犬にまつわるエトセトラ

 おれの事務所は都内にある。都内にあるとまでしか言えない。今までの仕事の内容を見てもらえれば分かるが、お天道様に顔を向けられるかどうかは、微妙なところにいる。

 いちごみるくの掲示板に、今日も多数の書き込みがあった。

 いちごみるく、正式サイト名「異世界でチートになった男が、強引ながらみるみるモテまくって美少女を喰い散らかした件」は、法律では裁けない外道を度し難いバカに転生させ異世界に叩き落とす、被害者家族の為の復讐装置だ。


 なぜ異世界に転生した者は努力をしていないのに強くなったり賢くなったりするのか。それは結果であり、実際は異世界の住人が想像を絶するバカなだけで、転生した者はなにも変わっていないのだ。

 そして、そのバカ、バカモブを生み出すのがおれの仕事である。


 書き込みの大半は当然イタズラだが、時には本物がある。

 情報処理担当の大船智也がパソコンのモニターを見つめたまま訊いてきた。

「伊勢原さん、今晩ヒマですか」

「大変忙しい」

 酒を飲まなくては。新しいゲームもしなければならない。久しぶりにデルヘルを呼ぶという誘惑もある。ああ忙しい。

 坊主頭を撫でながら大船が

「忙しくなる気がします。多賀城さんもそろそろ騒ぎながら調査から戻ってくる頃かと」

 と言った。


 大船の予想通り、多賀城幸子が戻ってきた。普段のグレーのイモジャージでなく黒のパンツスーツを着こなした多賀城は、おれを見つけるやいなや、ショートカットの髪を揺らしながら大型犬のように駆け寄ってきた。

 彼女はたまにこういうかわいい所を見せてくれる。実は、一回り以上年上のおれに気があるのではないかとも勘ぐっているのだが。多賀城が何かを差し出した。

「依頼者との食事で切った領収証です」

 気のせいだった。



 今回の話の大筋はこうだ。

 数ヶ月前、近所の飼い犬数匹に毒入りのエサを喰わせた中年の女が捕まった。出所後に引っ越し、またそこでも同じことをしているらしい。

 最初に毒殺された犬の飼い主がいちごみるくの掲示板に依頼を書き込んだ。そして多賀城が面会をし、情報に偽りがないことを確認したのだ。



 大船が言う。

「せいぜい3年以下の懲役ですからね、飼い犬を殺しても器物損壊罪ですし」

 愛犬を殺された恨みは3年程度で消えるわけがない。しかもなお一切の反省もせず、「私と私のワンちゃんに吠えたから」という幼稚な理由で他人の犬を殺し続けている。

 そもそも、自分は犬を飼っているくせに、他人の犬には容赦をしないという点で犬を飼う資格が無い。


「多賀城、そのババアの犬っころのエサにタマネギ入れてきてくれ」

 おれの提案を多賀城は無視し、首を右に傾けて静かに言った。怒っている。

「私、犬を虐待する人って、許せないんですよ」

 自分が大型犬っぽいからか、という言葉をおれは飲み込んだ。

 多賀城は怒りのラインがある程度に達すると、おれや大船にローキックを喰らわす。「しつけです」と笑いながら蹴ってくるが、速いから痛いんだよお前の蹴りは。


「できれば今晩にでも行きたいです。所長、いいですか?」

 多賀城の、右に傾いたままの笑顔が怖い。もはや脅迫。大船などは決して多賀城の逆鱗に触れぬよう、すでに情報収集に入っている。

 だがおれは今晩忙しいのだ。酒、ゲーム、ああ忙しい。脅迫に屈してなるものか。デリヘル。

「何か、犬の遠吠えみたいのが聴こえた気がしますが」

 首がさらに傾く。

「いいですね」

「あっはい」

 やる気満々の多賀城は、準備の為に倉庫へ向かう。「しつけです」とおれの右膝内側に鋭い一撃を加えながら。



 S県K市、深夜1時過ぎ。おれたちのような仕事をする人間にとっては幸いなことに、強い雨が降っていた。

 大船の運転する黒いハイエースの中で、おれは仕事用の黒いバンダナを目深くかぶる。多賀城はいつものグレーのジャージだ。

「次の角のマンションの6階が件の女の家です。防犯カメラが設置されていない外階段を使ってください」

 大船が冷静に状況を伝える。何も言わずに部屋の間取り図を見せてくれるあたりに大船の優秀さが現れている。

「6階か。しんどいなあ」

 40歳を過ぎてから、露骨に体力が落ちていることを痛感していたおれは、軽口を叩いた。

「私はいつでも行けます。所長はどうしますか」

 20代後半の多賀城が指を鳴らした。そのポキポキがおれに対するものでないことを願う。

「行きます。すみません。がんばります」

「所長は鍛錬が足りないんですよ。ジムでも行ったらどうですか」

「犬も食わない話の最中、申し訳ありませんが」

 大船が注意を促す。

「そこが現場です。幸運を」



 階段を登りはじめ、3階で少し疲れた。5階で小休止した。雨が吹き込んでくるが、熱くなった体に丁度良い。上まで行った多賀城が音も立てずに降りてくる。

「なにやってるんですか。早くしないと遅くなります」

 犬が西向きゃ尾は東。すごく当たり前のことを言った。

「この高さだと空気が薄くなるんだわ」

 息を整えながら答えたが、確かにゆっくりしている時間はない。誰かに見られる前に仕事を終わらせなければ。どうにか6階まで登りきり、件の女の部屋まで進んだ。

 おれは懐から黄金に輝くペン、ワールド・アクロス・エクスキューショナーを取り出し、ドアノブを囲むようになぞる。

「ドアよ開け。我を受け入れよ」

 静かに鍵が開く音と、背後で小さく吹き出す声が同時に聴こえた。


 部屋に入ると、チワワが叫びながら飛びついてきた。

「いたたたた」

 多賀城はチワワの首をつかみ、トイレへ投げ込み戸を締めた。

 騒ぎを聞きつけた女がやってきた。女が叫ぶ前に終わらせるつもりだったが、一瞬遅れた。

「ぶぃ!」

 カエルが潰れたような声を上げながら、女は多賀城に押さえつけられた。その首にワールド・アクロス・エクスキューショナーを突き立てる。

「死の谷の日陰を歩いて 約束の地へ迎え」

 十字を切る余裕は無かった。いつものように多賀城は顔を赤くして震えている。裁きの夜が終わった。



 マンションから脱出した時、雨の勢いはますます強くなっていた。

 ハイエースに乗り込むと、大船がタオルを差し出してくれた。本当に疲れた。特に体力的に。

「早くお風呂に入りたい」

 つぶやきながら多賀城が頭を震い水を飛ばす。その様はまさに大型犬だ。

「けど、お二人には悪いと思いますが、仕事の時の雨って助かりますね。これだけ強いとなおのこと」

 大船はご機嫌な様子でレッド・ツェッペリンのCDをかける。

 ジミー・ペイジのギターが響く。段々と熱を上げるジョン・ボーナムのドラムが心地よい。ロバート・プラントが歌う「BLACK DOG」を聴きながら、車は深夜の首都高速を走る。

「ちょっと音小さくしてもらっていいですか」

 と言いつつ多賀城がCDを止めた。

「なぜ止めますか。このかっこよさがわかりませんか」

 大船が不満を口にしたが、強い雨の音でかき消された。

「雨の音を聴きたくて。深夜の雨ってなんか落ち着くのよ」

 多賀城はぼんやりと外を眺めていた。

 おれはチワワに噛まれた跡をさすりながら、強い雨を表す英熟語ってなんだったっけなどと、実にどうでもいいことを考えていた。



 雨の続く翌朝、事務所にて。

 ポストに届いた本を多賀城が「はい、伊勢海老センセ」と渡してくれた。タイトルは「オレ以外は両手足で歩いている人たちの異世界で女騎士も女魔王もオレに尻尾を振っている件」。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 オレが降り立った異世界は、オレ以外みんな両手足で歩いているので驚いてビックリ!

 オレを見たみんなが立ち上がってオレを讃えた!

 オレは喜んだ!

 けどこだわる悪いオバサンもいた!


「私だけは立ち上がらないわ!」とか言うし!


 だからオレはそいつをこらしめることにした! この犬め!


 エサに毒を入れたら喜んで食った!

 死んだ!


 そしていろいろあってオレは異世界の王になった!


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 例の女がひっくり返って泡を吹いている挿絵を見て、多賀城が長い溜息をついた。

「毎回思うんですけど、いくらなんでもひどすぎませんか、その、内容というか、なんというか」

「おれが書いてるわけではないので、なんとも言えない」

 この本が届いたということは、例の女はもう警察に出頭しているはずだ。他の犬に危害を加えることはないだろう。

 大船が出社し、その本を手にして読み進める。

「クールですね。さすが伊勢海老先生。非の打ち所がない」

「ごめん、大船君。言いづらいけど、君のデザインセンスとか鑑賞眼とか、今後の為に殴ってでも修正するべきだと思うんだ」

「いや、多賀城さんにだけはそういうこと言われたくないです」

「だってサイトのデザインだって」

「意味があってああしているんで」

 二人の口喧嘩は続いている。

「君らはあれか、いわゆる犬猿の仲というやつか」

 二人は何も言わずにおれをにらみつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死の谷の日陰を歩いて 約束の地へ迎え 桑原賢五郎丸 @coffee_oic

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ