第12話 空手部2年A組 鬼塚芽衣

 僕はきっと浮かれていたんだと思う。決して、調子に乗っていたという訳ではない。どちらかといえば、浮足立っていたと言う感じ。そこにスキがあったのだろう。


 ずっと欲しかったカメラのレンズがある。それを買うために少しずつ貯金をしていた。そしてようやくお金が貯まったので、レンズを買うために駅へと向かっているところだった。普段なら、絶対にそんなことはないのだけど、足早に歩いていた僕は、駅前のゲームセンターから出てきた不良たちにぶつかってしまったのだった。


 そして今、僕は人通りのない路地裏に連れて行かれて、3人の不良たちに取り囲まれている。


「だから、その大切そうに持っている財布から治療費を出せって言ってんだよ」


 僕がぶつかった不良は、腕を痛めたから治療費を出せと僕を脅している。まるで一昔前のドラマのようなベタな展開。頭の中ではそんなことを考えていたが、実際の僕は怖くて財布を手にしたまま固まるしかできなかった。


「痛い目に遭う前におとなしく渡した方がいいんじゃねぇか」

「俺たち、手加減できねぇからよぉ」


 別の不良2人もそれぞれに物騒なことを口にしている。


「ほら、寄越せって言ってるだろ」


 業を煮やした不良が強引に僕の財布を引っ張る。絶対に腕なんて痛めてないと断言できるほどの力強さだ。

 僕も両手で財布を持って懸命に抵抗したが、所詮は非力なもやし男。財布は今まさに僕の手から引き剝がされようとしていた。

 その時だった。


「いい加減にしたらどうだ!」


 人通りのない路地裏に鋭い声が響いた。

 僕と不良の人たちはその声に反応して、ほぼ同時に声の方を振り返った。そこにはスクールバッグを肩にかけた制服姿の女子高生が立っていた。


「いい年した野郎が3人がかりでガキから金を巻き上げるなんて情けないねぇ」


 その女生徒は、ゆっくりと僕たちの方へ近づいてきた。


「何だと!」

「女のクセにいい度胸してるじゃねぇか」


 彼女の挑発に不良たちはわかりやすく反応した。もう僕のことなど眼中にないようだった。今なら逃げられる。そう思ったけど、彼女のことが心配でその場を離れることができなかった。


「ぶっ殺してやる」


 不良の1人が彼女に殴りかかった。力強いけど大ぶりなパンチは彼女をとらえることはできなかった。彼女はそのパンチをひらりとかわし、相手のボディに強烈な一撃をぶち込んだ。くの字に体を折って苦悶する不良。そんな相手に、彼女はさらに追撃を加える。不良の肩を掴み膝蹴りを連発したのだ。不良はその場に力なく倒れこみ動かなくなってしまった。


「次はどいつだい?」


 余裕しゃくしゃくに2人の不良に目を向ける女生徒。2人の不良は完全にビビっている。


「こ、こいつ、ふざけやがって」

「待て、こいつ、鬼道館の娘だ」

「エッ、鬼道館?」


 鬼道館。その名前には僕も聞き覚えがあった。駅の裏手にある大きなビル。そこに道場を開いている空手の流派だった気がする。何でもありの本格空手のようで、門弟の武勇伝には事欠かない。鬼道館の名前を出せば、その筋の人でさえ道を譲る、そんな評判だった。


 圧倒的な力の差に加えて鬼道館の名前に聞いた不良たちは完全に戦意を喪失したようで、倒れている仲間を置いて逃げていってしまった。

 不良たちを撃退した彼女は、僕には目もくれず大通りの方へと歩いて行った。何ごともなかったのかのように悠然と。その立ち居振る舞いは神々しさをまとっているかのようだった。

 僕は何か言わなければと思ったのだが、声を出すことができなかった。頭が真っ白で何も思い浮かばなかったのだ。結局、僕は彼女にお礼を言うこともできずに彼女を見送ってしまったのだった。


 数日後。僕は部室でカメラ雑誌を読んでいた。あの日、結局、レンズを買いに行くことはできなかった。とてもそんな気になれなかったのだ。だから、雑誌でレンズの広告を眺めては羨望のため息をついていた。


「おぉ、いたいた」

「失礼しまぁす」


 突然、部室のドアが開かれた。新聞部の桜島姉妹だ。ここ最近はいつものことだけど、こればかりは慣れない。僕の心臓は大きく跳ね上がり、挙動不審に慌てて本をしまう。これでは、まるでいかがわしい本でも読んでいたようではないか。


「おや、お邪魔だったかな?」


 はな先輩が僕のそんな様子を見逃すはずがない。しっかりと突っ込まれてしまった。


「べ、別に、じゃ、邪魔なんかじゃありませんよ……」

「そうか。それなら良かった」

「な、何か用ですか?」

「あぁ、いつものことだが取材のお願いだ」

「取材?」


 僕の所属する写真部は、新聞部の取材に同行して撮影することを義務づけられている。かつて写真部が10人以上の部員を抱えていてコンテストで入賞を連発していた頃から代々続く習慣。もっとも、今となっては部員1人の写真部が存続するための苦肉の策ともいえる。


「今回はゆきと柾木くんの2人ですべてやってもらおうと思っている」

「エエッ、お姉ちゃん、面倒くさいよぉ」


 妹のゆきさんが抗議の声をあげる。


「私もそろそろ新聞部を退くことを考えなければいけないんだ。来年からは2人が中心でやっていくことになるんでね」


 写真部と同じく新聞部の人手不足だ。現在の2年生部員がいない。だから1年生の僕とゆきさんんが中心になってやっていくしかないのだ。


「やだよぉ、面倒くさいって」

「ゆき、ワガママを言うんじゃない」

「だって、お姉ちゃん、入部する時に名前だけ書いてくれれば、何もしなくていいからって言ったじゃん」

「そ、それはそうだが……」

「私は新聞の発行とか取材とか興味ないの。楽して内申点が良くなればそれでいいんだからぁ」


 珍しくはな先輩が押されている。そんな姉妹の喧嘩を眺めていた。ただゆきさんの放った一言ではな先輩の雰囲気が変わった。


「私は新聞部なんてどうなってもいいんだって」

「……何だって」


 地雷というものがあるとするなら、ゆきさんはまさに今、地雷を踏んだ。ゆきさんに押されてたじたじだったはな先輩の表情が豹変し殺気を放っている。


「あ、いや、その、ごめん、言い過ぎちゃった」


 可愛らしく手を合わせるゆきちゃん。しかし、時すでに遅しといったところだ。僕は指で耳をふさいだ。


「*?$%#+&*!」


 耳をふさいだけど、はな先輩の怒声が響き渡ったのは理解できた。あまりの剣幕にゆきさんも青ざめている。


「2人とも、そこに座りなさい」

「は、はい……」


 何で僕までと思いながら、ゆきさんと2人ではな先輩の前で正座をさせられた。その状態で延々とお説教が続く。はな先輩の怒りが収まったのは1時間後。その頃には、僕もゆきさんも足がしびれて立つことはできなかった。


「さぁ、話が脱線したが、打ち合わせに戻ろう。早く座ってくれ」


 僕は這いずるようにイスに寄りかかって、何とか着席することができた。


「今回の取材対象は、空手部2年の鬼塚さん。この前に県大会で優勝して、冬の全国大会に出場が決まったそうだ」

「は、はい……」


 僕は必死にメモを取る。隣に座るゆきさんは不貞腐れていてはな先輩の方を見ようともしていない。だから、その分も僕がカバーしなければいけない。新聞部ではないのに何でという気がしなくもない。


「写真は練習風景と制服姿を抑えてあれば十分だろう。取材用の質問項目はゆきの方で作って早めに鬼塚さんに渡すようにね」

「はぁい」

「わ、わかりました……」


 打ち合わせが終わると2人はそそくさと帰っていった。


 はな先輩の引退、そして卒業。3年生なのだから当然なんだけど、今まで考えたこともなかった。いつもいきなり部室のドアを開けるはな先輩。いつまでもそれが続くような気がしていたのに。だからこそ、余計に今度の取材は成功させたい。はな先輩に合格点をもらえるような記事を作りたいと思う。ゆきさんと協力して少しでもイイ写真が撮れるように頑張ろう。そう決意した。


 取材当日。取材のノウハウをはな先輩に徹底的に仕込まれたようで、ゆきさんはすでにぐったりしていた。コンディションはお世辞にも良いとは言えそうにない。


「お姉ちゃんって手を抜くことを知らないからさぁ」


 取材の待ち合わせは体育館横の格技場。そこに行くまでの間、ゆきさんのボヤキを聞かされることになった。

 一切の妥協を許さないはな先輩。手を抜く事ばかり考えているゆきさん。その点においては姉妹は対照的と言わざるを得ない。こうも見事に正反対だと感心するほかない。どこか似ている部分はないかと思いを馳せてみるが見つからない。本当に姉妹なのだろうかと疑いたくもなる。今回、はな先輩が引退することにゆきさんは特別な思いはないのだろうか?疑問に思ったけどそれを聞く勇気は僕にはなかった。


 うちの高校の格技場は2階建てだ。1階は板張りのフロアで剣道部やダンス部がメインに使っている。2階は畳張りで柔道部と空手部がメインに使っている。今日の取材はもちろん格技場の2階だ。


 階段を上がると、既に空手部の練習ははじまっていた。その脇で真剣な目で練習を見つめている女生徒がいた。それが鬼塚さんだった。

 僕はその横顔を知っていた。そう、あの日、不良たちから僕を助けてくれた女生徒だったのだ。


「あの、新聞部ですけど……鬼塚さんですか?」


 ゆきさんが少し緊張気味に声をかけた。


「5分遅刻!約束の時間くらい守ったらどうだ?」


 鬼塚さんは厳しい言葉で応えた。鋭い眼光をこちらへ投げかけて僕たちを睨みつけている。

 その一言でゆきさんの表情が変わった。緊張気味だった感じが消え、はな先輩と口喧嘩をする時のような好戦的な色が浮かぶ。


「あ、あの、お、遅れて申し訳ありませんでした」


 僕はゆきさんを遮るように前に出て鬼塚さんへ謝罪した。そして矢継ぎ早に話を続けた。


「あ、そ、それから、こ、この前はありがとうございました」

「この前?」


 鬼塚さんは怪訝そうな表情を浮かべた。


「こ、この前、え、駅前のゲームセンターの裏で、ふ、不良に絡まれていたところを、た、助けていただいたんです」

「あぁ、あの時の男の子か。あんまりヒョロいんで中学生かと思ってたよ」


 鬼塚さんから少し好戦的な雰囲気が消えたような気がした。


「あんたさ、男なんだったら自分の大切な物くらい守れる力をつけなよ」

「エッ、あ、はい……」

「いつまでも誰かが助けてくれると思ったら大間違いだよ」

「はい……」


 結局、僕はそのまましばらく鬼塚さんから説教を受けることになった。ここ最近は怒られてばかりな気がする。


 鬼塚さんの怒りがひと段落すると、ようやくインタビューという段取りになった。僕たちが遅れて来たことで、まだ少しお怒りの鬼塚さん。遅刻を鬼塚さんに指摘されて逆ギレ気味のゆきさん。一触即発の空気を漂わせながら、インタビューがはじまったのだ。


 2人は畳の上に横並びに座っている。空手の道着を着ている鬼塚さんはあぐらで、制服姿のゆきさんは正座だ。

 僕が2人の前に録音用のICレコーダーを置いたのが合図のようにインタビューがはじまった。僕は慌ててカメラを構える。


「今回は全国大会出場、おめでとうございます。ずばり強さの秘訣はなんですか?」

「まぁ、3歳の頃から空手をやってますからね。空手の稽古を通じて体力や精神力以外にも色々と鍛えられています。約束の時間を守るとか言葉遣いとか、目上の人を敬うとか、そういったことも含めての強さなんだと思います」


 ゆきさんの表情が変わった。いきなりの先制パンチに引きつったような笑いを浮かべている。一方の鬼塚さんは何事もなかったかのように平然としていた。カメラ越しだけど、2人の間に飛び散る火花が見えた気がする。


「し、質問を続けますね。泣く子も黙る鬼道館の娘として生きていて何か不都合とかはありませんか?」


 今度は鬼塚さんの表情が変わった。今回のインタビューは事前に鬼塚さんへ質問の内容を渡していた。しかし、今の質問は事前に渡していた質問の中にない。完全にゆきさんのオリジナルの質問だ。


「うちは型だけの空手ではなく、フルコンタクトの空手です。だから怖いと思われるのは仕方がないかと思っています」

「質問の回答としては、少しズレている気がしますね。鬼道館の娘として不都合がないかと聞いているのです。例えば、付き合う男性に怖がられないかとかですね」


 恋愛についての質問はNGだと、はな先輩から言われていたはず。それをこんな形で持ち込むなんて。ゆきさんの話術に少し感心してしまった。

 鬼塚さんの方はこの手の話は苦手なのか、答えに窮している感じがする。その様子を見てニヤニヤしているゆきさん。やっぱり、彼女は悪魔だ。

 その後のインタビューは一方的だった。一度掴んだペースを簡単に手放すようなゆきさんではない。鬼塚さんを怒らせないよう、適度に間合いを測りながら、インタビューを続けていった。


 何とか、インタビューを終え、次は鬼塚さんの演舞の撮影になった。全国大会出場を決めた鬼塚さんの演舞。空手部の男子の注目する中での演舞だったが、この日の鬼塚さんの演舞は精彩を欠いていた。それは空手素人の僕でもわかるほどで、途中で男子部員もざわつくほどだった。

 空手の演舞は静から動、動から静への切り替えが重要となる。しかし、この日の鬼塚さんの演舞は明らかにキレが悪く、不調と言うしかなかった。それは彼女自身が一番わかっているようで、演舞を終えた鬼塚さんの表情はこわばっていた。


「じゃ、じゃあ、さ、最後は制服に着替えて、か、格技場の前で撮影になります」


 僕の説明にも返事はなく、鬼塚さんは更衣室へと消えていった。

 15分ほどすると、制服に着替えた鬼塚さんが更衣室から出てきた。この前、不良たちから僕を救ってくれた鬼塚さんの姿だ。


「そ、それじゃあ、さ、撮影をはじめますね」

「ちょっと待って、柾木くん」


 撮影をはじめようとする僕をゆきさんが止めた。


「鬼塚さん、ちょっとスカートが長くないですか?」

「エッ?そんな事はないだろう?」


 ゆきさんはまだ悪魔モードの表情。困惑する鬼塚さんをよそに、おもむろにスカートに手を伸ばした。ウエストの部分を折り返し、スカートの丈を短くする。


「お、おい、そんなに短くしたら見えてしまうだろう」

「大丈夫ですよ。鬼塚さんは鍛えているから、足も綺麗ですしね」

「だからって……」

「うーん、思い切って、もう少し短くしちゃいましょう」

「お、おい……」


 鬼塚さんのスカートが明らかに短くなった。多分、こんなに短くしている生徒はうちにはいない。僕から見てもゆきさんの暴走は明らかだった。


「オッケー、柾木くん。撮影をはじめちゃって」


 ゆきさんからオッケーが出たものの、鬼塚さんの表情は全然オッケーではなかった。


「あ、あの、鬼塚さん、だ、大丈夫ですか?」

「あ、あぁ、すまない。大丈夫だ」


 気丈に答えてくれた鬼塚さん。大丈夫そうではないけど、撮影をはじめることにした。


「なぁ、こんな感じなのか?」


 撮影中、鬼塚さんが声をかけてきた。


「エッ?な、何がですか?」

「いや、最近の女子高生はこんなに短いスカートを履くのか?」

「あ、いや、その……」


 こんな時、何て答えるのが正解なのだろう?他校の生徒なら、これくらい短いスカートの生徒もいる。でも、うちの学校では短すぎると思う。頭の中に色々な答えが浮かんできて、すぐには答えることができなかった。


「撮影中にすまない。気にしないでくれ」

「あ、はい……」


 何かを言ってあげなければ。鬼塚さんを元気づけてあげなければ。その思いから、僕は意を決して鬼塚さんに声をかけた。


「あ、あの、でも、そのスカートの丈は鬼塚さんに似合っています」

「な、なに……」


 鬼塚さんの目が大きく見開かれた。そして頬が微かに紅に染まる。今までに見せたことのない表情を僕のカメラがとらえた。


「ふ、不良たちを、お、追い払ってくれた鬼塚さんも素敵ですけど、い、今の鬼塚さんも素敵です」

「そ、そうか、ありがとう」


 鬼塚さんがこの日の取材で一番優しい表情で微笑んだ。


 無事に取材が終わり、はな先輩に報告に行った。しかし、ICレコーダーに録音された内容から雪さんの暴走が発覚。夜遅くまで、2人でお説教を受けることになってしまった。


「まったく、お前たちは2人して……」


 僕たちを睨みつけながら、はな先輩はため息をついた。


「でも、柾木くんの最後の2枚の写真は素晴らしい。鬼塚さんの意外な一面を見事にとらえているね。笑顔の方は、本誌で採用しよう。彼女が照れている写真は、個人的に彼女に届けてあげるといい」


 僕ははな先輩から、最後の最後に超難題を授かってしまったのだった。

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ファインダー越しの彼女 夢崎かの @kojikoji1225

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