『発病』

千代音(斑目炉ヰ)

第1話

それは突然だった。


世の摂理だとか、均衡だとか。


どうでも、良いんだ。


ただ、一つ。


神様が居るならば、


願いたい。


願うことさえ、叶わなくても。


​───────


「いってきます」


「あ、待ってよ兄さん!置いてくなよ!」


「もう出るぞー。はやく支度しなさい。」


「わーってるよ!」


いつもの会話。

変わりない、いつもの会話。


「はいはい!でけたよー!じゃ!」


「あ、こらー。鍵は持ったのか?」


「鞄に入れっぱなしだよ!」


「そうか」


先手は取りたい、そんな奴だ。


「いってきまーす!」


「いってらっしゃい、誉」


俺は弟と叔父さんと、ボロアパートの2階で3人暮らしをしている。

両親はだいぶ昔に逝ってしまった。

叔父さんは長距離運搬の仕事をしていて、家に帰ってくることは月に何度か、だ。


「いってきます。」


誰もいない部屋に、呟く。


俺は大学に通っている、最近はバイト先と学校の往復で家に帰る時間は限られていたが、店長が融通を効かせてくれて、しばらくは落ち着きそうだ。


弟、誉には俺が付いていないと成らないんだ。


​───────


「先輩ー。また考え事ですか?」


「あ、ああ。」


「じゃあ、話聞いてなかったんですねー……」


「え?あ、すまん……」


「まぁ、良いですよ。いつもの事なんでー」


「ホントにすまん……」


「いや、良いですって!弟さんのことでしょー?」


「よ、よく分かったな……」


「先輩、ブラコンですから!」


確かに、過保護過ぎるのかも知れない。

けれど、ブラコンって……


「そろそろ時間ですよー!次の講義受けてきますー!では、また!」


「うん、またな」


でも、そうでもしなければ

許されない、

拭われない、

……報われない、


報われない?

誰が……?


「弱ったな。」


普段ここまで考えることは……無いのに……


いや、

心の深層に閉まっているだけなのかもしれない……



~~♪(着信音)


着信だ。


介麿?

珍しいな。


「はい、曹です」


介麿は、誉の幼い頃からの友人だ。

家族のような仲だと俺は勝手に思っている。

俺が観られない面倒を観てくれている。


「曹さん、こんにちは」


律儀な奴だ。


「こんにちは、如何した?」


「それが……誉がまた倒れました。」


「?!、すぐ駆けつける!保健室で寝かせているのか?」


「いえ、近辺の○○病院です。今回は意識も無くなってしm」


「は?!何?!待ってろ!!」


「はい。」


~ピッ。


嫌な予感しかしない。


誉は小さい体に大きな病を抱えている。

生まれ持ったモノ、ひとつの障害さ。

倒れることはこう言っちゃアレだが、いつもの事なんだ。

だが、いつもは意識はハッキリしていて、身体に力が入らない程度……

その都度介麿には介抱をしてもらっていた。

薬と、定期的な検査で最近までは調子良かったのだが、ここ数週間のうちに倒れる回数が異常だ。


そして、今回は意識が無い。

心配だ。


俺は焦りと恐怖感で精一杯だった。

冷や汗が垂れる。

恐れることは、もう無いとどこか思い込んで居たのかもしれない。


タクシーで病院に駆けつけ、受付窓口に走る。

部屋番号と面会札を受け取り、介麿を血眼で探す。


「えっと……この辺り……」


「!、曹さん!こっちです!」


「介麿!!」


病室前の椅子に座っている介麿を見つけた。


「意識はまだ戻りませんが、呼吸が整ってきました……眠っているだけと今のところは診断されたので、安心して良いと思います。」


「そ……そうかぁ……良かった……良かった……ありがとう……」


俺は酸欠になりながらフラフラと病室に入る。

スースーと寝息をたてる誉……

寝顔を見た瞬間、目の前が真っ暗になった。


​───────


気がつけばオレンジ色の差し込む、光が薄らと……

目前に蛍光灯がボヤけて見える。


「つ、曹さん!!」


「……介麿?……はっ?!ほ!誉は?!」


「何だようっせーな……何で兄さんもベッドで寝てんだよ。」


「誉?!」


どうやら、俺の意識も途絶えたそうだ。


「誉、曹さんはお前が倒れて駆けつけてくれたんだぞ、その口は何だ。」


「はっ!兄さんなんだから。」


「こら!!」


「い、良いんだ介麿……ありがとう……お前もこんな時間まで付き添ってくれて……疲れたろ、俺も誉も大丈夫だから……」


「うっせーな兄さん、さっさと帰るぞ」


誉の機嫌が悪い。

大部屋だからなのだろうか?


たまたま誉の隣のベッドが空いていたらしい。

な、情けない。


「駄目だ。誉、お前はしばらく入院だぞ。」


「は?!検査入院とかじゃ……」


俺は思わず声を上げた。

介麿の言葉に耳を疑った。


「検査も含めて入院ですが、リハビリが必要です。曹さんが寝ている間に担当医が来て、そう判断成されました。曹さんをベッドに寝かせるのを手伝って頂いたのもその方です。」


「…………」


誉が黙る。


「そうかぁ、先生に大変迷......り、リハビリ?!」


「歩けねーし、おぶってよ兄さん。」


「なっ、歩けないって……」


「なんか神経がどーたらこーたらー」


誉が不満げに返答する。

なんて事だ……


「今回は、持病で倒れたみたいなんですが、新たに発病したみたいで……」


「介麿もう帰れよ。」


「新たに……って……」


「兄さんも黙れよ。」


「ええ、そう医師が言っていました。」


「そ、そうか……。」


俺は現実を受け止められなくて、

ただ、頷くことしかできなかった。


「兄さん、俺、やっぱ帰んのやめた。イライラするし、一人で帰って。」


誉もまだ受け止められて居ないらしい、

当たり前だ、

持病に加え身動きが取れなくなってしまったなんて。

行動力の高い奴だ、

苛立ちも、

当たり前だ……


「曹さん、今日の所は帰宅しましょう。面会時間も、終わりますよ。」


「あ、ああ……誉、また明日」


「来んな。」


「…………」


「曹さん。」


「あ、ああ……。」


俺は誉の顔もろくに見てやれず、介麿と共に部屋を出た。


「これ、書類です。」


「ありがとう……助かったよ。担当した医師は……」


「いつもの方です。」


「そうか……良かった……」


「明日、俺は来られないんですが……」


「あ、ああ。大丈夫だ!ありがとう。」


担当医は忙しく、実際の話を詳しく聞きたかったのだが難しかった。

看護師に自分をわざわざベッドに寝かせ貸してくれたことを「感謝しています」と担当医に伝えてくれと伝言を残した。


俺は介麿を送って、そのまま家に帰らず近くの公園へと足を運んだ。

昔、よく誉を遊ばせた公園だ。

実際、遊ばせたのではなく、手を引っ張られて来たと言った方が合っているが。


「歩けない……か……」


お前が歩けなくなっても、俺は置いてったりしないからな……

諦めている……そんな気がした。


何が……何が、弟の事を考えているだ。

ふざけんな!!


「くそ!!」



次の日、誉の衣類を抱えて病室に出向いた。


「来んな。つったろーが。」


「そうもいかないだろ?」


「ちっ……。」


誉の機嫌は直ってないようだ、

当たり前、だ。

当たり前……


「朝から検査だしよー、うっぜーんだよあの看護師ー。」


「そう言うな。当たり前なんだから。」


「当たり前ってなんだよ。」


「あ……」


「帰れよ。」


「わ、悪かった!」


「帰れよ!!!」


「あ、ああ……すまなかった……また、明日……来るから……」


何が、当たり前なんだ。

俺は誉が苦しんでいるのに、それを当たり前だと……

また罪を課せて、償い切れない程に……


「さいってー。」


本当だ。

本当に、最低だ。



次の日も、また次の日も病院に通った。

俺は誰もいない部屋に、

「いってきます」

と呟く。いつもと、変わらない筈なのに、心苦しい……


介麿や悠蔵が同伴してくれる日もあった。

俺以外と会話する時はまだいつもの調子に戻れるらしい。良かった。

だが、

容態は悪化するばかり……担当医ともよく話をしたが、元々の持病との関係性と神経の問題でまだはっきりとしたことは分からないらしい、経過を見なければならんと……


「誉ぇ~車椅子買ってやろうか?」


「あ?!んだテメェ悠蔵!!この野郎!!」


「病室では静かにしろ。」


「んだよ介麿!!」


「病人は大人しくしなさい。」


「はんっ、お前が学校来なくなってから平和になったよ~!静か静か!……静か過ぎるから、はやく治しなよ……」


「治せるもんならとっくに治してら。」


「うん……」


流石の悠蔵もからかい続けるのは調子狂うみたいだな……


「曹さん、誉の近くに居てやらないんですか?」


「ああ。」


「何故です?」


「いいんだ。」


介麿が不思議そうな顔をする。


「誉は……俺が嫌いなんだ。」


そう言った瞬間、誉と目が合った。

俺を睨みつけて、目を逸らす。


ほら、ね。


「そんなことないですよ。」


「介麿……」


「では、俺達は帰ります。悠蔵、帰るぞ。」


「は~い。じゃあね!……誉…」


「んだよさっさと帰れ帰れ!」


「曹さん、またね。」


「悠蔵もありがとう。」


病室に2人きりになった。


「帰れよ。」


「誉。」


「帰れ。」


「誉聞いてくれ。」


誉がベッドに潜る。

俺は話し続けた。


「この前は悪かった。本当に悪かった。お前が苦しんでいるのにも関わらず、それを当たり前なんて言って……俺は」


「……」


「俺は最低だ。最低な兄貴だ……。」


「……」


「お前のリハビリには俺が責任もって……」


「要らね。」


「誉……」


ああ、また。怒らせてしまった……


「要らねーよ。」


「そうか……」


「帰れよ。」


「あ、ああ。聞いてくれてありがとう。」


「ちっ……。」


これこそ、当たり前なんだろう。

最低な兄貴に付き添われても、な。

その通りだ。


俺は少し酔いたくて、普段飲まない酒をコンビニで購入した。

そしていつもの公園に……

酔いたくて、

酔いたくて、

逃げたくて、

この、報われない……


報われない、

ああ、

俺のことか。


俺は、報われたかったんだ、な。

自分の為……なんだな。

全て、尽くすのも、過去を現実を、

直視したくなくて、

触れたくなくて、


そうか。

俺は利己主義な……自己満足な……

それ以下の、

どうしようもなくて、

誉はそれを、

許さないだろう。


許されない、

報われなくて当然だ。

許されないタブーを犯したのだから……


次の日、俺は顔を出すのをやめようとしていた。

昨日誉の衣類も交換したし、介麿達にも伝えたから、俺が居なくても……大丈夫だろう……

俺が居なくても、大丈夫。


俺は大学のレポートを書きながら、

思う。


俺の存在意義とは、なんだ?


俺は過去の誤ちから、

誓った。


誉を楽しませる、と。

支える、と。

護る、と。

そして気づけなかった過ちを俺の一生を捧げ、尽くし、養うと……。


決して、背いてはならない現実。


誉はもう忘れてるのかもしれない。


だが、

俺は、俺は、そんな常識に反した思考は……


は?


なんだ、それ。


常識って、なんだ。


誉に通用するのか?


違う。通用するか否かではない。


そんなものに縛られて誓いを守れるか。

誉を護れるか。

俺が、俺が抱えてあげなければ。

誰が、いったい誰が共に歩めると言うのだ。


「兄さんって、頭いいのに馬鹿だよね。」


誉の言葉が脳裏に巡る。


いつもお前に、気付かされるな。


「ははは……はははは……あはははは……オカシイ……オカシイなぁ……」


俺はレポート用紙をそっちのけて、

病院に向かい走った。


何が、償いだ。

誉は望んじゃいない。

誉は誉の為に俺が生きてると言ったら怒るだろう。

そうだ、俺は俺の為に生きている。


「ああ!廊下は走らないでください!」


「す、すみません!」


ああ、もう病院に着いたのか。

ひたすら、走って……


ーガラガラ


誉の病室のドアを開ける。


「誉!…………誉?」


誉のベッドは綺麗に整理され。

あたかも誰もそこに居なかったかのように。


「は?!ど、どういうことだ?!病室を間違えて……」


廊下に出て部屋番号を確認する。


「いや、間違っては……ない……」


「あ!誉くんの保護者の方ですか?」


「ええ……兄です。誉はどこに……」


「携帯に何度も連絡したんですよ。ICUに移動されました。」


「I……CU……?えっ?なっ…………え?」


「容態の悪化で……こちらです。」


「待ってください!どういうことですか?!まさか……」


「一刻も早く、誉くんの近くにいてあげてください。」


俺は頭の中が真っ白になった。

看護師の後ろをとぼとぼと着いて歩く。


「なん……で……」


「はい?」


「神様は……居ないんですか……」


「お兄さん!!気を確かに!!誉くんは大丈夫です!!」


「ははは……は……」


「短時間の面会しかできませんが……詳しくは先生がお話します。」


看護師がマスクやらを差し出してきた。


「中に入る際はこれを……」


「いえ、ここから、……この窓からで、……いいです。」


「わ、分かりました。では先生をお呼びしますね。お待ちください……。」


「はい。」


俺は窓ガラスから遠目に誉の姿を確認し、誉の周囲にある治療器具に目を回した。


これが、現実。


「当たり前だ。」


違う!違う!違う違う!!


「当たり前だ。」


やめろ。やめてくれ……やめてくれ。


「当たり前だ。」


やめ……


「曹くん。」


「ハッ……せ、先生……」


「どうも、大丈夫かい?汗だくだよ?……無理もないか。」


「あ、いえ。……誉の容態は……」


「危機的状況だったが、今は心拍も落ち着いてきて少し安心して大丈夫だよ。ここじゃなんだ。こちらで話そう。」


すぐ近くの小部屋に案内された。


「か、カルテを……見せてもらえませんか……」


「うーん……」


「お願いします。」


「分かった。……家族だから問題は無いんだけれど、内密にね。」


俺はカルテを渡され、目を疑った。

最近の検査の結果や、その他の診察内容の記載に思わず声が出る。


「やっぱり、アイツ……嘘ついて……」


「君には黙っておいてくれって……お願いされてね。兄さん……曹くんは大学が忙しいからって……ね……。」


「………………」


「君のお父さん(叔父さん)には連絡取れたから全て話したよ。」


「お、叔父さんも知っていて……」


「ごめんね、曹くん……。」


「まただ……」


「え?」


「また、俺だけ何も……知らない……」


俺は小部屋を飛び出しカルテを握りしめたまま窓ガラスに殴りかかった


屈強なガラスでそんなこんなで破れるものではない。


「馬鹿野郎!!誉の馬鹿野郎!!また、また俺だけ……俺だけ置いてけぼりかよ!!置いていくなよ!!これも先手取ったって言いたいのか?!おい誉ぇえええ!!」


俺は大声で声を枯らしながら嘆いた。

看護師や先生に取り押さえられて、

それでもあの窓ガラスに向かって


「俺を、俺を置いていくな!!!!置いていくなよぉおおおおおお!!!!!!!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」


「落ち着いて曹くん!落ち着いて!君、鎮静剤の準備を。」


「はい!」


看護師は慌てて奥の器具室に入る。


「誉ぇ……誉ぇ……」


俺は全身の力が抜けたように崩れ落ちた。


それでも泣き叫び、過呼吸になりながらも誉の名前を呼び続けた。


「ちょ、ちょっと誉くんダメ!こら!誉くん!」


先生が窓の向こうを見て声を荒らげる。


なんだか、窓ガラスの向こうが騒々しい、


すると、


ードン、ドンドン!!


窓ガラスを向こうから叩く音がした。


顔を上げると俺を睨みつける誉がそこにいた。


何かを言っているようだが、聞こえない。


「誉!誉!誉……誉!」


俺はなんとか身体を起こして窓ガラスにへばりつくように、

誉の顔が見えるように、必死に壁をつたった


ードン


「?!」


ードン、ドンドン!!


「どうした。誉?」


誉は口パクで何かを言った。


そして誉も看護師に取り押さえられた。


どうやら点滴をぶち抜いて酸素マスクも外して、這いつくばってここまで来たらしい。


誉が窓ガラスを背中にもたれかかり尚もこちらを向こうと……

手すりを使い腕の力だけでなんとか保ってる状態だ。


なんてやつだ……


ードン!


「誉、大丈夫なのか?誉……」


読み取れた口の動きは、


「帰れ。」


その一言だけ。


そして誉は取り押さえられながらも俺に握りしめた拳と親指をあげた。


まるで意味がわからなかったが、

俺は何故かそのサインで心が救われた気がした。


きっと大丈夫だと、言いたいんだろう。


俺の顔は汗だくで涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「曹くん。落ち着いたかい?誉くんも思いっきりが過ぎるよ……点滴の痕傷になってないか見てくるね。」


「先生!鎮静剤の点滴の準備が……あれ」


「もう彼は落ち着いたようだよ。」


「良かったです。……お兄さん中で、面会しますか?」


「そうだよ。曹くん。誉くんの近くには行かなくていいのかい?」


「はい。いいんです。伝わりましたので……。カルテ、ぐしゃぐしゃにしてしまってすみません……。」


「そうかそうかぁ、なら私達は余計な真似だね。大丈夫だよ、データはこちらにあるからね。」


「もう少しここで様子を見たら帰ります。」


「じゃあ、先生は誉くんの傷をみてくるね。」


「はい、よろしくお願いします。」


俺は深々と頭を下げ、暴れたことが恥ずかしくなった。

大人気ない……


窓ガラスの向こうで、先生が誉の手当をしている。


誉はこちらに気づき。

あっかんべー、と舌を出した。


「ふふ……そうか。」


俺はただ頷いて。


「明日も来るからな。」


そう言って、

その場を去った。


​───────


介麿と悠蔵にも連絡をしながら帰宅する。


「ICUですか。そうですか。……分かりました。面会はできませんね。連絡ありがとうございます。」


介麿は理解が早くて助かる。


「あああああっあいしーゆー?!それホントですか?!誉そんなに悪いんですかぁ?!…………」


悠蔵は黙ったあとすすり泣く声が聞こえたが途中で切られた。


俺は誉の俺に向けたサインを思い出し暗示をかけるように自分に言い聞かせた。


「大丈夫、大丈夫だよ。」


一安心はした。

したんだ、あの時は。

でもやっぱり……と考えてしまうのが俺の弱さなのかもしれない。


「あ、ここは……」


立ち止まり階段を上る。

懐かしい、ここはいつしか俺が俺でなくなった地。

俺を、捨てた地。


廃墟ビルだ。


コツコツ、と

階段を上がる。


「捨てたはずなのに、変わらないな。あの時も今も同じ気持ちだ。」


死んでしまいたい。


「違うか。今度は俺が俺に抱いた殺意ではなくて……」


死んでしまいたい。


「馬鹿な……もう、そんなこと思わないさ。風が、異様に心地よいな。」


屋上につき、柵を超える。


「手で……ええと、丸作って……こうして……あてて……」


当時の真似をする。


「ああ、ちっぽけだ。誉。」


あの時は、同じ風景に見えた世界が。

今は誉の意味した言葉通りになっていた。


「ここに俺が居たら……後から誉が……なんて……誉は病院だ。ははは……」


「兄さんよっ」


「えっ」


肩をぽんと叩かれ、俺は跳ね上がった。


「あ!危ね!落ちたらどうすんだ?!何考えてんだ!!ど阿呆!!」


「お、叔父さん?!」


「あ?俺の顔忘れたのか?」


「ど、どうしてココに……」


「家に帰っても誰も居ねぇし、病院の面会時間も終わってるだろうから……たぶんここかなってな!」


「は、はぁ」


「んだ?その湿気た顔は!!」


「…………」


叔父さんは誉の事情はとうに知っている。

なのにいつも通りだ……


「とりあえずよ、死なねんなら。こっち来い。」


「あ、ああ……死ぬ気は……」


ないよ。


俺は叔父さんに引っ張られ、廃墟ビルを出た。


「俺、ココの話……叔父さんにしましたっけ……?」


「ほま坊から聞いたんだよ。」


「誉から?!」


「兄さんと約束したんだって。ほま坊が中学生の時に話してくれてな!笑」


「誉……」


俺は誉のことだから、忘れてるとばかり……

寧ろ気にもしてなくて、ただの一連の出来事で終わらしていると思っていた。


「そう、約束したんです。」


俺は自分の口角が上がるのを感じた。

俺は少し微笑んだんだ。

嬉しかったんだ。


勝手に誉は忘れていると……俺は思っていたんだけれど、覚えてるとは……な…………。


「ほれ、はやく車に乗りな!」


「あ、はい。叔父さん……仕事は……」


「丁度一仕事終えたところだよ。まったく……すぐ家帰って寝たいところだったのによ!」


「すみません。」


「誉のこと、任せっきりですまなかったな。色々大変だっただろう。」


「いえ、誉のこと……知ってたんですね。」


「ああ、でも誉には」


「口止め」


「はははっ、そうだ。言うなって口止めされてたんだよ。笑」


叔父さんは笑って話す。

その声が遠のいて……

俺は疲れて眠ってしまった。


気がつけば俺は部屋で寝ていた。

叔父さんが運んでくれたのか?

……覚えて……ない。


ぼーっとしながら携帯で時間を確認する。


「んん……俺はいったい何時間寝てた……は?!」


まる3日経っていた。

叔父さんは?!


……隣で大イビキをかいて寝ていた。


誉、誉のところに行かなきゃ!


「んあ、曹ぁ?起きたのか~」


「なんで起こしてくれなかったんだ!!」


「そう怒んなよ!重かったんだぞ!お前が気持ちよさそうに寝てるから起こすのもなぁって思って……あ、お前が寝てる間に進展があってな。誉、普通の病棟に移されたぞ。」


「本当に?!はぁ……よ、良かった……」


俺は涙ぐむ。


「ほま坊の着替えとか分かんなかったからお前のとゴッチャに持ってっちまって俺ブチ切れられたんだけど。」


「あ、たぶんサイズの問題ですね……」


「はははははっ!そんぐらい元気だぞアイツ~~」


「俺、顔見に行ってきます!」


「あ、そうそう。介くんも連れてってやれ!お前が携帯に出ないから俺にまで連絡寄越してきたぞ~~!」


「やっべ……介麿ごめんな……」


俺は即座に介麿に電話した。


~~♪


「はい。」


「あ!介麿!俺だ!その、実は……」


「曹さん。……はあ。全て事情はお父さん(叔父さん)から聞きました。」


「お、怒ってないの……か?」


「え、何故怒るんですか?」


介麿が少しズレてて心底安心した。


「迎えに行くから。誉に会いに一緒に行こう!」


「分かりました。準備します。」


〜ピ。


「はぁ~~よかった怒ってなかった……」


「どーだかな~~」


「なっ?!……叔父さんは行かないんですか?」


「俺は一昨日昨日付きっきりだったから今日は休ませてくれ~~!書類とかめんどくせーんだよ!」


「あんたって人は……」


「ん?なーにー?」


「いえ。では、いってきます。」


「いってらっしゃい。曹。」


久しぶりに「いってらっしゃい」と言われた気がする。

俺は暖かな光の中を歩いているような感覚になった。


全ていい方向に進んでいる。

俺は少々考え過ぎなんだろう。


「おっ!介麿ー!」


「つ、か、さ、さ、ん゛」


俺は肩を一発殴られた。


「いっで!!なっ……やっぱり」


「怒ってはいません。イラついてるんです。」


「同じだ……」


「スッキリしました。行きましょう。」


「あ、はい。」


介麿は…………分からん。


「ちょおっと!ちょっとちょっと!!」


後から声が聞こえた。


「あ、悠蔵も心配してたので……勝手に呼びました。」


「悠蔵、ありがとう。」


「か!勘違いしないでください!嫌味言いに行くだけですから~!」


「なら、学校でも構わんだろ?」


「介麿……う、うるさいなあ!行くよ!」


悠蔵がむっとした表情で先頭を歩いていく。


「へいっ!たーくしー!」


悠蔵が目の前でタクシーを止めた。


「ちょっ!悠蔵……その……俺今手持ちが……」


「なぁに言ってるんですかぁ?俺が乗るんですー。」


「デスヨネー」


「あははっ!なわけないでしょーっ!後で請求しますから~~!」


ということで、タクシーに乗り予定時刻より早く病院に着いた。


「ありがとう。悠蔵。」


「あとで、請求しますからー!」


「は、はい。」


「介麿もだよ!」


「はい。」


介麿が悠蔵に料金を渡す。


「なぁに~!持ってんじゃん!」


「ああ。」


「…………会計の時に出しなよねー……」


「あははっ」


俺は介麿と悠蔵のやり取りに思わず笑った。


「何故笑うんですか?」


介麿がキョトンと尋ねる。


「いや、おかしくてな笑」


「さぁー!行きましょー!馬鹿面拝みに行きましょー!」


俺らは受付を済ませ、今リハビリの最中だと知った。


「リハビリ……」


「曹さぁん!暗い顔しないのー!」


「大丈夫ですよ。誉のことだから、もう動けるようになってますよ。」


「ああ……そうだな。」


リハビリテーションに足を運ぶ。


すると、


「はい、次こっちねー。誉くんいいよー!その調子~!」


汗をダラダラと垂らしながら手すりに掴まり必死に歩こうとしてる誉の姿が見えた。


「あ!保護者さんですね!誉くん、頑張ってますよ~!どうぞこちらに~!」


「誉……動いて大丈夫なのか?」


俺は少し震えていた。

怖かったんだ。また、誉に「帰れよ。」と言われることが。


「ん?だーじょぶだーじょぶ!つーかー、兄さん来んのおっせーし!おじじ(叔父さん)がよ~兄さんの服寄越して来てよ~」


「あ、ああ……」


あ、あれ……?


「少し休憩したらどうだ?」


介麿が誉に言う。


「そーするわぁ。せーんせっ!またね~!」


「時間もいい頃合だし、また次の時間に部屋に呼びに行くからね~。」


リハビリのサポート医師はにこにこと手を振る、


「はーい。ん、介麿、押して。」


俺はまた要らない事に縛られていたようだ。


誉は車椅子にドカッと座り介麿が押して歩く。

悠蔵が俯いて黙り込み、誉がそれに気づき声を掛けた。


「ブス!おいブス!ジュース買ってこいよー!」


「……は?何言っちゃってんの!撤回しろ!……この俺をパシるとかぁ!……ふんっ!……もう!病室戻っててね!」


悠蔵がいつもの調子に戻った。

そして購買に向かった。

誉は、あはは、偉大だな……


俺は2人の後ろを歩く。

ふと誉に目をやると、誉が俺に向かって親指を立てた。


「この意味わかった?」


「ああ、大丈夫だって言いたかったんだろ?」


「ちっげーし!体が麻痺ってブーブー!

ブーイング!ってのができなかったんだし!」


「えっ」


「マジうぜーんだよ兄さん」


「はは……す、すまん……」


「ちっ……」


違ったんだ……安心しろ、大丈夫だって意味じゃなかったんだ……

なのに俺は勝手に勘違いして……


「いってぇ!!!何しやがんだ介麿!!」


どうやら介麿が誉を、はたいたらしい。


「いい加減にしろ。」


「何がだよ!!」


「家族は……大切にしろ。」


「おめーに言われちゃ何も言い返せねぇな!ははは!兄さん、嘘だよ。俺だって極限だったんだ。サインでしか伝えられなかったんだわ……」


俺は肩を落とした。


「じゃ、じゃあ……」


「ま、帰れって意味も含まれてたけどな!兄さん暴れてっし、恥ずかしいのなんの……」


俺は赤面した。

思い返すだけでも恥ずかしくなる。


「悪かった。」


「当たり前だよ。」


「えっ……」


部屋に着き、誉が自分の力で車椅子を動かしてみせる。


「当たり前。……介麿、悠蔵遅い、見てきてくんねー?」


「ああ、分かった。」


また2人きりの空間。


「誉。」


「あ、た、り、ま、え。」


「それは……俺の失言だ……」


「当たり前なんだよ。この現状がよー。」


「誉……」


「隠してたのに、先生もおじじも兄さんにはあめーな!言っちまうんだもん。」


「俺を……置いていかないでくれ……これじゃまるで母さ」


「母さんみたい、だろ。」


「ああ……」


「俺、母さん好きだよ。」


「ああ……」


「だってさー俺。兄さんが学校行ったり、雁字搦めに働いてたりするところ見てたかったんだもんー。犬みたいに。」


「……それは俺を想って」


「ちっげーよ!笑……面白いから。」


「え……」


「面白いからだよ。兄さん。」


ああ、またあの時と同じだ。

誉は何も変わらない。

それでこそ……誉なのかな……

自分の為……か……

ふふ、なるほどな。


「俺も……」


「あ?」


「俺も、俺の為に生きてる。」


「知ってっし!へへっ!」


俺は笑った。

誉も笑った。


久しぶりに……腹の底から笑った。

あの時、みたいに。


俺達は、いや

俺だけは……逃れられないのかもな。

あの誓いも、罪も……

でも、これでいいんだ。

これが、いいんだ。

そう決めたのだから。


「悠蔵が看護師さんたちに……」


介麿がやれやれと首を振るりながら悠蔵を引っ張って来る。

外からは黄色い声援が聞こえてくる。


「もーやんなっちゃうよねーモテるって大変~~!」


介麿と悠蔵が部屋に入り、ドアを閉めた。


「誉、はいこれー。」


「何これドクペじゃねーじゃん!!」


「病人はこれでも飲んでろばーか!!」


「青汁とか頭おかしいだろ!!」


青汁……しかも、粉じゃないかそれ……


「溶かしますか。」


介麿が飲料水を袋から出す。


「は?!飲まねーし!」


「誉、せっかく買ってきてくれたんだ。飲みなさい。制限はされてないはずだ。」


「兄さん、それつまんねーから。」


都合が悪くなるとすぐコレだ……。



それから、誉はリハビリに奮闘し、安定を保ち。退院の見込みがでてきた。

俺は安心して大学とバイトを両立できた。

叔父さんは仕事の都合でまた家を空けて、介麿と悠蔵は学校が終われば顔を出しに来てくれる。


後に叔父さんに聞いた。

あの日のことは、誉の口からなんて話したのかと。

「兄さんの足枷」だ、そうだ。

まぁ、なんとも……

誉らしい。


「兄さん、リハビリいってきまーす。」


「いってらっしゃい、誉」


いつもの会話。

変わりない、いつもの会話。


​───────


神様は居ないのかも知れない。


俺が仕出かしてることは、

冒涜かもしれない、


けれども、当たり前なんて。


そんなの、

そんなの、どうでも、良いんだ。


今が良ければ、それで良いんだ。


願っていたって、叶わなくたって。


その道筋を決めるのは自分自身なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『発病』 千代音(斑目炉ヰ) @zero-toiwaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ