序章 幕間

「まったく、こんな朝早くから何事だ」


 そうぼやきながら木から木へと跳び移っているの、薄い金髪の女性で、肩までの髪を襟足でくくって一つにまとめている。

 来ている服装も非常に軽い物であり、半袖のシャツに上からチェスターコート、下は短パンで膝下まである長いブーツを履いている。


「こっちは長い任務から返ってこられて、ようやく休めると思ったのに…」


 彼女は長い任務がようやく終わり、家に戻ってからの久しぶりの休日を過ごす予定だったのだ。

 しかし、早朝からの急な呼び出しを受けてしまったことで、休日の予定は全てキャンセルとなってしまい、少々虫の居所が悪い。


 呼び出された場所は一応の山道はあるのだが、あまりにも曲がりくねっているせいで、呼び出された場所へ到着するのに時間が掛かってしまう。

 連絡は緊急のものだったので、いち早く向かうためには山道を行くのではなく、目的の場所まで山の中を突っ切っていくというモノだった。


 不思議な気配がした為に木の下を見ると、猪のような外見の魔物が暴れている光景が目に入る。

 六つの目に青い鶏冠の付いた化け物のような猪で、最近住民から苦情が上がっていると昨日聞いた気がする。


「…またか。これで何匹目だ?」


 ため息をつくとともにその魔獣へと狙いを定め、固めた拳には眩い閃光がバチバチと火花を散らす。

 木の上から魔物の方へと落下するその女性は、一定の高さまで落ちると姿が消える。

 瞬間──バリバリと落雷のような轟音が鳴り響いた。


「よし、これで良いだろう。さっさと向かうとしよう」


 再び彼女の姿が消える。その後に残るのは、黒焦げになった魔獣だけが残っていた。


 ◇◇◇


「遅れてしまい申し訳ありません。トール・シンヴェール、現着しました」


「さっすが早いね♪ 待ってたヨ」


 人だかりのできている場所に顔を出すと、トールと呼ばれた女性を呼び出したであろう一人の少女が歩み寄ってきた。


 その少女は身の丈ほどまで伸びた長い紫色の髪をしており、眼と眼の間から流した長い前髪は右肩の辺りで後ろの髪と合流し、丸い耳飾りでまとめられている。


 服装も非常なラフで、肩の出ている白のトップスに黒のインナー。下はトールと同じような短めの短パンと厚底のサンダルを履いている。


「ソルドール様。こんな朝早くから何事ですか? それもこんな『遺跡』に呼び出しだなんて…」


「んー、なんとなく分かってると思うんだけド? ホントに知らナイ?」


「いや、分かりませんよ。連絡でも早く来てとしか言われてませんし、それに『イヨの遺跡』なんて普段は全く近づかない場所じゃないですか」


「まぁ、トールちゃんの言い分も分かるけどネ。でも封印が解かれた、なんて聞いたら来ない訳にはいかないじゃない?」


「…何ですって?」


 笑顔で突当てられあ情報に、トールは戦慄の表情を浮かべる。


「この遺跡の封印がですか? あり得ない。魔導士総出で取り掛かっても、数十層に張られた結界を破れなかったというのに。一応聞きますが、どれだけ破られたんですか?」


「うん、全部♪」


「ぜ……!?」


 伝えられた情報に驚いたあまり、声が出せない。

 一方、ソルドールの方は何でもないかのようにあっさりとした対応で、淡々とトールへと説明を開始していた。


「あの結界、どうやら内に人工魔獣が居たみたいで、そいつらがわらわらと出て来てるんダ。なのデ、神将たちが総出で掃討にあたってる最中なんだよネ~」


「…どうりで一人残らず呼び立てられる訳だ。それほどの一大事なら、おちおち寝ても居られない」


「まぁ、でも割る事ばっかりじゃないんだヨ? ずっと長い間、何もできなかった遺跡を調べることが出来るようになるんだカラ。」


「ですが今は戦争も終わりました。今更調査できるようになったところで、何か成果が上がるとは思えないんですが」


「それはそれ、これはこれ。何も知らないのと知ってるじゃ話も変わってくるカラ、少しでも分かることはやらなくちゃネ」


 トールの前を歩く少女はやれやれとため息を吐きながら、大勢の魔族たちが集まっている場所へと潜っていく。

 その後ろを付いていき、案内されたのはこの辺りの地図とその上に置かれたいくつかの駒。


「トールちゃんには筋肉と合流してここから一番遠い場所の掃討にあたって欲しいんダ。」


「総隊長とですか? あの方ならば一人でも問題ないと思われるのですが…。むしろ私が居ては足手まといになるのでは?」


「んー、本人もそう思ってたみたいなんだけど…ルルッスウィルスが17体程で来たみたいで…」


「山削りが!?」


「うん。単純に蹴散らすだけなら可能だって言ってるケド、どうやら時間が掛かるみたいで…。周囲への影響を考えると、もう少し早く終わらせたいからサ! …お願いッ!」


 トールの胸の高さぐらいしかない上司が手を合わせてお願いしてくる。

 本人の容姿と口調のせいもあってか、頼みこむ姿はどうにも子供っぽうく見えてしまい反応に困ってしまう。

 断る事なんかしないというのに、独特なソルドールの雰囲気に戸惑ってしまった。


「あ、頭を上げてください! 別に断る事なんてしませんから。…トール・シンヴェール指令を確認。これより総長と合流後、掃討にあたります」


「うん! ありがと! 武器…は要らないみたいだけど、ある程度の物資なら向こうに置いてあるから、適当に持ってってくれていいカラ」


「了解しました。では──」


「ソルドール様! 失礼します! 急ぎご報告しなければいけない事が…これはトール様! 遠征お疲れ様でした」


 トールとソルドールの間に割り込んできた一人の獣人の騎士は、ソルドールの隣に居るトールを見つけると、姿勢を正して一礼をしてくる。


「私の事はいい。何か報告があるんだろう、まずはそっちを優先させろ」


「あっ、はい。ご報告しなければいけないのは、遺跡の奥から生体反応が検知されました件です」


「ん? それは四方に散らばった魔獣と同じでショ? 何を今さら報告することじゃ…」


「それが…探知によりますと階級が『天帝』を示してるんです」


 獣人の騎士の報告を聞いたソルドールの表情から一切の余裕が消える。


「故障とか、異常とかでもなく?」


「はい。何度確認しても同じ結果に。にわかには信じられませんが、まず間違いないかと」


「それは…困ったね」


 獣人の報告に考え込むソルドールは、手元に置かれた地図を見ながら何かを考え込むように眉根を寄せる。


「ソルドール様、私もこちらに残った方が良いのでは?」


「んー、でもそれだと筋肉の方が問題になりそうなんだよネ。流石にあの筋肉でも17も出て来られるとさすがにね~」


「…神后、天帝、皇后、皇帝、王、王妃の上から二つ目の階級ですよ。ソルドール様を始めとする神将の方々が一対一で倒しきれる階級は皇帝までが一般的です。私一人が居て何か変わる訳ではありませんが、居ない方よりもいた方が良いと思われるのですが…どうでしょうか?」


 トールの提案に難しそうな表情を浮かべながら、報告に来た騎士へと問いかける。


「相手の規模や速度とか分かる?」


「はい。纏うエアを見た所、大きさは大体人間一人分かと。あと移動速度は非常に遅く、今から準備すれば問題なく間に合うかと思われます」


「…そっか。とりあえず戦える者全員にしたくするように言って貰っていい?」


「はっ! 了解しました!」


 ソルドールの指示に頭を下げた騎士は、そのまま二人の前から姿を消した。

 二人が残された後、腕を組んで悩んだかと思えば、トールに向かって可愛らしく舌を出して首を傾げる。


「それと、トールちゃんにはやっぱりここに居てもらっていい?」


「分かりました」


「ごめん、ありがとネ」


 そう言うと地図の方へと向き直り、配置された駒を動かし始める。


「私が言うのも何ですが、総隊長はどうしますか?」


「グリムとロベルトの二人を送るヨ。トールちゃんと比べると時間が掛かりそうだけど、相手がルルッス・ウィルスならあの二人の方が筋肉と相性もいいだろうし。」


「確かに、あの二人ならそうですね」


 地図が広げられている机の反対側に設置された、薄いピンクに輝く石が埋め込まれた機械へと近寄る。

 その手前に置かれていた通信用の受話器を掴むと、口元に当てて真面目な調子で話し始める。


『グリムとロベルトは今すぐ筋肉の所に行って。北上した先のネルの後ろを行ったら早く着くはずだから。よろしくネ~』


 ソルドールの持つ受話器から何かしらの返答をしているのだろう。『ちょっと何を急に…』と、何やら聞こえていたが、ソルドールは何の躊躇いもなく一方的に連絡を切ってしまった。


「お待チ! さぁ、行くとしますカ!」


 あの二人も大変だなと、心の中でそっと手を合わせた。


 ◇◇◇


「狙撃班は入り口を囲むように円形に広がり待機!防御班を正面に置いテ、入り口の左右に攻撃班は構えなさイ。魔撃班は────」


 テキパキと命令して次々に配置を完了していくその姿は、いつもの姿と違いすぎて付いていけない事がある。

 何度も言っているようだが実際に違いすぎるし、今でも少し付いていけていないのだが、ネル様姉さん曰く『これはこれで面白い』と笑い飛ばしていた。


 常軌を逸した方々には共通の認識が存在しているようなのだが、残念ながら私はまだその領域に辿りついていないらしい。


 そんな様子を眺めながら、手持ちの武器を確認する。

 つい先ほどまで使用していたから問題はないだろうが、いざという時のために確認は怠れない。


 トールが使う武器は特殊仕様の剣で替えのきかない一品ものであり、修理や改造が出来る人物は限られている。別に他の武器が仕えないわけではないが、対する相手は天帝階級の怪物だ。

 少しの油断が容易に命取りにがるのは常だが、何よりここまでの階級になれば神将が総出でかかっても勝てるかどうかは分からない。


 何があってもいいようにと念入りに確認を済ませたところに、部隊の配置が完了したソルドールが駆け足で近づいてきた。


「ヤー、ごめんネ? 待たせちゃっテ」


「問題ありません。それで、私はどうします? 正面に立てというなら立ちますが…」


「んー、それもいいケド、機動力のあるトールちゃんには中距離をお願いしたいかな? ホラ、私って補助するのには向かない戦い方だカラ」


「確かにそうですね。了解しました」


 ソルドール様の闘い方は加減という言葉を知らないらしく、正面で戦っている私ごと叩かれては面目どころか目も当てられない。


「目標の到着までそんなに無いカラ、そろそろ持ち場に行こうカ?」


 互いに頷いて持ち場に向かう。そして指定された場所へ到着すると同時に、手にした薄いピンク色の鉱石である通信機からソルドールの声が聞こえてきた。


【総員、構えて!!】


 その掛け声とともに一斉にすべての部隊が各々の構えをとる。

 ある場所では弓を構え、また違う場所では背後に様々な色の魔法陣が浮かび上がっている。

 ソルドールの背後には盾を構えた騎士隊が後方支援の面々を守るように並んでいるので、基本的に戦うのは私とソルドール様の二人だけだろう。


 緊迫した空気を静寂が支配する。


 吹く風の音が木々を揺らす音だけが鳴り響き、あれやこれやといろいろ考えていると、正面に見えるソルドールがこちらに向かって手を振っている姿がみえる。

 そしてその姿を見つけると同時に、手元の通信機から再び声が聞こえてきた。


【ちょっと来てもらっていい? すぐに。】


 此方の返事も聞かずに通信は終わってしまった。話を聞かないのは変わらずだが、聞こえてきた声には僅かばかりの戸惑いが見えたようにも思う。

 一体何が起きたのだろうと、すぐさま跳んでいった。


 ◇◇◇


 薄く長く息を吐く。滅多に現れない強敵が相手だと、久しぶりに緊張もする。ましてやそれが、こちらが敗北する可能性も充分に考えれれるだけの敵とあらば尚更だ。


 握りしめた右の拳は腰の位置に、右足を下げて突き出した左手は開いて相手へと向ける。イメージとしては、空手家がするような構えが分かりやすいだろう。


 入り口を見つめると、暗い奥の方から足を引きずるようにして歩いてくる人型の何かの姿が捉えられる。


 ───いよいよだ。


 出てきた瞬間、姿が変わるのか、はたまた周囲を無条件に破壊でもするのだろうか。

 あらゆる可能性を考慮する。何をするのか想像できないのが『天帝』階級の特徴だからだ。


 何が来てもいいようにあらゆる可能性を考えて神経を張り巡らす。

 しかし、実際に目にした光景はソルドールのあらゆる可能性にも該当しないものだった。


「…え?」


 遺跡から現れたソレは銀色の髪に紅い目をしている男で、全体的に黒で統一された服を着ている。

 何より、姿かたちよりも一番驚いたのが、その男がすでに満身創痍であったことだ。


 折れた片腕に全身血まみれの姿。虚ろの目はこちらを認識している風でもなく、重い体を引きずるように歩いていた。


 一瞬、意表を突かれた。ハッと我に返った瞬間、なんて愚かなことをしてしまったのかと自分を恥じる。僅かな油断が命取りになるといったばかりなのに。


「…そ、と? やっ…と……出て━━」


 その男は何かを呟くと、ユラリと体を動かした。それを見て攻撃に移ろうと身構えて足に力を入れるが、またしても予想外の行動に動きが止まってしまう。


「…へ?」


 その男は膝から崩れ落ちるように地面へと倒れたのだ。


 その後何をするともなく、ただその男は倒れたまま動く気配が無かった。警戒しながら近づいて小石を投げたり、軽くつついたりもしたが全く動く気配が感じられない。


 一目見た感想は『よく分からない』だ。

 目の前で倒れたこの男は欠片も見たことがなく、よくよく見て見るとその姿はまるで『人間』のように見えた。


 トールの方向に向かって手を振って通信機へと声を掛けると、バチッ、という音と共にトールが姿を現した。


「…これは?」


「さぁ? たった今これが出てきて倒れたんだケド、見たことあル?」


「いえ全く。…それと気のせいかもしれませんが、人間のように見えるのですが…? 私の考えすぎでしょうか」


「これたぶん、…本物の人間だと思う。見た目もそうだけど、エアの反応も全く無いカラ」


「ならばここで処理します──」


 そういって剣を振りかぶるトールをソルドールは制止する。


「…何をなさるのですか?」


「今はダメ。王に判断を仰ごう。私たちで裁いていい物じゃないし、この遺跡からの初めての生還者だヨ? 何か聞けるかもしれないからサ!」


「ですが!」


「ダメ」


 トールを見上げるソルドールの纏う闘気がユラリと立ち上がる。

 それは気配で感じるのではなく、相対する敵に対してハッキリと視界に写る。


 不意に発せられた短い言葉に込められた圧に、思わずトールはたじろいでしまった。


「何度言ってもダメ。医療班を呼んできて、ここで死なせる訳にはいかないヨ」


 その指示に従いたくないという思いはひしひしと伝わってくるが、事態が事態なだけにここで勝手に裁いていい類ではない。


「お願いネ♪」


 多少の威圧を込めてしまったから、少しでも和んでもらおうと思ったけど、トールちゃんが相手なら杞憂だったみたいだ。

 その証拠に、微塵も動揺した雰囲気も無く、静かに武器をしまっていた。


「…了解しました」


 そしてまた、バチッという音と共に姿が消える。

 周囲には囲う様に部隊が編成されているが、ここで何が起きたか遠目では分からないだろうし、何よりもあまり話を広げない方が良いかもしれない。


 そして今一度、眼の前で倒れる人間の姿を見て息を呑む。


「そんな…本当に……?」


 戸惑いを隠せないつぶやきは、誰に聞かれることもなく空に溶けて消え去った。

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全てが新しい異世界で @ookami1192

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