下界人間(閲覧注意)。

市ヶ谷 学。

第1話

誰かに「職業は?」と訊かれたら「葬儀屋です。」とこたえる。

だけど実際は、一般的に想像されるお通夜の準備だとか火葬場まで同行するような葬儀屋ではなく、自分は散骨屋だ。

散骨屋は船で沖合いまで出て遺族から預かった骨を撒いたり、山に登り骨を撒いたり、ヘリコプターで上空から骨を撒いたりするのが仕事だ。自分で言うのもあれだがろくでもない仕事だ。底辺だろう。

葬儀屋は癖の強い人間が多い。その葬儀屋の中でも異彩を放つ散骨屋には本当に救えない人間が集まっている。例えば自分の上司のマハディだ。マハディはアフガニスタン生まれの外国人で、元傭兵だった男だ。髭がよく似合う彫りの深い顔した五十ちかい男は「生活の為に頑張っています。」が口癖だ。別に口癖を直せなんて言わないが、お客さんに対しても「生活の為に頑張って散骨します。」と笑顔で言うのは駄目だと思う。

外国人とか関係なく基本的に常識がない。以前未亡人のお客さん(若い女性)にしつこく言い寄ってあやうく通報されそうになり、本社の幹部と一緒に自宅まで謝りに言っていたが、本人は「無理やり押し倒せば良かったな。」とまったく反省していなかった。

「マーさんは本当にどうしようもないよな。」と笑っている同い年で同僚の三十男、土肥(どひ)もクズだ。元介護士だったこの男は一年の間に事故で三人も死亡させたことをまるで武勇伝みたいに自慢気に話す。

「人を死なせたことを背負っていくつもりで、俺はこの仕事を始めたんだ。」事務所の若い女性に話していたが、裏では「その前にダイエット始めろよ。」とボロクソに言われているのを本人は知らない。豚には人間の気持ちなんてわからないのだろう。

クズばかりの中にいる自分も例外なくクズだろう。

土肥のように人の死を背負っていくつもりでこの仕事を選んだわけではない。

自分は幼い頃から死体が好きだ。小学生の頃は飼育係りになり、兎や鶏が死ぬのを楽しみにしながら世話をしていたし、高校生の頃は休日になると、一人駅のホームで時間を潰し、人身事故を待って過ごした。とにかく好きだ。時間があれば遺体の画像をスマホやパソコンで検索しては眺めて過ごす。

だから、直接死体に触れる葬儀屋に就職した。勿論、面接の時には土肥のように綺麗事を並べて話した。自分は自分が世間一般的な常識からみて異常者なのを知っているが、好きなものはしょうがない。人に迷惑をかけなければ問題ないと考えている。

本当は散骨屋ではなく、葬儀屋になりたかったが本社から人の足りない散骨屋にまわされた。でも結果的に考えてみると、自分は散骨屋で良かったと思う。葬儀屋になればお通夜や火葬場への段取り等たくさんのくだらない業務があり、死体と過ごす時間が極端に少ない。それに散骨屋は人との煩わしい関係もほとんどない。

散骨屋(自分の会社)の場合、最初にお客さんから遺骨を預かる時に関わるくらいで基本的に一人行動が多い。自分の会社の場合、本社にはネットを通じて情報を共有するだけで預かるのも散骨する日時も自分で好きなように設定できる。

船で沖合いに行く時や家族が同行する形式の散骨は面倒臭いが、自分の会社のお客さんは遠方の人が多く委託散骨という全て会社にお任せ(委託)の仕事が中心だ。

「墓終いすることになったんだけど、私もおじいさんも歳で足が悪いから、そちらでお願いしたいんです。」電話でそう言って遺骨だけ郵送してくる事もある。

少子高齢化の影響で墓終いを希望する高齢者は多い。その時に考えるのが簡単に済ませる散骨なんだろう。

『海に撒けば海が墓標になり、墓参りも海に行った時に故人を想い手を合わせればいい。』本社の発行する散骨屋のパンフレットにはそんなふうに書かれていた。上手く考えられた文章だと思ったが自分には関係ない。

一応、会社(雑居ビル)の三階が散骨屋のスペースとして設けられているが、自分はそこにはほとんどいない。本社には一階で遺族と打ち合わせした後、預かった遺骨を三階の祭壇に置き、頃合いをみて専用の機械で粉砕して散骨していると連絡しているが、実際は違う。自分の場合は預かった遺骨はほとんどの場合自宅アパートに持ち帰り、自宅で粉砕し、自宅から山や出港する港に向かう。いちいち祭壇に飾るのも気を使って粉砕するのも面倒臭い。それに好きなように骨をいじくりまわせないのが嫌だ。

自宅に帰りリビングのテーブルの上にビニールのシートを拡げ、そこに預かってきた骨壷の中身をぶち撒ける。ぐちゃぐちゃに撒かれたテーブルの上の遺骨を見て、私はこの仕事に就いて本当に良かったと実感する。

冷蔵庫からよく冷えたビールとおつまみとピンセットを持ってきたら作業開始だ。

粉砕する前に必ずしなければならない事がある。それは遺骨に混ざった異物を取り除くことだ。骨壷の中には遺骨を納める時に入れた眼鏡やお金(古銭)や入れ歯等の他に、故人が治療で必要になった釘やホチキスの芯やよくわからない針金等だ。

この仕事をして一番驚いたのが、この治療による異物だ。人体にこんなにたくさん金属製の異物を入れて大丈夫な事に驚いた。中には卓球の球くらいある鉄の塊があった事もあり、それでも日常生活を続けられていた人間の生命力に恐ろしくもなった。

通常は衛生面を考慮してゴム手袋を使用して磁石や箸で異物を除去するのだが、自分は基本的にピンセットと素手だ。

ジャリジャリとした手触りが面白い。まるで子どもが公園で砂遊びをするみたいに私は夢中で遺骨いじりをする。

遺骨いじりをしていると生前の故人がどのような人間だったのかわかることがある。

まず単純にその“量”の違いから体格が小柄だったのか大柄だったのかわかる。同じ規格の骨壷なのにスカスカの遺骨もあればぎっしり入って重い遺骨もある。稀に分骨をしていて少ない場合もあるが、分骨をしていないのに半分程しか入っていないこともある。

それから骨自体の硬さである程度の年齢が予想できる。肋骨や顎の骨等があると私は後で粉砕しやすいように素手で折って小さくするのだけど、若い人程密度の影響で硬い傾向にある。硬くてなかなか折れない骨の時に、骨壷が収納されていた木箱の中にある埋・火葬許可証(埋火葬証明書)を読んで年齢を確認すると大概若い故人だ。だけどこれにも例外があり、高齢者なのに恐ろしく硬く丈夫な骨もあれば、自分と同世代なのにスナック菓子の様にスカスカで、ちょっと力を入れただけで粉々になってしまう事もある。おそらく食生活の違いや骨に負担がかかるほど大変な苦労(治療)をした人がそうなったのだろう。

それから余裕のある穏やかな人生を歩んだであろう人の遺骨もだいたいわかる。まず骨壷から一般的な無地で白い陶器ではなく、花柄等の入った骨壷が肌触りの良い布に包まれている事が多い。骨壷や布にまでお金をかけるところから故人への想いが伝わり、生前の故人の有り様が伝わる。骨自体も高齢者なのに硬く真っ白だったり、まったく異物が見当たらないことがある。事前に遺族が作業工程を考えて眼鏡等は取り除くことはあるが、治療で必要だった金属製の異物まで取り除く事は考えられないので、その故人が高齢で亡くなるまで病院で治療を受けなかったことがわかる。

亡くなるまで健康に気を使い余裕をもって亡くなった人の骨は、亡くなってからも人に迷惑をかけず、気持ち良くさせてくれるのだと変に感動する私は、やはり異常者なのだろう。

こういう骨ばかりだと助かるが、大概は異物だらけだし、湿ってグジュグジュな事が多い。想像できると思うが、長期間日の当たらない墓地に置かれていた骨壷の中身は湿度の関係で湿っていたり水が溜まっていることがある。その為、私はテーブルの下にも防水シートをひいてテーブルから流れ落ちる水に備えているのだ。中には水だけではなく砂が混じっていることもあり、茶色く変色した骨なのか泥なのかまったく区別がつかない酷い状態の事もある。

これはほとんどの場合、百年以上も前の遺骨で墓終いの為に持ってこられた遺骨の場合だ。勿論お客さんも生前の故人を知るわけもなく、墓終いの為に持ってきただけであり、骨壷自体も割れていたりする。

はっきり言ってほとんどゴミみたいなものだが、お客さんの手前、仕方なく他の故人の時のようにしっかり受け取るが、中身を少し見て砂だらけだったら自宅には持ち帰らずに会社の混廃ボックスにそのまま投げ込んで、後日必要な書類をお客さんに送って終わらせる。

私は公園の子どもみたいに夢中で遺骨をいじくりまわしたいが、本当に砂遊びがしたいわけではないのだ。砂だか骨だかわからない物には何の興味も湧かないし、それにそういう骨壷には大概私の大嫌いな虫が潜んでいるので無理だ。

一通り遺骨をいじくりまわしたら浴室へと移動だ。この時、よく乾燥しているかしっかり確認しておかないといけない。もし乾燥してなく湿っていた場合は、リビングの床に重ねた新聞紙等を拡げ、その上でじっくり乾燥させなければいけない(この工程をせずに粉砕機を使用すると機械内に遺骨が付着して上手く粉砕できないのだ)。

実際、私の自宅リビングの床にはそういう乾燥中の遺骨がよくある。どこの誰だかわかるように名前と年齢を書いた紙を骨壷と一緒に置いてある遺骨を見たら、ほとんどの人が驚くだろう。自分も最初のうちは異様な光景だと思ったが、今は何も思わない。遺骨の色合いを見て、そろそろ粉砕できるかな? と思うだけだ。

よく乾燥した遺骨をビニールシートに包み込み浴室に運ぶ。浴室はしっかり戸締まりをしてあり、粉塵が外に漏れないようにしてある。本来ならここで専用の粉砕機を使用して粉砕するのだが、自分の場合は電動コーヒーミルで粉砕する。どこにでも販売しているあのコーヒー豆を粉砕する機械だ。

実際のところ粉砕するのに決まりはない。結果的に細かくなっていれば過程は関係ない。自分の場合は一番手っ取り早いからコーヒーミルを使用しているだけで、ハンマーで少しずつコツコツ叩いて粉々にしたいならすれば良いと思う。

浴室には当たり前だがコンセントの穴がない。なので私はコーヒーミル使用時は延長コードを利用して、廊下から電気を引っ張ってくる。多少そのせいでドアに隙間ができてしまうが仕方ない。

コーヒーミルの準備ができたら、リビングから持ってきた遺骨を入れて回転させながら砕いていく。この時、十分に異物を除去できていると特に何も音がしないが、少しでも残っているとガリガリ・・・と音が発生する。基本的にほとんどの遺骨からこの音はする。私にもよくわからないがしっかり除去しても細かい粒状の異物があったりするのだ。

私の推測だが、これはどうも骨の中に含まれる鉄分みたいな物が、火葬される時に形成されているのではないかと思っている。勿論、憶測の話しだ。それに詳しく調べるつもりはない。私はあくまで骨いじりが好きなのであって、人体の不思議を研究する趣味はない。

音があまりにうるさい時は仕方なく一度蓋を開けて、中の粒状の異物を取り除く。大概、熱を帯びていてそれは熱い。そして蓋を開ける度に白い粉塵が舞い、私の体には以前人間だった田中さんや佐藤さんが粉になって付着する。付着するだけではなく、呼吸する度に私は田中さんや佐藤さんを鼻から吸い込んでいるので、後で確認すると毎回鼻の中が白くなっている。

体に着くのがわかっているので、私は基本的に全裸で粉砕するようにしている。そうすれば服を汚さないで済むし、そのままシャワーを浴びられる。冷静に考えてみると浴室で遺骨を粉砕している姿は異様だろう。しかも、全裸だ。だから、冷静に考えない。これは仕事であり、性癖だ。仕方ない。

一通り粉砕作業を終えたら、粉末化された田中さんたちを計量用のカップに全て移してリビングへと戻る。

ここから工作作業だ。

計量カップのままでは散骨ができない。一応仕事なので見栄えは大切だ。そんなわけで田中さんたちを見栄えよくする為の準備を始める。

用意するものはA4サイズの特殊な用紙だ。この用紙は水に溶ける性質がある。この用紙を粉末化された田中さんを包み込めるように折り畳み準備をしておく。私の経験上、平均は四枚ほどの量だ。一つ一つ丁寧に分配して均等な重さになるように調整する。この作業は特に遺族と一緒に散骨する時ほど気を遣う。何故なら同伴散骨の時はこの包み込んだ田中さんたちを遺族に渡し、船の上から海上に撒いてもらうからだ。だから、あまりにも重さに差があると不審がられる可能性がある。その為に気を遣うのだ。やれやれだ。

この工作作業が終われば粉骨作業は終了で、後は散骨するまで待つだけだ。

ちなみに、持ち帰った骨壷や木箱は基本的にこちらで処分する。どの遺族も散骨した後の骨壷や木箱の処遇には困るらしく、ほぼ必ず「そちらで処分をお願いします。」と言われる。勿論、私もいらない。なので一通り作業を終えたら、会社へ持って行き廃棄物として処理する。

・・・廃棄する時に木箱や骨壷はハンマー等でできるだけ細かく砕いてかさばらないようにするのだが、よく見ると骨壷にも付着した田中さんたちがいる。「まだ、ここにいるんだが?」そんな気配を感じる時があるけれど、そこまで面倒みきれない。

「すみませんね・・・」

そんな気持ちで廃棄する。

遺族はそんなことまで気にはしないのだろうな。

「そんな物置いておくのも困るからさ。」

そんなふうに言われたなんて田中さんたちには言えないや。


第二話へつづく。

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