密室では、魔法を使えない
かつて、19世紀の英国はヴィクトリア女王の下、科学革命によって大きな繁栄を見せた。
特に首都であるロンドンは、その貧富の格差という問題を毒のように抱えながらも、100万人都市として、バーミンガムやリヴァプールなどを率いる大都市として君臨していた。
人々は科学を使い、日常生活を豊かに送り、人生を謳歌していた。
買い物をし、家で団欒を楽しみ、仕事に行く人々。
そんな風に人が集まれば、当然治安も問題になる。
丁度民主社会が成立した時期でもある19世紀は、警察機構が整いだした時でもあり、犯罪者も非常に「科学的」に裁かれるようになっていた。
そんな科学の時代において、科学を駆使する私立探偵が活躍したのはむしろ当然と言えるだろう。
特に有名なシャーロック・ホームズは、その鋭い探偵力を科学の域にまで押し上げた第一人者であり、人々の賞賛の的であった。
ひるがえって、2X世紀の英国。
19世紀以降世界の覇権をアメリカに譲った感のあった英国だが、今度は魔法革命がにわかに起こり、再びその地位を頂点として返り咲いていた。
人々は魔法を使いこなし、日常生活を豊かに送り、人生を謳歌するようになったのだ。
買い物をし、団欒を楽しみ、仕事に行く人々。
ところでそんな生活を支えている魔法であったが、その発見は科学者であったウィリアム・ジェームズ三世によるものである。
彼は、まさに「科学」的な手法によって、魔法を発見し、それが人々の生活に寄与するように工夫をこらした。
そんな便利な魔法であるが、科学が様々に細分化されているように、「魔法」といってもその言葉が含意するところは幅広い。
学者によってその分類も異なるが、概ね二種類あるとされる魔法は、「強化魔法」と「超常魔法」である。
強化魔法はその名の通り、人間が本来備えている身体能力を強化するものであり、例えば脚力を強化して時速50キロで走ることを可能にしたり、腕力を強化して、小学生の子供が大人に腕相撲で勝つことを可能にしたりする類のものだ。
回復魔法もこの「強化魔法」の中に含まれ、人間が本来備えている細胞の再生能力を強化して、自然治癒を目指すものであった。
骨折しても2日で治ったり、癌が一か月で寛解したりすることが可能になったのである。
一方、超常魔法というものは、人間の能力の延長上にはない、従来では凡そ不可能と言われていたもののことである。
例えば、瞬間移動や、透明魔法など。
それを駆使すれば、従来あり得なかったことが可能になる類の魔法である。
そんな2×世紀のロンドンであるが、もちろん科学の道が途絶えたわけではなく、言わば科学と魔法が共存している世界であった。
だが、科学の分が悪いことは事実で、かつての旧式の警察も、その装備を魔法を駆使したものに一新していた。
鑑識は鑑識魔法を用い、魔法が使われた形跡があればまっさきに突き止め、魔紋という、その人間個人の魔法の跡を突き止めて逮捕する。
さらに公共空間においては、各々が好き勝手に魔法を使っては大混乱に陥るため、魔法をある一程度まで規制する上位魔法「治安魔法」を施し、その秩序を維持していた。
「治安魔法」の下では、魔法を発動させようとしても不可能であり、また、既に発動していた魔法はすぐに解除されてしまう。
まさに警察の権威絶頂の時代だった。
そんな中、活躍できなくなったのはかつての探偵達である。
本来人間は少々のマナを備えて生まれてくるものだが、最新科学の徒であった彼等には魔法は肌に合わなかったのか、魔力には恵まれないものが多かった。
特にあのシャーロック・ホームズの何世代も後の子孫にあたる諮問探偵は、未だ探偵としての活動は行っているものの、まったく魔法力を持たない、言わば無力な人間と化していた。
かつては馬鹿にしていた警察の方が、遥かに彼の上を行く世界だったのである。
レストレード警部は、その警察の中でも特に優秀な人材だった。
自身も魔法を使い、駆使し、事件を解決する。
警視総監からの覚えもめでたく、同じ警部の中でも一目置かれていた。
そんな彼の日課の一つが、あのシャーロック・ホームズを訪ねることだった。
何のためにそんなことをするのかといえば、彼の先祖とホームズの先祖がじっこんの仲だったこともあるし。
仕事がまったくないホームズの、言わば頭脳を衰えさせないための砥石の役割も果たそうとしていたのである。
ホームズは確かに魔法が使えないものの、その頭脳は決して鈍いわけではない。
むしろ魔法に関する知識は人1倍であった。
というわけで、解決済みの事件を、話の肴にホームズの下に持ち寄ったり。
あるいは、本当に事件に行き詰り、ホームズの助言を求めることもあった。
彼等は先祖たちとは違い、対等な関係だったと言える。
だから、その日の朝、ホームズを訪ねていったレストレードも、変な遠慮はせずに、いきなり本題を切り出していた。
「謎めいた部屋の話なんだ、ホームズ」
寝起きを起こされたばかりのホームズは、不機嫌さを隠そうともせずに
「……今日はどっちだ?」
ぼさぼさの髪をかきながら尋ねる。
「未解決の方だ」
「よしっ」
それを聞いて少しやる気が出たのかホームズはガッツポーズをすると
「コーヒー要るか?」
「いただくよ」
この時代に科学製の冷却式の冷蔵庫から材料を取り出したホームズは、何やら台所でごちゃごちゃやっていたが、やがてレストレードの前には熱々のコーヒーが並べられていた。
「ありがとう」
「どういたしまして……そんで」
ホームズは自分が煎れたコーヒーを上手そうに飲むと
「詳しく聞かせろ、レストレード」
満足気に、にっこり笑ったのである。
※※※※※※※
事件は、ある古い家の中で起こった。
そこは10世紀にたてられた何百年もの歴史を誇る建物で、その古さが人々を引きつけていた。
事実その家の当主であるウィリァム・ビルは、しばしば客人を招いては、観覧料をせしめていた。
数々の古い調度や古いしきたりは、まさに一見の価値ありで、結構な儲けになっていたという。
魔法はおろか、科学が発展する以前の建築物であるそれは、まさに古典の時代に属するものであり、天然記念物だったのだ。
中でも、その家の一番の目玉は、「人喰いの部屋」と呼ばれる一室だった。
ビルが曰く
「この部屋には意志がある。昔、私の先祖がかけた呪いが、この部屋には残っているのだ。この部屋にうかつに入った人間は、部屋に喰われることになる」
事実、ここ100年の間で3人もの不可解な死が、その部屋で起きていたという。
ビルは薄く笑って
「いずれもナイフによる刺殺だった。それだけなら人の仕業と思えるだろうが、事実は、この血塗られた部屋が自ら手を下したのだ。だからこそ、発見当時、この部屋は密室だったのだ」
そう口上を述べたて、急き立てる観客の需要にこたえると、その「人喰いの部屋」を特別料金付きで観覧させていたという。
「だが、奴のこの『商売』も近頃上手くいっていなかった」
レストレードはメモを見ながらしゃべって
「最近の若者は古いものに興味がない。最先端の魔法や、まだ使いようがある科学の方に興味が移っているからな。それで、ビルの収入はどんどん落ちていって、借金もかさんでいた」
ホームズは両腕を組み合わせるいつものポーズでそれを聞いていたがここで口を挟むと
「具体的にどれくらいの借金があったんだ?」
「ざっと500万ポンド」
「……それはきついな」
自身も借金を抱えているホームズは苦虫を踏み潰したような顔になった。
警部は苦笑して
「とにかく、私はこの困窮が、ビルが犯行に及んだ動機だったと思っている」
「犯行?」
「そうだ」
警部は頷いて
「例の『人喰いの部屋』で、殺人があったんだ。それは丁度、ビルが数少なくなっていた一般客を率いて、家の探検ツアーを敢行していた時だった。」
事件当時、ビルはいつものように午前10時に門戸を開放すると、一般客を呼び寄せ、先祖代々受け継いできたその古家の紹介に専念した。
見どころは様々であったが、目玉である『人喰いの部屋』に来た時、ビルはいぶかしげに眉をひそめた。
というのも、その部屋のドアが閉まっていたからである。
彼は家に代々伝わる『人喰い』の伝説を思い出し、すぐにドアを蹴破ると、中に入り込んだ。
同行していた数人の観光客も続いて中に入る。
するとそこには、ナイフを胸に刺されて死亡していた男性がいた。
部屋の中央に、手足を適当な方向に投げ出して、倒れていたという。
「調査の結果、その男性は、その日の朝、古家ツアーに参加していた男性客の一人であると判明した。その古家は結構な広さがあり、自由に探索する時間を設けていたらしいんだが、その時間中に行方不明になっていたらしい」
「伝統のある家に、そこで行われるツアー。曰くのある『人喰いの部屋』に、そこで見つかった遺体。そしてそこは『密室』だった――か」
ホームズは眉をひそめながら要点をまとめると
「面白いな。だが、ただそれだけなら、お前が行き詰る意味が分からない」
「ほう、なぜだ?密室というだけで、十分な謎じゃないか?」
「とぼけるなよ」ホームズは口をとがらせると
「まず、そこは本当に密室だったのか?」
「ああ。」警部は頷き「ドアには鍵がかかり、一つしかない窓にもしっかり鍵がかかっていた。」
「そして」と警部はコーヒをのんでから続けて
「その部屋のドアのキーは、遺体が飲み込んでいた
」
「飲み込んでいた?」
「そう。」警部はメモをめくると「その場で死体を改めた鑑識が胃の中で溶けかけているキーを発見したそうだ。」
「ただの一介の客であった男性の遺体に、なぜ家の持ち主のキーが?」
「ビルによれば」警部も眉をひそめて「キーは玄関の傍に置きっぱなしにしていたそうだ。だから、どさくさにまぎれて、犯人が勝手に持ち出したんじゃないかと」
「……というか」
ホームズは両足を組んで
「そのビル君が犯人だからじゃないのか」
「警察もそう睨んでいる」
レストレードもにっこりと頷いて
「キーを自在に持ち出せるのもビルだけだし、『人喰いの部屋』を熟知していたのもビルだけだ。」
「動機は?」
「観覧料が減ってきていたと言っただろう?」
警部は首を振って
「『人喰いの部屋』で本当に殺人があったとなれば、客足も増える。そう考えたビルが起こした犯行だろうと、警察は思っている」
「なるほど」
ホームズは頷いて、それから
「で?」
と体をソファの背にあずけた。
「で?とは」
「どこが不可解なんだ?」
「密室だぞ?ドアは施錠され、窓も施錠され、肝心のキーは遺体が飲み込んでいた。ビルが犯人だとしても、どうやって部屋から脱出したんだ」
「あのなあ、レストレード」
ホームズは呆れたように
「今は2X世紀だそ」
「?それがどうした」
「俺から言わせるのか」
ホームズは苦笑して
「これが19世紀の事件なら、確かに不可解な密室だったろう。だが、今は魔法の世紀だ」
そしてホームズは唇を歪めて
「魔法を使って脱出したんじゃないのか?」
「残念ながら、それはない」
「?なぜだ」
「『人喰いの部屋』にはな。貴重な部屋の保護をするためということで……」
レストレードはひと息ついて
「『治安魔法』がかけられていたんだ。……あの部屋では、どんな魔法も使えなかったんだよ」
※※※※※※※※※
「……ほお」
ホームズはその発言を聞いて、興味をひかれたようで
「なら、部屋の外に出てから、キーを使ってドアを施錠し、そのキーを被害者の遺体の胃の中に魔法で瞬間移動させたり」
「無理だ」
「密室状況をつくりあげてから、壁抜けの魔法で部屋を抜け出したり」
「無理だ」
「遠隔魔法で部屋の外から殺したり」
「無理だ」
次々に否定する警部。
「そのレベルの魔法なら、全て『治安魔法』で発動を阻止されてしまう。」
「治安魔法を上回る強力な魔法が使われた形跡は?」
「治安魔法が破られた形跡はなかった。」
「なるほどなるほど」
ホームズは俄然興味が湧いたようで、両手をこすり合わせると
「なら、そっくりな部屋を魔法で作っておいて、遺体を一旦そこに置いておく。そしてそれを密室が敗れた後にひそかに移動させて……」
「死体発見後に、ビルにそんな暇はなかった」
「なら、自動式のナイフ発射装置を―科学式のだぞーーを用意しておいて、密室が敗れた後にひそかに回収し、処分しておいたっていうのは?これなら、治安魔法の網にもひっかからない」
「遺体発見後、警察が身体検査をしたが、そんなものは見つからなかった」
「被害者自身の自殺っていう線は?密室を作り上げておいてから、キーを自分で飲み込んで、自分で胸にナイフを突き立てたんだ」
「それならナイフに被害者自身の指紋が見つかっていないとおかしいが」
警部は首を振って
「実際にはナイフには指紋を拭いとった後があった。まさか自分の胸にそんなものを突き立てておいてから、拭ったわけではあるまい?」
「なるほど」
ホームズは自説が次々と壊されていくにも関わらず楽しそうに
「コーヒーのお替りでも入れようか?」
警部は肩をすくめて
「頼むよ」
ホームズは立ち上がり、再び謎の動作をこなしてコーヒーを煎れる。
ローテーブルにそれを並べると、両手の掌をこすりあわせて
「さて、検討といこうか」
それからは、仮説のオンパレードだった。
未知の科学手段をホームズが持ち出したかと思えば。
未知の魔法手段を警部が持ち出し。
奇抜な密室構成方法をホームズが持ち出したかと思えば。
常識的な原理で警部がそれを否定し。
ホームズが全員共犯説を持ち出せば。
動機的にあり得ないと警部が否定し。
二人は次から次へと説を持ち出しては、自分達でそれを否定していった。
何時間経ったことだろうか。
やがて。
どちらからともなく黙る沈黙の時間が過ぎ。
コーヒーも何杯入れたか分からないところで。
警部が若干まどろみながら議論を始めようとしたところで。
終に、ホームズが再び口を開いた。
「これならどうだ、レストレード」
そう言ってホームズは目を輝かせる。
「犯人は、『治安魔法』をトリックに使ったんだ」
「……どういうことだ?」
警部の疑問に
ホームズは笑って
「犯人のビル君は、あらかじめ死体を用意しておいたんだよ」
※※※※※※※※※※
「まず、ツアーの自由時間中に、ビルは被害者を刺殺しておく。そしてすぐに、透明魔法を被害者の遺体にかけて、誰からも視えなくしたんだ」
「遺体に――魔法を?」
「そうだ」
ホームズは頷いて
「それと同時に、キーで『人喰いの部屋』にしっかりと鍵をかけておいて、死体に飲み込ませることも忘れなかった。」
ホームズは滔々と続けて
「――密室の構成要素である、キーを飲み込んでいる遺体という状況を、犯人はあらかじめ作っておいたんだ」
「……それから?」
警部は渋面を作る。
ホームズは対比して軽やかに
「ビルはツアー客を引き連れて『人喰いの部屋』に集まると、鍵がかかっていることを確認させる。――その時、実は透明魔法をかけた遺体をビルはかつでいたんだ」
「そんな重いもの背負っていたら、動きが不自然になるはずだが……」
「じゃあ、小人化の魔法か、軽量化の魔法でも併用していたんだろう。とにかく、周りに気付かれないように、その遺体を持っておくことがビルには必要だった。」
「なぜ?」
「密室を蹴破った後に、すぐさま遺体を部屋に放り込むためさ」
ホームズの発言に、警部は目を丸くした。
「それは……」
「一番に部屋に飛び込んだのは、家主であるビルだったんだろう?
なら、皆の視界から隠れる1瞬の隙くらいあったはずだ。その隙に、ビルは遺体を部屋に投げ出した。」
「そんなこと……」
「あり得ないか?俺は遺体の倒れていたポーズが、まさに遺体を放り投げたことを示していると思うんだがな」
ホームズは自信満々に続けて
「そして、放り投げられた遺体は、『治安魔法』のおかげて施されていた透明魔法が解かれた状態で発見されたんだ。」
ホームズは「くくく」と笑うと
「治安魔法は、魔法を無効果するものだ。犯人はその『無効果という効果』を利用することを思い付いたんだ。」
そして両腕を興奮したように拡げた。
「これは、早業で遺体を持ち込み、魔法を使えない『治安魔法』を上手く活用して、死体をその場に現出させるという趣向によって達成した、密室殺人だったんだよ」
目をキラキラさせるホームズ
「魔法が使えない状態で魔法を利用するという、逆説に富んだ密室だったんだ」
ホームズが到達した結論に、警部はしかし不満気なようだったが。
「しかしなあ、それだと……」
「まあ、あくまで仮説だ」
ホームズは残っていたコーヒーをぐっと呷ると
「それでも、可能性があることは否定できないだろう?あり得ないことを取り除いていった後に残ったものは、例えそれがどんなにありそうにないことでも、真実なんだ」
「ご先祖の決めセリフか」
「そうだ。」
ホームズは頷いて
「……結構含蓄のあるお言葉じゃないか?」
名探偵であるホームズと。
名警部であるレストレード。
二人は顔を見合わせると、苦笑して、それぞれコーヒーを口にする。
その二人のたどり着いた結論が、果たして正しかったのかどうか。
それはもちろん、自明のことだった。
探偵は、魔法を使わない 半社会人 @novelman
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます