第四話 彼女はたしかに魔法をかけた


「結局、俺はサーシャの頼みを実行したんだ」


 目の前には秋風に小さく波立つ水面がある。

 温室には午後の授業のために生徒が集まりだしてきたので、俺とガリウスは教室には戻らずに裏庭の池へと来ていた。




 サーシャの慎ましやかな葬儀の後、俺はガリウスに最初の《忘却フォーゲット》を使った。

 詠唱は完璧だったし、その効果も申し分ないと思われた。

 ところが数日後、ガリウスは突然サーシャのことを口にした。

 それはまだ元気だった頃のサーシャの話であり、記憶の混同こそあるがそれでもガリウスが《忘却フォーゲット》の束縛から抜け出しつつあることはあきらかだった。

 驚愕しつつも俺は再び呪文を詠唱した。

 それからはその繰り返しだった。 


 どれだけ完璧な詠唱をしてもガリウスはしばらく経つとサーシャの記憶を蘇らせる。

 その場に俺がいればそこまで問題ではない。

 だが俺はいつも側にいるわけではないし、ガリウスが突然女子寮やヤーン婆さんの店を訪ねることもあった。

 その度に俺は《忘却フォーゲット》の魔法を使い、その場に居た人間にはサーシャの死のショックでガリウスの記憶が混同していると嘘の説明をした。

 そして次も同じことがあったら上手く話を合わせて欲しい、魔法を使って誤魔化せるのならそうして欲しいと頼んだ。

 昨日のヤーン婆さんは俺の頼みを聞いてくれたのだろう。

 だがそんなことにも限界がきていた。

 何よりも俺自身が耐えられなくなっていたのだ。




 俺が語り終えると、水面を見つめていたガリウスが静かな声をだした。


「そういうことだったんだな」

「殴っていいぞ」


 たとえ殺されたとしても文句を言うつもりはない。

 だがガリウスは俺のほうを見て小さく笑う。


「なんでそんなことをする必要がある。むしろ謝るのは俺のほうだ。おまえにつらい思いをさせていた。最近体調が悪かったのはこのせいだったんだろう?」


 怒るよりも相手の心配をする。なぜこいつはこんなにも優しいのだろうか?

 俺はこの男の隣にいる資格があるのだろうか。

 サーシャの代わりに死ぬべきだったのは俺ではないのか。

 いくら魔法の才があっても俺は人として大切な何かが欠けているんじゃないのか。

 そんな思考が奔流のように襲いかかってきた。

 眩暈がしてしゃがみ込むと、ガリウスが俺の肩に手を置いた。


「自分を貶めるのはよせ。おまえはおまえ自身が考えているような人間じゃない。サーシャがなぜおまえに頼んだかわかるか?

 おまえに魔法の力があるからじゃない。おまえなら苦悩しつつも自分の願いを叶えてくれる。そして記憶を失くした俺のことをずっと見守ってくれる、そうわかっていたから頼んだんだ」


 膝を付いたまま下を向く俺の横に、ガリウスはずっと寄り添っていた。




 水面を吹き渡る風で体が冷えきった頃に、ようやく俺は立ち上がった。

 そのまま隣に立つガリウスに顔を向ける。


「ひとつ聞いていいか?」

「なんだ?」

「なぜ俺が《忘却フォーゲット》をかけていると気づいたんだ?」


 ガリウスは頭を掻いた。


「このところ何かを考えていたはずなのに、何を考えていたのか覚えてないっていうことが多くてな。まあサーシャのことだったとわかったわけだが。その状況になった時には常におまえが側にいるという共通点があることに気がついた。だから魔法の種類まではわからないが、おまえが俺に何かをしているんじゃないかと考えたんだ」

「それで対抗呪文の護符カウンターアミュレットか。さすがだな」

「天才に褒められるのは悪くない」


 ガリウスは笑った。


「俺からも聞いていいか?」

「ああ」

「俺が昨日ここで会ったサーシャは《幻影創作クリエイト・イメージ》なんかじゃなかった。となると当然おまえの仕業だということになる。なんであんなことをしたんだ?」


 俺は昨日のことを思い返した。




 疲れていた俺は何をするでもなく、大イチョウの幹にもたれて池を眺めていた。

 足音を聞いて木の陰から覗くとガリウスが歩いてくるのが見えた。

 《忘却フォーゲット》をかけているということと、逢瀬の場所に足を踏み入れているという後ろめたさが重なり、隠れなくてはと思った。

 だが俺が咄嗟に詠唱したのは《透明化インジビリティ》ではなく《変身シェイプ・チェンジ》だった。

 よりによってサーシャの姿を選んでしまった理由はわからない。

 だがすでにガリウスは近くまで来ており、新たに魔法をかけなおす時間はなかった。




「……正直なところわからん。だが、からかうつもりはなかった。許してくれ」

「別に怒ってはいない。ただな――」


 ガリウスは口ごもる。


「なんだ?」

「さっきも言ったが、なんだ、その……。綺麗すぎるだろう! あれじゃサーシャ本人よりも美人だぞ」


 顔を赤くさせているガリウスを呆れたように見やり、俺はこらえきれずに噴き出した。


「サーシャが聞いたら怒るぞ」

「怒られるのは俺じゃなくておまえだ!」


 俺につられるようにガリウスも笑い出し、しばらく二人で笑い合った。半分は本気で、残りの半分は喪失感をまぎらわせるように。


「そろそろ戻るか。午後の最初の授業はサボっちまったな」


 歩き出してすぐにガリウスが口を開く。


「そうだ、最後にもうひとつだけ教えてくれ。あの時におまえが言った「あなたは魔法にかかっているの」あの言葉の意味はなんだ?」

「ああ、あれか」


 あの時の言葉は俺の本心が思わず口をついたのだ。

 俺の《忘却フォーゲット》の呪文は完璧だった。それなのにガリウスには効かなかった。

 理由としては、それ以上の強い魔法にかかっていたとしか考えられない。


「サーシャはおまえに、たしかに魔法をかけていたんだよ」


 ガリウスは不思議そうに俺を見る。


「詠唱の必要のない《魅了チャーム》の魔法をな」



                            〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女が使った魔法とは? 皐月 @Satsuki_Em

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ