最終話「それぞれの向かう道」

──ブワァァァァ──────!

 闇が払われた。

「なに?」

 驚いた目をしたイーヴルがいた。

 彼の目の前には厳しい目をしたクリフが立っている。

「ぼくの前から消えてください」

 クリフは手をかざした。

──カァァァァァ──────!

 白っぽく輝く緑の光線が放たれた。

「ウォォォォォォォ──────!」

 ものすごい咆哮だ。

 彼のその儚げな身体のどこにそんな力が隠されていたのだろう。

 だが、イーヴルの身体は白緑の光にどんどん包まれていく。

「おまえの、たったひとりの父である私を消そうというのかぁ───なんということだ、なんという……………………」

 イーヴルの姿は見えなくなり、声も遠のいていった。

 そして、クリフの放った光は途絶え、あたりは何事もなかったように静まり返った。

 草が土が石ころが、太陽の光を受けているだけで何も残されていない。

 イーヴルは自らが消し去った炎神ディーズのように、跡形もなく消え去ってしまったのだ。

「クリフ!」

 ドランだった。

 いつのまにか彼はクリフの近くにやって来ていた。

「ドラン!」

 クリフはドランに抱きついた。

「おいおい……」

 少し顔を赤くさせ、ドランはされるがままになっていた。

「…ったく、しょーがねーなあ」

「ドラン、ドラン……」

 クリフは幼い子供のように───実際子供なのだが───いつまでも友に抱きついていた。




 そして───

「すごい、すごい、すっごぉ───いっ」

 夢で語られたことをみんなに話して聞かせたクリフに、リリスは尊敬のまなざしを向けた。

 彼らはあのフレイアの花のそばに座っていた。

 みんな疲れ切っていたが、異様なまでに興奮している。

 そんな彼らの熱気を冷ますかのように、涼やかな風が身体の間を通り抜けていき、フレイアの赤い花を揺らしていく。

「大地の神だなんて……すごすぎるぅ」

 何に対して祈っているのか、顔の前で指を組んで見せるリリス。

 すっかり彼女はクリフに心酔してしまっている。

「でもぼくは、果して神になる資格があるのだろうか……」

 クリフはぽつりと呟いた。

「クリフ……」

 その苦悩する姿を見て、ジュリーがやさしく肩に手をやった。

 クリフは苦々しげに続ける。

「ぼくの母は善神だけど、父はあの邪神イーヴルだ。ぼくもいつか父のように狂気にかられ、邪神となってしまうかもしれない」

「クリフ、そんなことを考えるんじゃない」

「ジュリーさん」

 クリフはジュリーの声に顔を上げた。

 ジュリーのブルーの目が、優しく彼を見つめている。

「確かにきみをこの世に生み出したのは善神と邪神かもしれない。だが忘れるな。きみを十年のあいだ慈しみ育ててくれたのは誰かということを。大海に浮かぶ小さな島できみをずっと待ちつづけているやさしい人間の両親をね」

「父さん、母さん……」

 クリフは目を閉じ、たくましい父の顔、優しい母の顔を思い出した。

 厳しかったが、いつも正しいことを教えてくれた父。

 いつもぼくを優しいまなざしで見つめてくれた母。

「そうだね」

 クリフは目を開けた。

「ジュリーさんの言うとおりだ。ぼくの父と母は、ぼくを今まで育ててくれた人たちだけだ。そして、ぼくはこれからもっといろんなことを知って、この世界をより良く導く人となり、父や母、そしてみんなを護る神となろう。そのための第一歩として、東への旅を続けようと思う」

「えらいっ!」

 クリフの言葉にドランが感動して叫んだ。

「おいら、まえっからスゲー奴って思ってたけど、クリフは生まれるべくして生まれた正真正銘の神さまだって思うぜ」

 ドランはやたらと興奮して腕をぶんぶんさせている。

「おいら、決めた!」

 そして、決心したように彼は真剣な顔をクリフに向けた。

「クリフ、おいら、スレンダさまのとこに帰るよ」

「え…? スレンダさまって……?」

 クリフは不思議そうにドランの目を見つめた。

「ええっ!」

 すると、リリスとリリンがその名前に過剰に反応した。

 リリンがおそるおそる聞く。

「それって竜神スレンダ……のこと…?」

「その通り」

 ドランは彼女にニヤッとして見せると、額に手をやった。

 銀のセルクルが日の光を受けてキラリと輝く。

「おいらはドラゴンの末裔……」

──カチッ……

 小気味よい音とともにセルクルが外れた。

 そのとたん、ゆらりとドランの小さな身体が揺れ、みるみるうちに変容していく。

──キュイィィィィ──────ン!

 甲高い咆哮を上げ、体長二メートルにも満たない、ごく小さな竜が現れた。

 だが、小さいながらも頭からは二本の角が生えており、手足の先にも立派な鋭い爪が伸びている。

 鼻面は多少なりとも長く、目は人間の姿であったときと同じく茶色だった。

 ただ、凶暴な感じはなく、大きな瞳には愛嬌さが容易に見て取れる。

 それでもやはり、立派な竜の子である。

 背中にはまだ未熟ではあるが羽が生えており、この竜が自由に空を飛ぶことを証明していた。

「まだ生き残っていたんだ……」

 なかば茫然として、ジュリーは竜へと変身したドランを見つめた。

「ドラン……」

 クリフもジュリーと同じく、びっくりした表情でドランを見ていた。

「黙っててごめんな、クリフ」

 多少くぐもってはいたが、ドランの声である。

 人の恰好ではなくとも人語を喋ることはできるらしい。

「おいら、まだ物心つかないとき、風神に見つけてもらったんだ」

「ええっ、カスタムさまに?」

 リリスが叫んだ。

 それにうなずいてドランは続ける。

「風神はおいらをスレンダさまのとこに連れてってくれた。でも、どこで見つけたのかは教えてくれなかったそうなんだ。聞く前に風神は死んじゃったからな」

「…………」

 それを聞いてリリスとリリンは悲しそうな顔をした。

 すると───

「スレンダさまは邪神なんかじゃねえ!」

 ドランは吠えた。

「とってもおいらに優しくしてくれたぜ。クリフだって絶対すきになる。なあ、信じてくれるだろ?」

 鼻面をクリフに向けてドランは言った。

 そんな彼にクリフはにっこり笑ってみせた。

「信じるよ、ドラン。きみを見れば、そのスレンダさんがどんなにいい人かわかるよ」

「ありがとう、クリフ」

 ドランも笑ったようだった。

 牙をむきだしているので、どう見ても怒っているようにしか見えなかったが。

「おいら、ぜったいどっかにおいらを生んでくれた大人のドラゴンがいるって思った。スレンダさまはとてもよくしてくれたけど、おいら、やっぱり肉親が誰かを知りたかったんだ、クリフのようにな。だから、わがままだとは思ったけど、家族を探す旅に行かせてもらったんだ」

 そう言うドランの足もとに銀のセルクルが転がっていた。

 ドランは器用にその輪っかを爪で拾い上げると自分の角にひっかけた。

「大人のドラゴンは好きな生物に変身する能力があるらしいんだけど、おいらにはまだそんなスゲー能力はない。このセルクルは、まだ人間に変身することのできないおいらのために、スレンダさまが貸してくださったアイテムだったんだ。昔、地神ラスカルさまに頂いた物だったんだって」

 ドランの口からは次々と驚くことが喋られていた。

 それをみんなは目を丸くして聞いている。

「たいしたもんだ」

 ようやく我に返ったジュリーが言った。

「竜族はいわば神と同じ存在。ドラン、おまえもクリフ同様、神さまだったんだなあ」

 感心したようにやたらとうなずく。

「ふん、おっさん。そういうあんただって、ひとくせもふたくせもありそうな人間じゃんか。案外あんたも神の一員なんじゃねーの」

 やはりドランである。

 ジュリーに対してはまったく態度を変えるつもりはないらしい。

「残念でした」

 だが、ジュリーは事も無げに言い切る。

「オレは正真正銘、生粋の人間だぜ。生まれも育ちも高貴ときたもんだ」

「高貴だぁ~?」

 すっとんきょうな声でそう言うドランは、知らない者が見たらひっくり返りそうなくらい変だった。

 そのとき!

──ザザザザッ!

 茂みが揺れたかと思うと、次の瞬間、数人の男たちが現れた。

 彼らはジュリーの前にひざまずく。

 男たちは、この暑い地方にはまったく不適応な黒装束姿である。

 だが、一番異様なのは───

「お迎えに上がりました、アンドリュシアンテクニスマレネス・ドードリアスカタヘルナさま」

「その名前はオレの前では禁物だと言ってあるだろう、ムスターファ」

 びっくりするクリフたちとは裏腹に、ジュリーはごく自然に答えていた。

「ですが、本名でございます」

 尊大な態度のジュリーをものともせずに答えるその男。

 他の男たちはひれ伏して顔が見えなかったが、その男は顔を上げ、片膝をついた恰好でジュリーに相対していた。

 整った顔だち、ぴたりとオールバックにした髪はきちんと束ねられて後ろでなびき、艶やかな黒さを見せている。

 トパーズ色の瞳は眼光が鋭く、まるで豹のような野性味を見せている。

 それだけ見たら、美丈夫ではあるが普通の男だ。

 しかし、明らかに男の見た目は異様だった。

「黒の種族……」

 驚いた表情のまま、リリンが呟いた。

 そう、男は衣服で隠されていない肌が真っ黒だったのだ。

 顔はもちろんのこと、腕や脚などすべてが漆黒なのだ。

「え? 黒の種族って?」

 それを聞いたクリフが聞き返す。

「かつて、それこそ何千年も昔のこと、このアフレシア大陸に絶大なる力で栄えていたニグロリアン帝国という強国があったの。今では私たち植民してきた白い肌の種族がこの大陸を支配している形になっているけれど、私たちが来るまでは、この大陸の住人はすべて炭のように黒い肌をしていたのよ。でも彼らは白の種族に全滅させられた。だから今では黒い肌の人はいないとされている。だけど、ちまたの噂では彼らはどこかに落ち延びて、細々と生きていると言われているの。幻の黒の種族としてね」

「ニグロリアン帝国……」

 クリフはかみしめるように呟いた。

「それでね、私の聞いた話では、ある国にその黒の種族の生き残りと言われている親子が身を寄せていて、そこの王国に仕えているらしいというの……たしかタイガーとかいう名じゃなかったかしら?」

「タイガー親子……」

 リリンの言葉にそう呟くクリフ。

 すると、その彼の横でドランが頭を振った。

「ブルブルブルブルっ……」

 それに、ちらりとも視線を向けない黒い顔の男。

 まるでドラゴンなどそこには存在していないかのように振る舞っている。

 さすがというべきか、すごい闖入者たちである。

 普通の人間なら、幻のドラゴンがいたら驚くことだろう。魔族がいたって驚くものだ。

 それが、ドランを確かに認めているはずなのに、彼らはまったく驚くそぶりを見せていない。

「いったいどういうつもりだ」

 ひざまずき、こちらをじっと見据えている黒い顔の若者に向かってジュリーは言った。

「俺は国を出奔した身だ。国は兄上が継ぐ。俺は関係ないだろう」

「何をお戯れを……そういうわけにはいかないことも、貴方様ならおわかりでしょうに」

 ムスターファという名のこの男は、黒い肌を光らせながら控えめに笑った。

 だが、少しも面白そうな表情ではない。

 それに、ていねいに喋るその言葉尻には、なぜかうちからにじみだす威厳があった。

 威厳というよりも誇りといったほうがよいかもしれない。

「お遊びはここまででございます。わたくしは父ファガット・タイガーの命で貴方様をお迎えに参ったのです」

「やっぱり……」

 それを聞いたリリンがそっとクリフに耳打ちした。

「む……爺か……」

 彼の言葉を聞くと、ジュリーは不機嫌そうに顔を歪めた。

 それはまるでいたずらを見つかった子供のような表情だった。

 そこをすかさずついて、ムスターファが言う。

「ベン皇子が病に倒れられたのです」

「なにぃ? 兄上がっ?」

 ジュリーは考えてもみない事を聞き、仰天して叫んだ。

「ですからアンドリュシアンテクニスマレネス・ドードリアスカタヘルナさま。ジャミー王国にとって一大事でございます。即刻お帰り願います」

「むむむむむ………」

 ジュリーは眉間にしわを寄せた。

 自分の本名を言われたことも気づいていない。

「ジャミー王国ですって……」

 またもやリリンが呟いた。

「ジャミー王国っていったら、あの……」

 リリスも驚いて言う。

「なんですか、リリスさん」

 クリフが聞く。

「この世界で唯一、魔族が恐れる国という異名を持つ王国よ」

 リリスに変わってリリンが言った。

「それほど大きな国ではないけれど、国の四隅に結界塔が建てられていて、四人の結界士がそれぞれの塔を守っているの。そのため、国の内外に人は自由に通り抜けることができるけれど、魔族は絶対に通り抜けることができないようになっている。裕福であるだけでなく防衛面でもどの国にも負けない、とにかく伝説的な国なのよ。しかも黒の種族であるタイガー親子、通称タイガースまで仕えている。まったくすごい国だわ。なんてったって結界を張ることのできる人間を四人も召し抱えてるんですものねえ」

「え……結界士を召し抱えるってそんなにすごいことなんですか?」

 クリフが純粋な疑問をぶつけた。

 リリンは重々しくうなずくと言った。

「普通は魔法士っていうのよ、そういう人たちのことを。結界を張ったり、人の傷や病気を治したりすることのできる治癒魔法を操る人間のことよ。わたしたち魔法剣士の能力は攻撃魔法だけで、治癒魔法や結界魔法は操れないの。だから、一緒にペアを組めば鬼に金棒なんだけど、いかんせん、魔法士はすごく少なくて貴重な存在なのよ。ほとんどの剣士は血眼になって自分とペアを組んでくれる魔法士を探しているわ」

「じゃあ、リリンさんたちもペアがほしいでしょうね」

 クリフは気の毒そうにそう言った。

「それはまあそうだけど……とにかく、ジャミー王国がその貴重な魔法士を四人も召し抱えているっていうのはすごいことなのよ」

「結界だけしか張れない魔法士だがな」

 すると、リリンの言うことを聞いていたのか、ジュリーが彼女にそう言った。

「ジュリー……」

 リリンは複雑な表情を浮かべた。

 ジュリーは彼女のそばにやって来ると言った。

「すまない、リリン」

「ジュリー」

 ふたりは互いに見つめ合った。

「俺はジャミー王国の第二王位継承権を持つ男だ。国は兄上が継ぐのだが、今、彼は病に臥せっている。話に聞くとそれほどの病ではないらしい。だが、たった二人の兄弟だ。俺は兄のことが心配でならん。一度国もとに帰り、様子を見てこようと思う」

「ついていっちゃダメ?」

 リリンは人前もはばからずジュリーに抱きついた。

「リリン……」

 それをしっかり抱きとめるジュリー。

「ムスターファ」

 彼はそのままの恰好で、黒い若者に視線を向けた。

 まるでその様子は、目上の者に伺いをたててるようにも見える。

 すると、そんな彼にムスターファは、表情ひとつ変えず言い切った。

「何をためらうことがありましょう。わたくしは貴方様のしもべでございます。貴方様がなさりたいことに口出しする権限は、わたくしにはございません」

 誰が聞いても完璧な答えである。

 だが、同時に誰が聞いても、この男はただ者ではないと感じさせる何かがあった。

 だが、ジュリーはこれ幸いと、リリンをさらに強く抱きしめて言った。

「俺もおまえから離れられん。リリン、俺と一緒に来るか?」

「ええ!」




「ごめんね、リリス」

 それからしばらく後。

 リリンとリリスは互いに抱き合っていた。

「いいのよ、リリン。ジュリーと幸せになってね」

 リリスはリリンの身体から離れると涙をふいた。

「あたしたちはいつまでも親友よ。ううん、それだけじゃない。本当の姉妹だわ」

 ふたりは再びがっしりと抱き合った。

「リリスとリリンのねーちゃん」

 すると、遠慮なしにドランが割り込んできた。クリフもかたわらにいる。

「おいら、今からスレンダさまのもとへ帰ろうと思うんだ。また、どっかで逢えればいいな」

 ドランはバッサバッサと羽をはばたたかせながら言った。

「そうね、ちっちゃなドラゴンさん」

 リリンがそう言った。

「ちっちゃなはよけいだいっ!」

 そう叫ぶと、ゆっくりとドランは空中に身体を浮かばせた。

「落ちるんじゃないぞ!」

 ジュリーが叫ぶ。

「うるせー!」

 そう叫んだとたん、ドランの身体がぐらりと傾いた。

「うぉっとぉ……」

「はっはっは───それ見たことか」

「…………」

 さすがのドランも、今度は何も言い返さなかった。

「ドラン」

 クリフが顔を上げた。

「また逢えるよね」

 彼の目は泣きそうだった。

「そんな目するなよ。おいらたちはいつまでも親友だぜ。いつでもおまえんとこまで飛んできてやらあ」

 羽をバッサバッサさせてドランは言った。

「うん」

 クリフは健気にもニコッと笑った。

(大地の神と伝説のドラゴン───)

 それを見たリリスは心で呟いた。

 羽をはばたかせ空中を浮遊しているドラゴンと、大地にしっかりと足をすえ、その小さな手を友にさしのべる幼き神───彼女は、この驚くべき光景を見つめながら、めくるめく既知感にとらえられた。

(遠い未来、不思議な色の髪をなびかせた誰よりも優しい神と、雄々しい姿の神獣ドラゴンが生涯の伴侶のように寄り添い、共に世界を導いていくのが視える。世界が終焉を迎えるそのときまで、ずっと仲良く静かに生きていくその光景が………)

 彼女の恍惚とした瞳には、その場面が見えているようだった。

「じゃ、おいらいくわ」

「はっ…」

 突然、ドランの元気な声が聞こえ、リリスは現実に引き戻された。

──バサバサバサ!

「またな、クリフ!」

「ドラァ───ン!」

 手を振るクリフ。

 ドランの身体は青い空に吸い込まれるようにだんだんと空中を上がっていった。

 彼は北を目指して飛んでいく。よろよろとたよりなげに。

「だいじょうぶかねぇ……」

 ジュリーが心配そうにそう言った。

 そう言いながらも、彼は空の彼方に消えていこうとするドランの姿を優しい目で見つめていた。

「そうね……」

 いまだ夢想から覚めやらないリリス。

 ぼんやりとうなずきながら呟いていた。

「だいじょうぶよ、きっと」




 それからしばらくして───

「本当にいいのか?」

 従者たちを後ろに控えさせ、ジュリーはクリフの前に立ってそう言った。

「いいんです。ジュリーさんが持っててください」

 クリフはチゥウカナベ───いや、大地の神器をジュリーに手渡した。

「それはもともと地神ラスカルの物。ぼくが持っていてもしかたないです。ぼくはぼくの神器をいつか造らなきゃならないもの。だからこの炎の神器も……」

 彼はそう言うと、フレイアを死に至らしめた赤い大剣を地面に突き刺した。

「クリフ?」

 ジュリーは驚いて彼を見つめた。

 炎の神器はフレイアの赤い花のかたわらに突き刺された。

 まるでそれは墓標のように震えている。

「これはどんな人が抜こうと思っても抜けません。ぼくが大地にそう頼んでおいたから。もし、いつかここに、誰かこの神器を持つに足る人が現れたら、きっとこの剣は抜けることでしょう。それが神なのか、人間なのか、それとも魔族なのかはわからないけれど、このフレイアさんの赤い花を愛してくれる人にまちがいありません。ぼくはそう信じています」

「そうか……」

 ジュリーは自分の手に握られた大地の神器をじっと見つめた。

 そして、ぼそりと寂しげに呟いた。

「これからは料理なんかできないな」

「それはちがうよ、ジュリーさん」

 慌ててクリフが否定する。

「え?」

 一瞬ポカンとした表情を見せるジュリー。

「ぼく、何となくラスカルさんの気持ちがわかるような気がするんだ。きっと大地の神器がこんな形をしているのも、ナベとして料理に使ってくれることを願っていたんじゃないかな。実際すごく便利だものね、それって。料理全般に向いてるし、雨が降れば雨よけにもなるし、戦いでも使える。ぼく、ラスカルさんのセンスの良さにはかなわないなって思うよ。ぼくにもこんなすごい物が造れるかなあってね」

「大丈夫よ、クリフならもっとすごい物造れるわ」

「リリスさん……」

 クリフの嬉しそうな顔を見つめながら、リリスはにっこり微笑んで言った。

「あたしはどこまでもあんたについていくからね。さあ、出発しましょう。あたしの大事な大地の神さま」




 誰もいなくなった森の一角。

 青く澄みきった空の下、陽射しを浴びて赤く燃えるようなフレイアの花が風にそよそよと揺れている。

 そして、その花にはまるで墓標のように寄りそう炎の色の剣が───

 ひっそりと、ただひっそりと一枚の絵のように、それらはいつまでも静まり返ってそこに存在していた。



             初出2000年12月7日

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大地の神器 谷兼天慈 @nonavias

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