第8話

 ランプが隅の方で灯ってるとはいえその光は心許なく、男たちが立ち塞がっているせいで全貌はよく見えない。それでもちゃんとした家屋の造りではないということだけはわかった。山間部一帯を占領しているというお兄さんの話を思い出す。ここは彼らの野営地でテントの中なのかもしれない。そう思った直後、垂れた布を分けて出て行くお兄さんの姿を見て自分の予想に確証を得る。私も後に続くと、湿った草木の匂いが鼻をついた。陽が落ちて薄暗くなった森の中にいくつかのテントが並んでおり、うっすらと幕に人影を映している。


「あーあ、カシラ気に入っちまうかなぁ」

「こういう色素薄い感じの男の子好きだからね、あの人は」


 耳に入ってくる会話を聞き流しながらこのお兄さんが一番上の立場という訳ではなかったのだな、と思った。むしろこの人を従わせている“カシラ”という人はいったいどれほどの人物なのか、もっと酷いことをされるのではないかという気持ちに襲われて足取りが緩むが「ちゃんと歩け」と背中を押され、慌てて男たちの歩幅に合わせる。

 それほど歩かない内に一番大きなテントが目の前に現れる。外装としてあしらわれている人間の頭蓋骨はやはり本物なのだろうか。一つ二つどころではない量を本物だとは思いたくはない。

 なんの気も見せることなくお兄さんは垂れ幕を掻き分けて中へと入っていった。紐の先がお兄さんの手の中にある以上抵抗はできない。私も手綱で引かれる従順な馬のように後に続いた。私を囲うようにして付き添っていた男達の気配が遠ざかったので、斜目に軽く振り向くと身体をその場に留めて、下卑た笑いを浮かべながら私とお兄さんが中に入るのを見送っていた。まるで何かを予期しているかのように黙っている男達から意識を目の前のテントに集中して、私もその垂れ幕を潜り抜けた。

 相変わらず中は薄暗く四隅で頼りなくランプが小さな火を揺らしているだけだった。獣臭い――不潔な臭いが部屋の中を充満しており私は悟られぬように俯きがちにして顔を顰める。顔を伏せたまま辺りに目配せしていると遮るように立っていたお兄さんが身体を半身にし、強く紐を引っ張って前へ出るように促した。おずおずと伏せた顔をあげながら足を踏み出す。

 今までここで出会した誰よりも恰幅がよく、髪の毛ともみあげと髭の境界も分からないほど顔に毛をたっぷりと蓄えた、まるで『盗賊の親玉』を絵に描いたような男が胡座をかいて座っていた。


「よお、ディック。急にどうしたかと思えば、そりゃなんだ?」

「あんたが好きそうな子を見つけたんだよ。ほら、結構可愛いもんだろ?」


 強く突き飛ばされたせいで私はよろけながらその男の前に膝から崩れ落ちた。男の前に広がっていた瓶やら杯を倒してしまい、膝の傷の痛みを感じるよりも前に慌てて顔をあげると視線がかち合う。白目は黄色く淀んでいながら、瞳の奥に獰猛な光を宿している男だ。ムッと立ち昇る酒の臭気に混じって獣のような体臭を強く感じて私は思わず息を詰めた。男は確かめようとしてか胡座を崩して片膝を立てると身を乗り出し、じっとりとした視線を私の体に這わせる。ぬるい息が肌を掠め、耐えきれず私は目を強くつむって顔を逸らした。


「へえ、こりゃ……」


 軽石のようにざらついた指先が私の両頬に食い込んでくる。そのまま男の好きなように首を回され、不快さに私は表情を歪めた。ずっと膝の上で作っていた握り拳をとうとう広げて男の手を掴む。


「い……痛いです、やめてください」


 私は努めて控えめな声を出して拒んだ。意外にも呆気なく、手が離れていく。その真意が汲めず、離れていく手を追うように視線を向ければ、男は髭の合間で不揃いの黄ばんだ歯を楽しそうに浮かべていた。


「おお、痛かったか? そりゃ悪かったな。じゃあ痛くされねえようにちゃんと目開けて正面向いてな」


 その言い回しがどことなくお兄さんに似ていて、私は先程の仕打ちを思い出す。これは従わないとより酷い目に遭うに違いないと察した私は言われた通り、視線を落としながらも正面に直り、拳を作って再び揃えた膝の上に並べた。

 いい子だとでもいうのか、それとも毛並みを確認する手つきなのか、男の指先が髪の間を滑っていき後ろ髪をすくう。同意もしていないのに好き勝手に体のあちこちを触れられて、先程から鳥肌が止まらない。これがもし、勇者さまの手ならば私の反応も変わるのだろうか。こんな特殊な状況で比較したところで意味もないのに、勇者さまのことを考えずにはいられなかった。指が離れると後ろ髪を束ねていた髪留めを外されたのか、私の背で毛先がパッと広がってむず痒さを覚える。


「聞き分けがいいな。これなら可愛がってやれそうだ」


 音を立てて舌舐めずりをする姿に私は思わず腰を引いた。嫌悪感を露骨に顔に出すことも厭わなかったが、相手はそんな私の反応も楽しんでいるみたいだった。


「はは、さっき俺がちょっと躾しといんだよ。……やだな、あんたより先に手出すわけないだろ、睨まないでよ」

「どうだかな」


 二人の会話に流れる空気は親玉とその手下というように感じない。かといって親しみを伴った会話には聞こえないが、今は二人の会話を分析している場合ではない。あまりこういうことは考えたくはないけれど、私はきっとこの男に性的な対象として値踏みをされていたのだ。そして反応を見るに相手の合格を受けてしまったのだろう。伏せがちに相手の次の行動を伺っているとぬるりと手が伸びてきた。


「どれ、こっちに来い」


 強く右手首を引っ張られ私は悲鳴を上げた。痛みに崩れ落ちかけたせいであっけなく私は男の膝の上に乗り上げる。咄嗟に反対の腕を突っ張り密着は避けたが、男の膝の間に完全に収まっている状態だ。背中に丸太のような腕を回されているせいで私の力ではこれ以上離れることができない。


「やめてください……!」


 体が触れ合うのですら嫌なのに首元に男の顔が寄せられて私は全力で押し返そうと左腕に力を込める。けれども体格も筋肉量も何もかも相手の方が上回っていて、さらに片腕だ。男は私の全力の抵抗を気にも留めていない。首の皮膚の薄いところに男の髭が擦れる。生暖かい息がかかり、今までにない嫌悪と恐怖に私の視界が涙でぼやけてくる。


「おめえ、年はいくつだ?」

「わ、わかりません……!」

「わからねえってことはないだろ」


 男ががなり声をあげる。なおも私は髪の毛が広がるほど強く首を振った。


「わかりません! 捨て子なんです! たぶん十六を迎えたくらいで……!」


 男が不機嫌になっていくのを感じ取って、私はどう聞いても場違いな訳の分からない質問に正直に答えた。捨て子なのも本当の年齢がわからないのも本当だ。教会の前で置き去りにされていたと育ての親から耳にしている。だがこれを今の状況で聞いてなんになるというのか、私には見当がつかずただただ不気味で不可解だった。けれど男は私の答えを聞いて加齢で垂れたまぶたを目一杯開いた。


「十六? 本当か? どう見てももっとガキの体じゃねえか」


 男は私の二の腕をわし掴み、脇腹に指を這わせる。凹凸もなく筋肉もつかない、幼さを残す体は私のコンプレックスだ。そんな体の線を嬉々として確かめる男が異様に映り、いよいよ私の目から涙の粒が溢れ出す。


「や、やめてください! お願いします……、いやっ……!」


 私が泣いて嫌と口にするたびに男は興奮していくようで、息を荒げながら再び私の首筋に顔を寄せた。ぬるりと生暖かく濡れたものが首の皮膚を這い、それが男の舌だと気づくと私は悲鳴のように嫌だと叫びながら仰け反って全身で男を拒絶した。しかしその瞬間抱き留める手を緩められ、私は私自身の力で後ろに倒れてしまい背中を強く打ちつけてしまう。

 咳き込みながらも体をよじり男の下から這い出ようとしたが、私の体を持ち上げるように太い腕が下腹部の方に回されて男の方へと軽々引き寄せられた。背中にずしりと体重が乗る。密着したくなくて腕の力をわずかに抜いてみるが、お腹を抱き留められているせいで今度はお尻を突き出したような体勢になってしまい慌てて背中を丸める。必死に男の下敷きになりながらもがく私を見て笑っているのか男の体が小刻みに揺れている。下腹部に回された手が衣服の間に侵入しようと妖しげな動きで滑り始め、声も出せずに恐怖に身を固くしていると男の動きが止まった。正確に言えば、お兄さんが肩を掴んで男の動きを制したのだ。


「あんだ? ディック、今さら正義ごっこか?」

「違うよ。でもこれ以上はやめときなって。あんた興奮したら途中でやめられないだろ? セックスもしたことなさそうな子にあんたのぶち込んだらはらわた裂けて死んじゃうって。そいつ、回復魔法が使える魔法使いなんだよ。外見だって、たった一回で死なせちゃうにはもったいない。あんたなら価値がわかるだろ?」


 淡々とした抑揚のない声が降り注ぐ。願ってもない救いの手だ。縋るように私はお兄さんの方を見上げたが薄暗い部屋では輪郭しか捉えられない。


「たっぷり仕込んどいてやるからさ、今日はお披露目だけにさせてよ」

「……しょうがねえな」


 がなるような低い声をあげながら男は渋々私を解放した。すぐには動けなかったが男が本当に諦めてくれたのだとようやく理解できるようになると、ゆっくり左肘を伸ばして体を起こし慎重に男から距離を取った。そしてお兄さんの方につくようにして、男に向きあった。体はまだ恐怖で小刻みに震えていたが、わずかに生きている心地を取り戻す。男は心底面白くなさそうな顔をして、お兄さんの方を睨んでいた。


「したらおめえが相手しろ」

「……多分、とっくに二十超えてるよ」

「だけどおめえが一番マシだろ。それともなにか? こいつの代わりを今から見つけて引っ張ってくるか?」


 お兄さんの声が僅かにひっくり返ったのを聞き逃さなかった。あれは紛れもなく恐れを抱いた人の声だ。一見、噛み合っていないように聞こえる会話よりも私はお兄さんの反応に意識が向いてしまう。あれだけ恐れて見えていたお兄さんの姿が急に頼りないものに感じられて、今に手を返されるのではないかと私は不安を覚えた。

 お兄さんは逡巡してみせたあと、はっと乾いた笑いをあげて男の問いに答えた。


「見つからないだろうね、この町に住んでた子はあんたがほぼやっちまったでしょ」

「だろ? どうすんだ?」


 息が詰まる。それは、私のような被害者がたくさんいるということに他ならない会話だった。彼らがどんな道を辿ったのかはおおよその予測がついてしまった。それから今に至るまでに見聞きしたものが鮮明に脳裏に浮かび上がり、それらが結びついていった。この男の欲求やなぜ年齢を執拗に気にしていたのかもわかってしまった。あの入り口に飾ってあった頭蓋骨は大人のものよりやや一回り小さなものではなかっただろうか。怒りやおぞましさに総毛立っていくのがわかる。けれど、怒りに震えたところで今の私はあまりに無力だ。

 お兄さんのが次に紡ぐ言葉次第で私の運命は変わってしまう。私と男はお兄さんの言葉を今か今かと待っていた。お兄さんの唇が震える。


「……わかったよ、すぐ戻るから待って」

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