第2話
時刻は夜の12時。明日も授業を控える身としては、英気を養うためにも、寝ておきたいところだ。
しかし、どうも彼女はそうはさせてくれないらしい。
「あの巽春樹と仲良くなったの!?」
そう鬼気迫る勢いで私の肩を掴むのは、ルームメイトの成美だ。かの有島銘菓とは、彼女の実家のこと。今はよれよれのスウェットに、顔にはパックを貼り付けているという具合だが、彼女は歴とした社長令嬢だ。
名門華宮学院は、今の時代珍しく全寮制だ。そのため、基本的には二人一部屋の相部屋となる。さらに高い寮費を上乗せし、申請さえすれば一人部屋も認められる。成美ほどの金持ちになれば、それも容易いことなのに、彼女は「面倒臭いし、定員少ないし、第一ルームメイトいた方が楽しい」とバッサリ断った。この彼女の、気さくで砕けた性格に、私はだいぶ救われていた。
「仲良くなったっていうか……」
巻き込まれたっていうか。
明らかに嫌そうな顔をする私が、成美は目に入らないらしい。彼女は悪巧みをするように、口角をにやりと釣り上げた。
というか、巽って他のクラスにも知れ渡っているのか。そのことに、密かに愕然とする。
「成美はなんで知ってるの、巽のこと」
「だって、有名だし」
成美はパッと私の肩を放し、自分のベッドに腰掛ける。彼女のベッドには、携帯やらゲーム機やらが散乱していた。
「中学の時、UFOを呼ぼうとして夜の校舎に忍び込んだとか。ウケるよね」
けたけたと成美が笑い声をあげた。ある意味当事者の私にとっては、どう受け取っていいか判断しかねる。
「てか、チャンスじゃん」
「チャンス?」
私は首をひねった。
何のチャンスだろう。
「あいつイケメンだし、狙ってる人もいるっぽいよ」
「……嘘でしょ?」
今、自分でも思ったより低い声が出た。巽と付き合いたいという強者が、まさかこの世に存在するとは。私のクラスでは、腫れ物扱いになっているというのに。
「だからさ、真昼も狙っちゃえ」
「絶対やだ」
断固拒否する。
私の返事に、成美はつまらなさそうに頰を膨らませた。
「顔はいいと思うのになあ」
成美が口を尖らせる。
もう、この話題を打ち切りたい。私は必死に視線を走らせて、次の話の種を見つけようとした。
「てか、成美! 制服、ずり落ちそうだよ」
適当にハンガーに吊るされた成美のブレザーは、バランスを失って今にも地面に落ちてしまいそうだ。
「あ、ほんとだ。あとでやるやる」
成美のあとでは、絶対やってこない。
私はため息をついて立ち上がると、ハンガーにかけられた制服を綺麗に整える。ついでに、ベッドにぐしゃぐしゃに放置されたカーディガンも、手早く畳んでやる。
それを眺めた成美は、嬉しそうに歓声をあげた。
「ありがとー! 私、真昼と同じ部屋でよかったわ」
きゃっきゃと子供のように喜ぶ成美を横目に、私は黙々と制服一式を片付けていく。
「あー、真昼はいいなあ」
その折に、成美がぐっと伸びをしながら、そう呟いた。
「いいな、って何が?」
「カーディガン。真昼の、赤でしょ」
「そうだけど」
急に何を言いだすのだろう。私は成美の次の言葉を待った。
「かわいいかなーって思って、あたし、カーディガンの色キャメルにしたんだけどさ。みんなと被るんだもん、あたしも赤にすればよかった」
その件について、私が言えることはただ一つである。
「……赤にはしないほうがいいんじゃないかな」
何故なら、変人に絡まれるからだ。
翌朝、教室に着くと、すでに巽の姿があった。何やら真剣な顔つきで、分厚いハードカバーの本を読んでいる。窓から差し込む柔らかな朝日に照らされた横顔は、なんだか映画のワンシーンにも思えた。
大人しく自分の席に向かうと、巽は緩慢な仕草で顔を上げた。
「佐久間、おはよう」
「おはよ、巽」
挨拶もそこそこに、巽は本に視線を落とす。
私も席に座った。教室はまだ人もまばらで、紙をめくる乾いた音がよく響き渡る。することもなく、巽の読んでいる本の表紙を眺めた。無数の星が散りばめられた濃紺の夜空を背景にして、タイトルには金箔で「星の神秘」と印字されている。
あまりにまじまじと見過ぎてしまったのだろう、いつのまにやら、巽は怪訝そうにこちらを窺っていた。
「どうした」
「あ、邪魔しちゃってごめんね」
「構わない。ちょうどキリのいいところだったからな」
巽は読み差しの本に栞を挟むと、本を閉じて机の中に閉まった。
「その、表紙が綺麗だなあって思って」
率直な感想を述べる。それがまずかった。巽の瞳に光が走る。
「そうだろう!」
先程まで一文字にきちりと引き結ばされた唇が今では喜びを湛え、彼の顔は活き活きと希望に満ちているではないか。かくも表情筋を豊かに動かすことができたとは、驚愕である。
……なんというか、巽ってわかりやすい人なんだろうなあ。
「宇宙は非常に興味深いぞ、佐久間! 人類にとって遥か昔から、宇宙は謎と神秘に満ちていた。この本に書かれていたんだがな、なんと宇宙の約95パーセントは未知に包まれているらしいんだ。ダークマターとダークエネルギーが……」
巽の勢いは止まらない。よくもまあ、ここまで噛まずにいられると感心するくらいだ。
「わ、わかったから。とにかく、宇宙ってすごいんだね」
「わかってくれたか!」
慌てて止めに入る。私の幼稚園児のような感想にも、巽は共感を示した。果てには一人腕を組み、うんうんと頷く始末だ。彼の熱量は、一体何処から来るのだろう。神のみぞ知るところだ。
「巽は、そういうのが本当に好きなんだね」
「そういうのとは、なんだ?」
「うーん。超常現象とか、世界のミステリーみたいなやつ」
私の説明に、あまり釈然としなかったのだろう。巽は首を捻って、私に尋ねてきた。
「未知はロマンだろう。佐久間はそうじゃないのか?」
巽の眼差しは、ひたすらに真っ直ぐだった。ああ、そういうことかと、心にすとんと落ちる。巽は、自身の好奇心に忠実なだけなのだ。
「……だから、魔女の噂も気になるんだね」
「そうだ、今日の放課後は北の森に行くんだったな。ああ、早く放課後にならないだろうか」
魔女なんて、非現実的な存在だけれど、この学校にいると、もしかして本当なんじゃないかと思えてくる。それは、閉鎖的な環境だからだろうか。
そこで、はたと疑問に辿り着く。そういえば、中学の頃にも似たような怪談話はあった筈だ。
「そういえば、この学校の噂話ってなんとなく変わってるよね」
巽に目で「どういうことだ」と問われる。私は言葉を選ぶよう、ゆっくりと説明した。
「なんていうか、他の学校って、トイレの花子さんとか、夜に二宮金次郎像が動くとかじゃない? でも、魔女の噂っていうのは聞いたことないし、メルヘンっていうか」
そうだ、この学校の噂話だけ、やけに独特なのだ。大抵、こういう噂話の類は、どこの学校でも大筋は変わらないと思う。しかし、学校の北の森に棲む魔女。この噂は妙に具体的じゃないだろうか。
巽はおとなしく話を聞いていたが、やがて口を開いた。
「ああ、それはプリンシパルによるものだろう」
プリンシパル。聞き慣れない単語だ。
「ねえ、プリンシパルって何?」
「ああ、プリンシパルというのは……」
そこで、巽は唇を閉ざした。浅野先生が教室に入ってきたからだ。
私たちの担任である浅野先生は、密かに魔女先生と呼ばれている。白髪混じりの豊かな髪を一つに束ね、いつも黒々とした服装をしているからだ。つくづく、この学校は魔女に縁がある。
「それじゃあ、ホームルームにしましょうか」
浅野先生は教室を見渡して、手を叩く。いつのまにか、教室は生徒で賑わっている。
「それで、プリンシパルって何なの?」
声をひそめて巽に問うと、彼は唇に自らの人差し指をあてがった。
……どうやら、静かにしろということらしい。短い付き合いだが、巽のことがなんとなくわかるようになってきた。どうにも、彼は真面目すぎるようだ。
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