ケース3「S工業株式会社:工場跡地の陥没穴(前編)」

機械一台置かれていない、廃工場の広い床。

ライトが照らす剥き出しのコンクリートに大穴が開いていた。


一つが直径5メートルほど。

それが、ボコボコと敷地の床一面に広がっている。


穴同士には細やかなヒビが入り、

もし地震でも起きたら一気に崩落することは目に見えていた。


「だからさー、これって明らかに『陥没穴』だろ?

 こんな場所、俺たち下っ端がやるべきじゃないって。

 もっとベテランの人間を派遣してさー、えー、ダメ?」


そう言うと、ユウキは悪態をつきながらスマホを切り、

近くにある小石を蹴っ飛ばす。


蹴り飛ばされた小石は鉄筋が丸見えになった穴のふちから

吸い込まれるようにして奈落へと落ちていった。


「くそ、空間委員会め。

 『修理師の探査状況に応じて専門員を派遣するか検討する』だとよ。

 そのあいだに俺たちが死んじまったらどうするつもりなんだよ。」

 

そう言いつつもブツブツと悪態を吐くユウキと、触らぬ神に祟りなしで

黙っている俺は乗ってきた車まで戻り後部座席から圧縮スーツを取り出す。


スーツは一見ただのつなぎに似ているが

『象に踏まれても死ぬことはない』強度を誇っているそうで、

ヘルメットを被った姿はその辺にいるバイク乗りとそう変わらない。


「カメラ機能をオンにしとけよ。『陥没穴』は崩落の危険性が非常に高い。

 万一俺たちが埋まっちまったら映像の送り先の委員会が助け出してくれる

 …でも、ゼッテー助けられたくないけどな。」


そう強がりながら、ユウキはハーネスを装着すると

くさびとワイヤーの点検を始める。


工場の持ち主の話によると、数日前にこの穴はできたらしい。


穴は最初一つだけだったそうだが、

取り壊しを再検討した翌日に倍に増えた。


ユウキはその話と現場の様子から『陥没穴』だと判断し、

委員会に現状を報告することにしたのだ。


『陥没穴』とは、地面に複数開いた空間が結合したもので、

ボコボコと開いた穴は個別に見えるが、実は根っこでつながった

巨大な一つの空間であり、中は大概わけのわからないことになっている。


今はまだ狭い範囲だが、大規模な崩落の危険をはらんでおり、

必要なら住民を町ごと避難させる必要もあったりする。


だからこそ『陥没穴』を見つけた修理師は

速やかに上の委員会に報告する義務があった。


「…最後の大規模崩落は五十年前だったかな?

 一般には地震で出来た地盤沈下だと言ってるが、今も周囲は立ち入り禁止だ。

 委員会の許可なしじゃ入れないし、なーんで俺たちに行かせるのかね…。」

 

そう愚痴りながらも、ユウキは穴へと降りていく。


工場周辺には解体工事のために柵がしてあるので

一般人が入り込むことはまずないし、作業員も全員避難ずみだ。


でも、それは俺たちの安全を保証するものではない。


「…大丈夫、20分でやばいと感じたら、すぐに出て行けばいい。

 マイク機能が壊れない限り、話し続けていこうぜ。」


そう、慰めるでもなくユウキはワイヤーを下へ下へと降ろしていく。


穴の周囲は腕にくくりつけたライトのおかげでぼんやりと見えるが、

…やはり、空間に入り込んだ異物がやたらと目につく。


壁いっぱいに生えた本棚には70年代のマンガがぎっしりと詰まっているし、

エナメル質の壁からは人の背丈ほどの桐のタンスが無数に飛び出している。


俺とユウキは穴いっぱいに広がった遊園地のメリーゴーランドの

隙間をくぐりぬけつつ、ワイヤーを手繰りながら穴の底を目指した。


「…おい、ヒロ。今どれくらい経った?」

ユウキの言葉に、俺は5分と答える。


空間の中に入っていると、基本的に時間の感覚がわからなくなる。

だからこそ、正確な体内時計を持っている人間ほど重宝される。


「…そっか、俺の体内時計はもう狂っちまってるからな。

 すでに数分ほど読み違えてるし、引退も近いかな?」


うそぶくユウキだが、ここで急に下へと降りる動きを緩めた。


「お、もう底が近いな。慎重に行くぞ。」


ユウキはワイヤーを調節する。そして数秒もしないうちに地面に足がついた。


足元はタールを塗ったように真っ黒で、

俺の感覚では、未だ底が続いているように見える。

 

「ん、横穴に続いているな…ヒロ、ライトはまだ点けたままにしとけ。」


俺はとっさにライトを消そうとしたが、ユウキの言葉に従ってそのままにする。

それほどまでに、横穴の向こうが明るかった。


「…下、砂になってるな。」


いつでも上に逃げ出せるようにと腰にワイヤーをつけたまま歩き出すユウキ。


暗い地面はいつしか柔らかい砂へと変貌している。

穴の中の空間はその都度変化するものだが、その場所はやたら広かった。


…黄色い砂が、風に巻き上げられる。

そこは、広い砂漠のような場所だった。


パステルカラーの空にぼやけた黄色やオレンジの木がポツポツと生え、

周囲が山脈になっているようだが霞がかってよく見えない。


その間を点々と巨大なビルほどの鳥の巣が点在し、

何かついているのか、ところどころキラキラと反射光を放っていた。

そんな光景を眺めていると、不意に横から声をかけられた。


「…にいちゃんたち、何してるの?」


気がつけば、黄色の葉をつけた木の陰から5歳ぐらいの女の子が覗いていた。

黒に牡丹をあしらった着物姿で、髪を丸く結っている。


「ええっと、にいちゃん達は…すまん、ヒロ。説明をお前に頼む。」


そう言うと、ユウキは2、3歩後ろに下がる。


そういえば、ユウキは子供が大の苦手だった。

もともと苦手だったが、前回の駅の件でますます苦手になったらしい。


俺もあまり好きな方ではないが、

先輩がダメな以上、ここは俺が出て行くしかない。


俺は腰をかがめると、とりあえず女の子に名前を尋ねてみることにした。


「あたし…?んーとね、トモ子。トモ子って呼んで。

 それで、この子はコウ、コウちゃんって呼んで。あたしの友達なの。」


そう言って、彼女は背後に隠していたぬいぐるみを取り出す。


それはボロボロの手縫いのウサギのぬいぐるみだった。

ところどころがほつれ、片腕なんかもうちぎれかけている。


…それを見た時、俺はひどい既視感に襲われた。


そのぬいぐるみを俺はどこかで見た気がした。

でも、それをどこで見たかが思い出せない。

…思い出そうとすると、記憶が余計に霞む。


そうして、悶々としている俺に気付いているのかいないのか、

トモ子と名乗った少女は俺の手を取るとにこりと笑った。


「あのね、カッちゃんやヨウくんも話し相手が欲しいの。

 もちろん、あたしも、もう何年もお客様なんて来なくて…」


そう言いながら、トモ子は立ち上がると不意にぐんぐん歩き出す。


俺もつられるように歩くが、その速度はかなりのもので、

周囲の景色もビュンビュンと変わっていく。


後で考えれば、それは空間を伸縮させているために見えた景色だったのだが、

その時の俺はそんなことを考えている余裕はなかった。


そして、鳥の巣に近づいていくにつれ、俺は気がつく。


鳥の巣のように見えたもの。

それは、無数の鉄骨や鉄筋が集まり絡まった奇妙なオブジェだった。


鉄骨には、ところどころにコンクリートや看板がへばり付き、布や時計や

電化製品など、ごちゃごちゃに積み上がったそれは奇跡的に形をなして

いるように見える。


そのあいだを、トモ子はすり抜け、もぐり、飛び上がり、

奥へ奥へと進んで行く。


「ねえー。お客様がお越しになりましたよー。

 誰かーおもてなししてあげてー!」


楽しげに振袖をブンブンと振りまわしながら、

少女はきゃあきゃあとあられもない声を上げる。


そうして5分ほど進んだ頃、俺たちは不意に開けた場所に出た。


そこは、スリ鉢状になった鳥の巣の中心部らしく、ぽっかりとあいた空には

パステルカラーが広がり鉄骨や壁にかけられた装飾品が空の色を反射させ、

無数の光を放っていた。


その内部のところどころにはクッションが置かれ、

半ズボンに白シャツ姿の少年やトモ子と同じく着物姿の少女が座っている。

おそらく、少年がヨウくんで少女がカッちゃんなのだろう。


彼らはすでにトモ子の声を聞いていたのか、

中央に置かれたテーブルの上には西洋式のお茶の用意がされていた。


二人は手に自分たちのカップを持ち、こちらに会釈しながらお茶をすする。


「…誘われても飲むなよ。これは『黄泉戸喫(よもつへぐい)』だ。」


俺の後ろでユウキがそっとささやき…俺は思い出す。


基本的に空間内では食事を…ましてや、空間内で出されるものを

口に入れることは修理師のあいだではご法度とされている。


空間では時間だけでなく、事象も頻繁に変わる。


食べ物だったものが食べ物でないものへと変わり、

食べた人が人で無くなることもままある。


だからこそ、長期間の空間の滞在は避け、

修理師は修理が終われば速やかに出る必要がある。


間違っても、そこで暮らしてしまう人間は…もはや、人ではない可能性が高い。


それを、俺たち修理師のあいだでは日本の神話になぞらえ

『黄泉戸喫(よもつへぐい)』と呼んでいた。

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