八十六話 小さな希望
翌日、頬を赤く腫らせたロッカクさんが部屋から出てきた。
だけど心なしか顔はつやつやしている気がする。
「愛とは時に痛みを伴うものだ。覚えとけロイ」
「なるほど」
自業自得なだけに同情はできない。
むしろこの程度で済んだのはお姉さんが優しい人だったからだろう。
宿のカウンターへ行くと、やけに笑顔でつやつやしたあのお姉さんがいた。
「いい気味ね」
「散々床の上でもベッドの中でも謝っただろうが」
「ま、今回はこれで許してあげるわよ、私の深い愛情に感謝しなさい」
「おっしゃる通りです。もう二度としません」
あのふてぶてしいロッカクさんが素直に謝っている!?
どれほどキツいお仕置きをされたの!?
「ところで今日も泊まってくわよね」
「そのつもりだ。事情は昨日話したとおり、追っ手がきたら上手く誤魔化しておいてくれ」
「分かってるわよ、ほんと問題事を持ち込んでくるろくでなしね」
「トラブルが勝手に付いてくるんだよ」
女性との会話を切り上げ、僕らは宿を出る。
これから向かうのは町の近くにあるとされている遺跡だ。
町を出て一時間ほど歩いたところに遺跡はあった。
「やっぱりここもボロボロですね」
「まぁ大昔の遺跡だからな。それに役にもたたねぇモニュメントを手入れしようなんて奇特な奴はいねぇよ」
早速僕は遺跡に思いつく限りの儀式を行う。
舞台の周りを踊ってみたり歌を歌ってみたり。
鳥を生贄に捧げ魔力を流してみたり。
だが、遺跡はそれらしい反応を示さなかった。
昼食の時間となり、生贄の鳥を焼いて二人で分け合う。
「お前はどうして人間界に帰りたいんだ」
「変ですか?」
「いや、お前の考えることは至って普通だと思うぜ。けど魔界だって暮らして行くには、そこまで悪い場所じゃないだろ」
「まぁ細かい点なんかを気にしなければ住み心地は良さそうではありますよね。でも僕には帰らなきゃいけない理由があるんです」
肉にかぶりつきそうだった彼は動きを止めて僕を見た。
「理由って何だ」
「家族です。僕には今も帰りを待ってる兄妹や両親がいる。僕がこうして生きてこられたのは全部家族がいたから。だから一刻も早く帰って安心させてあげたいんです」
僕は人形を取り出してルナとテトの顔を思い出す。
僕がいなくなって寂しい思いをしてないかな。毎日泣いているんじゃないだろうか。
父さんや母さんだって不安な毎日を送っているはずだ。
もちろん生活の方だって気になる。我が家は僕がなんとか支えてきたのだから。
「ロッカクさんは家族とかいないんですか」
「いるにはいるが……そこまで上等なもんじゃねぇよ。跡目争いでギスギスしてて、口を開けば金や仕事のことばかり。幸い俺は大した力もなかったからそういうのには関わらずに済んだがな」
「紅蓮国でしたっけ」
「どんなところか知りたいなら教えてやるが、お前が期待するような面白いような場所じゃないぞ。なかなか血なまぐさい国だ」
彼は肉を頬張りながら笑みを浮かべる。
僕は少し怖くなって黙る。
「じゃあ、あの、どうして小説を書こうと思ったんですか」
「動機なんて聞くほどでもねぇよ。ただたんに一族で期待されてなかったから、他で名を挙げる場所を探して、見つけたのがそれだったってだけだ」
「それでこれだけ面白い作品を書けるのはすごいですよ! これを読んでロッカクさんを見直したくらいですから!」
「一言多いぞ。けど、褒めてもらえるのは悪い気はしねぇ」
暇さえあればロッカクさんの本を読んでるけど、これは今まで読んだ中でダントツに面白かった。もしかしたら僕がただ本をあまり読んでいないからなのかもしれないけど、斬新なアイデアと展開についつい読みふけってしまう。
筆を折ってしまったと聞いたけど、この本だけで終わらせてしまうのは勿体ない。ぜひ続きか新作を書いてもらいたい。いや、書くべきだ。
「バッカスさんが一冊の本で人生が変ったって言ってた気持ちが、今なら分かります」
「あ~、そうだな」
「それにこの本は小さな村で生まれた男の子が主人公じゃないですか。僕もそうだからすごく気持ちが入るんですよ」
「そりゃあ良かっ――お? おおおおっ!?」
いきなりロッカクさんが立ち上がる。
「魔界に落ちてきた人間……降りかかる危機……人間としての葛藤……いけるか? だが、このネタは今までにない。参考資料も目の前にいる。諦めるには惜しい」
「どうしたんですか」
「まさかこんなところで今頃降ってくるなんて……」
「あの」
つぶやき初めてうろうろする。
と、思えば紙の束を取り出してペンを走らせた。
「喜べロイ。お前のおかげで新作を思いついた」
「やった! 楽しみです!」
「まだ構想の段階だが、これを練ってとびっきりの本にするぞ」
僕は子供のようにはしゃぐロッカクさんを初めて見た。
なんだか自分のことのようで嬉しくなる。
「それはそうと、お前にはしっかり帰ってもらわねぇとな。いつまでも周りをちょろちょろされちゃ執筆に集中できねぇ」
「はい――あれ、それだと僕は新作が読めない?」
気が付いてショックを受ける。
人間界への帰還を少しだけ遅らせられないだろうか。
ロッカクさんの新作はかなり気になる。
この日は結局帰ることはできなかった。
◇
翌日、僕らは遺跡には行かず宿で過ごすことにした。
この機会に遺跡について記した本をきちんと読み込むことにしたのだ。
分からない点があれば知識の豊富なロッカクさんに聞けるので、思ったよりも早く内容を読み進めることができた。
ちなみにロッカクさんは隣の部屋で新作の構想を練っている。
時々宿のお姉さんが顔を見せに行っているようだが、軽くあしらわれているらしくお姉さんは少しむくれていた。
でも、どこか嬉しそうでもあるので、内心ではずっとロッカクさんのことを心配していたのだろう。
「よって、一つの結論を出し、調査を終了することにした……よし、もうすぐ帰る方法が出てくるぞ」
ぱらりとページをめくる。
しかし、次に書かれた文字に愕然とした。
『超古代遺跡は人間界から魔界への移動は可能にする。だが、魔界から人間界への移動はほぼ不可能と考えていいだろう。現在の技術では遺跡を取り除くことも不可能。なぜそう言えるかだが、この遺跡は破壊と同時に世界を繋ぐ道を消滅させる仕掛けが――』
僕は本を床に落とした。
人間界へは戻れない?
僕は家に帰れない?
ルナやテトや両親に二度と会えない??
「あああああああああああああああああああああっ!!!」
頭が真っ白になって叫んだ。
床にうずくまって小さく小さく身を縮める。
情報を理解することを頭が拒否していた。
感情が、心が、拒んでいる。
「どうしたロイ!」
部屋に飛び込んできたロッカクさんに声をかけられる。
けど、僕は泣き続けて返事ができなかった。
「落ち着いたか」
「……はい」
ベッドに腰掛けた僕へロッカクさんは優しく接してくれた。
でも僕は心の中が空っぽで思考がまとまらない。
目指す目的がなくなり虚ろだった。
「……実はな、もう知ってたんだ」
「どういうことですか」
「お前が帰れないってことをさ。借りた初日に読み終えてたんだよ」
「なぜ、なぜ言ってくれなかったんですか」
「他人から知らされて、はいそうですかと納得できるか? 普通はできないだろ。だからお前にわざわざ読ませた。バッカスのおっさんもそうなると分かってたから、あえて言わなかったんだろ」
そう、かもしれない。
たぶん結論を教えられても納得できずに自分で本を読んでいたはずだ。
そして、怒りのままに否定して本を床にたたきつけただろう。
何度も何度も遺跡で試したから痛いほどよく分かる。
この本の作者が語っていることは紛れもない事実。帰還は不可能なんだ。
僕は人間界へ戻れない。一生魔界で過ごさなくてはいけない。
「これから……これから僕はどうすればいいんですか」
「魔界で生きるしかないだろう。でもな、諦めるのはまだ早いぜ。ここには一つだけ誰でも人間界へ行く方法がある」
「!?」
勢いよく顔を上げた。
「召喚だ。人間界側から召喚されれば悪魔は向こうへ行くことができる。ただ、俺や今のお前みたいな弱い力ではダメだ。そこそこ名の知られる強い悪魔じゃないと、呼び出されるなんて一生にあるかないかだ」
「僕でも召喚されるんですか」
「おいおい、お前は元人間の悪魔だろ。悪魔なら召喚の対象だ」
まだ希望はあった。
向こうへ行く手段がもう一つ残っていた。
僕の心を動かすには充分だった。
「強くなればいいんですね」
「そうだ。お前ならきっとできる」
よかった、僕はまだ全てを失ったわけじゃなかった。
故郷から遠く離れ、家族から切り離され、人間であることを捨て、もう希望はないと思っていたが、ほんの僅かだが道はあった。これでこの先もなんとか生きて行ける。絶望せずに済む。
「悪い。そろそろ執筆に入らないといけなかったんだ」
「新作ですか」
「ああ、今回はお前が主人公みたいなものだ。この作品でブロッコリーXは華麗に返り咲く」
「ペンネーム」
ニカッと笑った彼は僕の肩を叩いてから、足早に部屋を出て行った。
なんだかロッカクさんの止まっていた時間が進み出したような印象を受ける。
きっと今は楽しいのだろう。
受けた恩を返すためにも、僕も彼を応援しないと。
コンコン。
ドアを開けてロッカクさんの元彼女さんが顔を出す。
「夕食ができたわよ~、食べに来なさいね~」
「はい。ありがとうございます」
廊下に出て彼女の後ろを追う。
気になっていたことを質問した。
「ロッカクさんとは復縁しないんですか」
「そうね、してもいいけど今は口にしない方がいいかなって。せっかく本来の自分を取り戻したんだから邪魔しちゃ悪いでしょ」
「大切にしているんですね」
「そこそこね。ろくでなしだけど、いざという時に駆けつけてくれる変な奴だから」
恥ずかしそうに語る彼女を見ていると、やっぱり好きなんだと思った。
僕も彼とは良い出会い方をしたかったな。
◇
ここ数日、遺跡に行くこともなく部屋で本を読んでいた。
「ふぅ」
本を静かに閉じる。
ロッカクさんの本を読み終えたのだ。
実に素晴らしかった。余韻が今も心の中で響いている。
主人公はとうとうヒロインと結ばれ栄光を手にしたのだ。
僕の中で幸せそうな二人が描かれる。
やっぱりロッカクさんは小説を書くべきだ。
この本を最後まで読んで確信した。
「……外が騒がしいな」
窓から外を覗く。
やけに人の声が耳に入ったからだ。
呑気に構えていた僕は、冷や水を浴びせられたかのような気分となる。
宿の外ではバイコーンに乗った騎士達が集まっていた。
しかも続々と馬から下り、宿へと向かってくる。
「ロイ君!」
ドアを勢いよく元彼女さんが開ける。
彼女は僕の腕を掴むなり、ロッカクさんのいる部屋へと引き込んだ。
「はぁぁ、疲れた」
「そんなことしている場合じゃないわよ! 表にルドラークの騎士が集まってるの!」
原稿を前に背伸びをしているロッカクさんへ、元彼女さんが知らせる。
彼は途端に顔つきが変った。
「もう嗅ぎつけたか。脱出路は?」
「こっち」
部屋の壁を押して一部を開く。
隠し扉の裏には下へと続く階段があった。
「荷物はいいか」
「うん」
リュックを背負った僕らは最後の確認をする。
そこでロッカクさんが僕の後ろに回りリュックの口を開いた。
「なにしてるんですか。急がないと」
「分かってる」
ごそごそリュックを漁る。
早く逃げないといけないのに。
「よし、行くぞ」
先に僕を行かせロッカクさんは元彼女さんと別れを交わす。
「また戻ってくる。その時は家族になってくれ」
「このタイミングでプロポーズなの」
「指輪くらいは用意しておくさ」
「期待しないで待ってるわ」
二人はキスをした。
それから僕とロッカクさんは階段を下り、長い地下通路を走った。
「次はどこへ行くんですか」
「隣国のアバラータだ。そこまで行けば奴らも手は出せない」
地下通路の先は四件隣にある空き家の床下だった。
這い出た僕らは、騎士がいないことを確認してから家を出て、町の外へと脱出することに成功した。
少しでも遠くへ行く為に走り続ける。
隣国へ入ればもう襲われる心配もない。
「くそっ! 読まれてたか!」
「そんな!?」
道の先では十人の騎士が待ち構えていた。
そのどれもが屈強で腕が立つ印象だ。
立派なバイコーンに乗った男性が進み出る。
「陛下を殺害した少年犯罪者で間違いないな」
「はっ、記録されている人相と一致します」
「では捕縛しろ。抵抗するなら殺して構わん」
次々に騎士達が槍を構えた。
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