第6話 楽園の地図

6-1


「歳をとらないって、本当ですか」

 アルフォンソの発言を受けて、モリはおそるおそる問いかけた。

 理屈として、納得できないわけではない。そもそも、死者が成長するというのもおかしな話だ。

 だが、ますます奇妙なことになったとは思った。

 そして何故か、言い知れない喪失感に襲われている。自分の時間が止まっていること、それは…何を意味するだろう。

 そして目の前の彼らは、さっき去っていったケントは、いったいどれぐらいの時を、この島で過ごしているのだろう。

「いや、はは。そうか、言ってなかったな」

「僕はタイミングをはかってた」

 Qにじとりと睨まれて、アルフォンソは笑ってごまかした。

「じゃあ、Q君ももしかして、本当は私よりずっと年上だったり…?」

「どうかな。その疑問にはあまり意味がないかもよ。僕がここで過ごした時間はそれなりに長いけど、ここでは肉体の成長がないからね。感覚としては10歳のままだ」

「俺もそうだな。32歳で死んで、ずっとそのままだ。考え方や価値観にまったく成長がないとは言わないけどね」

 2人はあっけらかんと言うが、ずっと歳をとらず日常が過ぎていくのは、どんな感覚なのだろう。

 皆が生きているのと変わらない過ごし方ができているのなら、死者の島というより、これではある意味、不老不死の島だ。

 不老不死の悲哀としてよく物語などで挙げられるのは、周囲との時間の流れの差で、友人や恋人に置いていかれることだが、自分も周囲も時が止まったままのこの島では、そういったこともないのではないか。だとしたら、ある意味ここは楽園と言えるのではないか。……あるいは。

「……ここってやっぱり天国、だったりしませんか?」

 モリの疑問に、アルフォンソがニヤリと笑う。

「なぁ、天国みたいな場所だよな。ま、天使も神様もいないし、思ってたのとはかなり違うけど」

「何を天国と定義するかによると思う。モリがそう思いたいなら」

 クインの言葉に、モリは慌てて手と首を振った。

「いえっ、あの、なんとなく思っただけで……だけど、すべての人がくる場所にしては狭いと、思うので……やっぱり違う、のかも?」

 思いついたことが何でも口から滑り出てしまうのは良くない。

「さあね。そもそも、天国ってのがひとつの場所かもわからないからなぁ」

「……僕も考えなかったわけじゃないよ。天国って案外こんな感じに、小さな浮島がたくさんあるのかもしれない、って。生前に聞いていたものとはずいぶん違うけれど……確かめる術がないから仮説に過ぎないんだけどね」

 その後も長々とQの仮説は続き、興味深く聞きながら……混乱して半分ぐらいは聞き流しながら……3人は歩を進めた。

「それにしても、偶然ケントに会えてよかったな」

 Qの終わらない話を切るように、アルフォンソが声を上げる。

 話を断ち切られたQはそれに怒るでもなくうなずいた。

「うん、ケントが死んだのは……確か2010年代だ。きっとモリもそのぐらいだと思う」

「そうなのかな…」

 確かにすべてではないが、ケントから言われたものには、理解できる単語や概念が多かった。もっともケントはアメリカ人だからか、わからないこともあったが……。

 問題は、それらを聞いて理解はできても、モリ個人の思い出につなげられないことだった。これは日本のことを知る人に会いさえすれば何か思い出せるだろうと根拠の無い期待をしていたモリにとって、かなりショックなことだった。

「……ダメだなぁ、何も思い出せない……このままじゃきっと、これ以上日本人に会っても……。ごめんなさい、折角付き合ってもらってるのに」

 少し泣き言を言ってしまうと、2人は顔を見合わせてから、モリに向き直った。

「焦るなよ、お嬢さん。まだ数時間しかここで過ごしてないんだから、きっとまだ思い出す準備ができてないんだ。俺もがんばって思い出せなかったことを、3日後とかにいきなり思い出すことあるし」

 アルフォンソが手振りつきで励ますように笑う。沈みかけていたモリの心は少し軽くなる。

 さらにQが少し息を吐いて、モリ、と呼びかけた。

「思ったんだけれど。多分いまはまだ、記憶に鍵がかかった状態なのかもしれないよ」

「鍵?」

「うん。もしかしたら、モリ自身の心が、思い出すことに制限をかけてるかもしれない」

 モリは驚いて、そんなこと、と首を振った。

「私は思い出したいと思ってるよ」

「深層意識、自身では気づきにくい心の奥深い部分で、モリが自分を守るために思い出すことを避けてるってことは? …………死んだときに何かあったのかもしれないし、そうでなくてもショックなことだからね」

「死んだときに……」

 背中に小さな氷を入れられたような気がして、モリは立ちつくす。そうだ、記憶を取り戻すということは、己がどうやって死んだかを思い出すということ。

 ケントやアルフォンソはあっけらかんとしているが、きっと自分はとても平静ではいられないだろう。

 こわばるモリの顔を見て、アルフォンソは眉をひそめ、Qを軽く肘で小突いた。

「おい、今それを言うのは余計じゃないか?」

 Qはアルフォンソにかまわずに言葉を続ける。

「僕らは死者だけど、生きている。心もそう。死んだときの記憶がストレスになって心を病んだり、恐怖症をわずらう人もいる。だから、準備ができるまでは無理に思い出さないほうがいい、僕が言いたいのはそういうこと」

 楽観的に励ましてくれるアルフォンソと、事実と推測に基づき淡々と考えをのべるQは対照的だが、ふたりともモリの焦燥を気遣ってくれている。

 それがわかるので、モリは少し心があたたかくなり、落ち着くことができた。何もわからない不安な状況ではあるが、見ず知らずの他人を気遣ってくれる人がいる。

「……うん、ありがとう、2人とも。そうだね、私、ちょっと焦ってた……」

「無理もないよ。不安になって当然だ。それでも、この短い時間でも、得たものがないわけじゃないだろ?」

 アルフォンソの言うとおりだ。少なくとも自分の生きていた年代がはっきりした、知っている文化を共有できる相手がいると知っただけでも十分な収穫と言える。

 それに、この島のことを知って、島で“生きる”人たちの事情を垣間見て、さらにガイドしてくれた2人の人柄を知って……頭は混乱したままだが、カフェにいたときよりも、だいぶ心に余裕ができていると思う。

 モリがこくりとうなずくのを見て、アルフォンソは、よし、と笑う。……よく笑うひとだ、とモリは思う。


6-2


「さーて、折り返し地点だ。街の全景がよく見えるだろ?」

 アルフォンソが大きく手を広げて示したほうを、モリは視線を向け、思わず口が開いた。

「……あっ、すごい。」

 思えばゆるやかではあるが、休憩をはさみつつも、ずっと坂道を登っていた気がする。ここは島の高台のようで、眼下には今まで通ってきた街、その先に見えるまだ見ぬ景色、そして視界の端には、海が広がっていた。

 聞いてはいたが、孤島なのだとあらためて認識するとやはり穏やかでいられないような気もしたが……そういう複雑な思いより、きれいな景色だ、という感想が先に立った。

「島のことを知るならとりあえず、上から見てみてほしいと思ってさ。」

「なるほど……」

「そのためにこんなところまで歩かせたの?」

 感心するモリと対照的に、げんなりするQ。歩くのはそれほど得意ではないのだろう、疲れた顔をしている。

「それだけじゃないけどさ。やっぱり悩みがあるときは体を動かす、高いところに行くのが一番だから」

「それはきみの基準であって……」

「……でも、いい景色ですね。」

「そうだろ? 結構好きなんだ……俺はもっと上から見るのが好きだけど」

 彼の意図するところは、きっと飛行機から見た景色なのだろう。その景色もいつか見てみたいような、少し怖いような気もした。

 アルフォンソはすっと腕を伸ばし、革手袋の指先が見覚えのある建物を指す。

「あの町外れにあるのがカフェ・メメント。んで、東の森の近くにあるのは俺の家」

「……あの長い道は?」

 アルフォンソの家……大きな2階建の隣に大きなガレージのような建物があり、そこから土色の道が一直線に平野へ伸びている。

「よく気づくなぁ、あれは滑走路だよ。結構整備が大変なんだぜ」

 ということは、ガレージに彼の飛行機があるのだろう。先ほどもちらと思ったが、飛行機は彼の死因になったはずなのに、飛ぶのをやめていないのだ。自転車ぐらいしか運転したことのないモリには想像もつかないことだが、飛ぶことは彼にとってそれだけ大事なことなのかもしれない。

「……で、あそこにあるのがケントのテレビ局……坂の上にあるのは教会。海側に灯台と風車小屋……」

 住宅街、繁華街、牧場、古代建築に、危険な場所……見下ろした街を指差しながら、アルフォンソは島のことを教える。時折、女の子に人気のかわいい店はどのあたりに集中しているだとか、あそこにデートスポットがあるとか、細かな耳より情報も添えて。

 ……すべては覚えきれなくても、この島には色々なものがあって、決して退屈な場所ではないのだと励まされているように感じ、モリは微笑んだ。

 自分はもしかして、運がいいほうなのかもしれない。


6-3

 モリからの質問にも時々答えつつある程度語り終えると、アルフォンソはふたりに向き直った。

「じゃあ、ガイドはこの辺にしてそろそろダッドの店に戻るか」

「はい、ありがとうございました! アルさん、Qくん」

 深く腰を折ってお辞儀をすると、ジャパニーズ挨拶か、とアルフォンソもそれを真似た。

 Qも小さく会釈をしたが、小さすぎて揺れたぐらいにしか見えなかった。

「さぁ、こっから下り坂だけど、大丈夫かい? 疲れたら運んであげるから言ってね」

「はい……えっ? いえいえ、大丈夫です!」

 思わずうなずいてから慌てて首を振り、手を振り、全力で遠慮すると残念そうな……しかし、この反応をわかっていたような微笑みが返ってくる。からかわれたのだ、ということはモリにもわかったが、冗談でも運んでくれと言えばきっと実行するのだろうと、なんとなく短い時間の交流ではあるが確信が持てた。なんて人だ!

 モリがむむむと唸りそうな顔をしていると、隣を歩くQは淡々と代案を出す。

「疲れたら止まって休もうね、モリ」

「うん!」

 モリが元気のよい返事をすると、アルフォンソは声をあげて笑った。

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