ピグマリオンの庭

りんた

北の森の魔女

第1話

 なんということだ。全くもって、運が悪いことこの上ない。目の前に燦然と輝く、星のような双眸に、私はため息をつくことしかできなかった。


「魔女を探しに行こう!」


 彼はガッチリと私の手を取って、高らかに、そして意気揚々と宣言してみせたのである。







 思い返せば、私の受難は高校に入学したことから始まった。私立華宮学院高等学校。この名を聞けば、誰もが「あの有名な」と言葉を返す。格式と伝統を重んじる、全寮制の名門高校だ。

 華宮学院は大層な名の通り、学費と寮費がやけに高い。さすが名家の子息令嬢が集まるだけある、桁が違うのだ。では、純然たる小市民の私が、どうして華宮に入れたのか。

 それは、特待生制度によるものが大きい。入試で上位20名に選ばれたものは、学費が免除されるのだ。それを目当てに、死にものぐるいで頑張った。洋風建築を模したロマンチックな校舎、憧れの自由な校風。そこで送る、華々しい女子高生生活。それらを手に入れるため、それはもう受験勉強に身を費やしたのだ。

 合格通知を受け取り、胸を高鳴らせて迎えた入学式初日、私はときめきとともに制服の袖に手を通した。黒いブレザーに、チェックのプリーツスカート。胸元には鈴蘭の校章。

 努力が実を結ぶって、こういうことを言うんだろうなあ。


 と、しみじみ感慨に耽っていたまではよかった。入学式の翌日、インフルエンザと胃腸炎を併発するなんて、誰が思うだろう。おかげで私は2週間別の場所に隔離され、久しぶりに登校した頃には、グループがすでに出来上がっていたのである。

 最初こそは、仲良くなろうと頑張った。話しかけるきっかけ作りに試行錯誤したものだ。けれども、クラスメイトから滲み出る気品の良さに圧倒され、気づけば友達の作り方を忘れていた。

 かくして、入学してから1ヶ月半。クラス内に、未だに友達がいない。



「佐久間さんは、24番ね」


 どうやら席替えとは、どこの学校も一代イベントであるらしい。教室内は奇妙な熱気に包まれて、どこかそわそわと声をひそめてささやき合う。

 担任の浅野先生は、手製のくじ箱を持って、教室中を回っていた。私は右手に摑まされた紙片を眺める。


 24番。


 黒板に書かれた席順と睨めっこして、確かめる。一番後ろの席だ。窓側端っこが良かったけれど、贅沢は言うまい。どうせ、友達は居ないのだ。いくらなんでも悲しすぎるだろう、私。


「全員引き終わった? それじゃあ、席を移動して」


 浅野先生の号令で、皆が立ち上がって、のそのそと所定の場所へ移動する。

 机の中の荷物を空にして、新たな席へ着くと、目の前には友との邂逅を祝うクラスメイトの姿があった。


「え、真帆、隣の席じゃん!」

「よかったあ、友達が居て!」


 ま、まぶしい。彼女たちの会話に、立ちくらみを起こしそうになる。あるべき青春の姿が、眼前で繰り広げられているのだ。

 しかし、いつまでもこうしてうじうじと、無い物ねだりを続けるのも良くないだろう。ここらで、状況を打破してみるべきではないか。

 そう思い立ったが吉日、私は右隣の席に顔を向けた。そして直後、後悔した。


 げ、変人巽春樹だ。


 クラスメイトの顔と名前が、まだ薄らぼんやりとしている私でも、彼のことは良く知っていた。きりっとした清涼な目に、良く整った顔立ち。誰がどう見ても、格好いいと声を漏らすこと間違い無い。

 しかし、見た目で判断してはいけない。入学式の後のホームルーム、自己紹介の時間。彼の番が回った時、皆が釘付けになった。なんと、彼はピラミッドの謎とそのロマンについて、堂々と語り始めたのである。ピラミッドの建築技法がうんぬん、その方角がどうたら。自己紹介とは一体なんだったのか。彼の整然とした、しかし節節に熱の入った説明に、クラスメイトは確信した。巽春樹は、変人であると。


 見なかったことにしよう。私の右隣は、誰もいない。さっさと切り替えて左隣に賭けてみよう、それがいい。

 ……そう判断するには、少し遅かった。


「なあ、お前、超常現象に興味はあるか?」


 視線がかち合って、開口一番の台詞がそれか。このまま無視するのも人として良くない、私は窺うように口を開いた。


「……まあ、番組があったらみる程度には好きかな」

「本当か!」


 巽春樹は嬉しそうに唇を緩ませた。そのあまりにも端正な笑みに、私はうっと言葉が詰まる。


「なら話が早い、お願いがある」


 ずい、と巽春樹の顔が目の前迫る。


「お前、魔女の噂を知っているか?」

「……はあ?」


 つい、素っ頓狂な声が出てしまう。私の反応を見て、巽春樹はなんだとばかりに眉を顰めてみせた。


「知らないのか」

「というかその前に」


 一つ、はっきりさせておきたいことがある。


「私と巽くん、初めて喋ったよね?」


 だというのに、なんだ、この馴れ馴れしさは。巽は何がおかしいのか、と言わんばかりに、顎に手を当てて、首を傾げた。


「そうだが」

「……まず、私の名前はお前じゃなくて、佐久間真昼」

「すまない、失礼なことをした。これからは、佐久間と呼ぼう。代わりに俺のことも巽と呼んでくれ」


 巽ははっとしたように目を見開いた。なんだ、思ったより話が通じるじゃないか。そう、ほっと胸をなでおろしたのも束の間。


「それで、魔女の噂は知っているか?」


 話がループしている。巽は至極大真面目だ。こうしていると、私の反応が間違っているような気さえしてしまう。


「魔女の噂は知らないけど……」

「なんだ、有名なやつだぞ。学院の北に広がる森には、魔女が棲んでいるんだ」


 巽はとつとつと語る。私が知らないのも当然だ、なぜなら友達がいないのだ。


「……それで、その話がどうしたの」

「そうだ、なあ、佐久間」


 ……なんだか嫌な予感がする。こう言う時の予感って、大概は当たるものだ。


「魔女を探しに行こう!」


 彼はガッチリと私の手を取って、高らかに、そして意気揚々と宣言してみせたのである。こうして、冒頭に至るわけだ。

 私はその手からさりげなく逃れて、わずかに椅子を引いた。


「私と、巽で?」


 失礼とわかっていても、巽に指差してしまう。


「佐久間、人に向かって指をさすのはないだろう」

「それは申し訳ない。けどなんで? 私と関係ある?」


 疑問が口からついて出る。巽は神妙な表情で、人差し指を立てた。その雰囲気に圧倒されて、こちらまで真剣な顔つきになってしまう。


「占いだ」

「はあ」

「今朝の占い、蠍座のラッキーカラーは赤。親しくない人にも思い切って誘ってみるのが吉、と出ていた」


 もしかして。私はブレザーの下に着用しているカーディガンの色を確認する。……ワインレッドだ。クラスを見回しても、同じ色のカーディガンを着ている人は見当たらない。大抵の女子はキャメルか紺を選んでいる。

 しまった。私は額に手を置いた。


「そういうことだ。早速だが、明日の放課後、噂を確かめてみないか」

「巽、私にだって、用事くらいあるんだよ」

「例えばどんな」


 そう聞かれて、答えられないのが悲しいところである。私は視線を泳がせて言った。


「ベッドでごろごろするとか」

「要するに暇じゃないか」

「というか、魔女の噂に付き合ったって、私に特なんてないじゃん」

「あるぞ」


 思いのほかあっさりと返されて、拍子抜けしてしまう。恐る恐る、私は尋ねてみた。


「ど、どんな?」

「佐久間は友達がいないだろう」


 ここまで面と向かって悪口を言われたのは、初めてだ。というか、それは言葉のブーメランではないか。たまらくなって、私は反論することにした。


「巽だってそうでしょ」

「いいか、佐久間。俺に恩を売っておくんだ。そうすると、例えば佐久間が学校を休んだ時」

「休んだ時……」


 ごくり、と唾を飲み込む。


「気軽にノートの貸し借りができる」

「た、たしかに」


 巽の話は、妙な説得力がある。2週間学校を休んだ私にとって、気安くノートを写させてもらえる相手がいることのありがたさは、身に染みてわかっていた。そこをつくとは、案外巽は策士なのかもしれない。


「それで、恩を売るのか、売らないのか。どっちなんだ」

「え、えーっと」


 頭の中で天秤を思い浮かべる。いるのかすらわからない魔女探しに付き合うのは面倒くさい。しかし、巽の提案はいたく魅力的だ。

 ……それに、森っていったって、学校の周りはぐるりと塀で囲まれている。さして広くはないだろう。うん、と頷いて、私は決心した。


「わかった、付き合うよ」

「本当か!」


 巽は唇を綻ばせた。こうして笑うと、好青年のようにも見えるのに。

 けれども、気を引き締めねばならない。相手は、奇人変人の巽春樹なのだ。

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