第3話
華宮には、古くから魔女が棲む。魔女はうつくしい心を好み、ふらりと姿をあらわしては、生徒たちを品定めするのだ。その中でも、お眼鏡に叶うものには、祝福を授ける。文化祭の翌日、その人の元に鈴蘭の花が届けられるのだ。そうして、将来の栄光を約束される。
すなわちプリンシパルとは、魔女の祝福を受けた者のことを指す。
「というのが、プリンシパルの全容だ」
そう言って、巽は話を切り結んだ。
放課後、ホームルームも終わり、二人で校舎を後にする。下駄箱でローファーに履き替えながら、巽の説明に耳を傾けていた。
やっぱり、この学校の噂って、変わってるよなあ。
「なんとなく、話は掴めてきたかも。要するに、魔女のお気に入りに選ばれると、幸せになるってことだよね」
「ざっくり言うと、そうだな」
ローファーの爪先を鳴らし、足に馴染ませる。巽は既に靴を履き終えていたらしく、昇降口の窓硝子に寄りかかっていた。
「どういう基準で選ばれるんだろう、その、プリ、プリンなんとか」
「プリンシパルだ」
「そうそう、それそれ」
待たせてはいけないと、急いで巽に駆け寄る。巽はゆっくりと上体を起こし、そのまま歩き始めた。
昇降口を出て、まっすぐ北の森へ向かう。舗装された煉瓦道に、二人の影が伸びた。
「美しい心の持ち主が選ばれるとはいうが」
「何かの間違いで、私も選ばれないかなあ」
「それはない」
きっぱりと否定される。というか、それ、暗に私の心が汚いと言っているのではないか。かなり失礼だ。
ぎろりと巽を睨む。それを受けて、巽は言葉を付け加えた。
「今年の生徒会長が選ばれると、専らの評判だからな」
生徒会長なら、私もよく覚えている。榛名透子先輩だ。入学式、新入生に祝辞を述べていたはずだ。遠目から見ても、凛とした立ち振る舞いと、スレンダーな体躯に、綺麗な人だなあと感銘を受けたものだ。
美しい心の持ち主が選ばれるというなら、彼女がプリンシパルに輝くのも頷ける。いや、実際の中身は知らないけれど、そう思わせる神秘的な雰囲気があったのだ。
「今年は数年ぶりにプリンシパルが誕生する。学校中が、彼女に期待しているだろう」
数年ぶり、ってことは、恒例行事でもないわけか。魔女は好みがうるさいのかもしれない。
って、あれ。巽の言葉に、引っ掛かりを覚える。
「どうして、プリンシパルが誕生するってわかるの?」
プリンシパルがいると証明されるのは、文化祭の翌日のはずだ。
「プリンシパルが選ばれる年は、魔女が学院中に姿を現わす。その候補が、本当に器たるべきか見定めるためにな」
な、なるほど。
ということはだ。
「魔女を見かけた人が、いるんだね」
「そういうことになる」
ぞくりと冷たいものが背筋に走る。つまり、魔女が本当にいるってことだ。
いや、まだ完璧に信じているわけではない。ただ、これから、得体の知れないものの棲家に向かうのだ。そう思うと、明るい気分になんてなれなかった。
「ね、ねえ、よく考えたらさ。私って、必要かな」
巽一人でも、大丈夫なんじゃないかな。
部活棟の真横を通り過ぎる。北の森は、その裏手にあるのだ。遠くでサッカー部の掛け声がした。引き返すなら、今だ。
「何を言っている。証人が必要なんだ」
私を解放する気は、さらさらないらしい。
そもそも、証人ってなんだ。うっすら気づいていたけれど、巽ってクラスに友達がいないだけで、顔が広いんじゃ。証人が必要ってことは、誰かに示したいってことだ。それに、学校の噂にやけに詳しいし。
密かに仲間意識が芽生え始めていた私としては、複雑な心境になる。
「いざという時のためにも、人手が必要だしな」
さらりと物騒な発言が飛び出した。
いざという時ってなんだ。人柱にする気だろうか。私は訝しげに、巽の横顔を見た。
「そんなことより、そろそろ北の森に着くぞ」
もう目の前には、背の高い木々が鬱蒼と迫ってきた。一応、金網で立ち入れないようになっているが、ところどころ破れているために、どこか心もとない。
金網の前で立ち止まると、巽は何かを探すように、あたりを見まわした。
「たしか、こっちだったな。佐久間、こっちだ」
そう促されて、大人しくついていく。しばらく森に沿って歩いた先、そこはぽっかりと金網が破れていた。これなら、人一人は軽々通れるだろう。
「怪我をするなよ」
何のためらいもなく、巽はそこを潜り抜けた。
どうしよう。眼前に生い茂る森を前に、私は圧倒されていた。だって、想像以上に、薄気味悪い雰囲気がある。
いつまでも動かない私に、巽は言った。
「……先程はああ言ったが、本当に怖いなら無理しなくていい。付き合わせて悪かったな」
私を気遣うように、巽は僅かに笑んだ。巽の瞳が悲しげに揺れるのを見て、私はじっと考える。
正直に言えば、帰りたい。でも、巽が私を誘った時、彼は無邪気に笑っていた。本当に、楽しみにしていたんだ。今朝だってそうだ。巽は私に宇宙について語って見せた時、楽しそうだった。たぶんだけど、誰かと共有できることが、嬉しいんじゃないかな。
そう思うと、自然に足が動いていた。
「ほら、巽、はやく行こ」
金網を通り抜け、スカートについた葉っぱを払う。
なんで私、昨日初めて話したばかりのクラスメイトに、ここまで気を遣っているんだろう。胸中で、そっと苦笑した。
そう、締めくくれたら良かった。本当に。
「た、巽さん? そろそろ、終わりでよくない?」
「いや、まだだ。森に入って10分も経ってない」
「お、鬼!」
ずんずんと前へ進む巽の背中に、必死で食らいつく。奥へ行くたびに木々は密度を増し、光を遮っていく。
かなり、怖い。薄暗いし、遠くで鴉は鳴くし、制服は汚れるし。格好つけて森に入ったはいいけれど、後悔先に立たず、帰りたくてしょうがなかった。
「もう門限すぎちゃうよ」
「まだ4時半だ」
「明日は数学の小テストあるし、帰って勉強しなきゃ」
「数学の小テストは来週に延期になった。先生の話を聞いていなかったのか?」
私の言葉がばっさり一刀両断されていく。こうなったら、どうしようもない。
「せめてもう少しゆっくり歩いて……って、びっくりした」
巽が急に立ち止まるので、背中にぶつかりそうになった。何か文句の一つでも言おうとしたが、巽の様子がおかしい。ずっと動かないのだ。
「だ、大丈夫……?」
恐る恐る問いかける。
巽は勢いよく振り返り、私の肩を掴んだ。
「見ろ、佐久間! 建物があるぞ!」
建物って、そんな馬鹿な。巽を押しのけて、半信半疑で確かめる。そして私は愕然とした。
「……本当だ」
ぽっかりと木々が拓けた先、石造りの建物が隠れるようにして建っていた。そこだけ夕陽が差し込んで、建物を朱色に照らしている。天に向かって3つの尖塔が等間隔に立ち並ぶ様は、昔に見たゴシック映画の洋館を思わせた。
「ちょ、ちょっと待って。巽、中に入る気?」
いつの間にやら、巽は扉の前に立っていた。巽はきらきらした瞳で建物を見上げている。
「入らなくては損だろう!」
巽は生き生きとドアノブに手をかけて、中に入っていった。こんないかにも怪しい建物に飛び込めるなんて、軽率すぎやしないか。
……でも、一人で森に残されるのも嫌だ。私は渋々後に続いた。
「しかし、どうしてこんな建物があるんだろう。学院の見取り図にもなかったはずだ。見たところ、かなり古くからあるらしい。事実は小説よりも奇なりとはよくいったものだな」
ぶつぶつと感想を垂れる巽を横に、私は室内をよくよく見回した。地面には赤い絨毯が一筋に敷かれている。その先、大きな台と、鉛色の燭台が飾られていた。一見すると、なにかの祭壇のようにも思える。
天井にはいくつもの天窓が並んでおり、そこから光が垂れこむ。埃が揺蕩っているのがはっきりと見てとれた。
……本当に、何のための場所だろう。
「魔女の棲家だったりして」
ぽつりと冗談を漏らしてみる。自分で言ってみてから、ゆるゆると現実感が伴ってきた。だとしたら、危険なんじゃ。
「ど、どうしよう巽!」
「佐久間、静かに」
巽が私の口を手で覆う。どうして、と視線で問いかけた。
「……足音がしないか?」
足音。そんなまさか。耳に意識を集中させる。
……本当だ。扉の奥から、何か聞こえる。その音は、徐々に大きくなっていた。こちらに、近づいているのだ。
ピグマリオンの庭 りんた @cosmic1998
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