ギター弾きを見ませんか?

フカイ

掌編(読み切り)





 気まぐれな港の

 ちいさな居酒屋で

 ギターを弾いていた

 男を見ませんか?


 みんな黙って首を振るばかり

 ただ

 悲しい音色の

 ファドが低く流れてゆくばかり


 うしろ姿が

 すこし淋しい

 ギター弾きを見ませんか?



  [久保田早紀 / ギター弾きを見ませんか]






 おじさんは、流しのギター弾きだった。


 すすきの、歌舞伎町、ミナミ、中洲。


 高度経済成長期のあの頃、おじさんはギターを抱えて日本中の盛り場を歩いた。


 コップに注いだ酒を飲みながら、


 サラリーマンや、工場の労働者の人たちのために、


 いろいろな居酒屋で、ギターを爪弾きながら、歌った。





 時代が移り変わって、


 カラオケなんて無粋なものが飲み屋に入り、


 おじさんの仕事場が日本中の飲み屋から消えていった。


 おじさんはそして、


 ギターを押入れにしまって、


 さえないタクシー運転手になった。





 おじさんは、カラオケは一切せず、家の外でギターを弾くことはもうない。


 ギター弾きのおじさんは、いなくなってしまった。


 だけど、遊びに来た甥っ子のぼくと、


 酒が進んだ時だけ、


 押入れの戸をあけて、古い相棒を軽くチューニングして、


 爪弾いてくれた。





 青葉城恋唄


 シクラメンのかほり


 熱き心に


 喝采


 愛燦燦





 おじさんの哀愁のこもった歌は、


 すべての日本人のDNAというギターホールに見事に共鳴し、


 ぼくと、おじさんの奥さんは、コップ酒を煽りながら、


 涙を流したり、


 ほほ笑んだりする。





 そんなぼくのおじさんを見ながら育ったぼくは、


 吟遊詩人になった。


 普段はつまらぬ会社員をしているけれど、


 毎週水曜の夜だけ、


 新宿駅の地下で、


 自費出版の本を並べ、自分で作った詩を読み上げる。


 誰の足も停めることはできないが、


 時々、


 ぼくの下手くそな詩に、耳を傾けてくれる人たちがいる。


 そんなときには、


 ぼくは、


 おじさんが昔、すすきのや新宿やミナミや中洲でしてたように、


 心を込めて、


 詩を吟ずる。


 それが聴く人の胸に届いて、拍手や、小銭や、


 そして滅多にないことだけど、ぼくの本を買ってくれたときには、


 ぼくは嬉しくて嬉しくて、


 家に帰って、妻に自慢をする。


 そしてふたりで、祝杯をあげる。


 そのビール代で、ぼくの吟遊詩人としての稼ぎは、


 まさに泡となって消えてしまうのだけどね。





 おじさん、


 ぼくがこのささやかな活動を続けていけるように、


 祈っててくださいね。


 草葉の陰でいいから。


 ぜひ。



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