八十七話 ろくでなしの狐

 迫り来る騎士達。

 ロッカクさんは僕を後方に下げ術を行使する。


濃霧幕ミストカーテン!」


 気温が下がり濃霧が辺りを覆う。

 視界の利かない状況で、ロッカクさんは僕の腕を掴んで別方向へと走り出した。


「奴ら本気で首を取りにきてやがる。精鋭部隊が相手じゃ俺でも勝ち目はねぇ」

「もし逃げ切れない時は……僕を差し出してください。お願いします」

「馬鹿野郎。いつか帰って家族に会うんだろ、だったらそんな不抜けたことを言うな。生き抜けよ。泥水啜ってでも無様に足掻いてでも」

「ロッカクさん……」


 濃霧を抜け、僕らは走りながら後方を確認する。

 追っ手はない。このまま逃げ切れそうだ。


 ばさっ。空から一頭の小型のワイバーンが舞い降りた。


 それは僕らの行く手を遮るように着地し、一人の騎士が地上に降りる。

 騎士の吹いた笛により、濃霧から次々に騎士が現れ後方も完全に塞がれてしまう。


「この近辺はすでに我らルドラークの戦力が包囲している。どこにも逃げ道はないと思え」

「覚悟を決めるしかないようだな」

「ロッカクさん」

「心配するな。すぐに俺が片付けてやるよ」


 悪魔形態デーモンフォームへと変化した彼は、囲むようにして炎を創り出す。

 炎の壁は騎士達を後退させた。


 ロッカクさんはポケットから煙草を取り出す。


「ロイ、お前は煙草なんて吸うなよ。俺みたいなろくでなしになっちまうからな」

「何ですか急に」

「長く生きろ。それといつか俺の原稿を本にしてくれ」

「まるで最後の別れみたいじゃないですか」

「そうならないことを祈ってはいるがな」


 どんっ、彼に押されて僕は落ちた。

 いつの間にか地面に穴が空いていたのだ。

 きっと彼の魔術なのだろう。


 底に付いた僕はすぐに見上げる。


 見下ろすロッカクさんは微笑んでいた。

 そして、穴は閉じて行く。

 僕は地面の中に閉じ込められてしまった。


「ロッカクさん! ロッカクさん!!」


 土の壁を掘ろうとするが土が大量に落ちてきて体が埋まる。

 なんとか顔と腕だけ露出させて掘り進んだ。


 どうか無事でいて。


 僕はまだあなたに恩返しできていない。


 まだ新作だって読んでいない。


 お願いだから生きていて。



 ◆



 ロイを土系の魔術で閉じ込めた。

 周りでうろちょろされると足手まといだからな。


「ふぅうう、精鋭騎士が十一人。こりゃあ手こずりそうだ」


 視線を巡らせため息が出る。

 俺はただの流れ者の狐なんだがね。


 ちょっとこの状況はハードすぎやしねぇか。


「わざわざ罪人を閉じ込めてくれるとはな。手間が省ける」

「別にあんたらの為に埋めたわけじゃねぇよ。目を離した隙に殺されちゃたまらないからな」

「あくまでも刃向かうつもりか」

「よく言うぜ。最初から見逃すつもりなんてなかっただろ」


 斬る首ってのは多い方がいい。

 国王がたった一人のガキに殺されたなんてどう考えたって国の恥だ。警護を務めていた奴らにはそれはもう度しがたい出来事だっただろう。公に事実を出せるハズもない。


 そこで奴らは、罪人の数を水増ししてごまかす。それなら言い訳も立つからだ。

 すでに濡れ衣を着せられた罪人達の首が複数飛んでいる頃だろう。


 これは周到に準備された国王暗殺計画だったこととなる。


 奴らにしてみれば主犯が二人に増えて逆に万々歳だ。

 俺とロイを主犯としてさらし首にすれば、国民のみならず王族も満面の笑みになる。

 ああ、やはりたった一人の子供に王が殺されたのは間違いだったってな。

 安心して枕を高くして寝られるわけだ。


「首を討ち取れ」


 砂を巻き上げる強風が巻き起こり炎を吹き飛ばす。

 馬から下りた騎士達は槍で迫り来る。


 突き刺された矛先を躱し跳躍。


爆雨レインボム!」


 真下に向けて爆炎を放つ。

 火力は小さいが目くらましぐらいにはなる。


 つーか、時間稼ぎだ。


 地面に足を付けありったけの魔力を術に集中させる。

 まともにやってもあいつらには勝てない。油断している間に奥の手で一気に潰す、短期決戦しか切り抜ける道はない。


 我が一族にだけ伝わる奥義。


九尾白火陣ナイン・ファイヤフォール


 空に九つの白い炎の球が出現する。

 それは尾を引きながら落下し、陣を形成、精神を焼く炎が一つの大火となって柱を作った。


 この術は一瞬で魔力抵抗を破り、精神を超高温の幻覚で焼く。

 一度頭の中に入られたら物理的には消すことができない。生命活動を停止させるまで炎は奴らの精神を薪代わりに燃焼を続ける。

 もちろん精神系の術で治癒、防御されれば効果は消えてしまうがな。


 炎の中で悲鳴が聞こえる。

 精神系の術を使える奴はそう多くはない。

 使えても精々催眠や内幻術くらいだ。


 炎が消え失せ無数の死体が視界に入った。


「まさか精神系の使い手だったとはな……これほどのダメージを負わされるとは」


 一人だけ存命の者がいた。

 リーダー格の男だ。


 どうやら奴だけは精神魔術だといち早く気が付き、有していた魔術で対策を講じたらしい。今の魔術で全員を殺す予定だっただけにこの状況はかなり不味い。


 魔力が欠乏して足下がふらつく。


「貴様もただでは済まなかったようだな」

「ちくしょう、予定外ばかりで嫌になるぜ」

「キツネ狩りを始めるとしようか」


 騎士は槍を捨て剣を抜く。

 まだ余裕があるのか本当の姿にはならない。

 いや、それとも隠しておきたいのか。


 本当の姿は能力や形状によって切り札になり得る。

 だとすると本来、真正面からぶつかるような悪魔じゃないのかもな。


「でぇい!」

「っつ!」


 瞬時に間合いを詰められ切り上げる。

 ギリギリで回避して落ちていた槍を拾った。


 魔術が使えない以上、物理でやりあうしかない。

 恐らく向こうも精神にダメージを負っていて魔術は使えないはずだ。

 これに勝てばロイを連れて逃げられる。


「素人がこの俺に勝てるとでも?」

「お生憎様、槍なら習ったことがあんだよ。しかもこちらの方が間合いが広い、むしろあんたの方が追い詰められてんじゃねぇか」

「くくく、ならばなぜ下がる」


 じりじりと近づく奴に俺は後退していた。

 考えるまでもなく分が悪いのは俺だ。槍を習ったのなんて百年以上前の話だ。ほとんど覚えちゃいねぇし、もし体が覚えていたとしても、日々訓練を積んでいる奴にしてみれば雑魚だろう。


 まだほんの少し魔力は残っている。

 この残りカスみたいな魔力をかき集めて勝ってみせる。


 繰り出される斬撃を槍で弾き、なんとか距離を保つ。

 内側に入られたら終わりだ。予備動作で攻撃を予測し、さばき続けるしかない。


「どうした狐! 手も足も出てないぞ!」

「はっ、出なくて悪かったな」

「貴様達にはきっちり死んでもらう! やったことには相応の代償がつくと知るがいい!」

「嫌ってほど自覚してるぜ。そんなこと」


 このままじゃじり貧だ。

 一瞬でも視線を外すことができればなんとかなるんだが。


 ……仕方がない。くれてやるか。


 槍で剣を弾く、奴は即座に引き戻し切り下ろした。

 血しぶきと共に宙に舞う左腕。


 奴の視線は腕に集中する。


 今だ。


 魔力で炎を創り、固有能力で俺の姿に変える。

 オリジナルの俺は姿を消し一度離脱した。


 うぐっ、いてぇ。焼けるようだ。

 なんの迷いもなく俺の大事な腕を切り落としやがって。


 俺は奴の背後から槍を突き刺した。


「がはっ!? なぜ後ろに!??」

「油断したな騎士様」


 槍は確実に心臓を貫いていた。

 恐らく奴は中級悪魔、即座に再生させるほどの能力はない。


 が、奴はなぜか笑みを浮かべてた。


「くくく、一人では死なん」


 鎧を破壊して真の姿を現わす。

 無数の触手が生えた人型が現れた。


 触手は俺の腕を掴み、どす黒い魔力を流し込む。


 全身が痺れ意識が朦朧とした。

 これは……まさか。


「呪いか。お前カース族だったんだな」

「我が一族の固有能力は一生に一度しか使えない。しかし、一度受ければどのような相手だろうと肉体と精神をむしばみ死を迎える。すでに弱り切った貴様では数分と持つまい」


 触手が離れ、俺はふらつく足で後ろへ下がった。


 騎士は地面に倒れても笑い続ける。

 最後の最後でしてやられた。


 やっぱダメだったか。もうちょいロイのことを見てやりたかったんだがな。


 向こうでバッカスのおっさんに詫びを入れねえと。


 それにイザベラとの約束も――。



 ◆




 地面を掘り続けようやく地上へと出た。

 僕は辺りにある無数の死体にロッカクさんがいないか確認する。


「どこに……」


 視線を彷徨わせ、ようやくロッカクさんを見つける。

 近くには触手を生やした人のような何かが倒れていた。


 よかった無事だったんだ。


 走り出して彼の元へ駆け寄る。


「ロッカクさん、無事だったんですね! 大丈夫ですかその腕!」


 背中を向けたまま立ち続ける彼は返事をしない。

 奇妙なことに彼の美しい黄金の毛並みが、今は灰色に変化していた。


 失われた左腕、激戦だったのだろう。


「ロッカクさん?」


 返事がない彼に軽く触れる。

 すると体の一部がぼろぼろと崩れた。


「なん、で……そんな……」


 一瞬で悟った。

 彼はもうこの世にはいないのだと。


 一部が崩れると次第に全体へと広がる。

 砂が流れるようにロッカクと言う名の悪魔は形を失ってしまった。

 残された灰色の砂は風に乗って飛んで行く。


「嫌だ! ロッカクさん! ロッカクさん!!」


 僕は必死で砂をかき集めるが、腕の隙間から砂は逃げて行く。


 彼が消えてしまう。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 待って。僕を置いていかないで。


 残らず砂は風に攫われてしまった。


「う、ううう、うわぁああああああああああ!」


 苦しい。息ができないほどに苦しい。

 胸は貫かれたように痛い。


 これなら死んだ方がマシだ。


 僕は地面に爪を立て震える手で握りしめた。

 生きなければ。泥水を啜っても、無様に足掻いてでも生きなければ。

 彼の死を無駄にしてはいけない。


 立ち上がって歩き出す。


 今は生き延びるために逃げなければ。


 僕は袖で目元を拭いて走り出した。



 ◇



 あれから僕はひたすら歩き続けた。

 どれほど時間が流れたのかは覚えていない。


 気が付いたら国境を越えていて、隣国であるアバラータへと入っていた。


 けど、町に行く気もせずあてもなく彷徨っていた。


 気が向いたら野営をして休み、また歩く日々が続く。

 寝て起きるだけだからリュックも開くことなんてなかった。


 僕は疲れ果てていた。


 もう何もかもが嫌になっていた。


 生きなければならないと分かっていても心がなかなか追いつかない。

 いっそ死んで楽になってしまいたかった。


 ある夜、焚き火を前にぼーっとしていた。


 ここ最近の僕はいつもこんな感じだ。

 火の中にバッカスさんやロッカクさんがいるような気がした。

 だからずっと火を見つめていた。


『長く生きろ。それといつか俺の原稿を本にしてくれ』


 彼の言葉が呼び起こされる。


 ロッカクさんも無茶を言うなぁ。

 原稿もないのにどうやって本にしろって言うんだ。

 はは、もうどうでもいいや。


 お腹が鳴って急に食欲を感じた。

 さすがに何か食べないとダメかな。

 胃に何か入れれば気も紛れるかもしれない。


 リュックを開いて目を大きく開く。


「何これ?」


 リュックには大きな封筒が折りたたまれて入れられていた。

 封筒を開いて中を見れば、そこにはロッカクさんの新作原稿が収められているではないか。


「そっか、逃げる前にリュックを漁っていたのはこれを入れるためか」


 岩に背中を預け原稿に目を通す。


 彼の言っていた通り、魔界に落ちた村人の話だった。

 少年は迫り来る苦難を乗り越え、その果てに温かい家庭を作って幸せに暮らすのだ。

 そして、少年の子供が魔界の扉を開き、父の代わりに人間界へと帰還する、次回が気になるような終わり方だった。


 ぽた、ぽた。


 原稿に滴が落ちてシミを作る。

 食いしばっても溢れる流れは止められない。


「ううう、うううううううううっ!」


 僕は原稿を抱きしめた。


 いつか必ず貴方の本を出します。


 いつか必ず。


 静かな夜に僕は誓った。



 第四章 〈完〉


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

過去編少年期は終了です。次回より過去編青年期が始まります。

しばらく書きために入りますので、のんびりお待ちいただけると嬉しいです。


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魔界賢者のスローライフ 徳川レモン @karaageremonn

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