君にしか届かない声で

レイノール斉藤

第1話

 世の中は『大多数』の『普通』に合わせて出来ている。


 世間が自分に歩みよる事は無く、その枠からはみ出た者は容赦無くはみ出し者になる。

 分かってはいた。ただ、頭で理解するのと自分が当事者になるのとでは、まるで感じ方が違うというのは最近になって知った。


 屋根付きの誰も居ないバス停で、俺は鞄から一冊の教本を取り出す。先月までは見向きもしなかった物だ。

 これからこんなのを覚えなきゃいけないのか……勉強なんて代物から遠ざかってもう十年以上経つっていうのに。

 内容の難しさより、現実を突きつけられているようで嫌になる。

 溜め息と共に劣等感や恥ずかしさも出ていってくれたらどんなに良いだろう。


 そんなことを思いながら読んでいると、急に雨が降りだした。さっきまで晴れていたのに……スコールというやつか?

 そこで、ふと、こちらに向かって駆けてくる足音が聞こえてきた。

 足音はどんどん大きくなってくる。どうやらここを緊急の雨宿り場所として使おうという魂胆らしい。

 俺は思わず手に持っていた本を鞄に閉まった。

 冷静に考えると、別に見られたからといってどうってこと無いんだが……。


 本を閉まってすぐ、大きなヘッドフォンと制服を身に着けた女子学生がバス停に飛び込んで来た。

 人が居るとは思ってなかったのか、こちらに気付いてハッとなるが、すぐにバス停の別の椅子に座り、首に掛けていたヘッドフォンを耳に着ける。話しかけるなと言われてるような気がした。かけねーよ。

 位置は俺から見て右斜め前にある椅子で、俺が北を向いてるとしたら彼女は西を向いてる事になる。


 まいったな……、と俺は胸中で呟く。

 俺は別にバスに乗るためにここに来たわけじゃない。元から田舎の部類に入るこの町だが、その中でも特に人に見られなくて済むかと思ってここに来たのだ。

 バスは一時間に一回。後三十分以上あるし、そもそもここに人が居るのを見たことが無かったからだってのに……。

 そもそも目の前の――高校生か?まあどうでもいい――はバスに乗る為に来たわけじゃないだろう。少なくとも雨が止むまではここに居座るつもりだ。

 仕方ない。ただここに座ってるしかないだろう。

 ただ、このままバスが来るまで雨が止まなかったらどうしよう……もういっそバスに乗るしかないか?


 そんなことをあれこれ考えていると、くぐもった歌が聞こえてきた。音源はもちろん彼女だ。

 150cm程度だろう小柄な体格に見合わない程大きなヘッドホンから、音が漏れ出ている。よほど大音量で聞いているのだろう。

 全く迷惑な奴だ。あの年頃のガキは他人の迷惑なんて考えもしない、自分が世界の中心に居るとでも思ってるんだろうな。


 といっても他にすることが無い以上、どうしたってその歌を聞く羽目になる。

 そこでしばらくそうしている内に、妙な事に気付いた。


 先に言っておくが、別に女子高生をじろじろ見てたわけじゃない。あんなガキに興味は無い。歌を聞いてて気付いたんだ。

 ……って、誰に言ってんだ?俺は。


 彼女が聞いているのは最新のJ-POPなどではなく、年代差はあるだろうが、多くの日本人が知ってるようなのばかりだ。

 毎年決まった時期になると嫌でも聞かされる昭和歌謡、『国民的』が頭に付くようなアニメの主題歌、『伝説』と言われる事に誰も反論しないようなロック、バラード、更にクラシックまで。

 そして、それらを絶対に最後まで聞かないのがまた妙だった。

 1~2分ほど聞いてたかと思うと、プレーヤーを操作して、次の曲へ。

 その時、彼女はこっちを見る。ほんの一瞬だし、視線と顎が15度ずつ程度だが、必ず見る。

 迷惑な奴から変な奴に印象が変わりつつあるが、だからといってどうということもない。無視してれば良いんだ。


 そうしている内に、次に流れてきた歌を聞いてハッとなった。

 学生時代に一番好きだったバンド『メルレイン』の、その中でも一番好きな曲『I send my song for only you』だ。

 確か和訳版もあって、そっちが『君にしか届かない歌で』だったか…。

 メンバー内でいざこざがあって、解散してしまったと聞いた時は酷く落ち込んだ。こんな所でまた聞けるとは……。


「…………」

「この曲、好きなの?」

「!!」


 まずった!思わず口ずさんでいたらしい。

 咄嗟に口を押さえるが、無意味なのは明らかだ。


「ねぇ、メルレイン知ってるの?」


 あからさまに顔をしかめているっていうのに、こっちの態度なんて気にも止めず聞いてくる。

 ていうか、人にものを訊ねる時くらい曲を止めて、ヘッドフォンを外せよ!


 と、いう俺の心を読んだ訳でもないだろうが、


「あ、大丈夫。あたし、読唇術できっから。知ってる?読唇術。口の動き見たらそいつが何言ってるか分かる奴。試しにやってみてよ」


 なんて笑顔で言ってくる。そういう問題じゃないだろと思うが。

 しかもどことなく妙な喋り、というか発音だ。今流行ってるのか?

 ただ、『読唇術が出来る女子高生』というのは中々珍しく、興味は惹かれた。勿論、あくまでも読唇術という点にだ。勘違いしないで欲しい。

 まあ、暇潰しにはちょうど良いかと思い直す。

 それに、こっちとしても好都合だ。


 そうして、こっちは口パクで、向こうはヘッドフォンで耳を塞ぎながら話すという、端から見るとなんとも奇妙な光景が出来ていた。俺が第三者なら間違いなくバス停から出ていくだろう。


 ただ、そうして話してみると、驚くほど馬というか、好みが合った。

 十以上は歳が離れているだろうに、メルレインを始め、好きな音楽が一致していて、予想外に話が盛り上がる。


”そういえば、メルレインってなんで解散したんだっけ?”


 十年以上前の話だし、そもそも有名って程じゃなかったので、記憶が曖昧になっている。

 彼女なら知ってるかと思って聞いてみたのだが……。


 そこで妙な事が起こった。


 流れ続けていた音楽が、突然止まった。

 最後のトラックまで再生が終わったんだろう。それは良い。

 妙なのは彼女がそれに対し何の反応も無かった事だ。


”曲、止まってるけど?”


 彼女は数秒間固まった後、慌てて「ご、ごめん!話に夢中になって…」と言いつつ、震える手でプレーヤーを操作しだした。

 別に謝る必要は無いんだが……。


 そして、顔を上げ「おっけ。次はループ再生にしたから。で、何の話してたっけ?」と聞いてくる。

 ヘッドフォンからは、また、例の大音量が…



 ――聞こえてこなかった――



 恐らくプレーヤーが壊れたんだろう。なのに彼女はそれに気付いていない。……いや、気付けないんだ。


 ヘッドフォン、歪な発音、こっちを見る行為、読唇術……なるほど、そういう事か。


 そこでやっと思い出した。

『I send my song for only you』は、『メルレイン』ボーカル担当が、当時事故で耳が聞こえなくなってしまった恋人に向けて作った歌だった筈だ。

 彼女がメルレインを知ったのもそこからだろう。


 俺の態度と表情から何かを察したのだろう。彼女は俯いて何も言わなくなった。

 あるいは、もう何度も見てきたんだろう。自分と同じ『普通』だと思っていたら違ったと知った時の、相手の態度の変化を。


 見た目で『普通』かどうか分からないっていうのは、こんなにも残酷なのか……。

 それなのに次に彼女が顔を上げた時、


「へへ、ばれちゃった」


 そこにあったのは、ぎこちない笑顔だった。

 そして、それが尚更俺の胸を熱くさせた。


 彼女は戦っている。現実に文句を言うことも無く、自分の境遇を嘆くことも無く、自分から馴染もうと努力している。

 俺はどうだ?まるで正反対じゃないか!


「あ、雨止んでる。じゃあ、あたし、行くから」


 こっちを見ないようにして、バス停から出ていこうとする彼女。

 俺はすかさずバス停の入口の前に立ち塞がって、両手を上げた。


 だからこそ、俺から伝えなきゃいけない。彼女が奮った十分の一にも満たない勇気を振り絞って、今言わなきゃいけない事がある。


 彼女が俺を見るのを待ってから、右手の人差し指を立てて、自分を指す。


 "俺は”


 次に右手の人差し指と親指で輪を作り、自分の喉元に当てて、前に出す。


 "声”


 そして右手の人差し指と親指で輪を作り、左手の指の第一関節を少し内側に曲げて、両手を胸元に持っていき、左手の人差し指と親指の間から右手の人差し指と親指を前に出す。


 "出す”


 最後に軽めに握った右手を首の近くに持っていって、頭を左に傾け、右手をくいっと捻るような動作をする。


 "できない”


 その時の彼女の表情の変化を、何を思ったのかを、今の俺にはきっと分からないだろう。

 ただ、最後に腹を抱えて大声で笑い出したから、まあ良いかと思い直す。


「あんた、手話下手すぎ、アハハハ!」


 "しょうがねーだろ。こっちはまだ一ヶ月目の新人だっつーの゛


 あれ以外の手話をまだ知らないし、もう面倒くさいので筆談にした。

 それを見た彼女は、


「じゃあ、ベテランの私が、これから手話教えてあげるよ」


 なんて上から目線で言ってきやがる。生意気な奴だ、全く。

 俺はため息をつきつつ、次の文を書いて彼女に見せた。


 "よろしくお願いしますよ、先輩”


 雨上がりの小さなバス停に、二人分の笑顔と、一人分の笑い声が響いていた。



 終わり

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