声のうしなった世界で響く声

ちびまるフォイ

退化しきった声帯の最後の響き

現代への急激なスマホの普及で会話の機会は減り、

使わない声帯がどんどん衰えていつしか声を出せなくなっていた。


『おはよーー』

『おはよ』

『おはーー』


教室に行くと共通のメッセージルームに挨拶が飛び交う。

声を失った世界ではすべての会話はチャットで行われる。


生徒たちの周囲四方にはすりガラスが常にあり、

外見での差別などができないようプライバシーも万全。


『はい、みんな席につけーー。授業始めるぞ』


先生のチャットが流れると、

すりガラスに囲まれた生徒たちはそれぞれ席に着く。


『では昨日の続きから。教科書32ページ。

 応仁の乱のところから授業始めます』


先生の授業チャットが始まると全員が静かになる。

下手に発言をすればログが残るので注意されてしまう。


チャット文化が根付いた現代ではすべてログ管理。


先生の授業内容も何度も見返せるので忘れることも聞き逃すこともない。

思えば、今まではどうして声なんかに頼っていたのか。


休み時間になると、みんなチャットで大盛り上がり。


『そういえば、あそこのクレープ屋さんが美味しかったよ』

『えーー食べてみたい。今度ライブ行くときに食べようかな』

『私も一緒に行くよーー。楽しみ♪』


砂糖菓子よりも甘い会話がチャットに流れる。


すべてのチャットがログに残ることから悪口や非難などはない。

誰かがそのログを証拠にすれば悪くなるのは自分になるから。


(本当にチャットって便利)


端末を操作しながらそう思った。

翌日、学校についたときにカバンを見てハッとした。


チャット端末を置いてきてしまった。


すべての人間にはメイン端末と予備の2台が支給される。

メイン端末が最近調子悪かったので予備を使っていたが、その予備を置いてきてしまった。


(……まあいいか。1日くらい)


その日誰とも話さなくても問題ないと思った。

授業の内容もログに残るし、特に発言を求められることもない。


『おはよーー』

『おはよーー』

『おはまるーー』

『はよーー』


チャットにはいつものように挨拶のログが流れる。

そこに私のログが無いことに誰も気づかない。


『それじゃ、授業始めます』


いつものように授業のチャットが流れてくる。

昨日と一人分のチャットが少ないことに誰も気づかなかった。


チャットで発言しなければ自分はここにいることすら認知されないなんて。

まるで透明人間にでもなったような気分だった。


その翌日は学校を休んだ。


休んだことも誰にも気づかれなかった。

学校用のログはいつものように、自分を無視して流れていく。


家にもいづらいので公園で時間を潰していると、

自身の周囲にあるガラスを外している人を見つけた。


『あの、なにやっているんですか。

 すりガラスを外したらあなたの姿を見られてしまいますよ』


ガラスを外した女は自分の口を指さすと、パクパクと動かした。


だ、い、じょ、う、ぶ。


口の動きだけで何を喋っているのがわかった。


あなたも、やってみて。


自分も口パクをしてみると声は届かなくても会話ができた。

会話の内容なんてたいしたものではなかった。


今日は天気が良かったとか。

どうして学校をサボっていたのとか。

なんですりガラスを外したのとか。


"私、顔をあわせて話すのが好きなの"


女は笑って、口パクを続けた。


"こうして、私の話で笑ってくれるあなたの顔が見えるから"


それに感化されたのか私は学校に行くよりも公園に行くようになった。

チャットに発言がないことに誰も気づかなかったけど、

公園の女は私がいることを笑顔で迎えてくれる。認められた気持ちだった。


"たまには、学校にも行ってみたら?"


"なんか、居場所がないような気がして"


"同世代と同じ環境にいることがきっと大事だと思うよ"


"そうなんですかね"


その口パク会話の翌日、私は学校に行った。


『おはよーー』


いつもしていたはずの挨拶チャットも久しぶりなのでドキドキした。

でも、しばらく休んでいた私のことに気づいた人は誰もいない。


誰が欠けても気づかないこの世界では、誰が増えても気づかない。

今回はそれが少しだけ救いになった。


『ねぇ知ってる? 公園の女』

『えっ』

『すりガラスを取って話している女がいるって話し』


チャットに流れてきた文字に固まった。


『口パクで会話しているみたいよ』

『なにそれ怖くない?』

『ログに残らないからって好き勝手言ってるのよ』

『性格悪いね』


『そんなんじゃないよ!』


『どうしたの?』『あなたのことじゃないでしょ?』


すりガラス越しなのでお互いの顔は見えない。

相手が私であることもみんなは知らなかった。


『警察に通報したほうがいいのかな』

『怖いよね。なんかテロの計画ねってるのかも』

『犯罪が起きる前に防いだほうがいいもんね』

『悪いことじゃないならチャットで話せばいいのに。ログ残るし』


『きっと、顔を見て話したい人なんだよ!』


『そんな人いる?』

『どうして肩もつの?』

『やめときなよ、ログ残ってるし、逮捕されちゃうかもよ』


何も言えなかった。

学校は体調不良にして早退するとすぐに公園に向かった。


女はいなかった。

けれど、遠くの家から黒い煙が登っている。


走って向かうと家の窓から煙が出ていた。


『火事かしら……怖いわ』

『消防に通報しておく?』

『でも、本当に火事だったら助けてってチャットするわよね』

『変におおごとにするのもよくないかしら』


家の周囲に集まるすりガラス達は見ているばかりだった。

誰の家かもわからないのでうかつに入ることもできないらしい。


私だけは現場を見てゾッとした。


(これがあの女の人の家だったら)


公園の女の人はチャット端末を持っていなかった。

目の前の人との会話に集中しないと失礼、と聞いたことがある。


もし、家にも端末がなかったら。使っていなくてバッテリーがなかったら。


私はすぐに消防車を呼びつけた後にまだ火の手が回っていない玄関を開けた。


渡り廊下には煙で意識を失っていた女が倒れていた。

私だけはすりガラス越しでもその姿に見覚えがある。


必死に外へ運ぼうにも力が足りない。

手がふさがっているのでチャットもできない。


私は息を吐きながら必死に口パクをした。


「だれか!! 手伝って!!!」


退化したはずの声帯からはじめて声が出た。



その後、家は消火されて女の人もなんとか助かった。


"あなたの声、はじめて聞いたわ"


"もう出せませんけどね"


病室で女と口パクで話した。


"助けも言えなくて本当に危なかった"


"今度からはチャット端末もってくださいね"


"ううん、それはいいかな"

"頑なですね……"


女は顔を横に振った。


「こんどは、こっちを、れんしゅう、するわ」



"あなたの声も初めて聞きましたよ"


下手すぎる声に私も笑った。

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