チョコ食わず女房
無月弟(無月蒼)
チョコ食わぬ女房
「ただいま~♪」
「あらアナタ、お帰りなさい」
帰宅した俺を、妻が笑顔で出迎えてくれる。
「お風呂沸いてるから。夕飯も上がった頃には夕飯もできてると思うから。今日はアナタの好きな鰤大根だから」
「ありがとう、楽しみだなあ。いつも助かるよ」
「アナタが頑張って働いてくれてるんだから、これくらい当然よ」
笑顔でそう言ってくれる妻。コイツとは結婚してから、もうそろそろ一年になるけど、毎日せっせと家事をこなして、疲れているにも拘らず笑顔で俺を出迎えてくれる。本当にできた妻だよ。
脱いだ上着と手にしていた鞄を、妻に渡す。すると妻は、何かに気付いたようだ。
「あら、何だか鞄が、朝よりも重たいような」
「あ、ああ。それかあ……」
一瞬、言って良いものかどうか迷った。だけど何もやましい事があるわけでもないし、下手に隠すよりも、今言ってしまった方が良いだろう。
そう思って俺は、「鞄を開けてみて」と言った。妻は素直に、その言葉に従う。すると。
「あら、これは……もしかしてチョコレート?」
「ああ。会社の子達にもらったんだ」
今日2月14日はバレンタイン。会社の女の子達が、男性社員にチョコを配っていたのだ。
「こんなにたくさん。ああ、これなんか綺麗にラッピングされてる」
「友チョコの余り物なんだってさ。言っておくけど、もちろん全部義理だから」
「ふふふ、分かってるわよ。それにしてもアナタ、モテるのね」
「よせよ、そんなんじゃないから」
本当はモテる方だと、自分でも思ってる。他の男性社員と比べても、たくさん貰っていたし。左手に指輪をしているにもかかわらずだ。
「でもごめんなさい、私ったら今日がバレンタインだってすっかり忘れてて、チョコ用意してないの」
「そうなのか?まあ仕方が無いよ、忙しくて忘れてたんだろ。どうだ、沢山あるから、一緒に食べるか?」
「うーん、やめておくわ。今ダイエット中なの」
ダイエットなんて少しも必要の無さそうなスリムな体系のくせに。まあいいって言ってるのを、無理に進める事も無いか。
「じゃあ、風呂に入ってくるよ」
「はい。ごゆっくりー」
バスタオルを手に、風呂へと向かう。
それにしても、妻が不機嫌にならなくてホッとした。本当はちょっとくらいヤキモチを焼いてくれても良かったんだけど……いや、変な事を考えるのはよそう。理解のある、優しい妻なのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆
夜、ふと目が覚めてしまった。
夕飯の時に、ちょっと酒を飲みすぎたかな?トイレに行きたい。そうして立ち上がった時、俺はふと気付いた。隣に寝ていたはずの、妻の姿が無い事に。
(トイレにでも行ってるのかな?)
そんな風に考えて、俺もトイレに行くために部屋を出る。普段こんな風に夜中起きる時は、妻を起こさないよう忍び足で歩くようにしている。今妻は起きているのだろうけど、つい癖で足音を殺しながら廊下を歩いて行く。
しかしふと気づく。キッチンの方から、明かりが漏れている事に。
(キッチンにいるのか?こんな夜中に)
気になった俺はキッチンへとつながる引き戸の前に立ち、ほんの少し開いてみる。するとそこには、コンロの前に立つ妻の姿があった。そしてよく見ると、鍋に火をかけているのが分かる。
(料理でもしているのか?しかし何でこんな夜中に?)
声を掛けて聞いてみればすぐに答えが分かる。だけどなぜか、そうするのは躊躇われた。何だか、嫌な予感がしたのだ。
だんだんと目が慣れてきて、妻の様子がよくわかる。火にかけられた鍋の前に立ち、手にしている物は……
(あれは、俺が今日貰ったチョコレートじゃないか)
隣の席の田沢さんから貰った、友チョコの余りと言う綺麗にラッピングされたチョコレート。あれを一体どうするつもりだろう、そう思った次の瞬間。
ビリビリビリィィィィッ!
妻は力任せに、ラッピングしている用紙を破り捨てた。
俺は目を疑った。妻はお歳暮やお中元の包みを開ける時、包装紙を綺麗に外していくタイプだ。あんな風に乱暴に破ったりはしない。しかも。
(ひぃっ!)
思わず悲鳴を飲み込んだ。
妻は今まで見た事も無い、鬼のような形相をしていたのだ。今にも人を殺しそうな鋭い目をして、先ほど破った包みの中から取り出したチョコレートを、乱暴に鍋の中に入れていた。
(あれは、チョコを湯煎にかけているのか?)
どうしてそんなことをしているのかは分からない。すると今度は、真田ちゃんから貰った大きめの板チョコを手に取って……バキッと真っ二つに割った。
(な、何をやってるんだいったい?)
妻はその後も、無言のまま俺がもらってきたチョコを次々と開けて、砕いて、鍋に投下していく。そうしてすべてを入れ終えた後は、ゆっくりと鍋の中をかき混ぜていく。
相変わらず表情は怖い。それはまるで、魔女が怪しい薬でも作っているかのようだった。
そこまで見て俺は確信した。妻はヤキモチを妬いてないわけじゃ無かったのだ。俺が女の子からチョコをもらったのが許せなくて、だからこうしてチョコを全部溶かしているんだ。
その行動に、ガタガタと震えてしまう。もう見なかったことにして部屋に戻ろうかとも思ったけど、怖いもの見たさだろうか?このまま離れる気にはなれなかった。
妻は溶けたチョコレートを深めのボール皿に無造作にぶちまけると、それを冷蔵庫で冷やす。
チョコが固まるまでの間、そこそこの時間があったけれど、妻は鋭い目つきのまま微動だにせず、俺も足が震えて逃げ出すことができなかった。
やがて妻は、固まったチョコを冷蔵庫から取り出す。ちゃんとした型に流し込んだわけでもないから、形は歪。妻はそのチョコを手に取ったかと思うと……
(なっ⁉)
信じられないことが起こった。妻の髪が、まるで生き物のようにニョキニョキと伸びて、チョコを掴んだのだ。
驚きの余り目を逸らすことも出来ずにいると、髪の毛はそのままチョコを口元へと持っていく。頭の後ろで、大きく開かれている口へと。
ふと、子供のころ読んだ昔話を思い出す。確か主人公の男には奥さんがいたけれど、実はそれは二口女と呼ばれる妖怪だった。今の妻の姿は、本で見たその二口女そのものじゃないか。
そして……
バリっ!バリッ、バリッ、バリッ!
大きな音を立てて、まるで怨みを飲み込むかのように、チョコをバリバリと食べていく妻。
なんかもう二口女とかどうでもよくなるくらいに、怨念を纏ってチョコを食い散らかす妻のことが、とても怖い!
「あ、ああ……」
逃げないと。そう思って無理やり足を動かしたけど、これがまずかった。足が絡まって、俺はその場で転んでしまったのだ。ビターンと、派手な音を立てて。
しまった!そう思った時にはもう遅かった。
ガラッと音がしたかと思と、それまで覗いていた戸が大きく開かれて。顔を上げると、床に倒れこむ俺を妻が見下ろしていた。ウネウネと髪を動かしながら、鬼の形相で。
「アナタ、何をしているの?」
「ち、違うんだ。これは……」
「そう、見てしまったのね」
「ひぃっ」
恐怖で思わず後ずさる。だけど妻は距離を縮めてきて、逃がしてはくれない。
「会社の女の子達からチョコを貰って、鼻の下を伸ばして、俺ってモテるじゃんと思っていい気になって、ルンルン気分で家に帰ってきて、貰ったチョコを見せびらかして、挑発するように一緒に食べるかなんて言って、お風呂では鼻歌まで歌って、人の気も知らないで上機嫌で晩酌をして。私がそれを、どれだけ不快に思っているかも知らないで……ついでに私の正体を見たのね」
「ついでって……いや、確かに君が妖怪だった事よりも、嫉妬に駆られてチョコをとかして食べちゃうことの方が、怖かったしなあ」
「やはり、見たのですね」
「ま、待ってくれ。これは違うんだ―――!」
冷たい目で迫りくる妻。俺はそこで、意識を失った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
窓から差し込む日差しと、鳥の声で目が覚める。
う~ん、何だか頭が痛いなあ。昨夜飲みすぎたかあ?
スッキリしない頭のまま、布団から這い出る。隣に妻の姿は無く、どうやらすでに起きて朝食の準備をしているようだ。早起きで働き者、本当にいい妻だ。
リビングに行くと、妻はやはり朝食を作っている最中で、俺が起きてきたことに気付くといいつもと変わらぬ笑顔を向けてくれる。
「あなた、おはよう」
「ああ、おはよう」
いつもと変わらぬ朝の風景。だけど何だろう、何か忘れているような……
「どうしたのアナタ、ボーっとして?」
気が付けば妻が目の前まで来ていて、俺を見つめていた。
「いや、ちょっと寝ぼけてただけだよ」
「ふふふ、早く顔を洗って来たら。朝食、準備しておくから」
「ああ」
そう返事をして、歩き出す。だけど妻とすれ違って、彼女の長い髪がそっと俺の頬に触れて、ふと匂いを感じた。これは……
(チョコの匂い?)
そう言えば、昨日会社の子達から貰ったチョコはどうしたっけ?何だかやっぱり、とても大切な事を忘れているような気が……
「……来年チョコを貰って来たらコロス」
…………空耳が聞こえた。
うん、空耳に決まっている。何か忘れているように思ったのも、きっと気のせいに違いない。世の中には、知らない方が良い事だってあるのだ。
さて、顔を洗ってくるか。
俺は妻に背を向けて、リビングを出て行った。妻の後頭部で、不気味な口がニタッと笑っている事には、気づかなかった……
チョコ食わず女房 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます