第七話(エピローグ)

「結局、あれはなんだったのかね?」

 表彰式が終わった後、レースが終わった静かな整備場ピットでサー・プレストンはダベンポートに話しかけた。

 サー・プレストンはすでにレーシングジャケットを脱ぎ、こざっぱりとしたジャケット姿に着替えていた。黒いスラックスに濃緑のジャケット。エンジ色のアスコットタイを襟元から見せている。

 奥のキッチンではリリィが甲斐甲斐しくお茶を淹れていた。リリィからお茶を受け取った整備士達は皆嬉しそうだ。

「熱力学呪文が使われていたんです」

 ダベンポートもお茶を啜りながらサー・プレストンに答えて言った。

「熱力学呪文?」

「比較的新しい呪文です」

 とダベンポートは説明した。

「熱力学呪文は必ず二つの魔法陣を対にして使います。一つが吸熱、一つが排熱です」

 そう言いながらサー・プレストンにもわかりやすい様、手帳に図を描いて見せる。

「吸熱の魔法陣は周囲から熱を奪い、マナソースを経由することでこれを排熱の魔法陣に送ります。そして排熱の魔法陣は受け取った熱エネルギーを放出する。これがトラックに仕掛けられていたんです」

 ダベンポートは両手を使って熱力学呪文のメカニズムを簡単に説明した。

「そりゃ、いくら車を調べても何も見つからない訳ですよ。車にはなんの仕掛けもないのですからね」

「それを、スタンレーのチームが?」

「と、思います」

 ダベンポートは頷いた。

「魔法陣は合計八箇所に仕掛けられていました」

 競馬場のトラックを模した楕円を描き、コーナーに○印を書き込んでどこに魔法陣があったのかをサー・プレストンに示す。

「コーナーの内側が吸熱、外側が排熱になっていました。レースではコーナーの内側を走った方が有利です。それを逆手に取って、コーナーの内側を攻めると遅くなるようにしたんです。そして、それを知っているスタンレーだけが排熱しているコーナーの外側を走った……」

「しかし、それでなぜ車が遅くなる?」

 一瞬、サー・プレストンの顔が曇る。

 だがすぐに、サー・プラクストンは理解したとでも言う様に顔を上げた。

「そうか、蒸気機関スチームだからか」

 どうやらメカニズムを理解出来た様だ。

「そうです」 

 とダベンポートは頷いた。

「吸熱の魔法陣の上を走ると、車からは急激に熱が奪われます。結果としてボイラーの圧が下がり、蒸気エンジンの出力も下がってしまうという訳です。……やったのは若い連中だと思いますね。世代が上だとひょっとしたら熱力学呪文は知らないかも知れない」

「面白いことを考える……」

 サー・プレストンは唸った。

「この事件は詰まるところ、ただのイカサマ賭博なんです」

 ダベンポートは言葉を続けた。

「おそらく、賭け屋ブックメーカーに大金をつぎ込んだ者とスタンレーのチームはグルなのでしょう。イカサマで大金を巻き上げようという訳です。ひょっとしたらさらにサー・プレストンが負ける方にも張っているかも知れない」

「だから無名のチームを使ったのか」

 不愉快そうにサー・プレストンが言う。

「実は私もスタンレーとは初めて会ったのだよ。今回急にエントリーしたのでね」

「それがいきなり優勝すれば一攫千金です。何しろオッズが変わるほど注ぎ込んだ訳ですからね。無名であれば倍率はそれなりでしょう」

「で、ダベンポートさんは対抗措置として私の車に呪文をかけてくれた訳だ」

 サー・プレストンは笑顔を見せた。

「さて、それは何のお話ですかね?」

 ダベンポートは空惚そらとぼけた。

「僕の理解ではサー・プレストンはやっぱり速かった、卓越した運転技術で新興ライバルを抜き去り優勝した。しかも妨害工作を押しのけて。ただそれだけです」

「まあ、そういうことにしておこうか」

 ダベンポートの意図を汲んだのか、サー・プレストンはにこやかに頷いた。

「ところで、あのチームはどうしたかね?」

「スタンレーと一緒に逃げました」

 簡潔に答える。

「今、グラムたち騎士団が追っています。いずれ捕まるでしょう」


+ + +


 しばらく雑談してからサー・プレストンの整備場ピットを辞去し、馬車へと戻る。

 ダベンポートはリリィが馬車に乗るのに手を貸してから自分も馬車に乗り込んだ。

 二人が乗り込んだのを確認してから御者が手綱を使って馬車を走らせ始める。

「楽しかった」

 リリィはダベンポートの隣で呟いた。白い頰がまだ紅潮している。どうやらかなり興奮したらしい。

 ダベンポートが黙って頷く。

 と、ダベンポートはキャビンの小窓を開けると御者に、

「ちょっと予定を変更だ、御者さん。家に戻る前にちょっとセントラルに行ってくれるかい?」

 と話しかけた。

「セントラルへ?」

 上品に揃えた膝にバスケットを乗せたリリィが不思議そうにする。

「ああ」

 ダベンポートはリリィに笑顔を見せた。

「近くまで来たんだ。せっかくだからセントラルに寄ろう」

 そう言いながら小さな紙片を取り出す。

「どうやら僕たちは少しお金持ちになったようだよ」

「? お金持ち?」

 ますます不思議そうにする。

 それは、賭け屋ブックメーカーの投票券だった。

 かなりの金額が全てサー・プレストンに賭けられている。

「リリィ、これで何か美味しいものを食べて帰ろう。どこか良いお店は知っているかい? できれば名前が通った店の方がいいね」


──魔法で人は殺せない6:蒸気自動車賭博事件 完──

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【第二巻:事前公開中】魔法で人は殺せない6 蒲生 竜哉 @tatsuya_gamo

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