種まき

snowdrop

種まき

 あなたは友達をつくるのがうまいね、と母に言われたことがある。

 あれはいったい、いつのことだろう。

 おぼえがない。

 どうして、そんなことを、いまになって、思い出さなくてはいけないのだろう。


 同級生が結婚した、と人づてに聞いた。

 彼女とは友達だった、と思う。

 でも、いつのころからか、疎遠になってしまった。

 選んだ道がちがったから。

 たしかにその通りかもしれない。

 しれないけれど、あまり正しくない気がする。


 いまのわたしには、友達と呼べる人がいない。

 友達ってなんだったかな、と考えてしまう。

 ひとりぼっちがさびしい。

 だから、甘えて寄りそいたい。

 それもわかる。

 でもなにかがちがう気がする。

 なんだろう。

 さびしさと甘えはにているけどちがう。

 どこか似ている気もするのだけれど。


 ひとが怖い。


 口に出してみる。


「ひとが怖い」


 誰も心のなかまで覗いたりしないのに、ひとが怖い。

 誰も傷つけるひとはいないとわかっているのに、ひとが怖い。

 傷つきたくない。

 はずかしい、なにを隠しているのだろう。

 隠すことなんて自分にはあるのだろうか。

 さびしい、なんてつぶやく口からため息が漏れる。








「ため息は人生のかんなだよ」


 昔、つきあっていたひとが言った言葉だ。

 毎日が同じことの繰り返し。

 めまぐるしい時間の群れにあわせて走ることがすべてだった。

 なにもかもが慌ただしく、ただただ流されていく、自分が怖くなっていた。

 ちょうど、そんな時期だった。


「それって、どういう意味?」


 わたしはたずねた。


「言葉通りの意味だよ」


 かれは答えた。


 そんな説明ではわからないんだけれども、とぼやいてみせると、かれは小さく笑った。

 わたしは笑っていない。

 かれは笑って、教えてくれた。


「きみががんばってるのはよくわかる、疲れてるってこともね。やりたいことをしてる、わがままなんだ、わがままなことをしてるのだから誰にも文句は言わせない、その分、傷ついて苦しまなくてはいけない。グチのひとつやふたつも出てくる。いいんだよ、言ってもね、お酒飲みながら、ぼやいて、ため息ついて、またがんばる、それでいいんだけれどもね。そういう生き方してるからきみは疲れてるんだよ。ため息ひとつつく度に、きみにとって大切ななにか……そう、きみらしさってのが削られているんだよ。ぼくはそれをみているのが切ないくらい苦しいよ」


 かれは笑うと口元にしわが入るひとだった。

 目も糸のように細くなる。

 かれのそんなところがすきだった。




 本棚の奥にしまってあるアルバムを引っぱり出すみたいに、思い出が顔を出すときがある。

 その度にわたしはさびしい。

 一度開かれるととめどなくあふれてしまう。

 止まらない。

 未練なのだろうか、とつぶやきながら、さびしいからなのよと自分に言い聞かせた。






「どんな花がすきなの?」


 なんとなしに、わたしはかれに聞いたことがあった。


「白桔梗」


 かれは応えた。


 朝顔とか百合だとか、ごくごく平凡な花の名前が出てくると思っていた。

 予想外のかれの言葉に、なにを話そうとしていたか、わたしは忘れてしまった。

 そっかー、花に詳しいんだあ、からだの奥から言葉がにじみ出てくる感じだった。


「白桔梗の、どこがすきなの?」


 わたしは白桔梗が、どんな花なのか知らなかった。

 とにかく白いのだろう。

 それぐらいしかわからない。


「雪のようだから」


 かれは言った。

 桔梗は秋の七草のひとつで、万葉集に読まれている朝顔は桔梗のことだよとも教えてくれた。


「ところで、きみはどんな花がすきなの?」


 かれの言葉に、わたしは困った。

 とくにすきな花なんてなかった。

 ろくに花の名前も知らなかったのだ。

 かれが困るところをみたかったからとっさに聞いたの、とは言えず、つい「朝顔」と応えてしまった。

 朝顔の花しか思い浮かばなかったからだ。

 かれの語ってくれた白桔梗と比べても劣ってしまう。

 わたしは、はずかしくて下を向いてしまった。


「白桔梗と似てる花だね」


 かれは言った。

 顔を上げて、そっとかれをみると笑っていた。

 ばかにする笑みではないことはすぐわかった。


「朝顔の種からは朝顔だけが芽を出し、白桔梗の種からは白桔梗の花が咲く。当たり前だけど、不思議だね」


「どこが不思議なの?」


「ぼくは白桔梗をすきになった。それまでにいいことも悪いことも繰り返してきた。朝顔をすきだと言ったきみにも悲喜こもごも、いろんなことがあったと思う。それって、花の種と似てないかな?」


 花の種?

 なにをこの人は言い出したのだろう、そう思いながらわたしはかれの顔を黙ってみていた。


「良い考えで行動すればいい結果になるし、悪い考えや行動は悪い結果しか生まれてこないってことだよ。その時々の自分の心と行動で、結果の善し悪しがあらわれてくるように思うんだ」


 なるほど、そういうことか、わたしは、なんとなくわかるよと応えて笑った。


「種が、芽を出して、葉を広げて、つぼみをつけて、花となり、実を結ぶ、黙っていても必ず結果は同じって思いがちだけどそうじゃなくて、そのときそのとき、自分が望む良い結果を願うことは大切だよね」


「うん、そうだね」


「種をまくときも育てていくときも、おろそかにしちゃいけないんだよ、うん、そう思う」


 時々かれはこむずかしいことを言ってわたしを悩ませた。

 なにが言いたいのかわからないんだけど、と思うときもあった。

 だから別れたのかもしれない。

 別れるとき、きみはもう少し素直になった方がいいと言われた。

 そして、うつくしく咲き誇る花の生き方を忘れないで、と告げられた。







 かつて、たくさんの友達がいた。

 なのにいまは誰もいないさびしさが胸の奥からにじみ出てくる。

 手のひらが濡れている。

 汗を拭うように、部屋中かき回してアドレス帳を探す。

 みつけた。

 あわてて開く。

 人差し指で白桔梗のかれを捜す。

 その指で土に穴をあけて朝顔の種をまくように、携帯電話のボタンを押した。

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種まき snowdrop @kasumin

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