第8話君のパンツを見たい

 僕等は雑草の森を駆け抜けた。しかし、来た時とは異なり伸びた草木に足を取られない。草が彼女の能力で消えかけている。草だけじゃない、校舎も人も消失が始まっている。

 女子は甲高い声をまくしたて、男子は自分の体を触りながらのたうち回る。異常なることは伝播し、校舎中に阿鼻叫喚の声が響き渡る。

 江尻が携帯を手に持ちながらその後を追いかけていく。江尻のスマホが彼女をサーチし、唯一の導として追いかけていく。通り際に、一階の教室からは残っていた生徒や用具入れなどがぽつぽつと小さく穴がくりぬかれていくようにみんな消えていく。それだけで今大惨事が起こっているのが目に見えてわかっている。でもそれを怠ったのは僕だ。

 彼女のことを警戒すべきだった。彼女の消失現象は自分の体以外にも起きていたじゃないか、鳥谷のことに集中せず江尻の携帯で彼女が近づいていないか探ることもできたじゃないか。愚かな僕の頭。このパンツ脳め。僕は彼女を助けたかったのではないのか!

 携帯を持つ江尻の手が右に曲げられると、体も手の方向に従って傾ける。


「川尻! そっちの道を右に行っている。彼女、どこに向かうんだ?」

「わからない。けど彼女は……本当に消えたいのかも」

「おいっ、言っていいことと悪いことがあるぞ川尻!」


 江尻は熱を持った怒声を上げた。ちょうど職員室を曲がったあたりに見えた彼の顔は今まで僕に見せたことがない本気で怒った表情をしていた。わざわざ振り向かなかったのは彼なりの僕への配慮だろう。でも、僕は真っ向から彼女が消えたいというわけを突きつけた。


「違わない。彼女は今の能力がなくなってもそうなるかもしれないんだ。彼女からみんなから無視されていじめられているって、だから影が薄いって鳥谷の言葉で本当に」

「鳥谷の言葉で? 待て川尻、もしかして彼女は――」


 江尻の声がプツンと切れると同時に体も一瞬にして消えてしまった。江尻が消失してしまったと僕は息を切らせると、足が滑りの良いコンクリートのはずの床に取られてしまった。


「そ、外?」


 周囲をぐるっと見回すと、紅の夕焼けに染まる学校の門前にある民家の壁が立ち並んでいる。地面も校舎のでなく、凹凸のあるアスファルトに足を取られており、いつの間にか外に出てしまっていた。先ほど走っていたところを見ると、壁がほとんど色を失い透明化して、その機能を果たしていない。僕等は壁を通り抜けていたのだ。

 状況を確認しながら立ち上がると、何か柔らかいものが足を踏んだ。それは江尻の腕で、そこから伸びる彼の上半身はうつ伏せになって倒れていた。腰から下は見当たらなかった。

 体が冷凍庫に入れられたような感覚に襲われ、冷たい汗が流れだした。


「江尻っ!!」

「いてて、やべぇ。マンホールが消えてて足取られちまった」


 噴き出た冷や汗が一瞬で止まった。よくよく見ると薄っすらとマンホールの蓋があり、腰から下はその穴の中に落ちているだけでちゃんとつながっていた。

 肝を冷やしたが、大事に至ることならずに済んだことを僅かに喜び江尻を引き上げるために手をつかむが江尻はなぜか払いのけた。


「川尻、お前が行くんだ。たぶん彼女を救えるのは、お前だけだ」

「何を言っているんだ。僕に何ができるんだよ。頭のいい江尻がいなきゃ、全部上手く行けるだろ!」

「違う、それは全部たまたまうまくいったからだ。さっきの作戦も今も俺は失敗した。俺は頭がいいんじゃない、運がいいんだ。それに彼女を助けるのはお前だ」


 腕を這いながら江尻は僕に笑みを向けて顔を上げている。いつもの自然な笑みではない、苦い笑いだ。


「どうして川尻にだけいじめのことを伝えた? どうしてお前が鳥谷の奴から盗撮の写真を取り上げに行くと宣言した時、彼女はなぜ色が戻っていた? 疑問に思ったことはないか? パンツに関しては一家言のあるお前なら、パンツのことだけを考える偉大なる同士川尻なら、彼女がどうしてお前にパンツを見せたのかを考えれるだろ」


 握り締めていたスマホを、地面にしがみついているのでいっぱいなのに江尻は腕が震えながら僕にそれを渡そうとする。画面には彼女の居場所を示す赤い印が、画面の端から消えようとしている。このまま江尻を助けることにかまけては、彼女を見失ってしまう。

 唇をかみしめて僕は江尻からスマホを受け取ると、彼女がいる方に走っていく。


「同士川尻! 失敗したら監獄送りじゃ済まさんぞ!」

「おうよ、最高のパンツの同士江尻! 早くそこから脱出しろよ!」


 考えろ。パンツは女の子の内面を表すなら、その行動にも意味があるはず。彼女のパンツが見えていたのは…………




 スマホのサーチをたよりにして固いアスファルトを駆けてゆく、彼女がいる方角は僕がいつも通っている通学路だ。しかし、通学路は地面に丸い穴が水たまりのようにあちこちにできており、蹴った小石が穴に転がると音もなく落ちて消えてゆく。

 あの小石がどこに行ったのか。どこまで落ちるのか。未だにこつんという物音が聞こえないことに背中が冷え込み、その穴の隙間を縫って落ちないように走る。

 まもなく彼女と出会ったあの橋が見えてくる。画面上では彼女との距離はだいぶ縮まり、もう影が見えるはずだ。橋の上り坂に差し掛かると、橋は通学路と同じようにボコボコ穴が開いている。そして誰もいないはずの橋の上にプリッツスカートの影が一太陽の影に沿って伸びている。


「パンツ君、来ちゃだめだよ。こっちに来ると、落ちちゃうから」


 朱に染まる橋の上から彼女の声が聞こえた。彼女の歩いた跡から次々にコンクリートの橋が消失していく。江尻が落ちたマンホールも、彼女が歩いた所以で消失したのだろう。だがその忠告を無視して、僕は橋を上がる。消失したコンクリートにできた穴を覗くとまるでつり橋の上を歩いているかのようで、いつも歩いていた橋が意外と高さがあり震えそうだ。

 橋の四分の一を上ると風が吹きつけて少し体を崩しかけると、彼女の悲痛な叫びが上がった。その声は良く響いた。


「パンツ君、ほんとだめだって! もう、私もどうすればいいのかわかんないから離れてよ!」

「いつか、いつかと僕は君に言いたいことがあった」


 助けたいという感情はある。けど、そんな薄っぺらい言葉で彼女が消えることが止まることはない。今は彼女がすべてを消失してしまう原因を考えるんだ。鳥谷が放った言葉を思い出すんだ。

 彼女の影の位置と江尻のスマホに映るマークの場所が重なる場所で、僕は彼女に訴えた。


「百四十七回! 君のパンツを見た回数だ。他の女子と比べても以上に多い数字だ、これがどういうことかわかるか?」

「えっ? い、いきなりなに?」

「パンチラじゃないということだ。明らかに自然なパンチラでない、君はパンツを見せていたんだ。僕やほかの人にも、パンツが見えて気付いてほしいと思って、自分という存在が見えてほしいからパンツを見せたんじゃないのか」


 彼女の影が橋の欄干に下がると、一瞬にして手すりが消えてしまった。かすむような声で「そ、そんなこと……」とはっきりと否定しない。僕の予想は当たっていた。彼女が百四十七回にも及んでパンツを見せたのは偶然でも何でもない。

 パンツを見せていたんだ。


「僕はねパンツというのは女の子の内面を表している。むろん回数もそうだ。回数が少なければ警戒心の高い、多ければ注意散漫、見えてしまうパンツは無神経。けど君の百四十七回ものパンツは、無神経だからじゃない、本心は、見てほしかった! そうじゃないのか!? 心の底では誰かに気付いてほしい、無視しないでほしいと自分ではどうしようもないと言いながら消失現象に立ち向かっていたじゃないか!」


 僕が声を大にして彼女を称えると、今まで太陽の下では見えていなかった彼女の姿がぼんやりと輪郭のようなものを浮き上がらせて出現した。

 彼女の消失現象を止めるもの。それは彼女の存在があると言うことを伝えるんだ。

 彼女はきっと勇気を持ってパンツを見せたのだろう。好きでもない人に、誰彼かまわずに自分の存在を見てほしいためにパンツを見せたんだから。だが、その努力は結果的には鳥谷の野郎が盗撮という最低な行為を行ったことで、パンツの下のお尻が丸見えになってしまいその目的は達成してしまった。

 けど、彼女の努力を僕は無駄とか、馬鹿にしてはいけない。


「君はすごいと思う。百四十七回もパンツを見せた。今まで見てきた女子にそんな人はいなかった」

「そりゃいたらいたで困るけど……」

「けど、それは自然なパンチラじゃない。勝手だけど、僕は君のパンツに満足しなかった。だって、自然なパンチラじゃないから」


 僕は彼女にパンツを見せる行為は望んでいない。そういう労力をして、無視されないためにパンツを見せるなどナンセンスだ。パンツとは、パンツとは……

 僕は彼女の名前を初めて叫んだ。


「篠畑ありす! 僕は君が消えてほしくない!! そんな努力しなくても僕は君を探して、パンチラを見たい!!」


 橋の上でパンチラを見たい。なんという最低で変態的な宣言だろう。普通の人ならこんな漫画でも見たことのない宣言で救われることなんてないだろう。

 ――けど目の前の彼女を救うには十分な言葉だったようだ。

 色が彼女の下に集結してくる。肌の色、制服の紺色、特徴である腰まである長い髪の象徴である黒色。篠畑ありすの存在を構成する色という色が舞い戻り、集結していく。そして仕上げにと一陣の風が彼女のスカートを翻して、中に穿いてる純白のパンツまでもが戻っていることを伝えた。

 きっと感動的な場面であるかもしれない。しかし、僕はパンツ君だ。それにふさわしい言葉を僕は紡がなければならない。だって僕はパンツしか考えない男なのだから。


「そうか、篠畑ありすはノーパン主義者という痴女に落ちていなかったのだな」


――パンッ

 乾いた音の後に頬がヒリヒリと痺れてくる。篠畑ありすが夕日の色と見間違うほど、顔を赤らめて僕に平手打ちした。ああそうだ、これでいい。パンチラを見られた時には女の子は恥ずかしがるものだ。どうせ誰も気にしないだの、見てほしいからでもない。

 パンツを見られて恥ずかしい。そうだよ、僕は君のそのパンチラが見たかった。

 僕の体は、満足げに橋の手すりの方に倒れていき、まだ戻っていない手すりをすり抜けた。何も受け止めてくれるものがない僕の体は重力に従い、自由落下していこうとする。春先の川は冷たいだろうなとか、もうちょっと彼女のパンツを眺めたかったなとか落ちるまでの間に色々考えていたが、その労力も二つの手が伸びてきたことによって終わりを迎えた。


「パンツ君、ごめんね。もうちょっと周りを見てから平手打ちすればよかった」

「まったくさすがだよ同士川尻。お前はやっぱり良きパンツの同士だ。けどな、ここからじゃパンツが見えないだろ」


 篠畑と遅れてやってきた江尻が僕の腕をつかんでくれたことで、五月の汚水の川に向かって飛び込みをする必要がなくなった。


「ああまったくだ。今なら百四十九回目の篠畑のノーガードパンチラが見える絶好の機会なのに」

「心配するな、俺はばっちり見た。これで百四十九回目な。――おいおいおい、離すなって! 川尻が落ちるだろ!」

「ゴメンッ! でも君も後で平手打ちっ!」


 二人が手すりが完全に戻る前に僕を引き上げると、またも橋の上で乾いた音が鳴り響いた。


「イテテ、意外と強烈だな……で、同士川尻。なんて言葉で彼女を救った?」

「パンチラを見たい」

「さすが同士、お前らしい言葉だ」


 江尻が平手打ちされた頬をさすりながらにかっと笑い、拳を前に突き出すと僕も前に突き出してこつんとやった。


「パンツって素晴らしいと思うよ。だって女の子も世界も救えるんだから」

「ああ、パンツって最高だな」

「やっぱり君たちって変な人だね」

「そうだよ。変人は人も世界も変えちゃうよ。篠畑、もし君の席に誰かのお尻、そう女子のものだったら呼んできてくれ。さりげなく僕がそいつのパンツの色を教えてやるさ」

「バッカみたい、でもそれいいかもと思えちゃう。私もパンツ君と同じなのかもね」


 篠畑は、取り戻したほんのりピンク色の唇で笑みをつくって笑った。そしてまた風が、喜びの舞を踊るかのようにくるくるとつむじ風をつくり、またも彼女のスカートをめくった。

 記念すべき通算百五十回目のスカートが捲れ上がったとき――僕は言い表せないほど喜悦した。

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君のパンツはどこに消えた? チクチクネズミ @tikutikumouse

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