閑話

 ここは一人部屋。カーテンを閉めきった暗い部屋。壁は白く、電気も通っているが明かりをつけるには少し眩しいらしい。

 そこに一人と、ひとりがいた。少なくとも一人である部屋の主は、そう思っている。

 壁にかけられた時計、寝床に置かれた時計、机に置かれた時計。無駄に置かれた三つの時計は多少のズレがある。けれど部屋の主は気にしない。主いわく『ひとつが正常なら、正常であるひとつが分かっていれば、それで構わない』らしい。どの時計が正常か、あるいはどれも異常でしかないのかは、部屋の主にしか分からない。

 この部屋には時計はあるが、日を刻む物がひとつもない。いわく、カレンダーをなくした方が居心地が良くなったのだと、部屋の主は笑った。

 主の趣味なのか部屋にはやたらと段ボールが多い。段ボールには主の買った雑誌が積まれていたり、主の趣味の本がぎっしりと詰まっていたり、ときに衣服が入っていたり、空だったりもする。ときどき箱に入って遊びたそうな目をする一人の主を見て、ひとりの彼女は呆れたような顔をする。

 横に長い机の上は、主の片付けが下手なのか散らかっている。机に向かう主の後ろには、シックなベッドが置いてあり、そこに、彼女はよく腰かけている。

 彼女は自由気ままな性格だ。ときに宙に浮いてみたり、ときに上からまたは横から主に自身の顔を覗かせたりと、主をただひたすら眺めている。

 それでも主は気にしない。気にすることはない。だってそれが彼女なのだから。

「また思想なのか日記なのか、はたまた遺書なのか、わからないものを書いているんだね」

 彼女は、眼鏡をかけている主の手元にある紙を取り上げ、中身を読んだ感想を伝える。

「思ったことをそのまま書いているだけなのに、遺書とはひどいじゃないか」

 主は自分の書いたものを遺書だと言われなれているのか、怒ることはない。ただ、何故か分からないがまたそう言われてしまったなと嘆息する。

「感謝の言葉を綴るのは立派だけどね。加減を知っていないと遺書にしか見えないよ」

 彼女は容赦なく、主にとってとても難しいこと平然と言う。素直な感謝の気持ちを、いったいどう加減しろと言うのだろうか。

「おいおい。机の上に座らないでくれよ」

 耳が痛いからだろうか、無理やり話を変えるように、主は告げる。

「なぜ?」

 彼女はこてんと首をかしげる。

「君が汚れる」

 主は、そんな彼女のしぐさを愛らしいと思いながら、そう言った。

「おかしなことを言うね。そもそもこの部屋全体が汚れているじゃないか」

 彼女はわざとらしく、口許に手を当ててケホッと咳き込んで見せた。

「言われてみれば、確かにそうだ」

 彼女を真似て、主もケホッと咳き込んだ。

「掃除はしないのかい?」

「気まぐれを待つとしよう」

「そればっかりだね」

「咳が止まらなくなる頃にはきちんと掃除しているよ」

「人は、それを手遅れと呼ぶんじゃないかな」

「どうだろ?」

 とりとめもない会話。けれど主も彼女も、どこか楽しそうだ。

「もう、消えてしまうのかい?」

 部屋の主は寂しそうに言った。

「うん。ワタシは、そろそろ消えるよ」

 彼女は強気に笑ってみせた。強がりなどではない、彼女らしい不敵な笑みだ。

「名前を、教えてくれるかな」

 主は言った。その声音は、なんとなく言ってみたといわんばかりの響きだ。

「教えない。だって“それ”はもう既に、あなたの中にあるんだろう?」

 彼女は消えた。主からは見えなくなった。ひとりぼっちになった部屋の主は、大きくため息をつき深く椅子に座った。

 なんてことない、いつものこと。彼女が消えてしまう条件は揃っている。

 部屋の主は気だるげにベッドに横たわる。黒い布団を被り、先ほどのため息のことなどすっかり忘れてしまったように、楽しそうに目を細めた。

「そりゃあ、もちろん。僕の可愛いおまえたちだもの。とっくに決めているさ」

 そう言って、主は瞳を閉じた。

(おやすみ。また君に出会える日まで)

End

閑話休題

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からからカラッポからカケラ 山本冬生 @Fuyutoyuki

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