第3話「ゴースト」
「探してみればいいじゃんか」
彼はそう言った。
ファーは思い出す。
ついこの間まで、魔法士である自分とパートナーになった魔法剣士のドーラの言葉を。
それからファーはあたりを見回す。
今は魂だけの存在になったファーは自由自在にどこにでも飛んで行けるようになった。
空は青く、白い雲はたなびき、眼下には緑溢れる広大な土地がどこまでも続き、彼はそんな大自然の中空を飛んでいた。
とはいえ、彼の身体はなく、そして魂とはいえ、それも本当にそこに存在しているのかわからない。
ただ、ファーとしての意識がそこにはあるというだけで。
「この、自分という意識もただの幻で、わたしはすでにゴーストと成り果てたのかもしれない」
いや、まさにゴーストだろう。
現に身体に意識がないという時点で。
人間が人間たる意義は、身体に自我が定着しているからだ。
たとえ、身体はまだ存在していても、その身体から意識が離れてしまえば、すなわちそれは「死」であり、もう生きているとはいえない。
もし万が一、離れた意識が身体に戻る事が叶えば、ゴーストになりそこねた出戻り人間となる。
そんなふうに死地から戻ってきた人間も今までにいないわけじゃなかった。
「わたしはたぶんもう戻れない」
あの上級魔族に魂を引きはがされたことはよく覚えている。
しばらくはあの凄惨な場面に自分の魂も留まっていた。
なので、すべての事柄はこの意識がしかと見届けた。
親しくなった魔法剣士のドーラが神格化する人間になるというのも、以前から聞かされていた。
そして、その片鱗も見ることができて満足だった。
そのために自分は生まれてきたのだというのも、心から受け入れることができた。
それがあのドーラのためだと知れたことは本当に望外の栄誉であったことだし。
そうなると、たったひとつだけ未練があるとしたら。
「父と母に会いたい」
彼は目指す。
アクアピークの麓へ。
かの町アクアへ。
その日はファーの魂の見た空と同じくらい晴れた空がアクアの町を見下ろしていた。
メイン・ストリート沿いにある『煙草と煙亭』の前の通りに打ち水をしていたターニャは、ふと空を振り仰いだ。
「…………」
何かを感じ取っている彼女の心中が少々ざわついて、少し動悸を感じていた。
彼女が若い頃に身に着けていた能力は今はすでに持ってはいなかったが、それでも時折り、第六感として働くこともあったのだ。
だが、通りはいつもの通りであり、人々が行き来をしているだけで、何の変哲もないいつもの風景だ。
彼女は頭を振り、店の中に入っていった。
シモラーシャたちがここを旅立ってからまだそんなに経っていなかった。
それを寂しく感じていたターニャであったが、最近では邪神に壊滅させられた魔法の塔の生き残りである子供たちがよくここに訪れるようになった。だから、そんなに寂しく感じることもないのだが、やはり自分の娘とも思っているシモラーシャがいないと思うと、寂しさはまったくなくなるということはない。
それでも子供たちの元気のいい声を聞くのは嬉しいものだ。
だが、さすがに子供たちだけで町へ出るのは教義的に問題だということで、大人がついてくることになっている。
今は以前よりはだいぶ魔法の塔もそれほど厳しいというわけではなかったが、それでも最低限の教えは守ろうとしているようだ。
老師以下、大抵の師範は戦いで失われてしまったので、残っている僅かな師範は立て直しに尽力を捧げねばならず、今まで通りのやり方では無理であると判断し、多少の緩みも良しとせねばならなかったのだ。
今なら、出自に関わらず、誰にでも魔法剣士になるための門戸を開いているのだ。
「おっかみさーん!」
どだだだーっと勢いよく店に入ってきた少年たちが叫ぶ。
年の頃は10歳くらいか、元気な男の子が数人、飛び込んできた。
「おやおやまあまあ、朝から元気なことだねえ」
さっきまで見せていた不安げな表情を引っ込ませ、ターニャはにこにこと満面の笑みで彼らを迎える。
すると、彼らのあとから、少し困り顔で入ってきた少年がいた。
飛び込んできた少年たちより少し年上な風体である。
「おや、今日はハサンが付き添いかい?」
「はい、女将さん」
ハサンと呼ばれた少年は苦笑した。
大人が付き添いであるのが町に下りる条件であるが、いかんせん、今の魔法の塔は大人の存在があまりにも少なすぎて、こんな風に小さい子供たちより少し上であるハサンのような少年が付き添うこともあったのだ。
ターニャは子供たちをテーブルにつかせて飲み物を出しつつ、ハサンに話しかける。
「今日はいい天気だねえ。これからどうするんだい?」
「そうなんですよ、女将さん。この間までは雨続きで外出もままならなかったので、こうやって晴れたことだし、入塔したばかりの子供たちに少し気晴らしをさせてやろうということで、ここら辺の遠足をしようかということで」
「なるほどねえ。じゃあ、そうだ。少し待ってなよ。遠足ときたら弁当だ。あんたたちに弁当作ってやるから、それ持っておいき」
「わーーーーーい!」
子供たちが手を叩いて喜んだ。
「すみません、女将さん」
ハサンが恐縮した。
「なんのなんの、ここ『煙草と煙亭』は、魔法の塔の台所と言っても過言じゃないからねえ。遠慮は無用さ」
すると、女将たちの話が聞こえていたのか、奥の方から何やら支度をする音が聞こえてきだした。
亭主のゴーダが弁当作りを始めたらしい。
それに対してターニャが微笑んでから、ハサンにも笑いかける。
「そういや、故郷の村に里帰りしたんだったね」
「はい」
「おっかさんは元気だったかね」
その言葉にハサンの顔が曇る。
「あまり調子は良くないです…」
「そうなんだね」
ターニャの声も沈んでいる。
「本当はそばにいてあげたい。だから、今回の里帰りで母に魔法剣士になるのを諦めて戻ろうかと思うって言ってみたんですけど」
「反対されたんだろ?」
「え?」
「母親っていうのはそういうもんだよ。子供にそばにいてもらいたいって思っていても、我が子の将来のことを考えると、親である自分のことよりも子供自身の幸せのために尽力したいと思うものなんだ」
「そうなんでしょうか。もともとは母は僕が剣士になるのに反対してたんですよ」
「それはまあそうだろうね」
すると、人数分の弁当を持って厨房から出てきたゴーダが真面目な顔をしつつハサンに言った。
「ワシもこの子らの年と同じ頃に魔法の塔に入塔する時、母親に大反対されたものだ。あんな危険な職業じゃなく、もっと足に地を付けた職業についてくれってな」
ゴーダは弁当を子供たちに配り始めた。まだ食べるんじゃないぞ、昼になってからだぞ、と声をかけながら。
それを眺めつつ、ハサンは頷いた。
「僕も危険だからと母に反対されたんですよね。でも、この間、母は言ってました。今はもう自分自身を信じて、やれるとこまでやりなさいって。母のことは心配しなくていいからって。僕が立派な剣士になって戻ってくるのをずっと待ってるよって。それまでに頑張って元気になるからって。そう言ってたんです」
ハサンは少し涙ぐんでいるようだった。
それを払しょくするためか、無理やり話題を変える。
「そういえば、ゴーダさんも魔法剣士だったんですね。やっぱりご自分の故郷を魔族から守るためになったんですか?」
「ああ、まあ、そうだな」
「やっぱりそうですよね。僕も母の住む故郷の村を守りたいからというのも理由のひとつなんです。というか、村を出る少し前に父を上級魔族に殺されたものでして、本当に身近に魔族は存在するんだなあと危機感を抱いたんですよね」
それを聞き、ターニャが心配そうに表情を曇らせる。
「それは心配だね。今は村には剣士はいないんだろ?」
「はい、そうなんですけど。でも、確かな人達に僕が帰るまで守ってもらっていますから大丈夫なんです」
「確かな人?」
「はい、詳しくは話せないんですけど……」
と、そこまで話した時。
「こんにちはー女将さーん」
のほほんとした声がする。開かれた店の入り口の暖簾から顔を覗かせているのは。
「あらあらまあまあ、これはマリーさんじゃないか」
女将の驚いた声があがる。
そう、そこには琥珀色した髪をなびかせた吟遊詩人のマリーがいたのだ。
「あ、マリーさん」
すると、ハサンもぱっと表情を輝かせた。
「おやおやー? これはこれはハサンくんじゃないかあ」
マリーもにこにこしながら店に入ってきた。
ゆったりとした衣装に身を包んだマリーはいつものように派手な色合いのマントを身にまとい、背中にフィドルを背負っている。
「マリーさんはシモラーシャと一緒じゃなかったっけねえ」
ターニャが首を傾げて言うと、マリーは相変わらずにこにこ顔で答えた。
「そうなんですけどねえ。そのシモラーシャが、女将さんの肉団子が食べたいってうるさくてね、それでこちらに用のあった僕が、ついでに女将さんとこに寄って、肉団子を包んでもらってくると約束したわけでしてね」
「あ、またマント関係で、かね?」
ターニャがニヤニヤしながらそう言うと、いや別にそういうわけでは、と煮え切らない答えを返すマリー。すると。
「そうそう、ハサンくんの村にも行ってきたんですよ」
慌てて話題を変えようとしたマリーの言葉にハサンが疑問を口にする。
「そういえば、母が言ってましたけど、定期的に顔を出しているそうですね。あ、もしかして、あの人たちの動向を監視しに行ってたんですか?」
「へ? ああ、そうそう、まあ、そうとも言えますかねえ。ははは」
その受け答えに少し不審そうな目を向けたハサンだったが、気にせずに続けた。
「彼らはちゃんと仕事しているようですね。本当にびっくりするくらい魔族が襲ってこないと言ってましたよ」
「へ、へええええ。それはそれは、よかった、です…あ、ああ、ゴーダさん、ありがとうございます。それじゃあ、急ぎますんで、このまま行きますね、ターニャさん、ハサンくん。ではでは」
厨房から肉団子の入った持ち帰りの器を受け取ったマリーは慌てて出て行った。
それを不思議な顔をして見送る三人。
そして、その周りを弁当を持って走り回る子供たち。
しばらく、店内はわあわあと騒がしい子供たちの喧騒に包まれているばかりだった。
母さん。
父さん。
そういった情景を魂の姿で見つめているファーがいた。
そう。ファーの両親はこの『煙草と煙亭』のゴーダとターニャだったのだ。
魂だけのファーにとって、もう触れることのできない二人であったが、それでもこうやって動いている二人を見れることは望外の喜びだった。
これでもう思い残すことはない。
これで。
「本当にそうなのか?」
「え?」
その声はどこからともなく聞こえた。
すると、目前がユラリと揺れ、人の形をしたものが形作られた。
それは、少年のような顔立ちをした人物だった。
白っぽい前髪が真ん中から分けられており、すだれのように肩までまっすぐ垂らされて、その額には紅く輝く宝石が飾られている。
ファーは直接見てはいないが、それは魂神マインドだった。
常盤の彼方に旅立ったはずの彼であるのに、まだ現世に留まっているらしい。
「あなたを迎えにきた」
「え」
何の表情も見せずに淡々と話すマインド。
「常盤の彼方に旅立つ前に創造主のもとにあなたを連れて行くことになった」
「創造主?」
どうしてそんなことに。
ファーにはまったくわけがわからなかった。
「詳しくは創造主に聞いて欲しい。だが、その前に、あなたは両親と話したくはないのか。話したければそれを叶えてやることができるが」
「え、いいのですか?」
マインドは静かに頷く。
「お願いします。少しでいいんです。両親と話したい」
その瞬間、ファーの意識がふっと失われ、気づいた時には『煙草と煙亭』の店先に立ちすくんでいた。
彼は恐る恐る開け放たれた入口をまたいで、店の中に入っていく。
「いらっしゃい!」
すると、とたんに威勢のいい声があがる。女将のターニャだ。
顔の造作は母親似らしい。
ファーは無言で立っていた。
それに対して不審そうな目を向けたターニャだったが、ファーの姿をマジマジと見つめてから、その目を驚きで大きく見開かせることとなった。
「……もしかして、あんた、ファーなのかい?」
「………」
こくりと頷くファー。
すると、いきなり抱きしめられる。
「か、母さん……」
ターニャは黙ったままファーを抱き締め続けた。
そして、次の瞬間、厨房に向かって叫んだ。
「あんた、あんた!! ファーだよっ!! あたしらの坊やが帰って来たんだよ!」
「なんだとっ?」
バタバタと音がして、奥からゴーダが駆けてきた。
そして、ファーの姿を見とめるとターニャごと腕を回して抱きしめた。
「息子よ!」
しばらく三人は抱き合っていた。
ターニャとファーは泣いていた。
「父さん、母さん、会いたかった、です」
ぐすんぐすんと鼻をすすりながら情けない声を出すファーをターニャはうんうんと頷きながら頭を撫ぜた。
それから、三人は椅子に座り、ひとしきりこれまでのことを話した。
静かに時は過ぎゆく。
だが、それも長くは続かなかった。
「もしかして、誰か魔法剣士のパートナーになったから里を出れたのかい?」
母の言葉にファーは首をふる。
本当のことを話す時がきていた。
「ドーラさんのことは知っていますね」
「ああ、シモラーシャといつもここに来ていたからね」
「わたしはドーラさんのパートナーになったのですが、魔族との戦いでわたしは命を落としたのです」
「え?」
ターニャとゴーダが異口同音で驚いた顔を見せる。
「厳密にいうと死んだというのとは違うのですが、結局は同じことなのです。わたしはもう人間として生きていくことはできません。ですが、父さんと母さんに会いたい一心でここまできて、魂神……いえ、神様のおかげでこうやって最期の願いを叶えてもらったのです」
「…………」
ファーの両親は押し黙ってしまった。
「生きて一緒に暮らしていたとしても、いずれは子は親の元を旅立っていくものだ」
突然、ゴーダが喋り出した。
そう。
本来、最後の対面も叶わずに死に別れることがほとんどだ。
それがこんなふうに別れの対面ができたのだ。
ファーたち親子は幸運だ。
「ファーよ、愛しい我が子よ。ワシたちはおまえを誇りに思う。ワシたちの子供として生まれてきてくれて本当にありがとう」
ゴーダの言葉にターニャは静かに涙を流していた。
ファーも泣いていた。
「父さん、母さん。二人の子供に生まれてきて本当によかったと思います。これからも身体を大切にして天寿を全うしてください」
そして、三人は別れを惜しむかのようにがっしりと抱き合った。
ターニャとゴーダは愛しい我が子が消えて行った空を見上げる。どこまでも澄み切った青空が続いていた。
すると、その二人の耳に微かな音楽が聞こえてきた。
不思議な音色だった。
「ああ、これはマリーさんのフィドルの音色だね」
ぽつりとターニャが呟くように言った。
ゴーダは黙ったまま頷いた。
なぜ、マリーの奏でるフィドルの音色が聞こえるのか、不思議にも思わずに二人は聞き入っていた。
その音色は、我が子を亡くした事実で胸を痛めた二人の傷を不思議と癒してくれる。
いつまでもいつまでも二人の耳に魂震える音色が聞こえ、二人の濡れた瞳が乾くまで、その音色は続いた。
いつか、ターニャもゴーダもその命がつき、次の人生へと魂が引き継がれていくことだろう。人間の魂はそんなふうにして永遠を生き続けるのだ。だが、その転生の理から外れてしまったのがファーの魂だった。彼はこれから魂だけの存在として生き続ける。その自我もそのままに。それは一定の人間にとって喉から手が出るほど欲しいと思う願いだ。この今の自我のまま永遠に生き続けること。それはもちろん、肉体も、であるが、それでも魂だけでも何とか自我を保って生き続けたい。そう願う者も少なくないはずだ。
「ひとつの自我だけ認識している魂は存在しない。彼はそのうち自分の魂の全記憶を思い出すことだろう。その時、彼はどうなるだろうな。もっとも、創造主に呼ばれているということは、特別な人間なんだろう。いずれは神の仲間として生きていくことになるはずだ。その時が楽しみだ」
マリーはフィドルを奏でながら呟く。
彼の奏でる音色は、今はターニャとゴーダの耳にしか聞こえない。
二人だけのために癒しの音色を奏でているのだ。
二人の為に。
シモラーシャが大好きな二人の為に。
「ん?」
そのマリーの意識が別のものに向けられた。
「ああ、またハサンの村に魔族がきたようだ」
フィドルを奏でる手を止め、マリーは村の方向へ視線を向ける。
「あの兄弟を殺めてしまったのは誤算だったな。まあしょうがない。これもシモラーシャのためだ」
マリーはため息をついてから、瞬間移動をした。
あとには青空を見つめるターニャとゴーダだけが残された。
空はどこまでも青かった。
月下狂瀾夜想曲 外伝集 谷兼天慈 @nonavias
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