青空ひとりきり
午前10時。
石巻の市街は涼やかな晩夏を迎えていた。
町並みを歩く。子供たちが笑いながら走っている。おばあさんの押す荷車が重そうだ。マンガロードを旅客と思しき中年団体が賑やかに進んでいた。
何か感慨めいたものが浮かんでくるかと思ったが、何も無かった。
もう多くの人が普通の生活を営んでいる。
もちろん軌道に乗ることができなかった人も少なくないことは知っている。それでも町並みは穏やかだった。これ以上の詮索はただの野次馬根性に過ぎない。
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「おまえさ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないの」
遅めの朝食もしくは早めの昼食をとりながら、三吉に帰宅を促した。
全国展開しているハンバーガーショップは、全国どこでも同じ味を提供してくれる。朝食に旅情は必要なし、というのがおれのスタンスだ。
「そうですね。今日帰って、現実に戻ります。土屋さんは?」
「多賀城跡をゆっくり見たいので、明日帰る。あそこの芝生に寝転がって空見て、周辺を散歩するのが、実はこの旅行の裏目的」
「多賀城跡って、あのなんにもない、だだっ広い高台ですよね。写真で見ましたけど。あれ見てどうするんですか」
歴史というものに興味があり、ロマンを感じる人間がいる。それがおれである。特に奥州藤原氏が平泉に黄金楽土を築き上げた平安時代にそそられる。
また、歴史に全く興味がなく退屈なものだという人間もいる。それが三吉である。義務教育の段階で歴史はお腹いっぱいになった、筋金入りの理系人間である。
説教したいとはたまに思うが、ここの価値観に対してはめんどくさいので平行線のままでいい。
「何か楽しいんですか。広いとこ好きって、結構バカっぽいですけど」
平行線をまたいで攻撃してくるやつも、たまにいる。
「いいから帰れ。おれは三陸自動車道の多賀城まで行くから。お前は適当に東北自動車道で帰れ。ハウス」
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三陸自動車道を40km走り、多賀城の出口が見えてきた。
長い間使っていたような気もするインカムで三吉に話しかける。
「じゃあここで。一応礼を言っとく」
「どういたしまして。インカムは預けておきます」
「了解。気をつけて」
左車線に入って減速を始めたおれのグラストラッカーを、三吉のVMAXが追い越す瞬間。
おれは右手で、三吉は左手で一瞬だけピースサインを交換した。「ヤエー」と呼ばれる、バイク乗りの安全祈願のおまじないだ。あっという間にVMAXは小さくなっていった。
いいよなあ、大型二輪。今の家には置く場所すらないもんなあ。
多賀城跡には駐車場があるので、この上なくアクセスが良い。それほど混み合う気配もない。確かに興味がない人から見れば、ところどころに石が並べられた、ただの高台にしか見えない。逢引か違法薬物の取引以外でこの場所に大切な用事がある人間は、何世紀か現れていないのではないだろうか。
少し歩いて芝生に立ち入り、寝転がった。目に染みるような青空が広がっている。少しだけ秋の匂いが混じった風が、木々や草木を撫でていた。他には誰もいない。歴史的な政庁跡を独り占めだ。
どうせならとことん堪能しようと、スマートフォンで「レイト・フォー・ザ・スカイ」をかけた。約半世紀前に録音された物憂げな歌声が、千年を越える大昔に栄華を誇った東北の遺跡に小さく響く。目を閉じて耳をすませた。
場違いだった。超浮いていた。イカの握り寿司をココアで流すような居心地の悪さ。
ジャクソン・ブラウンもこの場所で聴かれることは望んでいまい。
身を起こして周囲を見渡す。
なにもない。誰もいない。土台の石しか残っていない。時間が積み重なるとその重さで記憶は潰れていく。いいことなのか悪いことなのかは分からないが、ずっと残り続けるというのも不自然で恐ろしい。これはこれであるべき姿なのだ。
今日は多賀城で泊まって、明日の早朝にのんびり帰ろう。カネはないが時間はあるので、この際、高速道路でなくても構わない。南に走っていればいつかは着くのだ。福島で喜多方ラーメンも食べたいし、磐梯山も遠くから眺めたい。
そういえば久しぶりに実家に顔を出さないとまずい気もする。事務所からそれほど離れているわけではないが、入院だなんだでしばらく行っていない。
お土産を買っていけば母は怒らずにいるだろうか。
そんなことを考えながら、おれはグラストラッカーのイグニッションキーを捻ったのだった。
知命のバイク乗り、東北へ走る 桑原賢五郎丸 @coffee_oic
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