D.G.ハスケル『木々は歌う』

D.G.ハスケル『木々は歌う』築地書館、2019年。


著者の文理の隔てない教養・知見・詩心に圧倒される本。


次の作品を執筆するため、ひろーく資料を探していたのだが、タイトルでピンと来て読み始めた。なにしろ「木が歌う」とは拙作『歌声』にも出てきたことばなので、自分の関心に沿ったものが得られるのでは、と思ったのだ。


世界各地のさまざまな種類の木について、10種類程度、生態や人間とのかかわりなどを書いた本、と言えば一応の紹介になるだろうか。著者は詩でも著書があるアメリカの詩人兼生物学教授。とりあげる木も、世界各地と言いつつ北米が多いが、次に多いのが日本だ。和紙や盆栽、日本文学についても触れられているので、入りやすい。


木はなにもない空間に立っているわけではない。森のなかで、あるいは都市の街路で、農地で、土のなかに根を張り、微生物やほかの動植物、人間とかかわりながら生きている。木にも知性がある、というのが本書に通底する考え方だ。ただしそれは、人間のように「個体」だけに存在するものではない。木は、根に住む微生物や、花や実に吸い寄せられる動物などと、化学物質をやりとりすることで「会話」し、世界を理解し、それに対して対応策を取る。栄養を得たり、呼吸や光合成をし、生長し、世界と関わる。生態系を構成する生物の総体としての知性である。


世界の先住民たち、アメリカのひとびとがつよくいま意識しているであろうファースト・ネーションのひとびとは、その生態系のなかに自分を置き、人間がほかの生物と調和する術を得ている。なぜならその土地に長く住み、うまくやるやり方を蓄積しているからだ。総体としての知性には、人間の知性も含まれている。その知性は、生身で実践・経験することの積み重ねだ。孤立している知性とはありえず、木のように他者との関わりのなかでしか生きることがない。


西洋の近代に構築された考え方とは相反するものだと言えるだろう。知性、あるいは美的感覚は、個人のこころのなかにあると考えるのが西洋近代の考え方だ。「環境問題」と言って、自然を他者化し、自分と切り離す考え方もそうだろう。だが、それではうまくいかない、と著者は示す。戦争や差別など、現代の諸問題も、著者は「関係性のなかの知性」によって考えるべきだと言う。植民地支配やシオニズム、産業化などで先住民が故郷を追われてしまった、そのおおきな綻びも、人間の手で繕えばいいのだ。先住民のやり方に学び、自然に対する考え方を変えていくことで。


文章は詩的なものを多く含み、五感に訴えるような箇所も多い。木々が葉をゆらしてざわめくさま、葉に雨が落ちる音、針葉のにおい、そういった描写が美しい。人間を自然のなかに置く、効果的な表現だと思う。この本を読んでから森に入れば、街路樹のそばを通れば、いままで感じなかったものが感じられるだろう。

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2019年に読んだ本のこと 鹿紙 路 @michishikagami

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