No.5 ちょっとびっくりしただけ

 日曜日。俺は、昼ごろから本屋に行くことにした。読書は数少ない趣味で、基本ジャンル問わず何でも読む。今回は、神菜ルナ先生の最新作が発売されたので、それを買いに来た。神菜先生はミステリーを得意とした、個人的に一番好きな作家だ。特に、前作の探偵木村シリーズ最終巻はたまらなかった。あれは涙なしには語れない。特にあのタイムスリップして、過去に行くところなんてもう…って話すときりがないな。


 本屋に着くと、入口の一番近くに最新作が陳列されていた。俺は、それを手に取り、レジへ向かう。


「はい。千と六百円ですね。って桜井君?」

 聞き覚えのある声に、顔を上げるとそこには、仕事服姿の学級委員、湯浅真美がいた。

「湯浅?どうしてこんなところに」

「どうしてって、バイトだよー。今月から働き始めたの」

 そういいながら、鮮やかに仕事をこなす。掃除のときと同じように、手際がとてもよく、見ていて惚れ惚れしてしまう。


「はい。これ。お買い上げありがとうございます」

 彼女は、そう言い、本を手渡してくれる。100点満点のスマイルで、心が洗われたようだ。

「ありがとう。じゃあ、学校で」

「あ、待って。私、もう少しで上がりなんだ。ご飯一緒に食べようよ」

 超絶美少女から、ご飯のお誘いをされてしまった。行きたい。とても行きたい。けど、エイラどうしよう。家に置いてきたままだ。ご飯作らなきゃ。うーん。


「もしかして、迷惑だった?」

 彼女が不安そうに俯く。

「い、いやいや。大丈夫」

「やった。じゃあ、ちょっと待っててね」

 彼女は顔を上げ、スタッフルームに駆け込んで行った。


 仕方ない。エイラは、電話して謝っとこう。

 あ、あと、帰りに甘いものでも買って帰ろう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「お待たせ。じゃあ行こっか」

 私服姿の湯浅が、店から出てくる。落ち着いたピンクの色合いのカーディガンを羽織り、チェックのスカートで快活なイメージを憶える。一言で言えば完璧。そんな服装だ。

 きめ細やかな綺麗な黒髪は、サイドで編みこんであり、清楚なイメージも与える。可愛らしい容姿も相まって、どこかの高貴なお譲さまのようだ。

 すごく周りの人に見られている気がする。ちょっと視線が痛い。


「どうしたの。桜井君」

 不思議そうに、顔を覗き込んでくる。

「いや、私服似合ってるな、と。って俺は、何を言ってるんだ。すまん、忘れてくれ」

 必死にごまかす。彼氏でも無い一端のクラスメイトにこんなこと言われても困るだろう。

 湯浅は、ぽかんと口を開け、呆気にとられた表情をする。瞬間、少し赤くなったかと思うと、花のような笑顔を俺に向けた。


「ううん。褒めてくれてうれしいよ。ちょっとびっくりしただけ」

 彼女は、そう言い俺に近づいてくる。ちょ、なんかいい匂いした。

「じゃあ、どこいこっか」

 幸せすぎる。俺今日死んでもいいや。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 入ったのは、うちの学校で話題になっているパスタの店だ。おしゃれな店内は、大勢のカップルでにぎわっている。彼女は、席に着くなりメニューを開き、悩み始める。

「友達が、カルボナーラが美味しいって言っててさ、来てみたかったんだよね。だけど、他のも美味しそうだなー」

 真剣に悩んでいる。俺は、どうしようかな。美味しいならカルボナーラにしようかな。


「よし、決めた。この魚介類のスープパスタにする」

 大体五分くらい悩んだだろうか。彼女は、ついに決断を下したらしい。


 定員にメニューを告げ、運ばれてくるのを待っているあいだ、湯浅が、横に置いていたバックから本を取り出し、俺に渡してくる。

 「私もさ、実は神菜先生好きでさ。桜井君も好きなんでしょ?わざわざ買いに来るくらいだもんね」

 本を開くと、俺が今日買ったものと同じものだった。

「特に、前作の探偵木村シリーズ最終巻が好きでさ、読んだ?」

 机に身を乗り出し、聞いてくる。

 さっきも言ったが、木村探偵は超名作だ。

「すごく良かったよな。特に、あのタイムスリップのとこがさ」

「あ、すごく分かる。あの複線回収は痺れたね」

「ペンギンのシーンとかな。泣くよな」

「けど、何て言うんだろう。神菜先生の作品は、すごく面白いんだけど。どこか、苦しい思いがこもってる感じがする。読み手に助けを求めてるというか」

 俺たちは、パスタが運ばれてくるまで、感想を共有し合った。好きなものを語り合えるっていうのは、やっぱり嬉しいものだ。それなりに神菜作品は読んだけれど、湯浅の解釈を聞くと知らない世界が広がっていくようで、とても充実していた。

 

「あ、パスタ来たね。とりあえず食べようか」

 彼女は、俺の分のフォークまで用意してくれる。相変わらずよく気が回る人だ。こういうことは、俺がやるべきだったな。

「あ、桜井君のカルボナーラ一口くれない?やっぱそっちも気になるな」

 彼女が、小さく手を合わせお願いしてくる。軽く首を傾げながら、頼む様子はいたずらっ子のようだ。

「あ、ああ。もちろん」

 俺は、皿を湯浅の前まで動かす。代わりに、湯浅はスープパスタを俺に渡す。食べていいと言ってくれたが、さすがに躊躇してしまう。だって女子の食事だよ?


「食べていいのに。あ、じゃあ、これでどうかな。はい、あーーん」

 湯浅は、自分のスプーンでパスタを上手に絡め捕り、俺の口に向け運んでくる。さすがにこれはちょっと。恥ずかしい。

「ほら、口。開けて」

 俺が、恥ずかしがる様子をからかっているようにも見える。

 逃げることは許され無さそうなので、俺は覚悟を決め、パスタを口に含んだ。

「ふふっ。美味しい?」

 彼女は、無垢な笑顔を向けてくる。


 幸せな時間は、あっという間に過ぎ、会計を済ませ俺たちは店を出た。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「お金、半分ずつでよかったのに…。おごりなんて申し訳ないよ」

 湯浅は、少しむくれている。さっきの店の会計が気にかかるようだ。そんなに、気にしなくてもいいのに。

「いいって。気にしないで。この前の掃除のとき、湯浅に頼りっぱなしだったし。お礼みたいなものだから」

「けど…。あ、じゃあ、次は私が払うね。行ってみたいケーキ屋さんがあったんだ」 

 湯浅は、横に並ぶ俺を見上げる形で言う。次ってことは、またご飯食べに行こうってことだよな。今日の食事を湯浅も楽しんでくれたってことかな。


 湯浅を家まで送っていくため、先日通った道を歩く。前は暗く不気味だったこの道も、昼過ぎには人通りもあり、休日の温かい雰囲気に包まれている。目前に公園があり、近所の小学生が数人遊んでいるのが見える。

 その時、後ろに少し引っ張られるような感覚を感じ振り向くと、湯浅が俺のシャツの袖を軽くつまんでいた。

 「ちょっと、公園。寄ってもいい?」

 俺は軽く頷くと、公園に足を踏み入れ、木陰のベンチに並んで腰を下ろした。

「この公園、昔よく遊んでてね。仲良かった女の子と毎日のように砂場でおままごとしてたな。家に帰るなり泥んこになって、お母さんに怒鳴られてばっかだったよ」

 湯浅は、懐かしそうに目を細める。公園は、まばらに生えた緑が、太陽の光を受け、きらきらと輝いていた。春風が静かに吹き流れ、どこかノスタルジックな風景に、俺も思わず昔の思い出がくすぐられる。

「今もその子とはよく遊ぶのか?」

 湯浅は、さみしそうに顔を伏せた。

 「引っ越しちゃったんだ。知らない街に」

 「そうか…。それは、さみしいな」

 少し気まずい空気が二人に流れる。こんなときに何て言えばいいのか分からないのがコミュ症の特徴。当てはまったら君もコミュ症だ。おめでとう。


 ふと砂場に目をやると、こちらを向いて立っている男の子と目があった。その子の周りには誰もおらず、一人だけ空間に取り残されたかのような無機質さを感じる。数秒ほど目があった後、その子がこちらに走り寄ってきた。


「お兄ちゃん。ボールで遊ぼう」

 その子は、手に持っていたボールを俺に差し出した。投げて遊べばいいのか。

 湯浅が軽く頷いていたので、俺は立ち上がり、ボールを受け取った。


「よし。少年。俺のボールがとれるかな」

 相手は子供だ。軽く投げてやった。少年は見事キャッチし、肩を大きく振り上げ、全力の投球を返してくる。そのボールは、俺の顔面に吸い込まれ、見事に直撃した。

 小学生の投げなので、痛くは無いが湯浅にダサいところを見せてしまった。ベンチを見ると、湯浅がクスクスと笑っていた。

「やったな。少年」

 さっきより、少し強く投げてやる。しかし、少年はそれも上手くキャッチし、そのまま俺へ投げてくる。ボールの軌道は先ほどと同じく、顔面に向かってとんで来た。俺は避けることもできずに、何度もボールを顔面で受け止めることとなったのだった。


―――――――――――――――――――――――――――――


 三十分ほど、攻防を繰り広げていると

「まったく。何やってるの」

 遠くから息を切らしながら女性が走ってきた。この子の母親だろうか。

 彼女は、少年の腕を雑に掴みあげた。

「帰るわよ。ほら」

 母親は、手を無理やりに引きずろうとする。少年は腕を引っ張られる痛みに顔を歪めた。

「ちょっと、やりすぎじゃないですか…?」

 さすがに見てられないので、つい口を出してしまった

 母親は、こちらを鋭く睨みつけ、わざとらしく舌打ちをした。だが、力を緩めることは無く、引っ張っていく。少年は、今にも泣きだしそうだった。


 二人が公園から出て、見えなくなったあたりで湯浅がベンチから立ち上がり、横に並んだ。

「あの人、ここらへんで有名なちょっと危険な人でね。暴力振ってるとか言う噂もあるけど、みんなも怖くて誰も止めないんだ。桜井君は強いね」

「あ、ああ。うん。そんなことないよ。結局止められなかったし」


 暴力を振っている…。その言葉が脳内で反響していた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


「じゃあ、ここで」

 湯浅が俺を振りかえる。しかし、俺はさっきの公園の出来事をずっと考えてしまっていた。

「桜井君?大丈夫?」

 気がつくと、湯浅の顔が目の前にあった。急な接近に胸が高鳴る。

「あ、ああ。大丈夫。ここでお別れだな。じゃあ、また明日学校で」

 俺は、逃げるようにその場から去った。


「うん。じゃあね」

 湯浅は、そんな俺をどこかさみしそうに微笑んでいた。

              

                               つづく

 

 

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はぐれ聖少女《ワルキューレ》は戦えない! ローリエ @LoLieL

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