こわれたおうち

星屑

こわれたおうち


 ある旅人は言いました。

 私は家などいらない、家があっては自由に旅ができぬではないかと。

 

 ある夫人は言いました、家は素晴らしいものです、家がなくては美しい家具が濡れてしまうではないですかと。

 

 ある少年は言います、家なんて必要ないと、冒険家となり旅をする夢を否定するのだから要らないと。

 

 

 少女はひとり、お掃除をします。

 雑草を束ねて干して作った箒でせっせとボロボロの家具や扉や床をお掃除します。

 

 ある日、旅人がやってきて言いました。

 「こんばんは、お嬢さん、御両親はいるかな?」

 優しげで、逞しい身体を持った旅人に小さな少女は小さな頭を横に振ります。

  「そうかい、実は泊まれる宿がなくてね、こうして家々に訪ね歩いているのさ一晩泊まらせてくれないかと」

 少女は嬉しそうに笑うとどうぞと中に旅人を案内します、靴を脱いで家に上がる少女に内装をみた旅人は顔を顰めます。

 

 なんだろうと少女が首を傾げると旅人は少女がきちんとお掃除した床に靴のままあがります。

 

 「君はなぜこんな汚い家に住んでいるんだ?」

 心底不思議そうに眉を顰めて、さも当たり前のように靴で家の中を歩き回る旅人。

 

 少女はとても悲しい気持ちになりました。土足で上がられたからではありません、そういう文化があることを少女は知っていました。確かにきちんとお掃除した床を靴で汚されるのは嫌でしたが、それでも、悲しむほどではありませんでした。

 

 少女は身振り手振りで伝えます。

 

 ですが旅人の機嫌はどんどんと悪くなり、更には大切に、どこよりも丁寧に掃除していた部屋に入ってしまいました。

 

 その部屋だけは案内する気はなかった少女は焦ります、そして、全ての部屋を見終わった旅人は「こんな家に泊まる気にはなれない、申し訳ないがほかを探すことにしよう」と少女に申し訳ない様子で伝え、出ていってしまいます。

 

 少女はまた一人になりました。また汚れた床をお手製の箒で掃除し始め遅いご飯をすませるといつもは掃除のためにしか入らない部屋に入ります。

 

 そして、声に出ない悲しみを涙で流すのです。

 

 次の日にはとある夫人が少女を訪ねます。

 

 「まだあなたはそこにいる気なの、私へのあてつけなのかしら」

 偉そうに扇で口元を隠し、見える目は目尻がつり上がり、昔少女が読んでもらった絵本の鬼のようだと少女は思いぎゅっと、日課の掃除をしていたために手に持っていた箒を握ります。

 

 乾燥した葉がチクリと手を攻撃しますが少女はそれでも箒を離す気はありませんでした。

 

 「こんな古ぼけた家なんて出てさっさとこちらの家にいらっしゃいな、あの女の血をついでいるのは嫌だけれどあの人の子だもの、愛してあげるわよ」

 

 どこまでも上から目線で、けれども毎月毎月欠かさず少女を説得しに来る夫人に少女は悲しげに首を横に振ります。

 少女は夫人がとても偉そうにトゲのある言葉ばかり告げるものの、それはそんなに悲しくはありません、辛くはありますが、夫人が少女を心配しているからだと知っているからです。

 

 でも少女は悲しかったのです。

 

 夫人は呆れた様子で家から出ていきました、こんな家早く壊しちゃいなさいよと。最後に告げて。

 

 少女はまたお掃除をします。お手製の箒で、何度も何度も。ポロポロと落ちる涙が床を濡らしていても、それでも箒で、または布切れで。

  丁寧に丁寧に掃除をします。

 

 

 次の日には少年が訪ねてきました、少年は家出、というものをして来たらしく自信ありげに少女の元へやってきます。

 

 「お前を俺の旅に連れてってやるよ! 支度して早くいくぞ!」

 

 ぐいぐいと手を引く少年に少女は行けないのだと首を横に振る。なぜと問う少年に少女は身振り手振りでこの家を掃除しなきゃいけないからと告げます。

 「掃除?」

 

 不思議そうに少年は少女を見ます。そして内装を見て、また少女を見ます。

 

 「穴だらけの家をなんで掃除するんだ? いくら掃除したって綺麗になんてならないのに」

 少女は掃除をします。丁寧に丁寧に。お手製の箒で何度も何度も。

 

 穴だらけで風が砂を運んできて汚くなってしまうから、何度も何度も丁寧に丁寧に。

 

 少女はだからこの家から離れられないのだと言います。天井にも穴が空いており、雨風が凌げない、そんな家とも言えない家を掃除しなくてはいけないから。

 

 「外の方がずっと楽しいぞ」

 少年は少女を連れ出そうと必死に外の良さを告げます。けれども少女は首を横にしか振りません。

 

 「なんでだよ! 世界は広いんだぞ! まだ見つかっていない宝を見つけて新しい家を建てればいいじゃんか!」

 

 少女は首を振ります。少年が言っていることが叶わないと思っている訳ではありません、必要が無いのだと首を振ります。

 

 「なんで…」

 

 やがて泣きそうになる少年。箒から手を離して少女はその手を取ります。

 

 そして、どこよりも丁寧に掃除している部屋へと連れています。そこはもう家とは言えない…いいえ、家ではない場所でした。天井は半分なくて空が見えますし、レンガの壁も崩れてしまい、庭が見えます。床がここが部屋だったとかろうじて線引きをしているだけの場所に少年は唖然とします。

 少女は崩れてしまっているベッドの上に寝っ転がり、砂埃だらけになりながらも空を見上げます。

 

 既に陽はおちているので、あたりは月明かりで薄らぼんやり見えるだけです。

 

 少年も仕方ないと少女の隣に寝っ転がり空を見上げます。ただのいつも見る星空でした。面白くもなんともない。けれど少女はそれがとてもいいものだとにこにこし、やがて一枚の写真とともに言葉を紡ぎます。

 

 その声は澄んだ湧き水の音のような、精巧な鈴の音のような。美しい声でした。

 

 「ここはお母さんのへやでお母さんといっつも一緒に寝てたの」

 

 少女はただただ幸せそうに笑います。

 

 「お母さんが病気でなくなってね、悲しくってね、そしたら、ずっと前の嵐の時にこの部屋が壊れちゃって、ほかの部屋もボロボロになっちゃった」


 少女は一人です。母もなく、一人。やってくる嵐に備えることが出来ず、家はぼろぼろになってしまいました。

 

 「でもね、残ったベッドから空を見たらね星が見えたの、お母さんの星が見えたの」

 

 だから私はこの家から離れないのよと少女は笑います。壊れていても雨風凌げなくても、少女にとって、この家が家なのです。壊れてしまっていてもこの家が少女の家なのです。

 

 少年は何も言わず少女の家から出ていきました、いつかの旅人のように。

 

 そして、また日課の掃除をしている少女の所に少年はやってきます。

 

 手にはたくさんの板と釘。それと金槌。

 

 「お前の家、直すぞ」

 

 少年はぶっきらぼうに少女に告げます。少女は聞きました。

 

 「旅に出ないの?」と

 

 少年はさも当たり前のように言いました。

 

 「もっとやりたいことが見つかったから良いんだよ、お前は馬鹿だな」と。

 

 

 それから少年と少女の長い生活が始まりました。家を直すのです。小さな手で細い腕で二人でちまちまと毎日毎日直すのです。

 

 そんな二人の家を尋ねてきた人がいました。

 

 逞しい体躯の旅人と夫人です。二人は子供だけで家を直すのを見ていました。

 ただ見ていたのです。手伝うことはありませんでした、一つ一つ直され、家の形を取り戻していく家を見ていました。

 

 次の日、旅人はどこから持ってきたのかレンガを。夫人はたくさんの家具を持ってきました。

 

 旅人は壊れた少女の母の部屋を直しながら言いました。

 

 「元々私の家はレンガ屋でね、売れもしないレンガを延々と作り続けるのが嫌で旅人になったのさ」

 丁寧に綺麗に治っていく壁に少女は嬉しそうに拍手をします。

 

 「これは別に捨てるものだから持ってきたのですからね」

 夫人は不貞腐れながらもそう言って使用人に家具を運び込ませます。

 

 夫人と旅人が加わると修理はどんどん進んでいきました、やがて屋根を直すことになった所で少女は旅人や夫人を止めます。

 

 そして初めて二人に言葉で告げるのです。「この部屋の屋根はつけないで」と。

 

 旅人と夫人は顔を見合わせて、じゃあこうしましょうと少女の目線に合うようにしゃがんであることを告げると少女は花が咲いたような可愛らしい笑顔を浮かべます。

 

 

 次の日、少女の母の部屋の天井は直された。朽ちたベッドがあった場所には新しいベッドが置かれ、そのベッドの上には大きな天窓が付けられました。

 

 少女は幸せそうに笑います。

 

 旅人も満足げ、夫人はすこし不機嫌でしたが目尻はすこし下がっているように見えます。

 

 そして、少年も満足げに笑い、なんと、そのまま少女の家に住み着きます。

 

 旅人は少女がいる街にやってきた時は必ず少女の家に泊まりに来ました。ちゃんと玄関で靴を脱いで。

 夫人は一月に一回だった説得の日を、一週間に一回のお茶会の日として、美味しいお茶とお菓子を持ってやってきます。

 

 

 少年は旅に出るとまた言い出すことはありませんでした。それは少年が青年になっても変わりません。

 

 そして少女が女性になり、やがて母になりました。

 

 母親になった女性は幸せだと笑います。小さな我が子を抱きしめて、我が子ごと父となった青年に抱きしめられて。

 

 こわれてしまった家でも、今は綺麗になった家でも、女性は幸せでした。


 

 ここが自分の家だと自分が思えばそこは家になるのです。今日も女性は丁寧に丁寧にお掃除をします。

 

 その傍らには小さな手でいつかの少女のように一生懸命に掃除をする存在がひとつ。

 

 そして、仕事を終えて帰ってくる父に二人は言うのです。

 

 

 「「おかえりなさい」」

 

 

   

 

 

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こわれたおうち 星屑 @hitotuno-hosikuzu

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