第7話 子羊たちに祈りを

7-1


 帰り道は、行きよりも短い道のりだった。行きは登り坂を、ゆっくりとあちこち周りながら歩いてきていたようだ。

 坂の上から見えていた教会の横の道を通ると、畑が広がっているのが見えて、モリは横を歩く二人に尋ねた。


「……畑で作物を作っているんですか?」

「ああ。教会だからな」

「あの手の人々は、清貧を尊ぶからね。なるべく自給自足をするんだ」

 アルフォンソの端的な説明に、Qが説明を言い添える。

 死んでいるのに、畑を耕し、作物を育て、自給自足。そんなものか。モリは最早、いちいち疑問に思うこともなくなって、ふむふむと頷いた。

「なるほど……シスターとかがいるんですかね」

「あの教会にか? いや、神父がひとり……ほら、噂をすれば」

「え?」

 隣の飛行機乗りが視線を向けた方を見れば、道の向こうから黒づくめの人影が歩いてくるところだった。細身で長身、黒い前髪が青白い顔の右半分を隠してしまっている。

 紙袋を抱えているところを見るに、買い物帰りだろうか、とモリが見つめていると、向こうもこちらに気づいたようだ。

「よう、イゴール。買い物帰りか?」

 モリと全く同じ推察をしたようで、アルフォンソが先に声をかける。

 イゴールと呼ばれた神父は「貰い物だ」と答えつつ、こちらへまっすぐ歩いて来た。教会の神父と言うから、モリは壮年以上の人物を思い描いていたのだが、近くで見てみれば、彫りの深い、神経質そうな面立ちの年若い青年だ。薄い唇に細い鼻梁、長い睫毛に縁取られた目が片方だけ見えている。彼はアルフォンソやQとともにいるモリを見下ろして、小さく首を傾げる。

「見ない顔の子がいるが、どなたかな?」

「新入りのモリちゃんだよ」

「モリ?」

「あ、はい。私、モリです……よろしくお願いします」

「記憶がなくて、モリって名前のほかはわからないんだってさ」

「ええ……そうなんです、えへへ」

 先回りの軽い補足に感謝しつつ、モリはなんとなく照れておいた。しかし、深刻になるのを避けたふたりの思惑とは裏腹に、イゴールは重くとらえたようだった。彼は眉をひそめ、高い背を曲げ、腰を落とすようにしてモリに視線を合わせた。

 猫のようにきらりと光る黄色い瞳に見つめられ、モリは居心地が悪くなる。ほんの一瞬でも直視はできず、唇のあたりを見ていると、薄い唇から、ため息のように、いたわしげな響きが漏れた。

「……そうか。幼くして、痛ましいことだ」

「お、幼い……?」

 モリは思わず目を丸くして、痩躯の青年を見つめた。

 日本人ないしアジア人は、西欧の方から見ればたしかに童顔に見えるかもしれませんが、たぶんあなたとそう変わりませんよ、とは心の中で言い返した。あんまりイゴールが真剣に労ってくれるので、直接口に出すのは悪い気がしたのだ。モリの戸惑いを別の意味にとったのか、イゴールは元気付けるようにモリの肩に手を置いて、ぎこちなく微笑んだ。

「迷える子らに、神の祝福があらんことを」

「……ありがとうございます」

 お祈りをいただいてしまった。何がしか、ご利益があるかもしれないので手を合わせておく。いや、違う、組むのだったか。たしか十字を切るのは魔除けだっけ、とモリの思考は脇道へ入ろうとした。

 この人に真正面から向き合うのは、なんだか苦手かもしれない。会って間もないのにそう感じて、モリは助けを求めるようにアルフォンソとQを振り返るが、アルフォンソからは頑張れ、という生温かい視線だけが送られた。Qにいたってはメモ帳を出して何か書き留めている始末だ。無情である。

 イゴールは元通りに背筋をまっすぐ伸ばして立ち上がり、手でモリに教会を示した。

「落ち着いたら、日曜礼拝に来なさい。教えが道を照らすこともあるだろう」

「え……考えときます!」

 反射的に、日本人らしい断り文句を口にしてしまう。流石につっけんどんだったかと心配になったが、神父は紙袋から、小さな薄紙の袋をひとつ取り出すと、モリの手にのせた。

「これは……?」

「クッキーだ。いつも、礼拝に来た子に渡すものなんだが……良ければ」

「あ、ありがとうございます、いただきます」

 いよいよ小さな子供扱いだが、クッキーは嬉しいので、モリはパッと顔を綻ばせ、素直にお礼を言った。神父は小さく頷くと、教会へと爪先を向ける。

「では、また。……アルフォンソとQも、たまには礼拝に来るといい。門は開かれているのだから」

「へいへい」

「気が向いたらね」

 彼らは気のない返事をして、やっと存在感を取り戻した。彼らがクリスチャンだとしても、あまり敬虔なタイプではないのかもしれない。


7-2


 モリたちは、教会へ入っていく神父の背中を見送りつつ、再び街へ向けて歩きだした。モリはといえば、歩きながらクッキーの袋をちょっと開いて、眺めていた。薄く透ける紙の袋の中身はプレーンとココアの2種類で、ナッツが混ぜてあるらしい。なかなか美味しそうだ。あの街で売っているのだろうか?

「クッキー貰えて良かったね」

 そのご機嫌な様子を見て、少し前を歩いていた男が振り向いて声をかける。手元を見ながら歩いていたから、ゆっくり歩かせてしまっていたようだ。

「はい!」

 小走りで追いつき、元気よく返事をしてしまった後で、ハッとする。

「……もしかして、からかってます?」

 モリの疑念に、アルフォンソは軽薄な笑みを返す。

「いや、とんでもない。しかし、イゴールの奴、レディに向かって幼いはちょっと失礼だったな。でもまあ神父サマにとっちゃ、誰もが迷える子羊だろうから……あんまり気にしないことさ」

「そこまで気にしてませんけど!」

 思わず言葉尻にトゲが出てしまい、アルフォンソは小さく両手を上げた。そして、やめておけばいいのに、モリは尋ねずにいられずに、アルフォンソを見上げた。

「……私、何歳ぐらいに見えてます?」

「ほら、アジア人って若く見えるからさ」

 露骨にはぐらかされる。不自然にニコニコしている伊達男は、どうやら答えてくれる気がないらしい。

「Qくん、私いくつに見えてます?」

 この遠慮のないお子様なら、答えてくれるだろうとモリはQに矛先を向ける。

「そうだね。13、4歳ぐらいかな」

「………………そうですか」

 期待通りと言えばそうなのだが、やはり忌憚のない意見をもらい、モリはため息を吐いた。顔を曇らせるモリに、Qは首を傾げて尋ね返す。

「モリは何歳ぐらいに見られたいの?」

「それは、やっぱり年相応に……」

 口を尖らせつつそう答える最中に、モリは言葉を切ってフリーズした。Qの緑色の目が、こちらを観察するようにじっと見つめている。

「……そういえば、私って何歳なんだろう」

「モリ?」

 立ち止まったモリに気付いて、アルフォンソが振り返る。

「私……私って、どんな姿をしてたんだっけ」

 己の歳がわからないことに、そして自分で自分の姿を見てすらいないことに、モリはここにきて、ようやく気づいたのだ。

「私……わたし、確かめなきゃ」

「モリ!」

 モリは居ても立っても居られない気分になり、弾かれたように走り出した。背中にかかるふたりの声を気にする余裕もなく、街道の石畳を駆ける。走っているためか、不安のためか、心臓の音が頭に響いてうるさいほどだ。

 この街をずっと3人で歩いてきたはずなのに、今の今まで、ガラスに映る己の姿に気がつかなかった。頭の中のモヤがひとつ晴れたような心地と同時に、言い知れない焦燥感が襲ってきた。

 自分で自分の姿を知らないくせに、人からどう見られているかを気にしたさっきの自分が、モリにはひどく恥ずかしいような、居た堪れないような気がした。朝起きてから一度も鏡を見ずに、街中へ出掛けてしまった以上に恐ろしい。

 そんな不安の隣にある、淡い期待。もしかしたら、自分の姿を見たなら、それをきっかけにして、記憶が戻るのではないか……。


 やがて街角にショーウィンドウを見つけたモリは、意を決してその前へと進み出た。よく磨かれたガラスに写る己の姿が、何かを教えてくれるはずだと期待して。

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メメント・モリ -死者の島へようこそ- モギハラ @mogihara

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