「S工業株式会社:工場跡地の陥没穴(後編)」

「あーあ、喉渇いちゃった。あたし、先に飲むね。」


そう言うと、トモ子はお茶のセットに駆け寄り、

自分の分をカップに注ぐとゴクゴクと飲み干す。


「あー、おいしかったあ。」


そうして、こちらを見ると首をかしげる。「二人とも、飲まない?」

それにに対し、ユウキが静かに首をふった。


「いや、いいです。俺たちここに来るまでに食事は済ませましたから。

 それに仕事中は飲食禁止なので、お気持ちだけ受け取っておきますよ。」


…子供が理解できるかは別として、ユウキは無難な言い訳をする。


それに対し、トモ子は怒るかと思いきや

しばらく黙った後に突然コロコロと笑いだした。


「あー、いけない。すっかり忘れていたわ。

 そうね、あなたたち『お客様』が来た時には食事をお出ししても

 食べてくださらないんだったわ。いやねえ、物忘れが激しくて…。」


その言葉に合わせるかの様に、カッちゃんは恥ずかしげにうつむき、

ヨウくんはわかっていたのか、やれやれと首をすくめた。


「すみませんね、みんな歳なもので。

 …じゃあ、今回は誰にしようかしら…連れて行ってもらうのは。」


そう言って、少年少女を交互に見つめるトモ子に対し、

ヨウくんと呼ばれた少年が言った。


「もう、トモちゃんが行けばいいんじゃない?

 長いこと出ていないでしょう。順番的にも丁度いい具合だ。」


それに対し、トモ子はしばらく首をかしげると

パッと顔を赤らめてイヤイヤと首を振った。


「何で、まだまだよ。みんなでここに来るって決めてから

 最後に出るのはあたしだって決めていたんだもの。

 二人をちゃんと見送ってから…。」


と、そこまで言ったところでズンっという地響きがした。


内部の装飾品がジャラジャラと揺れ動き、

裏面にある動物のような文様がちらりと見えた。


それに対し、ヨウくんはため息をつく。


「ほら、来ちゃったよ。トモちゃん出るなら出て。

 …もう、機会もそうないはずだから。」


そう言って、にこりと微笑む少年に対しトモ子は泣きそうな顔になる。


「でも、まだ二人の方が…。」


そうしてトモ子が何か言い出す前に少年が彼女の元まで行き、

耳元で何かささやいた。

 

その瞬間、トモ子の目が見開かれ、俺と自分の持ったぬいぐるみを交互に見る。


「…それ、本当?」


そうして、二度目の揺れが来た時、

トモ子は俺たちのそばまでやってきて、こう言った。

「…あの、あたしを外に連れて行ってくれませんか?」


それは、おずおずとしながらも、何かを決心したような声だった。


「…まあ、別に、いいですけど。」


そこに何の意味があるかはわからない。

でも、流れでユウキはそれに承諾する。


その時、三度目の揺れが来た。


それが何かの近づく音だと気付いたのは、俺たちが顔を上げた時だった。


巨大な顔が、鳥の巣の上から覗いていた。

それは、10メートル以上はあろうかという怪物だった。


まず、電球を思い浮かべてほしい。

丸い部分をハンマーで叩き割り中のフィラメントを抜く。

そこに、目が一つしかない牛の首をくっつけてねじれたタオルで手足を作る。

そんな怪物が上から覗き込んできたら誰だって叫ばずにはいられない。


トモ子が走り出すと同時に、俺たちも建物から這い出すように逃げ出した。


「こっち、近道があるの。」鉄筋をくぐり抜けつつ、トモ子は叫ぶ。


ふと背後を見れば、カッちゃんやヨウくんは

未だに中ですました顔でお茶を飲んでいた。


周囲の建物は怪物が寄りかかったせいで崩壊し、鉄筋が落ち、

コンクリートの破片がバラバラと降ってくる最中のことだ。


「…大丈夫。ここにいる限り、私たちは死なないの。

 怪我をしても、すぐに元どおりになる。施設からここに移る時、

 あたしたちはそういう契約を結んで、こうして生きながらえているの。」

 

走りながらも、トモ子は説明をする。

その時、目の前をキラリとしたものが落ちてきた。


それは、この鳥の巣全体にくっついていた装飾品で、

金属の裏面には上から俺たちを覗いてきた怪物の顔が描かれていた。


「…で、あれは何なんだ?」


ガラガラと、崩れゆく鳥の巣から抜け出しつつ、

ユウキはこちらへと顔を向ける怪物を顎でしゃくる。


それと、目を合わせないようにトモ子は砂の上をかけだしながら、

小さな声でこう言った。


「…『カミサマ』。あたしたちは昔、

 あれを『カミサマ』と呼んで崇めるように言われていたの。」


周囲は、いつしか砂嵐となっていた。

方角もわかりにくくなり、奥に見えていた山がいつの間にか近くにきている。


だが、そこで俺は気づいた…そう、最初ここに来た時に山だと思っていたもの。

あれは山なんかじゃなかった、じっと遠くから俺たちを監視していた。


そう、今まさにこちらへと向かってくるものは、

彼女らの言っていた『カミサマ』の群れ、そのものであり…。


「馬鹿、何ボーッとしてるんだ。さっさと行くぞ。」


気がつくと、俺はユウキに腕を引っ張られて元いた横穴へと進んでいた。


腰に命綱をつけていたおかげで、迷うことなく奥へと行ける。

だが、この空間も『カミサマ』のせいなのか、グラグラと揺れていた。


「くっそ、さっさとウインチを巻き取って上に逃げるぞ、

 ヒロ、その車椅子の女の子をちゃんと抱えておけ!」


…車椅子?


俺は先に行くユウキにそう聞き返そうとした。


しかし、彼女の腰にはすでにワイヤーを渡してしまっているし、

ウインチのボタンは押してしまっている。


そうして、俺とトモ子はぐんと上へと引き上げられた。


「…ごめんなさいね。わざわざ引き上げてもらっちゃって…。」


そう言うトモ子の声は、少し枯れているように聞こえた。

いや、違う。枯れているのではない。どちらかといえばしわがれていく。


俺はトモ子の方を見ようとしたが、

その時、通り過ぎようとしたメリーゴーランドがガクンと動いた。


「ああ、ここの空間も閉じるのね。次は何年後になるのかしら…。」


俺は必死にワイヤーを左右に揺らし、落ちる破片を避けていく。


メリーゴーランドはとうとう耐えきれなくなったのか

最後にガクンと穴の両端から外れ、轟音を立てながら下へと落ちていく。


「下をを見ちゃダメ。あれが…『カミサマ』が追ってくる。」


俺は、トモ子の言葉に従うように顔を上げ、必死にワイヤーのウインチを上げる。

…早く、早く!


穴の外にはユウキが立っていて、俺の方に腕を伸ばしていた。

「急げ!もう穴が崩落する。『それ』を持って、早く登るんだ。」


「車椅子」から、「それ」へ。


その意味はわからない。わからないが、俺はユウキの腕を掴む。

そして、トモ子とともに引き上げられる際、彼女が耳元で囁いた。


『…本当にありがとう。コウちゃん…いえ、コウジちゃんも喜んでいるわ。

 …あなたは、コウちゃん似なのね…。』


そして、彼女はこうも付け加えた。

『最後に、ひ孫に引き上げられるとは思っていなかったわ…。』


その瞬間、穴が崩壊し、凄まじい轟音が周囲を飲み込んだ…


「…いやー、間一髪だったな。

 ユウキもヒロも頑張ったじゃないか。映像は解析室に回しといたぞ。

 多分『18号室』に回されて、それっきりになると思うがな…。」


そう言うと、曽根川課長はタバコに火をつけ、ふうっと息を吐いた。


…俺たちのいた穴は、すっかり崩壊していた。


ガレキや土砂が蓋をし、穴だった場所の周囲には

「立ち入り禁止」のテープが張られている。


ユウキはふてくされた顔で穴だった箇所を見つめ、

そこで作業をする黒手袋に赤いマフラーの女性を見てため息をついた。


「…ようやく連れてきたのは特級の『直し屋』かよ。

 だったら、なおさら俺たち素人に毛の生えたやつになんか…」


そうブツブツ言うユウキの言葉が聞こえたのか、

女性は手袋を取りつつ、澄ました声をあげた。


「それを判断するのに現場の人間が必要なんでしょ。

 私たち『直し屋』が出るにはそれなりの災害規模の裏付け証拠が必要だし、

 出動要請が回ってこないと動けない決まりになっているの。」


そして、曽根崎課長のところへと行くと機械的に「終わりました」と報告する。


「へ、お役所仕事が。」


その様子に、ユウキは吐き捨てるように言って、あれほどの広域だったにも

関わらず、もはやヒビ一つないまっさらな床を見てため息をついた。


「…相変わらず、可愛くない仕事するなあ…。」

「なんか言った?」

「別に。」


そんなやり取りに課長は小さくため息をつく。


「…あいつらは、いくつになっても変わらんなあ…。

 それよりヒロくん。50年前に大規模崩落を起こした施設、

 『坂下総合病院』のことを何か知っているかい?」


その言葉に、俺は半ば戸惑いつつも素直にうなずいた。


…そう、俺は思い出していた。穴を這い出した時に思い出した。


おぼろげだったが、それは幼い記憶。

俺は幼少期、『坂下総合病院』の近くに住んでいたのだ。


…だが、しばらくしてから、引っ越した。


50年前の地盤沈下で病院がなくなった後、

それからひどい地震と地盤沈下がその土地で何度も起きていた。


そして俺たちは、最後通告だと、この辺りも危ないと、

役人に追い立てられるように最後にその地を引っ越していた。


…その時は、別になんとも思っていなかった。


なぜ俺の家族が、いつまでも地盤沈下の起きるような

危険な土地を離れなかったのか。


なぜ、引っ越すまでの長い間、裁判所や役所に通っていたのか。

なぜ、『慰謝料』と書かれた書類を持ってくるお役人に突っぱねたのか。


幼かったせいかもしれない。

あまり記憶になかったせいかもしれない。


ともかく俺は気づかなかった。


家族がいなくなっていたことに。

自分のひい祖母が行方不明になっていたということに。


「…『18号室』に保管された当時の病院のリストに、

 君のひいおばあさんの名前が載っていたよ。

 今も昔も変わらない。行方不明者のリストにね。」


課長はそう言うと、二つ目のタバコに火をつける。


「君のひいおばあさんを始め、崩落に巻き込まれたのは老人病棟の人間でね。

 昔は老人ホームなんてなかったから、いろいろ弱ってきた年寄りは

 そこで面倒を見てもらっていたというわけだ。」


…しかし、そこには怪しい噂があった。


外国の有名大学を出た病院の院長が不老不死を求めて研究をしていたとか、

内部で老人を実験台にして怪しい儀式を行っていたとか。


「…ま、定かな話じゃない。何しろ証人は全員埋まっちまったからね。

 出てくるのは、今回みたいに何十年も経ってから陥没穴から出てくる

 人間だが…ま、外に出た時にはこうして物言わない仏さんになっちまう。」


そうして、課長は工場の端…そこに停められた車椅子を見る。


…そこには、ぬいぐるみが置かれていた。

腕のちぎれそうな、ボロボロのぬいぐるみ。


俺の記憶にある実家に置かれていた、ひい祖母の手作りのぬいぐるみ。


父の話ではその人形のいくつかを、ひい祖母は自分の孫であり、

俺の父の名である「コウジ」と名付けて大事にしていたそうだ。


そのぬいぐるみを抱くのは、細く、白い骨であり…


「…ま、関わった人間の話しでは、空間内にいた誰もが死を受け入れて、

 外に出たいと、こうなることを望んでいたようだがね…。」


そして、タバコのフィルターを噛みながら、課長は俺に言った。


「本来だったら、こうして見つかった行方不明者は『18号室』行きになる。

 永遠に外部に漏らせない場所行きになるわけだ。しかし、今回見つけたのは

 ひ孫である君だし、特別に家族に引き渡すことにしたいが…それでいいね。」


その言葉に、俺は静かにうなずく。


ほんの少しの間だったけれど、ひい祖母と話せた。

それが自分には少しだけ嬉しかった。


しかし、同時に思う…あの穴で見た『カミサマ』とは何だったのだろうか、と。

それを課長に尋ねると、彼はおどけたように肩をすくめて見せた。


「さあねえ、ただ、穴の中は千差万別だ。

 神様の一人や二人、いてもおかしくはないさ。」


そして、穴のあった床の端でタバコを消し、天を仰ぐ。


「…ただ、あんまり良いもんじゃないだろうなあ。

 何しろあっちの世界の『カミサマ』だからな…おっと、迎えが来たようだ。」


そう言うと、課長は車椅子に近づき、向きをくるりと変えた。

その視線の先にはひい祖母を載せるためのバンが一台停まっている。


「…じゃあ、ここから先は親族である君が乗せてあげた方がいいだろう。」


そう言って、課長は途中まで漕ぐのをやめて俺に車椅子のハンドルを渡した。

俺は短くお礼を言うとそのハンドルを受け取った。


そして、今は軽くなった車椅子と、

ようやく帰途につく、ひい祖母の遺体を運んでいくことにした…。

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空間修理師のお仕事 化野生姜 @kano-syouga

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