第2話 老若男女・氏名不詳の人々

手元に一通の手紙がある。

「私は、

東条英機三男、敏夫氏夫人の千恵子さんとは同姓同名別人であり(このこと平成5年夏購読古書で判明)、尚、英機一族のどなたとも血縁もありません。が、勝手に思い込まれる方、いらっしゃってか、アパート生活はじめた昭和50年代より迷惑電話をうけつづけ、局からも「これ以上変えられないので外部に出さないように」と注意を受けておりますので、電話は記しません。

右の次第を話するようにしてから、深夜無言電話は止みました。でもかけてこられた老若男女・氏名不詳すべての方に伝えることは出来ず、激減はしてもかかりますので、事前に話させていただくことにしました。

余談致しましたおわび申し、併せて、誤解なされませんよう希上げます。」

私は、この短い手紙(原文ワープロ打ち)を1996年の6月頃にご本人からいただいた。

東条英機には、妻カツとの間に三男四女があり、敏夫は英機の三男で、兄弟の中で唯一陸軍士官学校を卒業。戦後は航空自衛隊へ幹部候補として入隊し空将補まで出世した。退職後は三菱系列の会社に勤務していることが資料によってわかっている。

敏夫の妻と偶然に同姓同名だった、別人東条千恵子から手紙が届いたあとに電話を受けた。壮年と思われる別人の東条千恵子は私の様子を受話器で伺いながら、次のように語られた。

「実家から世田谷へ移って独り暮らしを始めるようになってから電話が入り始めました。昭和50年頃から20数年にわたって無言電話や「東条英機の親類か、地獄へ落ちろ」といったたぐいの電話が昼夜を問わずにありました。単なるイタズラ電話と思いましたが、独り暮らしでしたからこわくって普通の生活もままならぬ状態になったこともあります。でも母の反対を押し切ってのアパート暮らしでしたから何とか頑張りました。NTTや警察へは何回も相談に参りましたが、電話番号を替えたあと、電話番号は他人に教えるなと注意されました。ようやく最近になって本を読み理由が分かったので、説明すると、なかには人違いであることを理解した方もいらっしゃったと思います。でも、未だにたくさんの電話がありますから、あなたに電話番号を教えるわけにはいきません。手紙に書いた通りです」

受話器をそっと置いて、私の心境は複雑だった。


戦後50年を経てもなおこうした嫌がらせの電話があること自体、当時の私には意外に思えたし、東条英機の家族、関係者を追い詰めるような執拗な脅迫に不快感を感じた。だからといって、改めて老若男女・氏名不詳の人々から憎み切られた、元首相を許す気持にもなれなかった。破裂した爆弾の破片が散ったような、持って行き場のないはけ口のような、昼夜を問わない嫌がらせ電話の裏に、戦争で起きた、癒えることのない憎しみや悲しみや、怒りによって激しく分断された人々の心がそこに刻まれているのであろうと思えた。歴史の断片とはこのようなものだとも。

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街角で拾った昭和史 @wada2263

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