ケース2「地下鉄M線:駅構内の虫穴」
ポスターの裏をのぞくと、親指ほどの穴が三つばかり開いていた。
黒っぽい穴だが、その周囲は焼け焦げたような跡があり、
浅い穴の向こうには壁の素材が見えている。
「…無理やり空間をふさいである。新しい『虫食い』だな。」
そう言いつつ、人混みの多い駅構内の売店側で
ユウキは長渕駅長に話しかける。
「これ、どれくらいの頻度で出現します?」
それに対し、駅長はイライラした様子で腕時計を見た。
「二日に1回、ひどいと一日で10個以上見かけることがある。
場所も問わずで最初はたちの悪いイタズラだと思っていたが、
関係者以外、鍵を持っていないと入れない場所にもできることから、
自然現象か故意かもわからず、我々としても手を焼いているんだよ。」
「そうですか。」
あっさりそう言うと、ユウキは鞄の中からスマホを出し、
同じく持ってきたメーターのたくさんついた機械に接続すると
軽く左右に振ってみる。
とたんに、スマホの画面にレーダーのように赤い点が大量に現れた。
「あー、まずいですね。この辺りでも30箇所は隠れてます。
こういうのはゴキブリ並みに増えていきますから、
放っておくとポスター程度じゃ隠せませんよ。」
その言葉に、駅長はうめき声をあげる。
「それはこっちも困る。金属の手すりやガラスの一部にもこんな穴が開くんだ。
万が一、電車のレールにも穴が開くようになったら目も当てられない。
早急になんとかしてくれ。」
「はいはい。」
いい加減な返事をしつつも、ユウキはスマホを操作しながら左右に振る。
「では、ここから先は修理師のほうで調査しますので、
駅長さんは仕事に戻ってください。駅構内の閉鎖とかも必要ありませんし、
電車も予定通り運行していただいて問題ありませんので。」
「しかしね…」
そう駅長が口を挟む間もなく、ユウキはさっと人混みの中をかき分けて
改札口へと進んで行く。
その様子にあっけにとられる駅長に、俺も小さく頭を下げ、
ユウキの後についていくことにした…。
ユウキは基本的にごちゃごちゃとした説明を他人にする人間ではないことを
俺はよく知っている。
スマホには大量の点が浮いているが、その大きさには大小あり、
大きな穴ほど最近出来たものであることが多い。
虫食い穴とは、本来どこかに繋がっていた穴が何らかの要因で一旦閉じ、
内部に大量のエネルギーが溜まり、臨界点を超えた時点でランダムに
小さな穴を開ける現象である。
ようはパンパンに膨らんだ水風船に小さな穴が開いた状態であり、
当然ながら、あまり放置しておいてもいいものでもない。
「…こっちの方向に結構でかい穴があるな。ちょっと行ってみるか。」
そう言うと、ユウキは人混みをかき分けつつ、
地下鉄のホームへと向かうエスカレーターを下りていく。
通勤時間に重なったということもあり、道を歩く人は、
サラリーマンだったり、女子高生だったり、OLだったり…
ともかく様々な人が密集しながら上へ下へと進んで行く。
「めんどくさいなあ、ヒロは身長が高いからこの手の場所を進むの得意だろ?」
ユウキは茶化しつつも俺にそう問いかける。
だが得意も何も俺だってこういうのは正直苦手だ。
しかしながら、小柄なユウキの方が人混みの中で紛れやすいのは
確かなので頭一つ分飛び抜けているだけ俺の方がマシなのかもしれない。
そんなことを考えていると、俺は気づく。
すれ違いざまに見える、上りのエスカレーターに乗ったサラリーマン。
その後ろに赤いワンピースの小さな少女が隠れるようにして立っていた。
小学校の高学年くらいであろうか。長い髪に制服姿で手を後ろで組んでいる。
…だが、その姿に俺は違和感を覚えた。
なぜだろう。何かがおかしい。
俺はとっさに少女の方に首を向けようとするも、
エレベーターはすでに上にのぼってしまい少女の姿も人混みに紛れてしまった。
そうしているうちにエスカレーターは下に着いた、
「…こっちだな。」
ユウキはホームに着くとさっさと電車が来る方と反対の道を進んで行く。
電光掲示板には分刻みの電車の到着時間が表示され、
転落防止の柵の前には多くの人が並んでいる。
しかし、不思議なことにほんの一瞬だけ、防止柵の向こう。
線路と線路のあいだの柱の影に一人のサラリーマンがいるのが見えた。
彼自身も、なぜ自分がそこに立っているのか分からないらしく、
困惑した様子であたりをキョロキョロと見渡している。
「よいしょ…っと。」
そんな折、ユウキが「この先関係者以外立ち入り禁止」と書かれた
ドアを開けて中に入ろうとするのが見えた。
「おい、ヒロ。何ぼさっとしているんだ。中入るぞ。」
俺は、もう一度、線路の方に目を移したが、
もはやそこにサラリーマンの姿は影も形もなかった。
俺は、気のせいかと思い直し、
ユウキの後に続いてドアの向こうへと歩き出した…。
「…っていうかさ、ヒロは知ってるか?『半身だけのチカちゃん』って話。」
ユウキはドア向こうの非常階段の下、
並べられた掃除用具の入ったロッカーを移動させつつ、俺にそう聞いてきた。
唐突な質問だったが、俺も触り程度なら知っている。
『半身だけのチカちゃん』とは、
この辺りの地下鉄で電車に轢かれた少女の霊が出るという都市伝説だ。
混雑している駅のホームでサラリーマンに背中を押され、
ホームから線路に転落し、電車に轢かれた少女。
その時に自分の体の縦半分を無くしてしまったので、
今でも半身を探してさまよっているという、どこにでもある都市伝説だった。
「…でもな、往々にしてそういう話が、
以外な事実と繋がっていることがままあってさ…。」
と、ユウキは言葉を続けようとしたが、ロッカーをどかすとため息をついた。
「うー、これはヤバイなあ。」
みれば、大中小の無数の虫食い穴がロッカー分の面積いっぱいに広がっている。
最大はゴルフボールほど、小さなものは小指の爪程度の大きさだ。
「群集恐怖症の人間なら、卒倒だな。」
そう言いつつ、ユウキは、まず内部のエネルギーを吸い出すため、
鞄からドライヤー型の機械にホースが付いた吸引機を取り出す。
「ホースをエネルギー缶に接続しておけ。
ハザードマークのシールを貼るのを忘れずにな。」
ユウキの言葉に従いつつ、俺は工具箱の中からブリキ缶を取り出すと、
外側にシールを貼ってホースに接続する。
それを見届けるとユウキは穴の一つに吸引機の口を差し込み、
スイッチを入れ、メーターを徐々に上げていった。
「ウィィィン」という唸り声を上げながら、吸引機は作動する。
一見するとただ単に空気を吸い出しているようにしか見えないが、
ブリキ缶の横についた目盛りには透明な液体が溜まっていく様子が見えている。
これが満タンになったら次の缶と交換するのだが、よほど圧縮率が高いのか、
今まで満タンになった缶を交換した経験が俺には一度もなかった。
「その方がいいぜ、交換には面倒なことが多いから。」
そう言いながらも、ユウキは「見ろよ」とあごをしゃくる。
気がつけばあれほど開いていた穴が次々と閉じていき元の壁に戻っていく。
これは、外部へと出て行くエネルギーが減少している証拠だ。
「ん、これならあと10分程度で吸い出すことができるかな…?」
そんな風に、ユウキがのんきな言葉を吐いた時だ。
べちゃり
ふいに、壁の向こうからそんな音がした。
気がつけば半分以下に減った穴の先に広い空間が見えている。
…正直、なぜ俺は穴の奥の空間に気づかなかったのか。
そこは、白く、四角い、無機質な部屋だった。
その床に何かが落ちていて、黒と赤と茶色の混じったそれは、
じわじわと広がりそのまま床へと吸い込まれていく。
その時、ユウキが声をあげた。
「おい、目盛りを見ろ!いつもの倍は吸い込んでいるぞ!」
それを聞いて、俺はとっさに缶を見る。
目盛りはぐんぐんと上昇し、今にも満タンになりそうな勢いだ。
「ち、いったん機械を止めないと…。」
そう言って、ユウキがメーターを徐々に下げていく。
「ぼさっとしてるなよ!
交換のタイミングを間違えると圧縮していた分のエネルギーが漏れ出す。
その前に蓋をして次の缶をすぐに用意しろ!」
そうしなかったらどうなるか。
俺は何人かの修理師が失敗したときの話を思い出し、慌てて次の用意をする。
…だが、缶を取ろうと工具箱に手をかざしたとき、
俺は小さく、ひんやりとした手に触れた。
『へぇー、これで壁をきれいにできるんだぁ』
気がつけば、少女が…左半身だけの制服を着た少女が、
俺の工具箱の中のパテ入りチューブをいじくって、にこりと笑った。
『これ、もらっていーい?』
「…嘘だろ?もう『空間化』がはじまってる…。」
ユウキのその言葉に、俺は慌てて機械に接続している缶を見た。
しかし目盛りはぎりぎりながら、まだ満タンを越えていない。
だが、エネルギーは漏れている。
壁が、床が、沸騰した水のようにボコボコと泡立ち、
無数の穴が出現し、消えていき、俺たちのいる場所、階段下の空間が
どこまでいくかもわからないほどに、長く、長く、引き伸ばされていき…
『空間化』
濃い密度のエネルギーが穴から大量に吹き出し、
周囲の空間もろともブラックホールのように引きずり込む現象。
つまり、俺たちがさっきまで見ていた穴向こうの空間と
この場所は、もはや同化した空間内にあるということであり…
『すごい、すごーい、いっぱい作れたよお。』
気が付くと、そこは真っ白な部屋の中だった。
パーティー会場ほどはある広い部屋の中。
壁際の床には大量の白いパソコンが雑然と積まれ、画面には
わけのわからない言葉がずらずらとスクロールされていく。
…その壁という壁から、俺の工具箱からかすめとられた
チューブ…いや、それを持った腕が生えていた。
ざわざわと、まるでススキの穂のように腕が揺れ、
部屋の中いっぱいに少女の声が楽しそうに響き渡る。
『お兄ちゃんたち、ありがとう。これで壁をきれいにするね、だから…。』
その瞬間、天井に穴が開き、キキーッドンっという激しい衝突音とともに
べちゃりと赤黒いものが床に落ちた。
『…今回は、殺さないことにしておくよ。』
そんな声と共に、俺たちは床から生えた腕のひとつにグイっとつかまれ…
気が付けば、俺たちは駅の構内の売店の近くポスターの前にたたずんでいた。
「…ああ、見つけた。そんなところにいたのか。」
やってきたのは駅長の長渕で、その顔はどこか安堵しているように見えた。
「ありがとう、急に穴が消えてね。今まで残っていた跡もこのとおりで…。」
そういうと駅長はポスターをめくってみせ、シミ一つないきれいな壁を見せた。
「あんたらのおかげだろ? さすがプロだな。」
そういうと、嬉しそうに壁をなでてみせ、
駅長はそのままユウキに請求書についての細かい注意事項の説明をはじめる。
ユウキは多少パニックに陥っているように見えたが、
すぐに落ち着きを取り戻し、急いで交渉を済ませた。
そうして、満足した様子の駅長の背中を見送った後。ユウキは俺の方を向く。
「…今日あった女の子のことは誰にも言うなよ?
あれはエネルギーのカスみたいなものだから。
ともかく、壁がふさがっていればいいんだから。」
その言葉に、俺は黙ってコクコクとうなずいた。
もちろん、このことを誰かに話す気はさらさない
…しかし、気になることもある。
彼女は、なんの目的でこの駅にいるのか。
なぜ、わざわざ穴をふさいでまでここに留まろうとするのか。
それを見透かすようにユウキは言った。
「…あの都市伝説には続きがあってさ、殺したいほどに探しているそうだ。
自分を押した犯人を。だから、年に数人ほどこの駅では男性が行方不明に
なっているんだってさ…。」
そうして、ユウキは駅の改札口を見る。
つられて俺もそちらのほうを向き…顔をこわばらせた。
そこに赤いワンピースの少女がいた。
スクール鞄を持つ、制服姿の長い髪の少女。
そうして彼女は左半身を出していた柱からゆらりと離れると、
歪な縦半分の体で、遊ぶような足取りで、エスカレーターに乗り込むと、
そのまま駅のホームへと降りて行った…
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