第三話 彼女の願い


                 ◇◇◇


 夏の終わりに俺はサーシャに呼び出された。

 女子寮の普段は来客用に使われている陽当たりの良い個室。

 そこのベッドにサーシャは横になっていたが、俺が部屋に入って行くとゆっくりと身を起こした。

 この前に見舞いに来た時よりもあきらかにやつれていて、彼女がもう長くはないことがわかった。

 流行り病で死ぬ者など珍しくもない。だが身近な人間を失うことには慣れることなどできないだろう。

 俺はいつもと変わらぬ調子で声をかけた。


「わざわざひとりで来てくれと伝えてきたということは、ガリウスには聞かれたくない話か?」


 ガリウスは毎日のように顔を出しているはずだ。

 面会時間は限られている。二人の邪魔をしないように、俺は強く誘われない限りは見舞いに来るのを控えていた。


「さすが察しがいいね。アランくんに頼みたいことがあるの」


 サーシャは元気な頃と同じように微笑んだ。




 よく夫婦は似るというが、恋人でもそうなのだろうかと思う。

 ガリウスとサーシャが付き合い始めて一年半ぐらいだが、性格や考え方がそっくりだと常々感じていた。 

 偏見を持たずに人付き合いが良く、優しく強く、そしておせっかいだ。

 この二人はどういうわけか出掛ける時には必ずというほど俺を誘った。

 せっかく二人きりになれる機会に、なぜ邪魔者を連れて行くのかとガリウスに聞いたことがある。


「二人より三人のほうが楽しいだろう?」


 さも当然だというように返してきたので馬鹿らしくなった。

 同じ質問をサーシャにすると、


「わたしガリウスくんとアランくんが楽しそうに話しているのを見るの大好き」


 そう答えた。

 悪態を付き合っているのがなぜ楽しそうな会話に見えるのか、こちらも理解できない。

 二人の本心はわからない。だが俺は無駄な抵抗をやめ、多くの時間をいっしょに過ごすようになった。

 今思い返せば幸せな時間だったといえるのだろう。

 そしてそれは夏の初めにサーシャが病に罹り唐突に終わったのだ。




「頼みか。俺にできることならいいんだがな」

「アランくんならできるよ」

「嫌いな奴を殺してくれとかいうのは勘弁してくれ。殴るぐらいなら考えてもいい」


 サーシャは笑顔を向ける。


「アランくんにそんなことさせないよ」 

「それなら一安心だ。それで?」

「わたしが死んだらね――」


 死が当然の前提になっている。だが俺もそれを否定するような安易な慰めは言わなかった。


「――ガリウスくんに《忘却フォーゲット》の魔法をかけてわたしの記憶を消して欲しいの」


 俺は無言でサーシャを見つめる。

 彼女の目は真剣であり、冗談だと取り消すつもりはないようだった。


「できない相談だ」

「どうして?」


 俺は少し考えてから口を開いた。


「理由は三つある。まず《忘却フォーゲット》は禁忌魔法でこそないが使用には制限がかけられている。認められているのは治癒魔導士ヒーラーが患者から精神的外傷トラウマを取り除くために使う時ぐらいだ」

「バレなければ平気だよ」

「……簡単に言ってくれるな」


 サーシャは悪戯気に微笑んだ。


「二つ目はなに?」

「本来《忘却フォーゲット》は相手の意識を奪い無効化する魔法なんだ。特定の事柄だけを狙って消すというのはおそろしく面倒で難しい。そもそも高位魔法だから詠唱だけでも一筋縄じゃいかない」

「でも治癒魔導士ヒーラーはそれをしているんだよね?」

「彼らは専門家で習熟している」

「大丈夫。治癒魔導士ヒーラーにできるならアランくんにもできるよ」

「……本当に簡単に言ってくれるな」


 サーシャは微笑んだままだ。


「三つ目は?」

「ガリウスはそれを望まないだろうし、俺もしたくない」


 俺は真っ向からサーシャを見た。

 しばらくの間、お互いの視線がぶつかっていたがサーシャは寂しげに笑うと目を逸らした。


「最初からそう言えばいいのに」

「外的な要因や技術的なことで無理だと納得してくれれば、そのほうが角が立たないからな」


 俺もサーシャから目を逸らして外を見る。

 そのまま黙って、晩夏の陽射しが作る影が伸びていくのを眺めていた。

 先に沈黙を破ったのはサーシャだった。


「病気をする前にね、ガリウスくんから卒業したら結婚しようって言われたの」

「めでたいじゃないか。盛大に祝ってやるよ」


 意外なことではないし、お似合いの二人だと思う。


「そんなこと言ってくれるのアランくんぐらいだと思うよ」

「そんなことはないだろう?」

「そんなことあるよ。だって身分が違い過ぎるから」


 サーシャは別段暗い表情をすることもなく、むしろ微かに笑いながら続ける。


「彼は王都でも有数の名家のひとり息子、わたしは人減らしのために魔法学校に来ることになった田舎娘。反対されるほうが当たり前だと思わない?」

「だったら駆け落ちでもすればいい。俺が全力で手を貸してやる」

「いいなあ、それ」


 サーシャは声を出して笑った。


「未来の大魔導士アーレングラム・エルフィールドによって守られながら逃避行を続ける二人。アランくんの活躍を見るためだけにでも駆け落ちしたいな」


 今日のサーシャはいつにもましてよく笑う。意識してそうしているのだろうか。まるですべての感情を笑いによって誤魔化そうとしているかのようだった。


「でも無理だよね。わたしはもうすぐ死ぬから」


 やはりその口元から笑みが消えることはない。


「わたしたちは似た者同士だからガリウスくんがどうするかわかるの。わたしは死んでからも彼を縛りたくない。幸せになって欲しい」

「あいつが後を追って死ぬとでも思っているのか?」

「そこまではしなくても生涯独身で過ごすとかは普通にありそう」


 俺は少しの間それについて考えた。


「それならそれで別にいいんじゃないか? 結婚生活が必ずしも幸福だとは限らないだろう。名門の家系が途絶えても誰が困るわけでもない。そもそも生を受けたからには必ず血を残すべしという考えが古いんだ」

「やっぱりアランくんは天才だよね。魔法だけでなく思考そのものがわたしたちとは違うもの」


 俺は大きく息を吐くと歩を進めベッドのすぐ脇に立ち、身を屈めてサーシャの顔を正面から見た。


「はっきりと言っておく。《忘却フォーゲット》を使うということは、ガリウスという人間を否定することになるんだ。何故なら今のあいつの人格形成はサーシャがいなかったらできなかったものだからだ。サーシャはあいつを否定して、違う人間として生きていけと言っているんだぞ!」


 話しているうちに抑えていた怒りを隠せなくなっていた。


「……アランくんでも怒るんだね」

「すまない」

「ううん。わたしのほうが悪いから」


 そこでサーシャが咳き込んだ。

 俺はサイドテーブルから水差しを取って手渡す。

 喉を湿らす程度に水を飲むとサーシャは再び口を開いた。


「さっきアランくんは何が幸せかはわからないって言ったよね。だったらわたしの記憶がないほうがガリウスくんは幸せになれるかもしれないよ」

「俺はそうは思わない。絶対にだ」

「……平行線だね」


 そこで寮監が面会時間の終わりを告げにきた。

 長居を謝り部屋を出ようとしたところでサーシャの声が聞こえた。


「わたしだって本当なら――」


 振り返って見たサーシャの顔はやはり笑っていたが、その目からは涙が流れていた。 


「もっと生きてガリウスくんやアランくんといっしょに過ごしたい。でもそれは叶わないから。わたしの我儘なのはわかってる。だからお願い」


 俺は返事をせずに部屋を出た。

 そしてそれがサーシャと会った最後だった。

 三日後、サーシャは帰らぬ人となった。


                 ◇◇◇

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