第3話「ゲッティング」
今日も今日とて、喫茶ノーチラスは平和だ。
客が全然いないからか、父さんもカウンターで居眠りを決め込んでる。まあ、寝てない時は新聞や週刊誌を読んでいるけど。
とにかく、客がこない。
だから
「あら! まあ……凄いわ、家庭科で作ったのより
「ふっふっふー! でもでも、シホミさんって
「ふふ、それほどでも……あるわね。私、多才ですもの」
「ア、ハイ。いやー、自分で言っちゃうかなーって」
キッチンでは、シホミさんがヨナさんから料理を習っている。
うーん、いい匂い……ちょっと、僕もご
ちょうど小腹も空いてくるうららかな午後、もうすぐ時刻は三時半だ。相変わらず外には灰色の壁があって、空も海も全く見えない。
んで、オムライスのあの、ケチャップの香りが
僕は相変わらず、宿題を片付けたあとも少し店内に残っていた。
ちらりと見やれば、入り口のあたりでリカさんが電話中だ。
「ちょ、マジー? マジで?
随分とおしゃべりが盛り上がってるようだ。
っていうか、勤務中じゃないの? アルバイトに来てるんだよね? まあ、僕だって客じゃないから、なにも言えた義理じゃないけど。
日頃から閑散としてるが、今日はいつにもまして客がいない。
ゼロだ、全くいない。
「おっけ、
何語ですか? はい、わかってます……ギャル語ですよね。
さっぱりわからない。
でも、なんだかリカさんは楽しそうだ。
そうこうしていると、期待通りにオムライスを持って、シホミさんが現れた。でも、なんで? どうしてヨナさんまでオムライスを? や、夕ご飯もあるから二皿はちょっと。
「ハジメ君! なかなかの自信作よ。なら、君は食べるべきね! 絶対に美味しいんですもの」
「いやいや、ここは
「えっと……じゃ、じゃあ、三人で一緒になら」
向かいに二人で並んで、一緒にオムライスの皿を出してくる。
だが、リカさんは相変わらず電話に夢中だった。
「もー、いいよぉ、そゆの。あーし等、友達じゃん? こないだM
ああ見えてリカさんって、人当たりはいいし義理堅いんだよな。貸したCDとか、返してくれる時、必ずお礼のお菓子とかくれるし。……なんでギャルやってんだろ。
さてとスプーンを持って、どちらから食べたものかと思案する。
だが、
ほぼ同時に、相手を指差し二人で向き合う。
「ゲッティング!」
「ええ、ゲッティングね」
「あー、はいはい! ゲッティングー!」
「ふふ、ふふふふふ! ゲッティングでしてよ!」
――始まったか。
いやまあ、止めはしないけど。
でも、僕はいつものようにスマートフォンを手にとった。
語感から察するに『ゲットしました』みたいな感じだろうか?
あ、違った、近い、ニアピンだけど違う。
へー、ゲッティングで『交渉成立』かあ。
ギャルって、無駄に深い!
で、シホミさんとヨナさんはというと。
「ゲッティングってよく使いますよねぇ。ゲッティングナウ! みたいな」
「え、ええ。
「ま、まあね! あはは! わたしだって日々欠かしませんぞデュフフ」
「と、当然でしてよ。だって、その、ほら、その……そう、
お嬢さん方、およしなさいな。
知ってますよ、二人共ちんぷんかんぷんだってこと。
無理してしったかぶろうとしてること。
「……でー? シホミちゃん、ゲッティングって? あ、いや、そっちの学校じゃどうなのかなって」
「がっ、学校! ……ですか? え、ええ、そうね。……結構、大きいんじゃないかしら」
「大きい! そ、そゆもんなんですかぁ? あ、いや、そっちね、あーわかる、そっち系!」
「そうなのよ、うちって無駄にお嬢様学校でしょう? 大げさなのよね、オホホホホ!」
ゲッダン、揺れる回る切ない気持ちー♪
見てて切なくなるのは僕なんだけど、毎度のことでちょっと面白いから放置しておこう。そして、どっちのオムライスも美味しい。両方半分ずつ食べて、お茶を
そう思っていると、不意に二人は立ち上がった。
示し合わせたように、突然ヨナさんがリズムを
「
戸惑いつつシホミさんも応じた……無駄にノリのいい人だなあ。
「いつだって恋は進行形、INGつまり心臓KO、だから必要いつでもゲッティング!」
「オーケー、シホミちゃん教えてカモーン! ゲッティング、う、ま、い?」
「うまいもうまい、超オ・イ・シ・イ! ほっぺも落ちれば舌もとろける!」
なんでラップバトルなの? ねえ、なんなの?
ドープなライムがリリックしちゃうの?
でも、二人は互いに引き下がらない。
素直に一言、わからないって言えないんだ。
あと、スマホで調べるって概念がないんだなー、これが。
「……ハァ、ハァ……やりおるわい! シホミさーん、ほんとなんでもできちゃう~」
「ほ、ほほほ……当然ですわ。まあ、ヨナさんもライムなリリックにドープでしたわ」
「で? ゲッティング、だよねー?」
「ええ、ゲッティングです。……まあ、知ってますわ、それくらい」
改めて座り直すと、シホミさんは両の手を組んでテーブルに肘を突く。
特務機関の人類を救う立派な仕事の人みたいに、話し出した。
「ゲッティング、つまり……いわゆるゲット、獲得したという現在進行系。……普通ならそう思うでしょうね」
なんで? どうしてわざわざ難易度ベリーハードに突っ込むの?
「そうなのよねー、そこがまたゲッティングの罠っていうか、奥深いとこでさあ。ね、シホミちゃん」
「そうよ。まあ、うちでは……よく食べるわね、ゲッティング。とても美味しいもの」
「たっ、食べ物!? ……だよね、うん! そうそう、うちも家族で食べるかな」
もうよせ、これ以上戦うな!
僕はオムライスを吹きそうになる。
だが、互いを牽制するようにチラチラ見ながら、二人は必死でマウントを取り合う。
「ゲッティンってのがあって、ティングは確か……ええ、確かラテン語で『煮込む』って意味ね。ゲッティンのティングで、ゲッティングなのよ!」
「あー、うん! ゲッティンは鮮度が命だよねぇ。わたしはトマトソースで煮込むかなあ」
「まあ、す、素敵なアレンジね。最近は漁獲量が増えたからか、ゲッティンが減少傾向ですわ」
「魚だったんかーい! って、あ、そうだよねー! 乱獲イクナイ! だよねー」
「え、ええ……そうよ! それで、だけど……ヨナさんはお料理、得意よね?」
「モチのロン! ラーメンだって
「じゃ、じゃあ、今度……そ、その、ゲッティング、ご
「ゲッ! ……ティング、を、わたしが。あ、ああ、うん! いいよー、わたしのゲッティングはシチリア風だけど、そうね……じゃあ、シホミちゃんはゲッティンを仕入れてきて、ね?」
「はうっ! ……え、ええ! いいですわ、いいですとも!」
張り合う中、虚構と虚栄を嘘で飾る。
そうしてまで知ったかぶるのが、この二人のクオリティだ。
だが、どうやらお互い満足したようで鼻を鳴らしてる。
なにその『論破したぞい!』みたいな顔……『言い
なんかもぉー……かわいいなあ、なんて思ってしまう。
年上のお姉さんに失礼だけど、なんていうか、うん、かわいい。
元から美人三人娘だけど、なんていうか、犬や猫と同じようなかわいさだ。
「じゃあ、いつかわたしの家に遊びに来てね、シホミちゃん! 腕を振るうから!」
「まあ、嬉しい……友達に御招待を受けるなんて。いつか
「オッケー、交渉成立だね!」
「ええ、交渉成立。約束しましてよ?」
あーあ、真実はいつも二人のすぐ横をすり抜けてゆく。
今日も今日とて、見えっ張りな知ったかぶり同士が見えない知識顕示欲の
ま、いいんだけどね。
僕はどっちのオムライスも美味しかったし。
とまあ、そんな感じでそろそろお
「あっ、なに? え、これシホミっちが作ったの? ヨナっちは料理上手だけど、シホミっちが……ちょい一口! 一口だけ!」
あっ、ちょっとリカさん!
その……僕が使ったスプーンで、パクつかないで。
えっ、なにこれ……いや待て、駄目だぞハジメ!
やばい、おさまれ僕の中の
妄想よ暴発するな、ああ……でも、周囲の声が遠ざかって……
「ちょ、リカ氏まじですかー! かっ、かかか、間接キスした!」
「……リカさん?
「んー? ってか超うめーし! どっちもいけてんじゃん? あざましー」
こうして今日も、僕の放課後が無駄遣いされてゆく。
それにしても、この三人……どうしてこんな
駄目だ、想像できない……まったくもって
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