第11話 女子バレー部1年C組 宮園愛菜
文化祭が終わると学校の雰囲気が一気に変わる。3年生は受験モードになり、1、2年生は体育祭、文化祭と続いた大きなイベントを終え、エネルギー切れに陥る。
この後のイベントと言えば期末テストくらい。その後は冬休みでクリスマスとお正月が待っている。
僕はといえば、文化祭以来、どこか集中しきれていない、落ち着かない日々を過ごしていた。原因はもちろん、文化祭後夜祭の投票のこと。写真部に投票してくれた2票が誰からなのかが気になっていた。
加山君とは話しているが、以前より緊張を感じるようになっていた。文化祭で話したことが気になっているのかもしれない。加山君と委員長がその後どうなったのか、聞く勇気は僕にはない。
この日も僕は、空気のように存在感を消しながら、1人でぼんやりとお弁当を食べていた。いつもの母親の手作り弁当だけど、味がわからないほどボーッとしていた。
そんな状況の中、クラスの空気が明らかに変わった。女子の間から「キャア」とか「エエッ」とかの声が上がり、男子は一点を凝視していた。そしてその視線は真っすぐに僕に向かって移動してきたのだ。
「おぉ、少年。ここにいたのか。探したぞ」
僕の席の前にクラスの女子ではない人が立った。女子バスケ部の河合先輩だ。以前、体育館に撮影に行った時に親しくなった先輩だ。
「あ、あぁ、どうも……」
僕は少し焦りながら挨拶を返した。何故ならクラス中の視線が僕と先輩に注がれているから。クラスの女子はヒソヒソと声を潜めて話し合い、男子は羨望と嫉妬の入り混じった目で僕を見ている。
クラスの女子でバスケ部の子が近づいてきて河合先輩に声をかけた。
「お、お疲れ様です、先輩」
「おう、お疲れ。何だ、このクラスだったのか」
「は、はい。あの、今日は何の用でしょうか?」
「あぁ、柾木くんにちょっと頼みたいことがあってね」
「あ、そうだったんですね。失礼します」
さすが体育会系で鍛えられているだけあって、礼儀はしっかりしている。ただその後、クラスの女子の元に戻った時に、まるで憧れのアイドルと話したかのように浮かれたいたのはいただけない。でも、河合先輩は男子にも女子にも人気がある先輩なのだ。
クラスの中で河合先輩のことを知らない女子は、バスケ部の女子に聞いている。男子は遠巻きに眺めているだけで、先輩に近づこうとする勇者はいない。
「あ、あの、僕の用事って……」
「あぁ、そうだった。昼飯の途中にすまないね」
「あ、いえ、だ、大丈夫です」
「そうか。では、手短に。また前みたいに動画でチェックをして欲しいんだ」
「あ、は、はい……」
「ありがたい。じゃあ、早速、今日の放課後、体育館に来てくれ」
「エッ、きょ、今日の放課後ですか?」
「あぁ、何か都合でも悪いかな?」
「あ、いえ、だ、大丈夫です」
「じゃあ、頼んだよ、少年」
河合先輩はそれだけを言い残すと、バスケ部の女子の方に軽く手を振って去っていった。手を振られた女子の一団は、それだけで失神しそうなくらいに興奮している。
一方で男子の視線は僕を貫きそうな勢いになっていた。
「柾木、やるじゃん」
こんな時に口火を切るのは絶対に加山君だ。でも、そのおかげでクラスの男子の嫉妬の矛先が幾分か和らぐ。本当にありがたいと思う。
「べ、別に、ぼ、僕が何かした訳じゃないよ」
「そうか?あの先輩はお前の写真の腕を見込んで頼みに来たんだろ?じゃあ、お前の実力だよ。俺も含めてほとんどの男子は遠巻きに眺めるしかできないしな」
「そ、そうかな……」
「柾木、お前、もう少し自信を持っていいって」
「あ、ありがとう」
文化祭の投票のことを聞くなら、このタイミングだ。そう思ったけど僕は言い出すことができなかった。聞いてしまったら加山君と僕の関係が壊れてしまう、そんな気がした。
放課後、僕は前回と同じようにカメラとノートパソコン、三脚を持って体育館に向かった。体育館の外にまで女子が練習している掛け声が聞こえてくる。
体育館のドアを開けると僕は目を疑った。そこには女子バスケ部ではなく、女子バレー部が練習していたからだ。一瞬、場所を間違えたと思って体育館を出てしまったほどだ。しかし、落ち着いて考えてみて自分は間違えていないと確信した。昼休み、ボーッとはしていたが、ちゃんと今日の放課後だと女子バスケ部の先輩から頼まれた。それだけは自信がある。
しかし再び体育館に入っても、そこに女子バスケ部の姿はなかった。
きっと河合先輩が練習日を間違えだんだろう。僕の出した結論は当然の物だった。また明日、体育館に来てみよう。そう思って体育館を出ようとしたその時、不意に声をかけられた。
「おーい、こっち、こっち」
聞き覚えのある声に振り返ってみると体育館の1番奥、ステージの上から手を振る河合先輩の姿があった。僕は練習の邪魔にならないように端の方を歩きながらステージへと向かった。
「やぁ、わざわざ来てもらって悪かったね」
ステージ脇の短い階段をのぼる僕に河合先輩はそう言って迎えてくれた。見ると先輩は制服姿のまま。およそ練習をするような格好ではない。
「きょ、今日は女子バスケ部の、れ、練習じゃないんですね」
「ん、あぁ、そうだね」
「じゃ、じゃあ撮影は中止ですか?」
「何でだい?」
「エッ? じょ、女子バスケ部じゃないからです」
「あぁ、そういうことか。言ってなかったかな。今日は私の撮影じゃないんだよ」
そう言うと河合先輩はステージの上から大きな声で叫んだ。
「愛菜、おーい、愛菜」
河合先輩の声はよく通る声だ。腹の底から響くとでも言うべきだろうか。女子バレー部の賑やかな練習の音を切り裂いて体育館に響いたのだ。
河合先輩の声が届いたのだろう。1人の女子が練習を抜けて近づいてきた。
「もう、瑠美ちゃん、声大きすぎだよ」
バレー部の女の子は恥ずかしそうに少し顔を赤らめながら河合先輩に文句を言っていた。
「そうか?悪い」
一方の河合先輩は全く反省していない様子で答える。そして僕の方に向き直ってバレー部の女子を紹介してくれた。
「この子は宮園愛菜。バレー部の1年生。確か柾木くんの隣のクラスじゃないかな?」
「はじめまして。1年C組の宮園です」
「エッ、あ、どうも。い、1年B組の柾木です。しゃ、写真部です」
コミュ障にとって自己紹介ほどハードルの高いものはない。初対面の相手と話すことさえ難しいのに、そこに簡潔に自分の特徴や長所などを伝えなければいけない。今後、就職面接のことを考えるだけで吐き気がしてくる。
「愛菜はね、私と同じマンションに住んでてね。小さい頃からずっと一緒に遊んでいたんだよ。だからもう、妹みたいな感じなんだよね」
そう言って宮園さんを紹介する河合先輩は本当にお姉さんみたいに見える。
「愛菜は私と違って小学生の頃からバレーボールをやっていてね。高校に入ってから少しスランプみたいなんで、柾木くんの力を借りようと思ったって訳」
「あ、そ、そういうことなんですね」
河合先輩の説明で、何故、バレー部が練習する体育館に呼び出されたのかがわかった。
「ごめんなさい、瑠美ちゃん、強引に誘ったんじゃない?」
「あ、いや、だ、大丈夫です」
さすが妹みたいな関係だけはある。一方的に誘われたのを見抜いている。ただ河合先輩のいる前で、それを正直に言う度胸は僕にはない。
「私が無理に誘う訳ないじゃないかぁ」
河合先輩の方は、どうやらまったくの無自覚のようだ。
「さぁ、時間がないから、早速、はじめようか」
さすがは女子バスケ部のキャプテン。切り替えがうまい。僕はステージの上でノートパソコンを起動し、カメラと三脚をスタンバイした。
その間に河合先輩がバレー部の先輩たちに今からの練習方法について説明してくれていた。
宮園さんのポジションはセッターだ。前衛の真ん中で攻撃陣にトスを上げる司令塔。バレーボールでは要となる重要な役割なんだと河合先輩から教えられた。
だから今回の撮影はネット際で行うようだ。僕は三脚とカメラを持って、ネットを支えるポールの脇へと移動した。
ネット際には、等間隔にペットボトルが並べられている。どうやらこれが的になるようだ。
軽いウォーミングアップを終えた宮園さんがポジションについて、いよいよ撮影開始。コートの周りには、物珍しそうに眺めるバレー部の先輩たちがいた。
後衛の位置から河合先輩がボールを投げて、それを宮園さんがトスをする。ボールは初球からペットボトルを直撃した。
その後も宮園さんの手から放たれるトスはペットボトルの周辺を捉え続ける。前方へのトスだけでなく背中側のトスもその精度に遜色はなかった。
ひと通りペットボトルを倒し終えると撮影は終了。ノートパソコンにデータを移して動画を見ることになった。
「どうだ、愛菜。何か気づいたことはあるか?」
ノートパソコンを操作する僕の右側から河合先輩が声をかける。
「うーん、まだちょっと……」
宮園さんは僕の左側からそれに答える。
2人の女子に挟まれて、僕は1人でドキドキしていた。制服姿の河合先輩からは甘い匂いが、ジャージ姿の宮園さんからは制汗剤のフレッシュな匂いが漂ってくる。この状況でドキドキするなと言う方が無理だ。
僕はまったく集中できないまま、ただ言われるようにパソコンを操作し続けた。
動画を見ている間もリードをするのは終始、河合先輩。バレーボールにも詳しいのか、あれこれ意見を出している。
先輩が画面を指差すたびに僕との距離が縮まり、僕の顔のすぐ横に先輩の顔がくる。あと数ミリで頬が触れるのではないか。そう思うと、より僕の心臓は激しく自己主張しはじめるのだ。
一方の宮園さんの方は、河合先輩の意見をやんわりと否定しながらも、画面を見つめていた。ただどことなく、心ここにあらずと感じるのは、僕の気のせいだろうか。
結局、この日は最後まで決定的な原因を突き止めることはできなかった。
翌日の昼休み、僕は加山くんから声をかけられた。
「柾木、お前に用事があるって女子が後ろのドアのところに来てるぞ」
「エッ!」
驚いて振り返ると、ドアのところから教室を覗き込み、指を曲げて小さく手招きする宮園さんの姿があった。
「連日、大人気だな」
「そ、そんなんじゃないから」
加山くんの言葉に悪意はない。それどころか、むしろ喜んでくれているように感じる。それなのに強めの言葉しか返せない自分が悲しい。笑いで返せるようになれば、彼との関係もまた一歩進むかもしれない。ただ今の僕には簡単なことではない。
加山くんは、それ以上何も言わず僕を見送ってくれた。
宮園さんは僕を屋上に連れ出した。どうやら、あまり人には聞かれたくない話をするらしい。
昼休みの屋上は、まばらに人がいた。秋の柔らかな日差しに誘われた人たちだろうか。それぞれの格好でくつろいでいた。
宮園さんは、気になる人がいないかを確認した後、僕に向かって話しはじめた。
「昨日はありがとう」
「あ、いや、別に……」
「あれから瑠美ちゃん、何か言ってきた?」
「い、いや、何も言われてないけど……」
「じゃあさ、もう解決したって言ってもらえないかな?」
「エェッ……」
僕は宮園さんの真意を計るように彼女を見つめた。それに気づいたのか、彼女はぽつりぽつりと説明をはじめた。
「瑠美ちゃんはさ、いつも元気で何事にも全力でしょ? だから、今回も断りきれなかったの」
「そ、そうなんだ……」
「私は別にスランプじゃないの」
「エッ……」
「セッターってポジションはね、バレーボールでは司令塔なの」
「うん」
「1年の私が3年の先輩を使うのって、なかなか難しいのよ」
「そ、そうだろうね」
「だから、私はスランプじゃないの。3年の先輩と合わないだけ」
バレーボールの才能を認められ1年からチームの司令塔を担う宮園さん。きっと、僕の想像を遥かに上回るプレッシャーにさらされているに違わない。でも、3年はもう引退しているはず。新チームでは、少し楽になるのだろうか?
「瑠美ちゃんは同じマンションで、小さい頃から一緒だったの。私を妹のように思ってくれてる」
「そ、そうみたいだね」
「でもね、あの性格だから少し距離があるくらいがちょうどいいの。だからって嫌いな訳じゃないよ。瑠美ちゃんのことは大好き」
距離がある方がいい人間関係。そんな関係もあるのだろう。僕はまだ距離感なんて考える余裕すらない。
加山くんとの関係はどうなのだろう?これ以上、近づかない方がいいのだろうか?わからない。こんなの学校でも教わっていないのに……何でみんな、普通にできるんだろう。
「私がバレーボールをはじめたのも、瑠美ちゃんがバスケをはじめたからなんだよね」
「エッ、そ、そうなの?」
「バスケにメッチャ誘われたけどさ。私がバスケをしたら、毎日、ケンカになっちゃいそうだったからね」
そう言うと宮園さんは少しだけ寂しそうに笑った。
距離が必要な2人の関係が正しいかどうかはわからない。でも、宮園さんの寂しそうな笑みを見ていると、きっと本心では河合先輩との関係が今のままではいけないと思っているのではないだろうか。
「ぼ、僕は口下手なので、う、うまく伝えられる自信はないよ……」
「お願い、頼めるのは柾木くんしかいないの」
コミュ障に加えて女子に免疫のない僕は、女子から頼まれると断れない。さらに宮園さんは頭を下げながら上目遣いでこちらを見ている。こんなお願い方をされたら、誰だって断れない。
「そ、そうだ。ぼ、僕が説明する代わりに、河合先輩に写真をプレゼントしてみない?」
「写真?」
「そう。しゃ、写真は時に、く、口で語るより雄弁に語るっていうから。ぼ、僕の写真に、そ、そんな力はないかもしれないけど……」
「どんな写真を撮るの?」
「き、昨日、だ、体育館で練習を見た時、す、すごく楽しそうにバレーをしていたように思ったんだ。そ、それを写真にすればいいかなって……」
「さすが、よく見てるね。確かに今は、3年生が引退して新チームになったから、すごく楽しいんだよね」
「だ、だったらそれを河合先輩に、み、見せてあげようよ」
「うーん、あの瑠美ちゃんに伝わるかなぁ?」
宮園さんはしぶしぶながらも納得してくれた。
数日後、僕は写真を渡すために河合先輩のクラスを訪れていた。時間は昼休み。教室の中から大きな笑い声が聞こえる。その声が僕を飲み込むと、僕は途端に萎縮して自分のクラスに帰りたくなる。
意を決して教室の中を覗くと、クラスメイトと男子している河合先輩の姿があった。数人の男女が輪になっている中心で満面の笑みを浮かべている河合先輩。誰でも分け隔てなく話す彼女らしい光景だ。
「あの、何か?」
ドアに近い席に座っていた女生徒から声をかけられた。
「あ、あの、バ、バスケ部の河合先輩を、よ、呼んでいただけますか?」
「あぁ、瑠美ね。ちょっと待っててね」
そう言うと彼女は河合先輩の方へ歩いて行った。彼女が何か伝えると河合先輩が顔を上げて、こちらを向く。視線がぶつかって、僕は慌てて会釈をした。それを合図に河合先輩はゆっくりと近づいてきた。
「どうした、柾木くん」
「あ、いえ、み、見せたいものがあって……」
「見せたいもの?」
「あ、あの、これを……」
僕は宮園さんの写真が入った封筒を差し出した。
真っ赤になった僕が封筒を差し出す光景は、周りから見ると告白に見えるらしい。クラスの中から「告白」と言う声が聞こえてくる。それを聞いてしまったせいで、僕はさらに真っ赤になる。
その間、河合先輩は1人で封筒の中を確認していた。
「柾木くん、これは?」
ひと通り、写真に目を通し終えた河合先輩は僕に質問をしてきた。
「そ、それは、今の宮園さんです」
「今の?」
「は、はい。か、彼女は今、こ、こんなに楽しそうな顔でプレーしているんです」
「エッ?」
「た、多分、河合先輩が心配になったのは、か、かなり前の宮園さんの姿なんだと思います」
僕の言葉に河合先輩は何も答えなかった。沈黙の時間が重苦し流れる。
「あ、あの……」
口を開きかけた僕を河合先輩は手で制した。
「愛菜はこんな顔をしてプレーしてたんだな……気づかなかったよ」
河合先輩はぽつりと呟いた。
「あ、いや、でも、それは、し、新チームになったからで……」
「フフフフ……」
河合先輩は突然、口元を押さえて笑いはじめた。
「優しいなぁ、柾木くんは。いいんだよ。私が何も見えてなかったことに変わりはないからね」
「そ、そんな……」
「昔からこの性格だけは変わらないんだよ。愛菜がそれを鬱陶しく思っているのもわかってる」
「エッ?」
「それでも放っておけないんだ。私にとっては妹みたいなもんだからね」
河合先輩はすべて知っていたのだ。宮園さんの本心もわかっていた。もしかしたら、距離を置きたがっていることも気づいているのかもしれない。
「この写真は柾木くんのアイデアだね」
「は、はい……」
「何が言いたいか、よくわかったよ」
「はい」
「じゃあ、私からの返事を伝えてもらえるかな?」
「わ、わかりました」
「『チームメイトに左右されてるようじゃまだまだだ修行が足りない。もっとエゴイストになれ』とね」
そう言い残すと、河合先輩は手を振って颯爽と去って行った。
人間関係は難しい。世の中のどんな哲学より奥深く難解なのではないだろうか。僕はまだ自分の本心さえわかっていない未熟者だ。いつの日かわかる日が来るのだろうか?
そんなことを考えながら、去っていく河合先輩を見送っていた。
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