第10話 文化祭の日に
秋の一大イベント、体育祭が終了すると、学校内は一気に文化祭モードに切り替わる。僕の場合、運動神経はからっきしなので、体育祭を無事に乗り切った反動で、みんなのようにすぐに文化祭モードにはならなかった。
そんな時、社会科の成神先生に呼び出された。僕は自分でいうのもなんだけど、成績は悪くない。トップクラスではないものの、半分より前はキープしている。特に苦手な教科もない。だから、成神先生からの呼び出しは、まさに青天の霹靂だった。
元々、気の小さい性格なので先生に呼び出されただけで心臓がドキドキしてくる。別に悪いことはしていないし、思い当たることもない。それでも僕の小さな小さな肝っ玉は縮み上がっているのだ。
放課後、部活の前。職員室に成神先生を訪ねると不機嫌そうな顔で小テストの採点をしていた。もしかしたら小テストの点が悪かったのかもしれない。そう思うとなかなか声をかけられない。
不意に採点の手を止めた先生が顔をあげた。
「何だ、柾木。来てたのか」
成神先生はでっぷりと太った丸顔をこちらに向けていった。大きな体格に重低音の声を響かせている。
「あ、あの、いや……」
「お前、新聞部の桜島はなを知ってるよな」
「エッ、あ、はい……」
「あいつが今度の文化祭で美術室を使わせろと言ってきてな」
「は、はぁ……」
先生の話の行方が見えないので相槌も自然と曖昧になる。
「美術室は毎年、美術部が展示を行うだろ。だからダメだと言ったんだ」
「はい……」
「そしたら、どこなら良いんだと言うのでな。物理部に頼んで理科室を半分、使わせてもらえるようにしたんだ」
「はぁ……」
「ただ新聞部だけじゃ、理科室半分でも余っちまうからよ。そこで写真部も一緒に展示したらどうかと思ってな」
「エッ、エエエッ!」
「そんなに驚くことはないだろ。桜島にも了解はもらっている」
「そ、そんな……」
「早めに展示する写真を準備しとけよ」
僕の知らないところで、そんな話が進んでいたなんて。しかも、僕の撮った写真を誰かに見せるなんて恥ずかしすぎる。
「あ、あの、しゃ、写真は展示しないと、だ、ダメですか?」
「あぁ、ダメだな。顧問命令だ」
「エッ、顧問ですか?」
「そうだよ。俺が新聞部と写真部の顧問だ。言わなかったか?」
「き、聞いてないです。し、知りませんでした」
「そうか? 今、言ったけどな。入部届にも印鑑を押していたはずだぞ」
全然、知らなかった。そもそも写真部に顧問がいたなんて驚きだ。今まで、一度だって、部活に顔を出したことがないのに。
「新聞部の桜島姉妹も、写真部のお前も問題を起こすようなタイプじゃないからな。手がかからなくて、俺も助かるよ」
先生はそう言うと、もう行ってもいいぞとばかりに手をひらひらさせて、小テストの採点に戻っていった。
部室に戻ると僕は早速、写真の選定をはじめた。選ぶほど多くの写真がある訳ではない。見せられる写真と見せられない写真があるのだ。
見せられない写真とは別に盗撮写真とかではない。ただ橘さんの写真や堀辺さんの写真はプライベート過ぎるので掲示できない。生徒会長の写真も一部、見せられないものがある。
そうして写真を分類してみると、自分が撮影した物の傾向のようなものが見えてきた。人物写真と風景写真。あとは公園の彫像や花、鳥など色々な物を撮った写真。この3タイプに分けられる。
あらかた写真の選定が終わった頃、吹雪がやってきた。吹雪とは桜島はな先輩とゆきさんのこと。嵐のような怒涛のはな先輩と冷酷に毒を吐くゆきさんを合わせて吹雪。我ながら、うまく言えてる気がする。
「おぉ、柾木くん。写真の選定をしてるとは、なかなかいい心がけだな」
「どうせ見せられないエッチな写真を隠してただけでしょ?」
「エッ、そ、そんな写真はないですよ……」
はな先輩は早速、選定した写真を手に取って1枚ずつ吟味するように見はじめた。この時の厳しい視線は、さすが新聞部の部長だと思う。
ゆきさんの方は写真には興味なさげで部室の中の備品をいじり回している。
「うん、悪くない」
はな先輩は一通り写真に目を通すと、そう言って顔をあげた。
「このまま、人物、風景、その他に分類して掲示するようにしよう」
彼女は新聞部の部長のはずだが写真部の部長のように僕に指示をした。
「これで新聞部と写真部の展示物が出揃った訳だが……」
そこまで言うと、ひと呼吸おいて僕とゆきさんの顔を見回した。
「まぁ、新聞部は貴重な過去の新聞のバックナンバーを掲示する訳だし、写真部も大切な写真を掲示する。やはり、誰か見張り番をする人を置かなければいけないと思うんだ」
「エエッ、そんなのいらないって。お姉ちゃんは心配し過ぎなんだよ。どうせ誰も見に来やしないって」
ゆきさんはきっと友達とゆっくり回りたいのだろう。あからさまに嫌な顔をして反対を唱えた。僕は一緒に見て回る友達もいないし、見たいと思う催しもない。だから、見張り番をすることになっても問題はない。
「3人で順番にって言いたいところなんだけど、私はちょっとクラスの出し物があって無理なんだ。そこで、ゆきと柾木くんの2人でなんとかやって欲しい」
「お姉ちゃん、そんなのズルい。ゆきだって忙しいんだよ」
「あ、えっと、ぼ、僕なら別にいいですよ。特に予定もないので……」
「だからと言って、柾木くん1人でという訳にはいかないだろう?」
「だ、大丈夫ですよ。ひ、人がいない時を見計らって、ト。トイレに行くとかしますから」
「マジで? 神じゃん」
どうやら僕はゆきさんの神になってしまったようだ。
「わかった。じゃあ、柾木くんに任せる。その代わり、お昼は私が届けてあげよう」
「あ、ありがとうございます」
「写真の掲示は文化祭前日で大丈夫だよな?」
「あ、はい、だ、大丈夫です」
「じゃあ、よろしく頼む」
「よろしくね、柾木くん」
こうして2人組の吹雪が部室から去っていった。
文化祭までは何かと忙しく過ごすことになった。クラスの催し物が焼きそば店に決まり、それぞれに役割が割り当てられたのだ。僕は焼きそばを作れないし、接客もできないので、裏方に回ることになった。具体的には材料の買い出しや看板、チラシの作成などだ。
生徒会の役員の人たちは学校全体の飾りつけをしていた。校門のところに大きく「海響祭」と書かれた看板が掲げられている。僕の学校は海が近く、潮の香りが漂う学校だ。校歌にも海のことを歌った歌詞がある。だから、文化祭は毎年「海響祭」という名前で開催されるのだ。
文化祭の準備に賑わう学校の様子は、なかなか珍しい。僕は忙しい中、ヒマを見つけてはそんな学校の風景を撮影して回った。この光景も文化祭の展示に使うつもりだ。
写真部の準備は文化祭の前日になって、ようやく着手することができた。理科室の半分をカーテンで仕切り、黒板側を物理部が、掲示板側を新聞部と写真部が使うことになった。
新聞部の準備は机の上に今まで発行した学校新聞を並べるだけ。中には茶色に色あせた古い新聞もあったけど、他の新聞と同じように並べられている。
僕は理科室の後方にある掲示板に分類した写真を画鋲で貼り付けていった。全部の写真を貼り付け終えて眺めてみると、何だか自分の写真展のようで少し気恥ずかしい。
出入り口の脇には机を設置して、訪問してくれた人が名前を記入する場所を作った。強制ではないが盗難などがあった時のために設置した方がいいだろうというはな先輩のアイデアだ。僕はその机の前に座って監視をすることになった。
うちの学校の文化祭は金曜日と土曜日の2日間にわたって開催される。金曜日はどちらかといえば在校生のため、土曜日は一般開放という感じのイメージだ。だから、お客さんも土曜日の方が多い。
他校の生徒もやって来るので、これを機会にお近づきになりたいと思う人も多いようだ。特に体育館のメインステージで発表するバンドなどはかなり張り切っている。
文化祭初日。僕は理科室の椅子に座ってボーッとした時間を過ごしていた。観客はいない。目の前に置かれた記名帳も白紙のまま。
隣で開催されている物理部の出し物はテレビなどでやっているような「面白実験教室」だ。カーテンの向こうから時折、歓声が聞こえる。実験というとどうしても爆発するイメージがあるので、僕はひやひやしていた。
お昼過ぎに、はな先輩がお昼ご飯を持ってきてくれた。何とうちのクラスの焼きそばだった。
「お疲れ様、柾木くん」
「あ、お、お疲れ様です」
「客の入りは良くないみたいだね」
「そ、そうですね。さっぱりですね」
「まぁ、こんなもんだよ。気楽にやってくれればいい」
「あ、はい」
「ゆっくり食べていいよ。しばらく、私が見ているから」
「あ、ありがとうございます」
うちのクラスの焼きそばはとても美味しかった。クラスにお好み焼きやさんの子がいて、その子がお店で使っている業務用のソースを持ってきてくれたのが良かったのだろう。自分が買い出しをした材料が美味しく調理されるというのは嬉しいものだ。
「柾木くんのクラスの焼きそば屋さんは賑わっていたよ」
「そ、そうですか……」
「後夜祭の投票ではいい線いくんじゃないかな」
後夜祭では各催し物の人気投票が行われる。投票権は在校生だけ。1位から3位は表彰され景品も出るようだ。催し物を出すクラスや部活は上位入賞を目指して力を入れている。
「い、1位はどこでしょうね?」
「1位は生徒会長のところのメイド喫茶じゃないかな? あの生徒会長が忙しい中、時間を限定してメイドになるらしいからね。教室から人が溢れていたよ」
「そ、そうなんですね……」
校内で男女問わず圧倒的な人気を誇る生徒会長のメイド姿。人気になる当然の結果だと言える。
「や、焼きそば、ご馳走様でした」
「もう食べたのか? 明日もまた何か買ってくるよ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、よろしく頼むね」
「は、はい」
はな先輩と入れ替わるようにはじめてのお客さんがやって来た。加山君だ。
「柾木、元気にしているか?」
「あ、うん、だ、大丈夫」
「クラスの方は、なかなか人気だぜ」
「そ、そうみたいだね。い、今、はな先輩から聞いたところ」
「そっか。ちょっと写真を見させてもらうな」
「あ、うん」
加山君は僕の写真をじっくりと時間をかけて眺めていた。人が自分の写真を眺めているのを見ていると、それだけで恥ずかしくてたまらなくなる。このまま溶けて消えてしまいたいとさえ思ってしまう。
「やっぱ、柾木の写真っていいよな」
「エッ?!」
加山君の突然の言葉に僕は驚いてしまった。
「いや、俺、写真展とか行ったことないけどさ。柾木の写真は好きなんだよな」
「あ、ありがとう……」
褒められ慣れていない僕は、多分、顔が真っ赤になっている。
「風景写真や花の写真とかもいいけどさ。やっぱり、柾木の写真は人物写真が一番だよ」
「そ、そうかな。じ、自分では風景の方が、と、得意だと思ってるんだけど……」
「いやいや、女子の写真なんか可愛さをうまく表現してるっていうか。委員長の写真とかメッチャ可愛いじゃん」
「あはは……」
写真を一通り見終えた加山君は、僕の前まで歩いてきた。
「で、誰が一番好きなのかな?」
「エエエッ!」
僕は自分でも驚くほど大きな声をあげてしまった。
「前にさ、テレビで有名な写真家の特集をやってたんだよ。その時、その写真家は撮影するモデルさんや女優さんに恋をしながら撮ってるって言ってた。そこまで惚れ込むから、良い写真が撮れるんだって」
「そ、そうなんだ……」
「だから、柾木も恋しながら撮ってるのかなと思ってさ」
加山君は意地悪そうに笑っているけど、目は真剣そのものだ。
「ぼ、僕はそんな巨匠とは違うから。しゃ、写真と撮るだけで精いっぱいだよ」
「じゃあ、俺が委員長に告白しても問題ないか?」
「エッ、そ、それは別に……」
構わないと言いかけた時、僕の心臓がドキンと弾んだ。一瞬、委員長の笑顔を写真が頭に浮かんだからだ。次に浮かんだのは中学時代の親友戸賀崎君が彼女連れで会いに来たこと。加山君の隣に委員長がいて、あの笑顔で笑っていることを思い浮かべて、喉の奥に何かが詰まったような息苦しさを感じた。
それは生まれてはじめて味わう胸の苦しみだった。
「俺が委員長に告白したら柾木は応援してくれるか?」
「も、もちろん……」
僕は加山君の目を見ることができなかった。
「告白に成功したらツーショット写真を撮ってくれるか?」
「う、うん……」
「そっか。じゃあ、クラスの催し物が3位以内に入ったら、後夜祭で告白するよ」
「そ、そっか。が、頑張ってね」
「おう。そうと決まったらバリバリ焼きそばを売りまくってくるぜ」
加山君はガッツポーズをしながら去っていった。
その後は記憶があいまいでよく覚えていない。何人もの人が展示を見に来てくれたが、誰が来たのかまでは覚えていない。ひどく散漫で何の見張り番にもなっていなかった。
文化祭2日目は沢山の来客で賑わった。しかし、この日も僕は集中力を欠いたままで過ごした。
そして後夜祭。校庭でキャンプファイヤーに火が灯り、いよいよ人気投票の結果発表がはじまった。生徒会の役員がマイクを持って順位の発表をしていく。
「さぁ、お待たせしました。今年に人気投票、ベストスリーの発表です。まずは第3位から」
生徒たちは歓声を上げて答える。
「第3位はバンド『パピヨン』のみなさんです」
熱狂的なファンだろうか。悲鳴に近い絶叫をあげて拍手をしている。バンドメンバーがステージに上がって表彰を受けていた。
「次は第2位。2年B組のお化け屋敷『まさるの家』です」
今度はクラスの催しなので、そのクラスの人たちが立ち上がってハイタッチを交わしている。代表者がステージに上がって表彰され、賞状をクラスメンバーの方に向けてポーズをとっていた。
僕のクラスはまだ呼ばれていない。そのせいか、さっきから心臓のドキドキが止まらない。
「いよいよ今年の第1位です。3年A組メイド喫茶『シャンバラ』です」
1位ははな先輩の予想通り、生徒会長のクラスだった。やはり圧倒的だったようだ。代表が生徒会長から表彰される様子はマッチポンプみたいで笑えた。
クラスの催し物が1位を逃して悲しいはずなのに、どこかホッとしている自分がいる。それが何だか裏切り行為のようですごく嫌だった。
1位の表彰の後は、4位以降を順に発表していく。ただこれは儀礼的なものであまり関心を持つ生徒はいない。
「第4位は1年B組の焼きそば屋『蛇の目」です」
第4位。3位とのさがどれほどかわからないが、入賞まであと一歩の悔しい結果だった。
ベスト20以降は、少数派なので順位ではなく投票数で発表される。ただもうほとんどの生徒が聞いてはいなかった。
「3票、新聞部の展示」
新聞部は3票を集めていた。はな先輩が嬉しそうに僕の方に走ってきた。
「柾木くん、3票も入っていたよ」
「そ、そうですね」
「まぁ、そのうち2票は私とゆきなんだけどね」
「そ、そうなんですね」
僕は嬉しそうなはな先輩の顔を見つめていた。そんな時、ある言葉が耳に飛び込んできた。
「2票、写真部の展示」
――2票。
僕は自分の耳を疑った。
「おぉ、写真部にも2票入っているじゃないか。1票は柾木くんだとして、あと1人は誰かな?」
違う。僕は新聞部に投票した。だから新聞部の投票ははな先輩とゆきさんと僕の3票だ。じゃあ、写真部の2票は一体誰が入れたのだろう?不意に加山君の顔が浮かんだ。もしかしたら、加山君かもしれない。そうだとしても、もう1票は誰なのか。
もし加山君だとしたら、自分のクラスに投票していたら入賞できたかもしれないのに……
複雑な思いを抱えたまま、後夜祭の夜は更けていった。
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