第58話 空と茜と自転車

 それから、いろいろと大変だった。

 詰め寄ってきた観客たちと、それをかき分けて空たちを介抱するスタッフ。

 臨時で用意された医務室に運んで、念のために二人を診療して、

 それから、幸いにして疲労によって寝ているだけだと判明して、


「「――大変ご迷惑をおかけしました」」

 空と茜が声を揃えて頭を下げると、医療スタッフの男性は笑った。

「大丈夫だよ。スポーツの大会なら、怪我も病気もつきものだからね。私たちも、そのために呼ばれているんだし」

 これも仕事、と割り切っている者の態度だった。なんとなく、それが茜の目には新鮮に見えた。同じく医者である父は、もっと仕事とプライベートが密着したような人だったからだろう。

「まあ、もう少し寝ていくといいよ。大会は明日まで続くみたいだし、そのあとの閉会式もあるから」

 その医者の言葉に、空は首を傾げ、茜は手のひらを打つ。

「明日?」

「ああ、そういえばチャリチャンは24時間×21日間だから、都合初日から数えて22日目まであるんだよな」

「あ、そうか」




 そして、開けて次の日。




「こ、これは……」

「まるで学園祭みたいな規模だな」

 表彰式とは言えども、チャリチャン運営委員に予算など残っていないらしい。

 広場にひとまず設営したような、ハリボテのステージと表彰台。一応パーティの気分だけ盛り上がってほしいと願われたような、BBQ方式の食事。日も落ちる頃合いで、気温は少し低い。季節的にも、完全に選択を誤った式典になってしまっていた。

 茜の言う通り、まるで学園祭の出来損ないみたいな会場である。


「あら?でも悪くは無いと思いますわ」

 後ろから天仰寺が話しかけて来る。いつものゴスロリ風ジャージなどではなく、正真正銘のゴスロリドレスに身を包んだ彼女は、気品あふれる仕草でついっと膝を曲げてあいさつした。

 結い上げた髪の位置も、いつもより少し低い。自転車に乗るときに使っていた伊達眼鏡も外されて、彼女の整った顔がよく見える。

 正真正銘、お嬢様のいでたちだった。――手に持っているのがBBQの串と紙皿でなければ、だが。

「よう、天仰寺。3位おめでとう」

「天仰寺さん、無事でよかった。デスペナルティさんにやられたって聞いたとき、僕たち心配で、心配で」

「あ、あら?空先輩にそのように思われていたのでしたら、わたくしは嬉しいですわ。空先輩、茜先輩、ワンツーフィニッシュおめでとうございます」

 このあと表彰式に登って何かしら言わないといけない立場の3人だが、今は普通にパーティを楽しむ余裕があった。

 もちろん、参加者や知り合いの観客にはよく声を掛けられるが、マスコミなどの取材班は空たちの元にほとんど来ない。

 その理由は――

「驚きましたわね。風間史奈の電撃引退発表」

「ああ、アタイらは話を聞いてたけどな。まさかこのタイミングとは」

「おかげで、話題は僕らより史奈さんに集中してるね」

 明日の見出しが『中学生・優勝!』ではなく、『風間史奈・敗北と引退宣言』になるのは目に見えている。マスコミが欲しいのは勝ち負けではなく、話題だ。


「よう、結局お前らが優勝テッペン取っちまったな」

 鹿番長がやってきた。こちらはいつもの汚れた特攻服で、とても馴染みがある。椅子が無いこの会場において、愛車である267のスタンドを立てて椅子代わりにしていた。

「しかし、この会場もよくまあ考えられてるよな。最後まで屋外アウトローだ。選手は愛車チャリを持ったまま、汚れてもいい動きやすい服装でパーティに参加できる。この大会チャリチャン終幕フィナーレにふさわしいぜ」

「なるほど、そういう考え方もあったんだな」

 茜が思わず膝を打つ。てっきり低予算で開催したからこんな会場なのかと思っていたが、確かに自分たち向きだ。おかげで変に緊張することなく楽しめている。

「まあ、本当はただ予算が無かっただけなんだろうけどな。俺様の予想は当たるんだ」

 と、綺羅が言った。こちらもいつも通り無造作な髪に、適当に羽織ったコートでやってきている。それで恰好が付くのだからイケメンはずるい。






 ピー、ざ、ざざっ。ざ……


 周囲に置かれたスピーカーから、ノイズが流れる。続いて、ステージに二人の女性が登壇した。

 綺麗なドレスを身にまとった、20代半ばくらいの女性だ。

(綺麗な人――でも、誰?)

 空がそちらに注目する。そのうちの片方が、マイクを持って口に当てる。

『完走した皆様、おめでとうございますぅ。私、ミス・リードですぅ』

 会場がざわめいた。それまでAIだの人間じゃないだの、合成音声で実況しているだけで中身はおっさんだの言われてきた神秘の存在。ミス・リードが、その姿を現したのだ。

 すると、もう一人の女性も同じように、マイクを構えた。

『そして、この大会の閉会式を一目見ようと、わざわざ抽選券まで買って当選した一般客の皆さん。それから途中でリタイアしたものの閉会式くらいは来たくて、わざわざ参加費を払ってまで来てくださった選手の皆さんも、こんにちは』

 同じ声、同じ口調。声真似だったとしても似すぎているくらいのレベルで、もう一人がそう言った。

『驚きましたかぁ?』

『この大会で話題の24時間実況。もちろん一人では出来ない仕事でしたぁ』

『なので、ここにいる林道美羽と――』

『ここにいる三隅梨乃と――』

『二人一役で』

『お届けしてまいりましたよぉ』

 台本もなしに、お互いの次の句を、息継ぎさえ感じさせる適切な間合で喋る二人。ステージを見ていた人には、交互に喋っていると理解できただろう。しかし声だけを聴いていた人には、一人が喋っているように聞こえたはずだ。


『それでは、唐突なのですが、表彰式を始めたいと思いますぅ。空さん、茜さん、ジュリアさん。ステージの方へお願いしますよぉ。あ、ジュリアさんはフランクフルトを咥えたままでいいですからねぇ』

「咥えてませんわよ!」

 わざわざ天仰寺がツッコミを入れて、ステージに向かっていく。空と茜も続いた。

 会場の注目が3人に集まり、空は今更ながら緊張してくる。


「はいはーい。それでは、優勝賞金の授与。残念ながら、これは優勝者の空さんにしかありませんけどねぇ」

 2位以下の賞金もあれば盛り上がりも違ったかと思いつつ、三隅が小切手を持って空の前に立つ。その額、約束通りの300万円。まだ現金ではなく小切手なので、空には実感がわかない。

 三隅はその小切手を、ドレスの大きく開いた胸元へと滑り込ませた。程よい大きさの、張りのある胸。その谷間に小切手が挟まれる。

「さあ、どうぞ。指を突っ込んで受け取ってください」


 すぱーん!


 三隅の後頭部を、林道が大きなスチロール板で叩いた。

「痛っ!?……何するんですかぁ。林道」

「こっちのセリフですよぉ。最後くらい真面目に本気でやってくださいねぇ」

「ふむ……本気で……」

 それを聞いた三隅は、スカートをそっと捲った。足首にすとんと、小さな布が落ちる。

「それでは、こちらから受け取ってくださ……」

「誰がそっち方向で本気出せって言いましたかぁ!」


 すぱーん!


「痛いですぅ。なんで後頭部ばっか叩くんですかぁ。お尻を叩いてください。腫れあがるまでっ」

「やるかぁ!」

 三隅の悪ふざけはさておき、林道は三隅を殴りつけていたスチロール板を、空に渡した。

「小切手での授与は生々しいですし、絵面として綺麗ではないですからねぇ。ひとまず、こちらを受け取ってくださいねぇ」

 渡された板には、『優勝』『300万円』と大きく書かれている。やはり授与式といえば、現金でも小切手でもなく、このハリボテだ。空はそれを大きく掲げて見せた。観客席から拍手が巻き起こる。


「それでは、優勝した空さんに、改めて今の感想とか聞いちゃいましょうかぁ」

 林道がマイクを差し向けてきた。空がそれに対して、ごくりと喉を鳴らす。

「え、えっと……えっと」

 顔が熱い。真っ赤になっているのが自分でも分かる。緊張で変な汗までかいてくる。

 それでも、

(茜……)

 隣に茜がいるから、少しだけ緊張が和らいでいる。一人だけだったらどれほど不安だったか。




「えっと、空です。

 この大会、本当は茜に誘ってもらって出た感じで……なんなら最初は、あんまり乗り気じゃなくて、お、思い出作りとか、卒業前に出来たらいいなって――えへへ。

 で、でも、本当に嬉しいです。優勝できたこととか、賞金もそうなんですけど、えっと、そんなんじゃなくて、ですね。

 ――その、

 いろんな人たちと出会えて、いろんな自転車を見ることができて……それも一緒に走ったからこそ、本当にすごい自転車だなぁって思えて、

 それが、僕にとって一番の宝物です。

 本当に、皆さんのおかげで、楽しかったです。ありがとうございました」




 何度も言葉に詰まりながら、それでも紡いだ本心を、空は語り終えた。最後に、茜の方に顔を向ける。

「だ、ダメかな?」

 茜は、ふふっと笑った。

「まあ、優勝者のスピーチとしては3点だな」

「10点満点で?」

「100点満点で、だ」

「うわ、厳しいよ」

 空がきゅうっと小さくなる。それを見て、茜はさらに背中を曲げて笑うのだった。

「まあ、でもいいんじゃないか。見てみろよ」

「え?」

 茜が指さした、ステージの下。

 参加した選手たちは、空に手を振ってくれたり、茜と同じように笑ったりしている。ただ、誰も嫌そうな顔をしていない。

「空がそういう奴だってこと、アタイを始め全員が知ってるからな。だから、それでいいんだよ」

 あるいは、自転車なんてそんなもので、空の言ったことは割と共感される内容だったのかもしれない。


 自由に

 転がせる

 車


 そこには貴賤も、勝敗も、実はなくて、

 空の言う通り、その車体が与えてくれる時間すべてが、宝物なのかもしれない。




「それでは、茜さん。準優勝者として、あるいは空さんをずっと引っ張ってきた相棒として、今の感想をお願いしま――きゃっ」

 頭をさすりながら歩く三隅が、マイクを茜に差し向けようとして、危うく転びかける。

「だ、大丈夫かよ?」

「はい。何か引っかかったみたいで……あ、さっき脱ぎかけたパンツですねぇ」

「穿き直してから再登壇してくんねーかな!?」

 会場がどっと笑いに包まれる。ここにいる全員、ミス・リードがどんな人なのか分かっているからこそ、いまさら文句も無い。

「さて、それでは改めて、茜さん。どうぞ」

「どうぞと言われてもなぁ……アタイは何も語ることは無い。本当なら、優勝して『これがアタイの実力だ』とか言ってやろうと思ったんだけど、空に負けている状況で言ってもカッコつかないし、な」

「えー。じゃあ、『みんなの応援でここまで来れました』とか『頑張ってきたから勝てました』とかはどうですかぁ?」

「却下。それも天仰寺や下のみんなに悪い気がするだろ。みんなが沢山の人から応援されてただろうし、みんなが頑張ったさ。アタイだけじゃない」

「頑固ですねぇ……何かコメントを頂きたいんですけどぉ。普段の一人エッチの回数とか」

「もうそれ大会関係ないじゃないか!」


 とはいえ、茜もこれで自分の番が終わってしまうのは寂しい気がする。

「なあ、空。何かネタあるか?アタイに語ってほしい事とか」

「え?えーと」

 突然のフリに、空は視線をさまよわせる。そして、思いついた。

「そういえば、罰ゲームがあったよね。『負けた方が恥ずかしい秘密を暴露する』ってやつ」

「え?あ、あったけど、ここでか?」

「ダメなの?」

「あ、いや、その……くっそ。アタイも軽い気持ちで提案したけど、まさかこんなヘビーな罰ゲームになるなんて想像してなかったぜ」

 あとでこっそり空にだけ伝えようと思った、恥ずかしい秘密。もちろん、空に勝てたらずっと内緒にしておこうと思っていた秘密。

 ここ数日で気づかされて、一度気づいたら止まらなくなっていた、そんな秘密を――

「分かった。言うぞ。一度しか言わないからな」

 深呼吸して、キッと前を向く。それから大衆の視線や、テレビカメラのレンズにさらされている事を認識し、

 それでも、言う。

 くるりと左を向いて、空に。


「アタイは、空が好きだ」


「…………え?」

 突然の事で、空は顔を赤くした。茜に至っては耳まで真っ赤なのが、目の前で確認できる。

「そ、それって」

「言っとくけどな。クラスメイトとして、とか、自転車乗りとして、とか、そういうのじゃないからな。アタイだって一応は女子なんだよ解るよな」

「あ、うん。はい……」

 空の解ったような解ってないような返事をよしとしたのか、茜が頷いて腕を組む。彼女がこの仕草をするときは、だいたい何かしら不安だったりしたときだ。


「ねえ、茜。それじゃあ……僕が負けた時に教えようと思ってた秘密も、ここで言っていい?」

「はぁ?ダメに決まってるだろ。お前は勝ったんだから、その秘密は閉まっとけ」

「閉まっておきたかったけど、そうもいかなくなったんだよ。だから聞いて」

「アタイへの同情か?そんなん要らねーんだよ。アタイは負けたから秘密を言った。お前は勝ったから秘密を言わない。それで終わりだ」

「終わりに出来ないんだよ。むしろなんでこの流れで聞かずに終われると思ってるのさ」

「なんでアタイが責められてんだよ!?」

「茜のせいで僕も言わなきゃいけなくなったからだよ!?」

 お互いににらみ合って、それからどちらともなく笑いだす。なんだかよく分からないことで喧嘩を始めちゃったな、と。自分たちでそう思ってしまったのだ。

「仕方ない。聞いてやるから言ってみろよ。確か去年の秋ごろからずっと秘密にしていたネタだったっけ?」

「うん」

 空が茜をまっすぐ見る。それが……なんと言えばいいのだろう。見られている茜自身も、なんだか不思議な感じがする視線だった。いつもは茜の方が少し高い視線も、今は表彰台のせいで空の方が高い。


「本当はね。僕の方が、先に茜を好きになったんだ。それからずっと、言い出せなくて……」


「――!?」

 茜の口の奥から、何かよく分からない声が出る。それを抑えた茜は、落ち着くために咳ばらいをひとつしてから切り返す。

「お前の事だ。それこそ『友達として』なんだろ」

「えっと、それは分からないんだよ。ゴメン。茜と違って、こっちは『そういう意味』なのかどうか、はっきりしないんだけどさ」

「何だそれ?お前、友達多いだろ。なんで分かんねーんだよ」

「それは、まあ、好きな友達はいっぱいいるけどさ。そういうのと違うんだ。僕、こんな気持ちは初めてで、茜だけで、他に比べようが無いから解らなくて――」


 空の気持ちが、いつまでもあふれて、どこまでも零れていく。

 涙になって、鼻水になって、ああ、もうぐちゃぐちゃで……


「ああ、待て待て。この流れで泣くなよ。もうどうすんだこれ?」

「だ、だって、だってっ」

「ああ、はいはい。男の子だろ。ほら、よしよし……じゃねぇよ!なんでアタイがお前をよしよししなきゃならねーんだよ」

「好きだって言ってくれたじゃん」

「訳わかんねーよ。ああ、もう。ちょっと後ろに下がれ。表彰台の高さ的に」

 まったく、こんなきっかけで表彰台の一番上に登ることになるとは、茜もびっくりである。でも、仕方がない。空の隣に勝手に上って、そのまま空を抱きしめる。

「よしよし……なあ、これ絶対あり得ない絵面だからな」

「うん。えっと……ごめんなさい」

「分かった。分かったからそのまま顔をうずめてろ。アタイの顔を見るな」

「な、なんで」

「お前と同じくらい汚いからだよ!言わせんな恥ずかしい」




「えー、3位のジュリアさん、何かコメントありますかぁ?」

「コホン。それでは4位以下に終わった下々の皆さん、並びに会場に来てくださった民衆たちの声を代表して、この天行寺樹里亜が代弁させていただきます。……表彰台でイチャイチャしないでくださいなーっ!!解散」






 勝った、負けた、

 何かを得た、失った、

 出会えた、別れた、

 分かり合えた、ぶつかり合えた、

 気づけた、知っていた、

 たどり着いた、立ち止まった、走り抜いた、


 全て、自転車が運んでくれた。

 この大会は、世間に大きく注目をされて、そのうち話題にも上らなくなり、誰もが忘れていくだろう。

 それでも、自転車が人の隣に寄り添う限り、物語は終わらない。

 いつか、また新しい物語を紡ぐ人と、その人に寄り添う自転車が登場するだろう。

 次の主人公は、これを読んでいる君と、君の求めに付き合ってくれる自転車かもしれない。

 その日を、彼らは心待ちにしている。

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