密室の甘噛み
ブリモヤシ
第1話で完結
ホテルの部屋は薄暗かったので、妙だと思った。新規客は、みな、煌々と明かりをつけて男の品定めをするものだ。
僕は用心した。嫉妬した男が隠れていて、殴り掛かってくることはよくある。
彼女はうつむいたまま、ツインベッドの一方に座った。顔は前髪に隠れてよく見えない。顎が、レモンの先端のように尖っていた。その形に見覚えがあった。
「なんだ……君か」常連客のひとり。名前はかおりといったはず。「何で新規のふりして呼んだんだ?」
「何か、そうしたくなったから」
いつもならすぐにキスしてくる彼女が、顔を横にそむけた。
「どうした? 何かあったのか?」
「ううん、別に」
「どうして横向いてる」
「見ないで」
僕は彼女の肩を押さえ、横から顔を覗き込んだ。唇に何かついていた。マジックか何かをふざけて塗ったのかと思ったが、違った。やはり固まった血だった。膨れた下唇に、縦に一本、溝ができていた。鉛筆の軸が、そこにすっぽりとはまりそうだった。
こんな時、女はたいてい、転んだ、と言うものだ。
「……彼氏、か?」
彼女はうなずいた。
「これがバレたのか」
「ううん……全然別のこと」彼女は一呼吸置いた。「いつものこと。でも、しょうがないの。私が悪いんだから」
僕は、もう一方のベッドに、彼女と向かい合って座った。「そういう男は……」そう言ってから続きを考えたが、いい言葉が見つからなかった。「何度でもくり返すぞ」
「でも……いいの、私が悪いの。私があやまればすむことだから……」
「そうしたら、別の理由を見つけて、またやられる」
「殴られるのは、別にいいの」彼女は人指し指の背で目尻を押さえた。唇の傷に、涙がたまっていた。
僕は、何回か撫でたことのある彼女の頭をじっと見た。そのうちに耐えられなくなって、彼女の片耳のあたりにそっと手を当てた。
「別れろよ」
彼女はふいに顔を上げ、僕の目を見た。彼女の目が一瞬輝いたが、次の瞬間にはどんよりとした目に戻っていた。
「抱いて」
僕は眉をしかめて彼女の唇を見た。
「それが仕事でしょ?」彼女は言った。
僕は服を脱ぎ、彼女を脱がせ、抱いた。サイドテーブルの上には、いつものように白い封筒が置かれていた。
彼女は「もっと乱暴にして。大丈夫だから。全然大丈夫だから。もっとして」と、何度もくり返した。
おわり
密室の甘噛み ブリモヤシ @burimoyashi
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