主人公を追い込むのが作者の務め

○主人公を追い込むのが作者の務め


《大沢》 ここまでで何か質問はありますか。


《バク》 自分の作品についてよく、「主人公が受け身である点がよくない」と言われます。物語の進行によって主人公が変化することと受け身であることの違いを教えてください。


《大沢》 例えば、主人公は自宅と会社を毎日行ったり来たりしているだけの人間だとします。ある日、会社に行く途中で事件が起こる。しかし、主人公の行動は変わらない。翌日もまた同じことが起こる。やはり、主人公は自宅と会社を往復するだけ。これは受け身ということです。しかし、事件によって主人公が会社に行く前に別の駅で降りたとすれば、これはもう受け身ではない、事件に対応して変化しているからです。普通、人間は何かが起こっても翌日すぐに習慣を変えたりはしません。変えたくなる、あるいは変えざるをえないほど追い込まれる、そういう状況を作るのが作者の務めです。追い込まれた結果、主人公が何らかのアクションを起こせば、これは受け身ではなく変化になる。ポイントは、主人公が考えて行動しているかどうかという点です。



○主人公=作者ではない


 ここで、主人公が考えるということについて、少し説明しておきます。主人公が考えるとき、作者である皆さんも考えるはずです。どう行動するか、どこまで我慢するか、どの方法を選択するか、主人公の気持ちになって一緒に考えなければなりません。そこがまさに、主人公の性格、キャラクターに関わってくるところだからです。


 ただし、「主人公=作者」である必要はありません。主人公の性格と書き手の性格は一緒ではない。そんなことになれば、私は一万回くらい死んでなきゃならない(笑)。そうではなくて、主人公は殴られたら即座に殴り返す人間なのか、二発めで殴り返すのか、十発殴られても我慢する奴なのかを、作者は決めておかなければいけないということ。十発殴られても耐える男が主人公であってもかまわないけれど、その場合は、なぜそこまで耐えるのかという部分に、読者が共有できる理由を持たせてあげる必要があります。


 例えば、主人公は元ボクサーで、リングで人を殺してしまった過去があり、今はボクシングをやめてサラリーマンをしているとします。そんな男が、あるとき街でチンピラにからまれて何発も殴られる。でも彼は反撃しません。当然でしょう。拳で人を殺したことがあるのだから、耐えるしかない。でも、気が弱くて殴られているんだと周囲の人も読者も見ている。実は耐えるしかない過去があったということがわかったとき、この主人公の存在はまったく違うものとして読者の目に映る。先ほど言った「悪人、実は善人」と同じように、どれだけ人間をひねっていくかということもキャラクター作りには必要なことです。



○小説の中のルール


 現実の人間というのは、実に非論理的な存在です。甘い物が嫌いだから普段は食べないという人でも、ふとした弾みで隣の人が食べているクッキーをつまむことがあるでしょう。しかし、小説の中で「甘い物は嫌い」と言っていた登場人物がケーキを食べるシーンが出てくるとしたら、そこには絶対に理由がなくてはいけません。小説の登場人物は論理的でなければいけないし、その論理には一貫性が要求されます。もし論理が崩れるとすれば、そこには必ず理由がある。物語には理由が必要だということです。


 これは「ルール」とも言われるものです。あくまでも小説世界のルールであって、世間一般のルールとは別です。例えば、新宿に宇宙船が降りてきて、主人公が宇宙人と戦うという物語があってもかまわない。でも、その主人公が甘い物嫌いなのにケーキを食べていたら、これは許されない。私の小説『新宿鮫』の主人公のさめじまはいろんな犯罪者を敵にして戦いますが、もしもエイリアンが現れてこれと戦うとしたら、アウトでしょう。リアリティのある警察小説として読まれてきた『新宿鮫』の世界がそこで壊れてしまうからです。


 どんなにこうとうけいな物語でもルールは必要です。そうでなければ「何でもあり」になってしまう。だったらすべて「スーパーマンを出せばいいじゃん」ということになると面白くありません。ルールがない、世界が違うということは、小説では許されません。



○あえてルールのぎりぎりを狙う


 キャラクターの場合も同じで、設定したルールと違うことをしてはいけません。「この人は、こんなことはしないだろう」と読者に思われるようなことをさせてはダメ。ただし、これも難しいテクニックですが、ギミックとしてぎりぎりセーフを狙う手はあります。


 また『新宿鮫』の例で恐縮ですが、鮫島という主人公はヤクザにも妥協しないこわもてで硬派な刑事というキャラクターです。その彼が、しようというロックシンガーのために歌詞を書く。これ、ぎりぎりです(笑)。ぎりぎりなんですが、そこはちゃんと、晶がアマチュアだったときに二人は出会い、歌詞作りで悩んでいる彼女を見て、「この部分はこっちの言葉のほうがいいんじゃない?」というふうに協力した……そういうストーリーを作者も本気で考えたし、鮫島も歌詞を本気で考えた。そこまでやればぎりぎりOKかなと。


 ルールぎりぎりのことを主人公にさせたときに何が起こるかというと、キャラクターに一気に厚みが出るんです。意外性は常に厚みを作る。「こんなことをするはずがない。でも絶対にしないわけでもない」というぎりぎりのところで何かをさせると、その人物の存在感がぐっと盛り上がってくる。その人物が読者に一気に近くなる。まあ、これは一種の冒険なので、やり過ぎると「ふざけるな」と怒られますが、意外性をうまく使えば、スパイスのようにキャラクターを際立たせるという効果が期待できます。


 ある人物のイメージを強く読者に残したいとき、服装や髪型をベタベタ書くよりも意外性を見せてあげるというのも一つの方法です。むさ苦しいおっさんだと思っていた男と喫茶店に入って、ふと見ると、コーヒーカップを持つ彼の手の爪がきれいに手入れされていた。「あれっ」と主人公の目がそこに留まる。読者の目もそこに留まります。意外性によって、男の印象が読者に強く残るわけです。ワンシーンしか出てこない人間、登場シーンの少ない人間ほどインパクトは必要です。なぜなら、すべてのキャラクターの厚みが増えるほど、ストーリーを支える部分がどっしりと大きくなるからです。

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