インサイド・ユアサイド

古月むじな

良い造りでしょう、と彼は言った。

「実を言うと、この家はすべて私がこしらえたものなのです」

 私は座り心地の良いソファでくつろぎながら成る程、と相槌を打った。

 建築関係には明るくないが、この屋敷の、さながら戦前に建てられた洋館のようなたたずまいに私はひどく惹かれていた。せっかく遠方に足を運んだというのにほとんど宿から出ることなく、やれこのテーブルの足が可愛らしい、扉の寄せ木細工が立派だ、とやっているうちにすっかり日が暮れて、やることをなくして暇をしていたところに彼が話しかけてきたのである。

「失礼ですが、旦那様のご職業は?」

「まあ、物書きの端くれのようなものですね」

「ははあ、ではこちらへは取材に?」

 ええ、と頷いた。私は個人的な慰安旅行のことを『取材』と呼ぶことにしている。

「では、きっと知っているのではありませんか。ほら、怪談だかにあるでしょう。ベッドの下に通り魔が潜んでいる話」

 彼が言っているのはよく知られた都市伝説のことらしい。『下男』とか『ベッドの下の男』と呼ばれている。一人暮らしをしている女性のところに遊びに来た友人が、なぜだかしきりに外に出よう、何か買いに行こうと促してくる。夜遅くに何を、と呆れつつつき合うと、外に出た途端友人が血相を変えて自分を引っ張って逃げようとする。「あんたが座っているベッドの下に、凶器を持った男が潜んでいるのが見えた」と言って。

 本邦でもすっかり定着した都市伝説であるが、発祥はどうやらアメリカであるようだ。確かに、日本で使われているベッドは低床で隙間が狭いものが多く、対して洋風のベッドは足が高くて子供なら潜り込めそうなものもある。日本に潜む下男は余程スリムな人でしょうね、と私は冗談を言った。

「流石博識ですね。じゃあ、人間椅子の話は?」

「江戸川乱歩ですか」

 こちらは私は解説するまでもなく、乱歩の傑作短編の一作だ。醜い容姿を持つ家具職人の男が出来心から椅子の中に入り込める仕掛けを作り、椅子の中に入っては座る人間の感触を愉しむ……といった話。フェティシズムと耽美がふんだんに散りばめられた妖しい魅力に、私も取りつかれた読者の一人である。

「実は――、私も同じ事を考えた人間であるのです」

 成る程、と私は相槌を打った。道理で『彼』の姿がどこにも見えないわけである。まさかこの下に彼がいるのか、と私はソファから立ち上がった。

「いえ、今はそこではありません。そこも私の一部であるのですが」

「今はどこに?」

 私は部屋の中をぐるりと見渡した。本棚にベッド、やや大きい文机、クローゼット。この部屋にあるものは、私以外のほとんど全てが壁か床に密着している。乱歩になぞらえるなら、屋根裏に潜んでいるということも考えられた。

「旦那様。私は椅子とかベッドに限りたくなかった。家そのものになりたかったのです」

「つまり、ここにある全てがあなたであると?」

「ええ――ずっと、ずうっと思っていた。大きい家になって、人を飲み込むことができたらどんなに愉快だろうと。自分の腹の中で人が寝たり、食べたり、生活するとしたら良い気持ちだろうなと」

「成る程――」

 正直、私には理解しがたい欲求だった。世間の人が知ったなら、そんな馬鹿げたことのためにこんな大がかりをするのか、変態的だ、犯罪だと憤るかもしれない。

「しかし――」

 なぜ私に、そんなことを打ち明けたのか。そう訊ねようとしたところ、部屋の扉がノックされた。この民宿の女将さんが夕飯の支度ができたと伝えに来たのだ。彼は元通り屋敷そのものとなって沈黙した。

「それにしても、ここは立派な建物ですね」

「夫が遺しましたの」

 女将さんは未亡人やもめであるようで、ほとんど独りで宿を切り盛りしているらしい。立地が悪いから観光客向けではないが、私のように屋敷のたたずまいを気に入った客が細々と泊まりに来るようだ。

「まあ、変わった人で。建築家でしたけれど、どうも人付き合いが上手くいかず。家と金は遺してやった、あとはきみも好きになさい、なあんて――それっきりどこに行ったのか。まあ、おかげで暮らしには不便はしませんでしたけれど」

「あまり、仲が?」

「どうだったんでしょうかねえ。私は、好いて連れ立ったつもりであったんですけれど。あの人はどうも、人見知りというか、人間嫌いというか……私のことも、顔を見るのが嫌になってしまったんでしょう」

 女将さんが話す横で、立派な柱時計がぎい、と軋んだ。あらまあ、どこか痛んだのかしらという呟きに、時計は泣くように時報を鳴らした。

 それでも寂しいのだろうな、と私は思った。

 誰かの腹の中というのはそんなに居心地の悪いものでなく、私はその晩ぐっすりと眠り、翌日予定通りに宿を発った。さながら子宮を出でて母親を仰ぐ胎児のように、今しがた出てきた洋館を見上げる。

 洋館は人里離れた林の傍に、独りぼっちで頼りなげにそびえている。

「また来ます――」

 そう言うと、屋敷はええ、どうぞ――と答えるように、風に少し軋んだ。

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インサイド・ユアサイド 古月むじな @riku_ten

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