「また会いに来たよ」

宇部 松清

可愛い『お前』のために。

「また会いに来たよ~っと」

「ちょっとぉ、また来たの?」


 わざと、ちょっとうんざりした顔をして出迎える。目の前にいる、その人は、仕方ないだろ、なんてばつの悪そうな顔をしつつも帰る気はないらしく、いそいそと靴を脱ぎ出した。何やらずしりと来る紙袋を私に押し付けて。


「可愛い可愛い甥っ子だぞ? ほんとは毎日だって来たいんだからな」


 そんなことを言って。

 なかなか昼寝をしてくれずに、うにゃうにゃふぎゃふぎゃと手足をばたつかせている息子をちらりと見、それに手を伸ばしてから「いっけね」と呟いて洗面所へと走っていった。そう、うがい手洗いはしっかりやってもらわないと。


 兄のところにも子どもはいるけれども、もう小学生だし、やはり生まれたての赤子を抱っこしたいのだろう。

 

「おお、今日も元気いっぱいだなぁ」

「あまりいっぱいすぎるのもね。お陰で今日も全然寝れてないんだから、私!」

「だろうな」


 だから俺が来たんだろ、と言って、兄は息子の慶吾けいごを抱き上げた。


「どういうこと?」

「おおよしよし、慶吾~。また重たくなったか、お前~」

「ちょっとお兄ちゃん?」

「ん? だからさぁ、慶吾は俺が見てるから、紗礼さあやは寝てろよ。今日はそのために来たんだからな」

「え? そうなの?」


 言われてみれば、兄が――ああ、もうこんな堅苦しいのは抜き! お兄ちゃんが来ると、久しぶりだから小遣いやる、と一万円札を握らせ、「俺だって慶吾を独り占めしたい!」なんて言って追い出されたこともあったし、義姉の雪華ゆきかさんと一緒に来た時は、「アロママッサージのペアチケットがあるから一緒に行きましょ!」なんて連れ出されたこともあった。


 つまり、そう、お兄ちゃんは甥っ子に会いに来るだけではなく、私を息抜きさせるために来てくれているのだ。


「ていうかさ、お店大丈夫なの?」

「大丈夫も何も。父さんも母さんもまだまだ現役だしな」

「配達は? 雪華さんに押し付けてないでしょうね」

「押し付けるのも何も、雪華が行きたいって言うんだから仕方ないだろ。あいつ好きなんだよ、配達」

「まぁ、なら良いけど……」


 そういうことなら、とソファにごろりと横になる。


「あの紙袋の中には何が入ってるの? ちらっと見たけど、何かたくさん入ってたよね」

「お尻拭きと、粉ミルクと、今夜のおかず3種」

「ちょっと、マジ?」

「マジ。ウチと同じメニューだけどな。年寄りがいるから全部和食だぞ」

「ううん、助かる。脂っこいもの食べるとおっぱい詰まっちゃうんだよねぇ。ミルクも飲ませてるけど、メインは母乳でいきたいからさぁ」

「妹の口から『おっぱい』って単語が出るのは何か変な感じだなぁ」

「うるさい」


 そんな母親と伯父の会話を子守歌に、ゆらゆらとリズミカルに揺られた慶吾はうとうとと気持ち良さそうな顔をしている。雪華さんの話では、お兄ちゃんは自分の子どもの寝かしつけも恐ろしく上手くて、危うく母親としての自信をなくすところだったのだとか。


 私が覚えているのは、慶吾があの可愛らしい小さなお鼻を「ふごごっ」といっちょ前に鳴らした音。それを最後に、私は深い眠りへと落ちた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「いい? 産後の女性っていうのはとにかく弱っているものなの!」


 仁王様のようなおっかない顔をした妻の雪華が、部屋でごろりと寝そべっている俺に向かってそう言い出したのが、いまから半年前のこと。

 妹の紗礼は第一子である慶吾を産んだばかりで、しばらくは母さんが住み込みで世話をしていたが、さすがにそろそろ旦那さんも気を遣うでしょう、と言って引き揚げてしばらく経った頃だった。


「さーちゃんのことだからきっと、旦那さんを起こすのが悪いって言って我慢してるはずよ!」


 ……そうかなぁ?

 何せ旦那は(性格が)俺に似ていることで評判なのだ。

 ということは「ちょっとぐうぐう寝てないでミルクくらい作りなさいよ!」なんて蹴っ飛ばしてそうだけどな。とは言えなかった。雪華の顔を見れば、とてもそんなことを言える雰囲気ではなかったのだ。俺、正座させられてたからな。


「それに、小さい子がいればちょっと息抜きにお買い物~、とか、髪の毛がぼさぼさでも美容室なんて行けないんだから!」


 その力説が、暗に「私もそうだったんだから」という意味も含んでいる気がして、思わず「その節は本当になんと申し上げたら良いか……」と頭を下げる。


「私は良いのよ! ほら、私の親はお義母さんみたいにお仕事してなかったから気軽に頼れたし。さーちゃんはそうもいかないでしょ? 信君が継いだとはいっても、お義父さんもお義母さんも現役バリバリで働いてるんだから」


 それについても経営の甘さというか己の未熟さをつかれている気がして、「重ね重ね……」とこうべを垂れる。


「だから、良いのよ、そういうのは! だから、信君が頑張りなさい! あなたお兄ちゃんでしょう!」

「そりゃお兄ちゃんだけども。何をしたら良いのか……」

「慶ちゃんあやして、その間にゆっくり寝かせてあげるとか、お小遣い握らせて気分転換させてあげるとか、それで良いの! もう少し落ち着いたら私がアロママッサージに誘うから!」

「は、はい……」

「それに信君も、慶ちゃんに会いたいでしょ? それを口実にすれば、さーちゃんだって気を遣って遠慮したりしないから」

「紗礼が……俺に遠慮……?」


 まさか、紗礼だぞ?

 俺に遠慮なんかするもんか。


「もう! 何もわかってないんだから! 女はね、嫁いじゃったら実家に頼りにくくなるものなの!」

「そ……そうなのか……?」


 だったらお前は? 結構ほいほいお義母さん召喚してるよな? とももちろん言えない。だって俺はいま正座させられているわけだから。 


 そんなわけで、ちょいちょいと顔を出している俺だ。

 意外にも、雪華の言う通り、紗礼は旦那さんに対してはあまりわがまま放題ではないらしい。母になったからなのか、それはわからないけど。


 そりゃ慶吾は最高に可愛いさ。

 だけど、慶吾。俺はな、お前の母ちゃんのこともまだまだ最高に可愛いと思ってるんだ。伯父さん、シスコン? と笑うが良い。でもきっといつかお前に妹か弟が出来たらわかるさ。


 と、腕の中ですやすやと眠る甥っ子と、それによく似た顔でふごふごと眠る妹を交互に見つめ、「また会いに来るな、可愛いお前達に」と呟いた。




 

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「また会いに来たよ」 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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