくのごはんを用意してくれるよね。そのあと、顔を洗って服を着替えて、ごはんを食べて……どこかへ行く用意をしている。
そして、ぼくにニコニコしながら言うんだ。
「はんぞう、ようちえんから帰ってきたら、遊ぼうね! まっていてね」
『ようちえん』って、なにかな……? あんなにうれしそうな顔をきみがするから、楽しいことなのかな? でも、どうしてぼくは、まっていなきゃいけないんだろう……。
おねえちゃんもパパもどこかに行っちゃって、おうちにはぼくとママしかいなくって。でも、ママは、おうちの中で忙しそうに何かしているし……。
ガランとしたおうちの中にいるとね、この世界にぼくしかいない気がして、とってもさみしくなるんだ。
だから、きみがようちえんから帰ってくると、ぼくはすごくうれしいんだよ。
きみの姿を見つけたら、パタパタって羽をはばたかせて「おかえり!」って、きみの肩に乗るんだ。
ようちえんから帰ってくると、きみはゲームっていう四角いはこを夢中で見ているよね。
ぼくもきみの肩越しにのぞくけど、いろんな色がチカチカしていて……きれいだとは思うけど……楽しいのかなぁ?
ねぇねぇ、ぼくが肩にいるってわかっている?
きみの耳たぶをツンツンしてみる。すると、きみはぼくのほうを見てニッコリ笑う。
ぼくはうれしくなって、きみの頬に近づいてスリスリする。すると、きみもぼくに頬をよせてくれる。
でも、時々、きみはゲームに夢中になりすぎて、ぼくのことを忘れちゃう。
ぼくが耳たぶをツンツンしても「ちょっとまってて」って言って、ぼくのほうを見てくれない。そんなときはね、耳たぶをキッて噛んでやるんだ。
「いたーっ」
そう言って、きみは顔をしかめるけど「ごめんね、はんぞう」って、すぐにぼくを見てくれる。
ううん、ぼくのほうこそ、ごめんね。でも、そんなにきつくは噛まなかったよ?
ぼく、おでかけって大嫌い。
「すぐに帰ってくるから、まっていてね」
そう言って、ぼくを鳥かごに押し込めて、みんなでどこかへ行っちゃうんだ。いつも、ぼくだけおいてけぼりなんだよ!?
きみがようちえんへ行くときだって、ママはおうちにいてくれたのに、おでかけは、ぼくしかおうちにいないんだ。
いつ帰ってくるの? ほんとうに帰ってくるの? いつもは気にならないおうちの音がね、ぼくに迫ってくるようで、とってもこわくなるんだ……。
あぁ……このままひとりぼっちになってしまったら、ぼく、どうしよう……そんなことを思いながら、きみの帰りを待つんだよ。
だから、「はんぞう、ただいまー!」って言われても、ぼくは素直によろこべないんだ。
鳥かごの隅で、きみにそっぽを向けてうずくまる。きみがどんなに呼びかけても、答えてやらないんだ。
だって、やっぱりひどいよ。おいてけぼりだもん。イヤだよってバタバタ逃げても、捕まえられて、鳥かごに入れられちゃうんだもん。
「はんぞう、怒っているの?」
きみは心配そうにぼくを見るけど、ぼくはツーンとしてやるんだ。鳥かごの扉を開けてくれたって、ぼくは外には出てあげない。
「ねぇ、はんぞう、出ておいでよ」
ぼくのほうへ手を伸ばしてきたきみの指を、怒っているぼくはキッて噛んだんだ。
「いてて……ごめんね。でも、おでかけのときは、はんぞうを鳥かごに入れないと危ないんだよ」
涙目になっているきみを見て、ぼくの心はズキンとなった。
ぼくだって、きみとおでかけしたいんだよ。きみとずっと一緒にいたいんだ。「まっていてね」はイヤだよ。
でも……きみと仲直りしたいから、ぼくはそっと鳥かごから出る。
それを見たきみは、ニッコリ笑う。
「はんぞう、おいで!」
ぼくもパタパタと羽ばたいて、きみの肩に乗るんだ。そして、さっきはごめんねって、きみの頬にスリスリするの。そうしたら、きみもやっぱりぼくに頬をよせてくれるんだ。
季節が一回めぐって……きみは『しょうがっこう』ってところに行くようになった。
そのころからかな、きみはいつも忙しそう。
朝は、いつもみたいにぼくのごはんを用意してくれて、自分の用意もバタバタして。
「いってきまーす! はんぞう、帰ってきたら遊ぼうね、まっていてね」
きみはそう言うけれど、しょうがっこうから帰ってきたら、あっという間に、またどこかへ行っちゃうんだ。
辺りが暗くなってきたら、きみはまた帰って来るけれど、今度は『べんきょう』っていうのをしなきゃいけないんだって。
きみが机に広げた紙をぼくも見る。ずっと見てたら、くちばしでカリカリしたら楽しそうだなーと思ったの。
だから、紙にそっと口を近づけたら
「はんぞう、ダメだよ!」
って怒られちゃった……。
カリカリ楽しいよ? 紙がプチプチってなるのも気持ちいいんだけどな。
時々、きみはきみと同じくらいの子をたくさんおうちに連れてくる。
危ないからって、ママがぼくを鳥かごに入れるんだ。このときばかりは、ぼくも危ないんだってわかるよ。だって、すごくうるさいし、羽もないのにバタバタ騒ぐし……。
最初はゲームに夢中になっているのに、それにあきてきたら、みんなぼくの鳥かごへやってくるんだ。
知らない人がじーっとぼくのおうちをのぞくなんて、失礼だと思わない? でもぼくは知らんぷりするんだ。きみたちのことなんて、気にしませんよーって。
それが気に入らなかったのかな……。そのうち、みんな、ぼくの鳥かごに指を入れたり、ガタガタ揺すったりするの……。「こっちに来いよー。おーい、こっち見ろー」って言いながら。
ぼくはびっくりして、鳥かごの中でバタバタ騒ぐ。すると、みんなは面白そうにぼくを見る。
ぼくは、どうしたらいいのか分からなくなる。今度は何をされるんだろう? って、こわくなる。
その時、きみが怒鳴ったんだ。
「ぼくのおとうとをいじめるなっ!!」
みんなはびっくりしてきみを見た。ぼくもびっくりしてきみを見た。
『おとうと』ってなんだろう? なんかポカポカする響きだね。うれしくってニコニコしちゃう言葉だね。
季節が何度もめぐってきて、君の背はどんどん伸びて、以前よりもますます忙しくなったね。
朝、僕のごはんをいつも通りに用意してくれるけれど、小学校へ行くときに「まっていてね」とは言わなくなったね。
僕も、もう子供みたいな年齢ではないから、君と遊ぶことはほとんどなくなってしまったね。でもね、ポカポカした陽だまりの中で、うとうとしていると、時々、幼かった頃の君の夢を見るんだ。
「ただいま! お母さん、遊びに行ってくるね!」
ランドセルを放り出し、あっという間に友達の家へと行ってしまった君。いつもと変わらない毎日。
寂しいとは思わないよ。
君がまた帰ってきて勉強し始めたら、僕は君の肩に乗る。君の息遣いが聞こえて、僕は安心してうたた寝していると、君は不意に僕に頬を寄せてくる。それに気がついて、僕も君の頬にスリスリするんだ。
それだけで、君と気持ちが通じ合えているって、僕は分かっているんだ。
ある日の夕暮れ時のことだった。
僕は薄暗い戸棚の足元でうつらうつらとしていたんだ。
「ただいまっ」
君の声が聞こえて、僕は目が覚めた。
「あれ? はんぞうどこ?」
「そこら辺にいない?」
君とママの声がする。
「えー? いないよ?」
どうやら、僕を見つけられないみたい。
僕はちょっとしたいたずらを思いついちゃった。このまま黙って僕がここにいたら、君はビックリするかな?
「それより、先に手を洗っていらっしゃい」
「はーい。ねぇ、お母さん、お菓子食べてもいい?」
「もうすぐご飯なのに……仕方ないわね。ちょっとだけよ」
「やったー」
手を洗った君は、僕がいる戸棚のところへやって来た。そうそう、ここにお菓子が入っているんだよね。ほら、そうしたら僕もここにいるって、君は気がつくよ。
僕は、君が僕に気がつくまで黙っていることにした。
ふふ……いつ気がつくかな?
君はどんどん戸棚に近づいてくる。
そうそう、僕はここにいるよ?
だけど、僕はうっかりしていた。だって、僕がいるこの場所は、足元がよく見えないほど薄暗かったんだ。
「あっ!」
僕を見つけた君は声を上げた。僕も君を見た。
君は、足が僕の上に乗らないように、体を立て直そうと何かにつかまろうとしてくれた。だけど、洗ったばかりの手がまだ少し濡れていて、君の手は滑ってしまい体を支えられなかったんだ……。
僕の体、どうしちゃったんだろう……? ちっとも動いてくれないんだ。目も開けられなくて、なんだかとっても息苦しいんだ。
大きな手の温もりと、タバコのにおいがするから、この手はパパだって分かるよ。僕は、どうしてパパの手の中にいるの?
ママの泣き叫ぶ声が聞こえる……お姉ちゃんもワンワン泣いている……。どうしたの? どうして、みんな泣いているの?
君の声が聞こえる。
「はんぞう、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
君が泣きながら叫んでいる。どうして謝っているの?
パパが君に向かって怒鳴る。
「どうしてもっと足元をよく見なかったんだ!!」
「ごめんなさい! ごめんなさい! うわぁぁぁぁん」
違うんだよ、パパ。僕が悪いんだよ。君は悪くないよ。僕が君を驚かそうなんて思ったのが、いけなかったんだよ。
あぁ……どうしよう。ねぇ、僕の体、動いてよ。泣いてる君の肩に行って、「僕は大丈夫だよ」って言わなきゃいけないんだよ。
僕、イヤだよ。最後に見た君の顔が、あんな悲しそうな顔だなんて。最後に聞く君の声が、こんな泣き声だなんて。
だから……
だから、まっていて。
僕、大急ぎで戻って来るから。
君の元へ大急ぎで戻って来て、君に言うよ。「君のことが大好きなんだよ」って。
本当はね、「まっていてね」って言葉は嫌いだけれど、でも、君にまた会いたいから僕は言うんだ。
君に必ず会いに行くから、だから……まっていてね。
僕の世界の中で、一番大切で一番大好きな君へ。
君がいつも大切に思ってくれている、君の小さな弟より。
『 まっていてね 』―ぼくときみの小さなおはなし― 芳乃 類 @yoshino_rui
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