私にとって小説とは何か 娯楽? 夢? 生きがい? 全てだ

桜もち

私にとって小説とは何か 娯楽? 夢? 生きがい? 全てだ

 小説とは何か。それは非常に難しい問いかけだ。だが私は敢えて言おう。生きがいであると。


 小説を読む。すると自身が見たこともない世界が目の前に広がる。経験するはずもなかった世界を味わうことができる。これは至上の喜びだ。


 現実世界には物理法則や環境的な限界、人的問題が存在するが小説の中の世界は現実世界の影響を受けない。つまり小説の中の世界は読み手の世界の影響を受けることはない。これは小説の中の世界に現実世界の現象やものが反映されないという意味ではない。読み手の周囲の状況によって中身が変わることがないということだ。


 良い小説を読むと気持ちが動かされる。これはすごいことだ。私たちは大人になるにつれ感情が希薄になっていく。しかし小説はそんな心を動かすことができる。もちろん日常生活でも心は動く。だがどうだろうか。小説を読んで心が動く場合と日常的なやり取りで発生する心の動き。どちらが私たちにとって心地よいものだろうか。それは人によって違うだろう。違って当然だ。どちらが良い悪いということではない。どちらも良いのだ。だが私は小説のじんわりと心に広がる感じが好きだ。何度でも読み返し味わうことができるあの感覚が好きだ。


 どんな小説が好きだろうか。ファンタジー、推理、恋愛。色々なものがある。特定の分野しか読まない人もいるかもしれない。私はすべて好きだ。味のある作品が好きだ。味のある作品とはなにか。それは愛のある作品である。愛のある作品。それは言葉で表せと言われると難しい。ただ読んだときに思わずのめり込んでしまう作品、登場人物に情が移ってしまうような作品、思わず心が動かされてしまう作品、それが愛のある作品だと私は思う。


 小説を読んでいるとふと物足りなさを感じることがある。そういう経験はないだろうか。面白い、面白いのだが何かが足りない。こういう展開になればもっと面白くなるのではないか。もっと展開できるのではないか。そう思ったことはないだろうか。私はある。それは当然だ。作者は作者の思う世界を小説にしている。だから自ら筆をとる。自分の理想の世界を書き始める。これが小説の書き始めではないだろうか。何度も失敗する。何度も書き直す。思っていた世界が描けない。こんなはずじゃなかった。そんな経験は腐るほどあるだろう。理想の世界を小説にする。それは思っていたほど簡単なことではない。だがそれでも書き続ける。それはなぜか。自分がみたいからだ。自分がその理想の世界を味わいたいからだ。


 書いていると他者に見せたくなる。少し恥ずかしい。だが見せたい。そう思ったことが一度や二度あるはずだ。もちろんない人もいるだろう。それは悪いことではない。自身が満足できるなら何でもいい。だが見てもらえると嬉しくなる。そういう人も多いのではないだろうか。もちろん嬉しいことばかりではないだろう。他者と比べて落ち込んだり、他者の意見に晒されるうちにいつの間にか自身の理想から遠のいてしまった人もいる。だがそのすべてが悪いわけではない。他者と比べる、それは別に普通のことだ。他者と比べるからこそ自身の立ち位置が明確になる。自身の理想から遠のいている。そう感じるのは自身の理想が心の中にあるからだ。つまり理想を失っているわけではない。それは心の中にちゃんとある。


 あなたは小説が好きだろうか。好きじゃないかもしれない。だがそれでもいい。好きなものを好きになれれば良いと私は思う。嫌いなものを無理に好きになる必要はない。だが好きなものを嫌いになることほど悲しいこともないと思う。


 あなたにとって小説とは何か。それはあなたにしかわからない。

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