第14話「真実」
「クリフよ、我が息子よ」
リリスたちの会話などまったく聞こえてないかのように、ナァイブティーアスはクリフに語りかける。
「我とともに来ぬか」
「え…?」
突然の申し出にクリフは目をパチクリさせた。
「おまえは正真正銘このナァイブティーアスの息子、たった一人の血を分けた肉親。これから永きに渡って世界を治めていくのだ。ともに助け合い、慈しみあって生きていこう」
彼はにこやかに微笑んでそう言った。
(世界を治める……?)
クリフは何かしら違和感を感じた。
「世界は治めるべきものなんでしょうか」
思わずそう呟いていた。
「…………」
それに対し、金色に輝く人は訝しそうに目を細めた。
だが、クリフは続けて言いつのった。断固とした口ぶりで。
「あなたはいったい誰なんです?」
──ザワザワザワ……
同時に周囲の森がざわめきだした。
それはまるで、木々がささやきあっているようにも聞こえる。
「ぼくはナァイブティーアスという人を実際には知りません。ただ夢で見ただけです。ですが、なぜかあなたを、見たままの人だと信じることができないんです」
「夢に現れたのは私に間違いない。そして、おまえが私の息子だということも」
声のニュアンスが変わった。
相変わらず顔には柔和で人当たりのよい笑顔が浮かんでおり、クリフを見つめる目は優しさに満ちあふれていた。
だが、声に含まれる冷たさがクリフの心に突き刺さる。
「あなたは誰なんですか?」
クリフは同じ質問を繰り返した。
彼とナァイブティーアスの間の空気が張り詰めた。
すると───
「さすがと言うべきなのだろうな」
明らかに彼の声が変化した。
今までは艶があり、張りがあり、みなぎる若々しさが感じ取れるものだった。
だがこの声は───疲れ切っていた。
静かで落ちついた、少しかすれたような声。
しかし、妙な艶めかしさのある不思議な声である。
「ああっ!」
クリフは驚愕した。
見つめる人の姿が、声と同様、変化しようとしていたのだ。
短く刈り込まれていた金の髪が徐々に伸びだし、色も濃くなり黒くなっていく。
ブルーだった瞳もだんだんと変化し、髪の色と同じになり、顔の造形もまったく異なったものに変わっていく───たくましさとは無縁なものへと───
そして───
すっかり様変わりを果たしたその姿は、誰なのか一目瞭然だった。
闇のように黒い髪、そして紫のきらめきを秘めた漆黒の瞳、ほっそりとした顔のつくりは病的に白く、だがそれが、いっそう儚くも壊れやすい美しさを見るものに感じさせていた。
「あ……あなた……は……」
クリフはそれ以上何も言えなかった。
「愛しい我が息子クリフよ」
かすれて弱々しいはずなのに、なぜか腹の底に響く声だった。
「確かにおまえは我の子だ。ナァイブティーアスではなく、この闇の神イーヴルのな」
「闇神イーヴル……この人が……」
クリフはイーヴルに射すくめられ、身体が動かせないでいた。ただ見つめるだけしか。
「あ…あああ……あ……」
それを離れた場所で見つめていたドランは全身を恐怖に震えさせていた。
「あれ…が…あのお方が…イーヴルさま…」
それだけやっと呟く。そしてよろめいた。
「おおっと…」
倒れそうになった彼をジュリーが支えた。
「どうした、ぼうず。邪神の親玉に恐れをなしたか。やっぱりおまえも子供だな」
このようなときにもかかわらず、ジュリーはのほほんと構えている。
「これだからバカだって言われんだよ、人間は……」
「は? 何か言ったか?」
ジュリーはドランの腕をつかみながら、もう一方の手を自分の耳にあてた。
「…………」
ドランはぎろりとにらみつけただけで、何も言い返さなかった。
(だけど、やっぱりスレンダさまの推察どおり、イーヴルさまは復活なさっていたんだ)
ドランは心の中でそう呟きながら、いまだ震えが止まらず自由にならない身体を、ジュリーに預けるしかない自分を呪っていた。
「このお方が…カスタムさまの愛された人、闇を支配するイーヴルさま」
「なんて美しく、気高いオーラを持った人でしょう」
一方、リリスとリリンは畏怖の念をこめて黒い長身の神を見つめていた。
息を飲むリリス。
そして、リリンは賛辞の言葉を忘れずに言った。
「すばらしいわ。招喚されたわけではなく、自力で復活なさっていたとは。やっぱり普通の邪神とは違うわよね」
「クリフよ。我のもとに来い」
イーヴルは再びクリフに問いかけた。
いつまでも答えようとはしない彼に、少し焦れてきているのか、声の調子もだんだんと有無を言わさぬ感じが漂いはじめている。
「ひとつ聞きますが……」
ようやく言葉を発したクリフ。
その声にはまったく感情が感じられない。
「なんであろう?」
逆に、答えるイーヴルの声には明らかに嬉しさがにじみだしている。
「ぼくの母は誰なんですか?」
「…………」
一瞬だまりこむイーヴル。
そこへすかさずたたみかけるように言いつのるクリフ。さきほどまで見せていた様子がうそのようだ。
「ぼくを海に捨てたのは母なんですか。それとも……まさかあなたではありませんよね」
「違う!」
思いのほか強い口調だった。
イーヴルの容姿にまったく不釣り合いだ。
だが、すぐにそれを恥じたのか、またもやもとの静かな物腰に戻った。
「おまえが生まれたことも最初は知らなかった。狂気にかられたおまえの母親が、生まれてすぐのおまえを捨ててしまったのだ。きっと殺したかったにちがいない。だが、できなかった……それで恐らく、あの女はおまえをこの世界に捨てたのだろう」
「どうしてですかっ?」
クリフは叫んだ。聞くものすべての心に深く突き刺さる声だった。
「なぜ母はぼくを殺したかったのですか?」
イーヴルの目がクリフをそれ、遠くを見つめた。まるで遙か昔の思い出に視線を注いでいるかのように。
「おまえの母親はオムニポウテンスの娘のひとり、名をスメイルという」
「善神と邪神が契ったんかっ!」
クリフは声のした方に顔を向けた。
声はドランだった。あまりの驚愕に、彼の顔面は蒼白になっている。
「そうだ」
イーヴルはちらりとドランに視線を投げると、再びクリフに相対した。
「私は邪神戦争のおり、対戦した相手を逆に封印し、そのことを気づかれないために相手になりすましたのだ」
「それが……」
「そう、それがオムニポウテンスの腹心であるナァイブティーアスだったのだ」
「そんな……」
クリフは真っ青になった。
「よく善神オムニポウテンスの目をくらませたよな」
またもやドランの声が。
それに答えるかのようにイーヴルは言った。
「私にとって幸運だったのは、オムニポウテンスが戦いに傷つき、永い眠りについたことだった。この世界のことを私に託し、彼は私の気配さえ感じられぬ場所へと行ってしまった」
「母と……母となんでそんなことに……」
クリフの目に涙が浮かんだ。
「どうして母は狂気にかられたんですか」
「私の正体を知ってしまったからだよ」
事も無げにイーヴルは言った。
「!」
クリフは息をつまらせた。
イーヴルの言い方が、あまりにも冷たかったからだ。
「彼女はナァイブティーアスを愛した。その愛した相手が敵対する者だと知ったら…そして、その憎い相手の子供を身ごもったと知ったら、誰でも狂気にかられることだろう」
「ひどい……」
今度はリリスが呟いた。
するとイーヴルは彼女を一瞥して言った。
「残酷なのはスメイルの方ではないか?」
彼の様子は大いに不服そうだ。
「子供に罪はないはずだ。なぜ私が邪神だからといって子供を、クリフを殺そうとするのだ。私には理解できんことだ」
「殺せなかったってさっき言ったわ」
さらにリリスは言った。
しかし、イーヴルは少し険しい口調で言い返す。
「だが、海に投げ捨てたのだぞ。神の子だからといって、普通の人間だったら必ず死んでしまうだろうと思われる行為だ。これを残酷と言わずとして何と言う」
「母は……母は今どこにいるのですか」
クリフはそんなことはどうでもいいと言わんばかりに、自分の父につめよった。
「逢わせてください」
「それは出来ない」
とたんに目をふせるイーヴル。
「どうしてですか!」
クリフはさらにつめよった。
「すでにこの世にいないからだ」
「なんです…って…?」
考えてもみなかった答えに、クリフは気絶しそうになった。
フラフラと身体をふらつかせると、その場に倒れこんだ。
「クリフ!」
その彼を助け起こそうと、リリスとドランが駆けよった。
ついでにジュリーとリリンも後に続く。
「大丈夫か、クリフ」
「クリフ、しっかりして」
ドランとリリスは、クリフの両脇をかかえると助け起こした。
「う……」
クリフは呻いて目を開けた。
「ドラン、リリス……」
仲間の顔をそこに見つけ、ホッとした表情を浮かべるクリフ。
彼は再びイーヴルに視線を向けた。
「それは…それは死んでしまったということですか」
「そうだ」
なぜか無表情な顔を見せるイーヴル。
それを不審に思い、クリフは言った。
「まさか、あなたが殺したんじゃないですよね」
「………」
問いかけに無言で答えるイーヴル。
だが、じっと答えを待つクリフに、しぶしぶながら語りはじめた。
「彼女は錯乱していた」
「………」
クリフは大きく息を吐いた。
それは予期していたことではなかったか。
「私との言い争いの果て…しかたなく……」
「何が、しかたなくなんですか!」
クリフは怒鳴っていた。
「クリフ……」
その彼を、びっくりした目で見つめるドランたち。
それはそうだろう。知り合ってからこのようなクリフを彼らは見たことがなかったからだ。
「あなたは一度も母を愛したことはないと言うのですか?」
「…………」
クリフの問いにイーヴルは答えない。
彼の黒い瞳は、いったい何を考えているのかわからなかった。
「愛さなかったとは言わせません。善神である母と深くつながれば、それだけ自分の正体を見破られることは誰でもわかることでしょう。それなのに、母とそういう関係になったということは、どこかに母を愛する気持ちがあったということです」
「…………」
イーヴルの目がかすかに大きくなった。信じられないとでもいいたげに。
それに気づかず、クリフは続ける。
「たとえ…たとえどんなに憎くても、愛していたというその気持ちに忠実になれば、殺そうなどと思わないはず……」
「おまえには大人の愛がわかっていない」
クリフの言葉に、重々しいイーヴルの声が重なった。
「愛すれば愛するほど憎しみが増し、相手を殺したいと思う──そういう気持ちがあることを」
「そんな気持ち、わかりたくありません」
クリフは叫んだ。
「ぼくは、あなたとはいたくありません。ぼくの母を殺した人となんかっ!」
クリフのその痛烈な言葉に、イーヴルはかすかに悲しそうな目をした。
だが、すぐに感情を消すと口を開く。
「そうか、それならばしかたない」
恐ろしいまでに冷たい声だった。
「!」
クリフに限らず、そこにいる者すべてが危険を感じた。
「私とともに歩めぬというのなら、おまえも母と同じ運命をたどるしかないな」
「みんな! 逃げて!」
クリフは叫んでドランとリリスを突き飛ばした。
「クリフ!」
次の瞬間、イーヴルの手のひらから闇が放たれた。
「!」
声を上げるまもなく、クリフは闇に包まれた。
「キャァァァァ──────!」
「クリフ──────!」
リリスとドランの叫び声が響きわたった。
闇はすっかりクリフの身体を飲み込んで、ウネウネと蠢いていた。
それはどうやら収縮しようとしているらしかった。クリフをつぶしてしまおうとでもいうように。
「イヤァァァァァ──────!」
リリスの叫び声はいつまでも響いた。
「クリフ……」
誰かが呼んでいる。
「クリフ」
何だろう。なつかしい感じがする。
「こちらだ、クリフ」
「あ……」
鼻をつままれてもわからない真っ暗な闇の中、頭をかかえてうずくまっていたクリフは顔を上げ、じっと闇を見すえた。
何かが見える。
「光……」
それは確かに光だった。
それと同時に、前にもこんなことがあったなと彼は思った。
「そうだ、夢だ」
クリフは呟いた。
そう、ナァイブティーアスの夢を初めて見たときと同じだったのだ。
「クリフ」
クリフを呼ぶ声がする。
光のまたたく方からその声は聞こえた。
「誰ですか?」
クリフは叫んで走りだした。
だが、なかなか思うとおりに早く進めなかった。
まるで水の中を走っているように足が重い。
身体の周りに何かねっとりとした物がからみつき、行く手をさえぎっているようだ。
「クリフ…大地の子よ」
急速に光が近づき、そしてそこには見慣れた人が立っていた。
ナァイブティーアスだった。
「ナァイブティーアスさん?」
「そうだ、大地の子よ」
「大地の子…」
ナァイブティーアスの言葉に不思議そうな顔をするクリフ。
彼は思わず聞く。
「あなたは本当にナァイブティーアスさんですよね」
それにナァイブティーアスはうなずき、静かに喋りだした。
「私は確かにイーヴルを封印しようとして失敗し、逆に封印されている。いつかきみがオムニポウテンスさまにお逢いすることがあれば、どうかこのことを伝えてほしい。そのときまで私は封印の闇の中、待っている。いつの日かここから開放される日を」
「わかりました。絶対解放してあげます」
クリフは力強く言った。
だが、光の人が満足そうにうなずくのを見て、彼は思い出したように弱々しく言葉をつづけた。
「でもぼくは今、イーヴルの闇の魔力に捕らえられています。どうすればいいのでしょうか」
「自分を信じるのだ。確かにきみはまだ成人してはいないが、この世界の自然はすべてきみの味方。きみは、いずれこの世界を導き護るひとり、大地の神となるのだから」
「ぼくが大地の神へ……?」
驚いてクリフが言うと、ナァイブティーアスは微笑みを浮かべてうなずいた。
「自然に語りかけるのだ。大地は必ずきみの心に反応してくれるはず」
「大地に語りかける……」
クリフは目を閉じた。
彼は言われた通り心で語りかけはじめた。
(世界を構成する自然よ。
空よ、森よ、流れる清水よ、
花よ、土よ、愛すべき生き物たちよ。
どうかぼくに力を貸して。
闇を、邪悪な闇を払う力を、
ぼくに与えておくれ……)
そのとたん、クリフは光に包まれた。
彼は自分の身体に、心に、力がみなぎるのを感じた。
なんという強さだろう。
なんという優しさだろう──────
(これが神になるということなのか?)
そして、クリフは力を解放した!
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