第24話 白の大地

「これは大長老がヌシに向けて残しておいたもの。受け取るが良い。」


 男はこちらに小包を手渡してくる。ヤケに汚れたように見えるそれはかなりの時の経過を感じさせる。単純に考えてしまえば、それだけ昔から私がここに来るということを知っていた.......その為に何かを用意していたのだと考えると脳裏にあの老人が浮かんでゾッとする。


「一体何者なんだ.......?」


「ただの人間ですよ。ただ他の人間よりも血が濃いだけでその他は何も変わらないただの.......。」


 その意味は理解に苦しむものがある。彼は何故か不気味に笑みを浮かべているが、それにどんな意味があるのかも分からない。


「では貴様は何者だ.......?」


 私は男に問いかける。すると彼はその大柄な身体を小刻みに震わせる。恐ろしい投擲.......それに準ずる戦闘能力と、未来視を思わせる予知能力。その片鱗は彼のそれにも確実に見えた。


「同じ。ただ他の人間よりもほんの少しだけ血が濃いだけで.......いえ、ほんの少しだけヌシに近いと言うべきであろうか。」


「じゃあ、あんたのさっきの攻撃。あれは一体なんだったんだ?」


 シュラスが問いかける。それが人間業では無いことは明らかであった。


「それを聞くならばこちらからも同じことを聞きたいのだが.......まぁいいだろう。

教えることは出来んが、この少数民族の中から五人のみに知ることを許された大長老の技術と言えば良いのだろうね。残念だがヌシにはその一端も触れさせる訳にはいかない.......。教えようとしたところで純正で無ければ会得することはまず不可能であるからな。」


「純正?」


「そう。混ざりものでは無い.......ということだ。ただし勘違いするで無い.......血が濃いことはただのメリットでは無いこと、そして民族としては混ざり物の方が遥かに優秀であるということを。だがそれ故に我々は迫害されることを知っていたのだがな。」


 シュラスはその言葉の意味が分からないようでうーんと唸っている。私のその意味を理解しようとすればほとんどが推測に頼るものであり完全な正解であるという確証は持てない。しかし彼はきっと私がその先を問いかけたところで答えをほいと寄越すような人間ではないことを知っている。


「こちらからも一つ聞かせてもらうが、先程の一撃。決して易しいものでは無かったはずなのだ.......しかし何故あれほどまでに簡単に流せた?

あれこそ貴様がただの人間であるとは思えなかったのだが?」


 シュラスは明らかに戸惑っていた。彼の行動は最近私にも視ることが出来ない.......視ようとすれば黒く靄がかってしまうのだ。そして向上しつつある体術。人間によく有る、成長期ってものによる身体能力の向上なのかもしれないが彼のそれは人間の域を出ようとしているようにすら感じられた。


 それでも当の本人はただの技術の向上によるものであるとしか思っていないようで今回も答えに悩んでいるのは当たり前だと思っているからであろう。


「俺はただ攻撃が来るって分かったから受け止めたってだけなんだ。勿論心得はある。俺の師匠の流派では衝撃を逃すことに特化した技術があってそれを利用.......あれ。」


 そう。シュラスも今気づいたようだがあの時の彼は確実に受け止めていた。受け流していたとは到底思えないほど正面から直にあの一撃を受けていたのだ。


「自身ですらも理解出来てない.......ということか?」


 男が初めて見せる驚きの表情。


「もういい。これ以上聞いたところでヌシからは答えを得ることは出来ないのだろう。」


 男は呆れたように首を振って急に興味を失くしたのか、シュラスへと目線を合わせようとしなくなっていた。


「今日はどうするつもりだ?」


 男が空を見上げる。煙が反射する薄い光のそれは半球状のものから発せられる薄白い光であり、既に時刻が半日を経過させたということを知らせる。


「今から渡ることは不可能に近いだろうな。」


「そうだな。ヌシもまだ不慣れな身であることも考慮するならば朝方を待つべきであろう。それに先程試してしまったのだろうな?

表面上疲れは見えてないが、休むことを推奨しておく。それと.......いや。」


 男は急に口を噤んでしまう。そして何かを考えているのだろう、小さく唸りながら空を見上げている。


「何かあるのでしょうか?」


 ミルラが耐えきれずに問いかける。しかし彼はやはり悩んでいるようで、手を振るだけで言葉を口から出そうとはしなかった。


 それでも彼が言おうとしていた事が今聞かなくてはならないような気がしてならなかった。


「話しては貰えないか?」


「何、そこまで重要な話という訳では無いのだが。いや着いてきてくれ。」


 男は一つの民家へと私たちを誘う。その後は何も言わずに誘われるままに薄暗い部屋の中へと入っていった。小さな火種が一つだけ.......それが唯一の光源となっているその家の中は些か以上に視界が悪い。


「好きに座ると良い、足元には何も無い。遠慮することは無いのだからな。」


 私達は一度互いに見合わせて、仕方なく言われるがままに座ることにした。足元はどうやら乾燥させた藻類か草を固めて敷き詰めたようでざわざわとした感触がある。しかし、不思議と暖かであり不快感は無かった。


「こんなこと、話したところで何が変わる訳でもないだろうしそれが問題となるとも思ってないのだが。一つ忠告しておこうか。ヌシのその力、ほかの力と違って疲労自体はそこまで感じなかったのだろう?」


 何故そんなことを知っているのかという疑問。これまでにほかの場所でも今回のような龍同士の争いがあったということなのか。いやそんなことを考えているべきでは無いのかも知れない、彼は知っているのだから考えたところでどうしようもない。


「あぁ。その通りであるがそれがどうしたというのだ?」


「それだけの力。疲れないはずがないだろう?

必ずそれだけの代償は体にのしかかることを覚えておいた方が良いだろう。そして、その石は呪いの力.......あまり使いすぎてしまえばヌシは人間でも竜でも無い曖昧な存在に成り果ててしまうということを覚えておいた方が良いな。疲れるだけだと思っているうちはまだ幸せな方である.......。」


 男の表情は薄暗くてよく見えない。それでも何故か哀れみを込めたような眼だけが酷く鮮明に見えてしまったようで.......。


「貴様。本当はどこまで知っている?」


 つい、声を荒らげてしまう。


「知ったところでヌシが出来ることはなんも変わらない。だがもしヌシが本当にこの世界を変えることができるようになったならば、このような地下で暮らすしか無いという民族がいたことを思い出して欲しいというだけ。理由なんて何れ分かるものをわざわざ言うことが本当に嫌いな愚かな長老からの願いだ。」


 男はそう言うと柱に体を預けて座り込んだ。


「疲れを残しては明日は超えられないのだろうな?

少し狭いかもしれないが体を休めるべきだ。」


 男はそう言い切ると眠りについた様で寝息が狭い空間で響いた。私達も眠りにつくことにした。きっと彼らは明日から先のことを何も知らない、何も理解しようが無いはずであるが.......。



 目覚めは良好。少し煙たいのが玉に瑕ではあるものの自身の起きたいタイミングで起きれただけでもまぁ良しであると言えるだろう。


「目覚めたか。先の包、中身はヌシの想像の通り大長老の伝書という訳だが、昨日の通り他の者には口外しないで頂きたいのだ。した所でどうしようも無いであろう、それでもこちらの伝統である故に守って頂きたい。宜しいか、白龍殿。」


「あぁ。確かに聞いた。」


「その返事を聞けたこと、嬉しく思う。今日はどうやら快晴のよう。もうこの地に残すことは無いのだろうな?」


 男に問いかけられて、脳にはこの地の事が頭に浮かんでくる。やり残していることは幾つもあるだろう。しかし今の私.......ただの人間にどうにか出来るような課題ではないことは明白である。物事を後に回してしまうリスクは承知しているが、それでもそうする他あるまい。


「無い。」


「そうか。ならヌシの無事を祈ろう。」


 男はそう言って家を出る。ふと周りを見渡してみれば全員既に起きていた様で、目を擦りながらも立ち上がりゆらゆらと外へと出ていく。


「行きましょう。」


 ミルラの声に反応して私も外へと出ていく。そしてあの階段を登りきり、やせ細った地面と共に朝日を浴びる。暖かな陽気が体に染み渡り、体が覚醒していくのを感じる。


「すみません、船に乗れていれば楽を出来ていたと思うのですが.......。」


「いや、それは私の落ち度でもある。考えても仕方ないだろう。」


 私は岩に腰を下ろして欠片を四つ手のひらに載せる。


「この海を抜ければ赤の大地。辿り着くことが出来ればどうにでもなるはず。ご武運を。」


 彼はそう言うとまた地下へと帰って行った。


「クルネとはここでお別れだ。これ以上先には馬は連れていくことは出来まい。そしてこれ以上私達の為に危険を犯させるわけにはいかない。」


 私は袖口から小さな紙袋を取り出す。ジャラりと重みを感じるそれをクルネの小さな手のひらに載せる。


「約束の報酬だ。好きにするが良い。」


 クルネは驚いたように紙袋を握りしめていた。


「お別れ.......そんなの寂しいネ。あたしも連れていってもらうことは出来たりしないのネ?」


 クルネは泣きだしそうな表情でこちらへと問いかける。しかし、どうしようもないのだ。


「今の私に馬を運ぶだけの気力は無い。貴様にとってその馬は大切なのだろう?

それに先程も言ったが、これ以上一般人を危険に晒すことを私は望んでいないのだ。何れ私がこの地に戻ってくる時には必ず全員で会いに行く.......だから今回は見送ってくれ。」


「でも.......。」


 クルネは悲しそうにこちらを見つめているが、もう私にはどうしようもないのだ。やがて泣き始めるが時間の経過で悟ったのか、クルネは馬に跨った。


「約束.......必ず会いにくるネ.......。あたしはまたあの街で皆を待ってるネ.......。」


「クルネ!!.......また.......な。」


 シュラスが寂しそうにクルネの手を握った。


「また会いましょうクルネさん。」


「クルネ様、貴方にたすけられたことはここにいる全員が知っています。必ずまた会いましょうね。」


 クルネは涙を袖で拭って元来た森の方へと走り出して行った。寂しいという感情は慣れていないもので一人いなくなっただけだというのにとても静かになってしまったように感じられた。


 しかしそんなことを気にしていられるような程易しい世界に飛び出している訳では無いことは重々に理解している。だからこそ今は今後のことのみを考えるべきなのだ。


「私は長くは持たせられないだろう。だから発ってしまった後は貴様らに任せる部分も多くなる。頼んだ。」


「ヴァイス、ちょっと待てよ!発つってまさかあの姿で飛んでいくって言うんじゃないだろうな?」


「まさかも何もそれ以外になんの手段がある?」


 説明は一切無かったのだから疑問に思っても仕方はないのかもしれないが、それでも手段が無いのだ。他の奴らがどうしているのかは私には分かりはしないが今の私に出来る最良の手段だと思われた。


「分かった。無理するな.......なんて俺たちが言えた立場じゃないが、お前の身が最も重要ってことだけは忘れるなよ。」


「あぁ。」


 私は両手で強く欠片を握りこんだ。光が全身を包み込む。眩しさから瞳を閉じると体が浮遊するような感覚に包まれていく。そして眩しさから解放され瞳を開くと体が白銀の鱗に覆われていた。


「時間が惜しい。掴まれ.......と言ったところで私が飛んでしまえばしがみついていることなど不可能に近いだろう。だから.......。」


 私は両の手を合わせてみせる。


「まさかその中に入ってろって事じゃないだろうな.......。」


 シュラスの小さな声が聞こえる。


「そのまさかだ。それともいつ振り落とされる恐怖と戦いながら私の体に掴まるか?

私はどちらでも良いが態々助けに行けるかどうかは保証できん。」


 そんなつもりは無いが、あくまで円滑に進めるための口述である。しかしそれが効果覿面であったようでシュラスは真っ先に手の中へと入り込んだ。


 不思議なもので、人間の体の感覚がまだ残っている為にこの体の感覚の方が違和感に感じられる。分厚い皮膚と細かいながも剛毛が生えているせいであまり感覚は無いのだがそれでも妙に手のひらが擽ったいように感じる。


 その後に全員が入り込み、落ちることがないように柔らかく握る。


「苦しくはないか?」


「はい。大丈夫です。時間が無いのでしょう。急ぎましょう。」


 きっと彼らは私が少し握りこんでしまえばただの肉塊と化してしまうだろう。少しこの爪を内側へとくい込ませてしまえばきっとその柔らかい体をいとも容易く貫いてしまうだろう。


 私は細心の注意を払って大きく翼を広げた。久々の感覚ではある、人間の体には無い筋肉のはずだと言うのに体はその使い方を忘れてなどいなかった。


 大きく羽ばたくと体が中に浮かびまた羽ばたくと体は海上へと飛び出した。


「すげぇぇぇぇぇ!!」


 シュラスが嬉しそうに声を上げた。風の音で微かにしか聞こえなかったものの、この環境を楽しんでいるというのは悪い気はしない。


 しかしレーネとミルラは多少厳しいのか、声を上げることは無かった。しかし暖かな陽気と仄かな潮の香り.......そして身体中を撫でる風は懐かしくそして何より気持ちがよかった。


 体の疲れはまだ無い。飛び立つ時に一番不安視していたものではあるが、翼も体もまだ飛ぶことには支障をしたすことがなさそうで安心する。


 そして三割程度だろうか、進んだ先の海の色が変わり始める。美しい水色が長く続いてきたが前方の奥からは深い藍色の海が広がっている。


「初めて見た。なんで海の色が変わってるんだ?」


 シュラスが不思議そうに問いかけてくる。


「あれはその昔に神が海洋生物の発展の為に深く掘った故に色が濃く映っているのだろう。」


 そう言ってやるとシュラスは納得したのだろうか黙ってしまった。


 それから暫く進み半分程に差し掛かった辺りで目の前には真っ黒な壁が立ち塞がっていた。神が作り出した人間達の交流を阻む最後の砦、嵐壁である。


 そしてこれは私のことを想定している故か、高くなればそれだけ制圧力を増している。無論天の全てを覆い尽くしているわけでもなければ私が本気で高くまで上ってしまえば避けることは可能ではある。


「なんだよあれ.......。」


「少し速度を上げる。吹き飛ばされることのないように注意するが良い。」


 しかし彼らがその高度には耐えられないだろう。故に私は正面から嵐壁を突破するしかないのだ。


 意を決して体を嵐壁へと飛び込ませる。手のひらに直撃することがないように体をうねらせて回避するが、それでもこの激しい風の影響が全くないということは無いだろう。


「うわぁぁあああああ」


 三人の声が谺する。しかし私はにはこれ以上どうすることも出来ずにただ進む。嵐壁.......海上の数メートル程であれば多少はましであると聞くがこの速度で飛んでしまえばきっと彼らがまとわりつく水で溺れてしまうだろう。仕方なく飛行しているものの、初めての嵐壁は想像を絶するほど体の力を奪っていく。


「大丈夫でしょうか?」


 ミルラのか細い声が聞こえた。彼女は感じ取っているのだろうか、私の状態に。


 冷たい風と激しい雨、上空では霰が降り注ぎ体の隅から隅までを強く打ち付ける。単純な痛みだけではなく進もうとするこの巨体を阻むように立ち塞がっているのだ。


 それは名の通り嵐壁。壁となって私の進路を阻んでくるそれがひたすらに煩わしい。重く感じ始めてきた翼をそれでも尚羽ばたかせる。まるで水中にいるかのような抵抗を感じながらもひたすらに、ただひたすらに。


 そうして進み、ようやく明るい光が目の前を照らしだしてくる。出口は近いのだろう。


 力を振り絞り大きく翼を羽ばたかせる。そうして最後の壁にぶち当たるがなんとか突き破り、その瞳をようやく光が照らした。


「抜けた.......のでしょうか。」


「あぁ。」


 ようやく暖かな日差しが体を包むが、冷え切ってしまった体にはそれでも物足りない。既に翼も体も重くそれは確実な疲労の色を示し始めているのだろう。


 ゆらゆらと体が揺れる。それでもなんとか愚直に翼を羽ばたかせる。そうしてようやく目の前に大地が広がる。


 地表は禿げているようで今見えている大地はひたすらに焦げた色をしている。力が段々と抜けていくがそれでもなんとか大地を目指して進み、程なくして大地が目の前に現れた。


 私はゆっくりと体を降ろす余裕がなく、急降下してギリギリでただ一回大きく翼を広げ、羽ばたかせた。


 ドシャッという音と舞い上がる土煙。手のひらに乗せていた三人を優しく解放する。声が聞こえるが、酷く疲弊した体は既に何かをすることに抵抗を示し重くなってしまった瞳は私の意思を無視してただ閉じようとする。


「すまない、少し.......眠る。」


 私は一言なんとか絞り出して目を閉じる。急速に意識は闇へ闇へと吸い込まれて行き、私は完全な深い眠りに着いた。




〜第1部 白の大地 [完]〜

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竜の私が人間界に.......。 Kirsch @kirsch24

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