まるで物語のような恋だった

 このまま息が止まってしまうかと思うぐらい、びっくりした。


 どうしよう。


 この学校に通っている誰かの、とんでもなさすぎる秘密を知ってしまった。

 

 悪気は、これっぽっちもなかったのだ。

 図書室が閉室の時間になったから、規定どおりに部屋を閉めようと思って、受付の席を立ちあがった。誰かの忘れ物はないかと一通り点検している最中に、ある机の上に置き去りにされていたこのノートを発見してしまったのだ。


 一見したところ、なんの変哲もないただのノートだった。表にも、裏にも、持ち主の名前は記載されていない。


 中に書いてあるのかな。


 そう思って、何の気なしにページをめくってみた瞬間、心臓が縮みあがった。


 かわいらしい丸文字でつづられていたその内容は、僕の思考を停止させるのに充分すぎるほど衝撃的だった。


 死神って、なに。

 それに、本が好きで、大人しい桐生きりゅうくんって……もしかして、僕のこと!?


 驚きすぎて、未だに、心臓がばくばくと脈打っている。


 これは、一体、どういうことなんだろう。


 得体のしれない謎のノートを手に、一人でかたかたと震えることしかできないでいたら、突然、図書室の扉がガラリと引かれた。

 

「き、桐生くん……?」


 そこに立っていたのは、クラスメイトの羽鳥はとりさんだった。走って来たのか、大分、息が荒い。セミロングの艶やかな黒い髪も、すこしだけ振り乱れている。


 羽鳥さんは、僕がそのノートを手にしているのを認めた瞬間、白い頬を林檎みたいに真っ赤に染めあげた。そうかと思ったら、目にもとまらぬ速さで、唖然としている僕に詰め寄って問題のぶつを取り上げてしまった。

 

「えっと、その」


 優等生で、いつも冷静な羽鳥さんが、こんなにおろおろしている姿を見るのは初めてだった。


 彼女は、ノートを大事そうに抱えながら、すっかり固まってしまった僕を上目がちでおずおずと見上げた。


「もしかして、だけど……中身、見た?」


 どきりと、心臓が跳ね上がる。

 懇願するようにじいいっと見つめられ、罪悪感が降り積もっていく。


 多分だけど、たとえここで白を切ったとしても、賢い彼女にはすぐに見抜かれてしまうだろう。


 僕は、小さく息をついて、首を縦に振った。


「うん」


 羽鳥さんの白い頬が、カッと朱く燃え上がる。


「そのっ……え、と……内容の、ことだけど。気に、しないで」

「ねえ、羽鳥さん」

「な、なにっ」


 そんなことあるわけがないって頭では分かっているのに、何故だか、聞かずにはいられなかった。


「その……書いてあったことって、ホントウ、なの?」


 彼女の大きな黒い瞳が、ハッと見開かれる。

 

 永遠にも似た長い長い沈黙の後、羽鳥さんは、震えながら小さく頷いた。


「うん」


 今度は、僕が愕然として瞳を見開く番だった。


 羽鳥さんは、すっかり固まってしまった僕を見て、ひゅっと細く息を呑んだ。それから、困ったような顔をして、早口気味にまくしたててきた。


「……な、なんか、ごめんねっ。わたし、今日は用事があるから、もう帰らなきゃ」


 羽鳥さんは苦しそうに瞳を伏せた後、フリーズしてしまった僕から逃げるように走り去っていった。



 そんなことがあった翌日。


 僕は、登校するなり、羽鳥さんの下駄箱にメモを忍ばせた。


『登校したら、すぐに屋上に来て。桐生より』


 人っ子一人いない屋上から、校庭を見下ろす。そろそろ最初の授業が始まる時間だから、もうあまり人はいない。


 吹きつけてきた冷風の厳しさに、顔をしかめた。ぶるりと身体を震わせて、制服のポケットに手を忍ばせなおしたら、錆びかかっている扉が遠慮がちに開かれた。


「ちゃんと来てくれて、良かった」


 赤いマフラーを身に着けた、羽鳥さんだった。


 彼女は、僕に近寄りながら、困ったように眉尻をさげて言う。


「桐生くん。もう、授業はじまっちゃうよ」

「授業? そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」


 彼女は再び瞳を見開いて、「それは……そう、かもだけど」と今にも消え入りそうな声で呟いた。


 親に叱られた子供のような顔をしている彼女に歩み寄る。


「あのノートに書かれていたことって、他に誰が知ってるの?」

「だ、だれにも、話してないよ」

「嘘でしょ? 大事なことだよね。まさか、家族にも言っていないの?」

「だっ、て……あんなこと、言っても信じるわけがないよ」


 唇を噛みながら、淋しそうに瞳を伏せる彼女を目の前にして、言葉に詰まってしまった。


 僕には、本当の意味で、羽鳥さんの気持ちを理解することはできない。


 死神に連れていかれるだなんていうあまりにも非現実的な理由で余命があと一か月になってしまっただなんて、想像すらつかない。軽々しく分かるだなんて、言ってはいけないのだとも思う。


 羽鳥さんは、暗い考えに沈み込んで俯き気味になってしまった僕を覗き込んできた。彼女の黒い瞳は、冬の空気と同じぐらいに透き通っている。


「ねえ。もし、残り一ヶ月しか生きられないとしたら……桐生くんだったら、何をする?」


 思いがけない問いかけだった。


 不意打ちだったから、とっさに思い浮かんだことが、そのまま言葉になってしまった。


「……僕だったら、学校には行かないかな。図書館に通い続けるかも。まだまだ、読みたい本が沢山あるし」


 つまらない回答しかできない自分に情けなくなっていたら、羽鳥さんはきょとんと目を丸くして、くすくすと笑った。


「ふふ。桐生くんらしいね」


 春の日差しを思わせるようなあたたかい表情に、体温が数度ぐらい上がったような気がした。


 羽鳥さんは、すこし手を伸ばせば、触れられそうなほど近くにいる。吐く息の白さだって、こんなにくっきりと見えているのに。


 それでも、このかわいい女の子は、後、一か月でこの世界からいなくなってしまうのだ。


 なんて、信じたくない話なんだろう。


「…………羽鳥、さん」

 

 ノートに書いてあった君の気になる人って、もしかして僕のこと?

 

 言葉にするあと一歩の勇気を持てずに閉口したその時、制服を抜けて身体を直接切り裂くような強い冷風が僕らに吹きつけた。それとほとんど同時に勢いよく屋上と校舎を繋ぐ扉が開かれて、二人してぎょっと振り向いた。


「桐生に羽鳥! こんなところにいたのか……!!」


 そこには、今日の僕らのクラスの一時限目を担当している数学教師が、鬼も真っ青になってしまうような恐ろしい顔をして立っていた。


* 


 クソっ。水を汲んだバケツを両手に、授業が終わるまで廊下に締め出しだなんて漫画かよ。


 同じようにバケツを手に持たされて、隣に立っている羽鳥さんは、申し訳なさそうに僕を見上げてきた。


「えと……変なことに巻き込んじゃって、ごめんね」

「いやいや。呼び出したのは、僕の方だし」

「で、でも。きっかけを作っちゃったのは、わたしでしょ……?」


 羽鳥さんが僕を見つめる瞳は、申し訳なさでいっぱいになっている。


 どうしてなの。

 どうして君は、こんな時ですら、自分をさしおいて他人ぼくのことを気遣うんだよ。


「羽鳥さんは、もっと人に甘えた方が良いよ」

「えっ」


 ここで潔く、『僕に』と言えるほど、格好良くはなれないけれど。今の僕の気持ちを、精一杯、彼女に伝えることにする。


「ちゃんと、分かっているの? あと、一ヶ月しか、生きられないんだよ……? 羽鳥さんには、人に気を遣ってる暇なんてないでしょ」

「っ。……ほんとうに、信じてくれているんだね」

「信じるよ」


 羽鳥さんが、ひゅっと息を飲み込む。

 僕より頭一つ分背が小さくて、華奢で、黒髪セミロングがよく似合っている女の子。


「誰も信じてくれないなら、僕が、信じるよ」


 誰もいない廊下に、僕の放った言葉は思っていた以上に響き渡った。


 言い切った後、あまりにも返事が返ってこないから不安になってきて、ちらりと隣の彼女に視線を向けたら。 


 羽鳥さんの大きな瞳から、きらりと一筋の涙が伝っていた。


「……桐生くんは、やっぱり、すごい人だね。わたしが想像してたよりも、ずっとずっと」


 次々に零れ始めた涙のあまりの眩しさに、言葉も失ってしまった。


「……それに比べて……わたし、は……」


 ぽろぽろと涙をこぼし続ける彼女は、無防備で、かよわくて、今にもさらわれて消えてしまいそうで。

 こんな状況なのに律儀にバケツを手にし続けているのがなんだか羽鳥さんらしく思えて、そんなことにすら胸をぎゅっと締め付けられた。


 正直、羽鳥さんの抱えている事情は、僕なんかがどうこうできる問題ではない。


 それでも。

 すこしでも、彼女の不安を拭ってあげることができるなら。


「僕にできることなら……なんでも、するから」


 彼女はびくりと身を震わせて、ますます瞳に涙をためると、子供みたいに泣き続けた。



 その日から、僕と羽鳥さんの関係は、急速に縮まった。


 毎日、一緒に下校をした。たまに授業をさぼって、公園や、商店街を散歩しりもした。


 真面目な羽鳥さんは、授業を抜け出したりしたらまた怒られるんじゃないかってびくびくしていたけれど、購入したホットショコラを手渡したとたん瞳を輝かせて「まぁ、いっか」とふわふわ笑った。その幸せそうな笑顔にドキリと胸が高鳴った。それから、泣きたいぐらいに彼女のことが愛おしくなってしまって、頭が締め付けられているみたいに痛くなった。


 刻一刻と、運命のときは迫っている。


 自室の壁掛けカレンダーに朱色の×印をつけるたびに、狂おしいほどの想いが降り積もっていく。


 今月の末日に×印をつける時、いま、当たり前のように隣で笑っている羽鳥さんは、死神に連れ去られてしまうのだ。彼女と向き合うのだと決めた最初の日から分かっていたはずの事実が、こんなにも痛い。


 末日が近づくたびに、僕も、羽鳥さんも、どんどん口数が少なくなり、表情が暗くなっていった。 


 死神が、羽鳥さんをこの世界から連れ攫ってしまうまで、あと、残り五日間。


 彼女の前で、無理をして笑っているせいで、顔の筋肉が痛い。羽鳥さんと別れるなり抑えきれなくなった涙を乱暴に服の端で拭いながら、家に帰るなり即座に自室に引きこもる。


 そして。


 思考停止状態のまま薄暗い部屋でぼんやりと携帯を弄ぶっていた時、頭を思いっきり殴られたような衝撃を受けた。



 羽鳥さんが、この世界からいなくなるまで、あと四日。予定では、そういうことになっている。


 放課後。

 誰もいなくなった教室に、羽鳥さんと二人きり。

 僕らは椅子に腰かけて、向かい合って座っていた。


 いつもだったら、「じゃあ、帰ろうか」と切り出すところなのだけど。


 僕が口をつぐんでいたら、羽鳥さんは、僕が切り出すよりも前に言葉を投げかけてきた。


「桐生くん」

 

 突然、彼女に勢いよく頭をさげられて、肩がびくりと飛び跳ねた。


 羽鳥さんのもともと白い顔は、蒼白くすらなっている。肩は小刻みに震えていた。


「今まで、わたしの我が儘に、たくさん付き合ってくれてありがとう」

「羽鳥、さん。まってっ」

「ちがく、ないよ。桐生くんはやさしいから、わたしと一緒にいようとしてくれただけ。あんなことを知っちゃったから、わたしのことを放っておけなかったんだよね」


 熱い吐息を吐き出しながら、彼女は黒目がちの瞳を潤ませた。


「沢山、付き合わせちゃって、ごめんね。で、も……もう、桐生くんと、一緒にはいられないや」


 違う。

 違うでしょ、羽鳥さん……!


「すこし前から、もう、苦しくて仕方がないの。わたし、ほんとはね」


 恐れからか、ぎゅっと大きな瞳を瞑る。


 震えてる桜色の唇がどうにかして懺悔の言葉を絞り出そうとするその前に、僕は言葉を重ねた。


「知ってるよ。君のノートに書いてあったことは、ぜんぶ嘘なんでしょ」


 羽鳥さんが、ひゅっと息を飲み込む。時を止められてしまったかのように、すっかり固まってしまった。


 その様子は、誰がどう見ても、肯定しているも同然だった。


「君はあと四日経っても死なないし、僕のことを好きでもなかった。もっと、正確に言おうか。あのノートの中身は日記じゃなかった。君の書いた、物語フィクションのプロローグだったんだ」


 一気に言葉を押し出した時、羽鳥さんは軟体動物のようにへなへなとなって、机につっぷした。うつぶせたまま、掠れた声で呟く。


「いつ、分かったの」

「昨日、たまたま。なんとなく君が好きだと言っていた小説を調べようと思ったら、素人が趣味で書いた小説を掲載しているホームページに行き着いて……」


 一度も訪れたことがないはずの小説サイトに掲載されている作品のプロローグに、あまりにも見覚えがあったのだ。


 それは、あのノートに記載されている内容そのものだったから。


 羽鳥さんは観念したように、力なく笑った。


「そ、っか。知っちゃったんだ……」


 それから、今にも泣きそうな顔をして、しゅんと俯いた。


「桐生くん……。ずっと、騙していてごめんね」

「謝るのは、僕のほうだよ」


 今にして思えば、羽鳥さんは単純に、誰かに小説を書いているということを知られたくなかったのだろうなと思う。


 それなのに、僕がたまたまあのノートを拾って、その中身まで見てしまった。しかも、さらにややこしいことに、僕は小説の登場人物に自分を重ねてしまったうえに、単なる創作物を現実に起きた出来事を記した日記なのだと信じ込んでしまった。


 それでも羽鳥さんは、それは自分の書いた小説なのだとは言い出せなかった。だから、頷くしかなかったのだ。


 それは、余命幾ばくかの少女を演じて、好きでもなんでもない僕から彼氏のような顔をされても、守り通したい秘密だった。それと同時に、ずっと嘘を吐いていたことが明るみになってしまう末日が近づくたびに冷や冷やしていた。


 羽鳥さんを追い詰めてしまったのは、僕だ。あの申し訳なさそうな顔は、僕を騙しているという後ろめたさからくるものだった。


「僕、は……あのノートを開いた時、不安になったのと同じぐらい、浮かれてしまったんだと思う。まるで、自分が、物語の中のお姫さまを守るヒーローになったような気分になっていたんだ。それから、君と過ごすようになって、君のことを知っていくたびに、どんどん好きになってしまった。君が死神に連れ去られてしまうなんてことが現実に起きていいはずがないのに……たぶん、心のどこかでは、完全に嘘にしてしまいたくなかったんだ。羽鳥さんと過ごした時間が、あまりにも楽しくて」


 ごめん、最低だね。


 全てを吐き出してしゅんとうなだれていた、その時。


 羽鳥さんはバッと勢いよく起き上がって、小刻みに震えながら掠れた声で言った。


「き、りゅう君……。いま、わたしのこと、好きって言ったよね?」

「あっ。えと、そのっ」


 勢いにまかせて、中々、大胆なことを言ってしまった。今更になって気がついて、頬が火をあてられたみたいに熱くなる。


 でも、羽鳥さんが次に放ったのは、そんな動揺すらも吹き飛ばしてしまうほど衝撃的な言葉だった。


「うそ、でしょ……? 夢、みたいだ」


 …………。


「えっ……!?」


 間抜け面をさらしている僕に、羽鳥さんは内緒話をするように、僕の耳に唇を寄せた。


「桐生くん。あのね……あの小説の半分は創作だけど、半分はほんとうだよ」


 心臓がどきりと跳ね上がる。  


「ノートの中身まで見られたって分かった時は命が縮むような思いだった。まさか、登場人物のモデルになった本人に見つかっちゃうなんて、最悪だって」


 魔法をかけられたようになって固まる僕に、羽鳥さんは悪戯っ子のようにくすくすと笑っている。


「まさか、日記だって思われちゃったのは、かなり想定外だったけど。憧れの桐生くんとこんな風に話せるようになれて、わたしは、すごく嬉しかったんだ。よく本を読んでいる桐生くんなら、小説家になりたいって夢を話しても、笑わないで聞いてくれるかもって思っていたから」


 僕が嘘にしてしまいたくなかった部分は、本当のことだったのか。

  

 羽鳥さんは僕から少し距離を取ると、頬をほてらせながら言葉を続けた。

 

「妄想が本当になっちゃって、夢みたいな毎日だった。騙してる罪悪感でいっぱいだったのに、この楽しい時間が終わってしまうのも嫌で、本当のことを言い出せなかったの。あなたと、本当に物語みたいな恋ができて、ごめんなさいって思うのと同じぐらい、すごくドキドキしてたから」


 次々に明かされていく真実に、言葉すら失ってしまうほどドキドキして、眩暈までしてきた。


 羽鳥さんは、きらきらとした大きな瞳で僕を見つめながら、僕にしか聞き取れないぐらい小さな声で言った。


「でもね、わたしはやっぱり、普通の恋をしたいかな。だって、この先もずっとずっと、桐生くんと一緒にいたいもの」


【完】

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まるで物語のような恋だった 久里 @mikanmomo1123

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