初日の出Magic(2)
水平線の一点から、鋭い光が放たれた。放射状に、幾筋もの黄金色の線が空に走った。
黄金色の点はじわじわと膨張し、光の線は次第に帯となり、爆発的に広がった。
溢れた光はたちまち辺りを光と影で塗りこめていく。前に並ぶ一年生達の輪郭も、眩く解けていった。脇をすり抜け、回りこんだ光の縁が真っ直ぐな淡い陰となる。
光と影の筋は、隼人たちの背や肩から背後へと伸びた。
水平線を揺らめかせながら、今年最初の太陽が昇る。更に眩い光線が放たれた。
光の洪水に耐え切れず、理人は目を瞑った。
一陣の風が吹きつける。ゆっくりと細く目を開き、理人は絶句した。
隼人たちがシルエットとなって浮かぶその背景に、ぼんやりと、繰り返し夢で見た景色が広がっていた。
理人が立っているのは、なだらかな尾根の途中だった。険しくそびえる灰色の山が迫る。周囲に樹木は少なく、背の低い草が一面に広がり、揺れている。
十歩ほど下った地面は、不自然に抉れていた。自然災害で崩壊したのか、人為的なものか。凸凹とした窪みの内側もまた、草に覆われていた。
すぐ側には、黒くごつごつとした肌の樹があった。どれくらい昔からあるのか。見えている一部だけでも、その太さがとても一人で抱えきれるものでないことが分かる。桜に似ている。枝先には、淡い色の小さな花が無数に咲いていた。
今までで最も鮮明で、リアルな光景だった。
前に並ぶ隼人たちも、幻の背景に馴染んでいた。
光に包まれた隼人の髪は、淡い金色に輝いていた。元から茶色っぽく、細い毛だ。光を透かせれば、金色にも見えるだろう。美祈へ微笑みかける横顔にある瞳も金色っぽく見えるのは、同じく光を透かしているからに違いない。
と思うのに、何故か、その姿が本来の隼人のような錯覚を感じた。
皆、黒っぽいジャケットやコートを着ていたはずだ。なのに、今、目にしている彼らが着ている服は、もっと白っぽい軽装だ。
風が、ここにはない草と花の香りを運んだ。身体の脇をすり抜け、溜まる。ふわりと、腕や脛を布が擦っていく感触があった。
恐る恐る見下ろすと、光の中で翻る、マントのような厚い布の端らしきものがあった。
そんなはずはない。睡眠不足が引き起こしている幻影なのか。見えているのは自分だけか。
目を擦り、横に立つ佐倉と正木を見て、息を呑んだ。
一年生達と同様に輪郭を光に溶かした佐倉の髪が、長かった。部活を引退して伸ばし始めたとは言え、まだ襟下に届くかどうかという長さのはずが、腰近くまで緩やかにうねり、風に揺れていた。
光を受けたその髪は、栗色に近かった。
一体、自分の目は、脳は、どうなってしまったのだろう。
何度も瞬きを繰り返し、深呼吸をした。もう一度隼人たちを見直した。
やはり、彼の髪は金色に淡く輝いていた。視線に気が付いたのか、彼はゆっくりと振り返った。金色の瞳で。襟元で、何かが鋭く光を反射させた。
目が合った。僅かに首を傾げた後、彼は穏やかに笑った。最高に満ち足りた笑みだった。
その笑顔が、輪郭が、光に溶けて消えてしまいそうになった。思わず手を伸ばす。
「ハ……」
今、なんと呼ぼうとしたのか。「隼人」ではなく、別の名を口に上せようとした。
戸惑い、唇を閉ざせば全てが曖昧になる。ただ、懐かしいような、切ないような。胸を締め付ける愛しさに、理人は大きく息を吸った。
「ふぇっくしょおぃい!」
盛大なクシャミがしじまを破り、元日の町に響き渡った。
ビクリと肩を震わせた。その瞬間、尾根や樹木が消えた。聞こえてくるのは、弟たちの声だ。
「びっくりしたぁ」
「なんだよ勇哉。近所迷惑だろ」
「どこのオヤジかと思った」
「悪い、悪い。眩しいとほら、クシャミ、出ねぇ? なんとか現象とかって」
「光くしゃみ反射」
「由嵩、それホントか? まんまじゃん」
「みんな、声、大きすぎ。音量下げて」
冷静な風間の指摘に、顔を見合わせ、クスクス笑ったまま互いに「シーッ」と口に指を立てあう。
我に返った理人は足元を見下ろした。紛れも無い、屋上のコンクリートの床だ。弟たちはいつもの姿で、町はオレンジ色に染まっていても、住み慣れた町の一角に間違いなかった。
ただの夢だったのか。
大きく息を吐いた。全身にじっとりとかいた汗が冷たい。
横目で窺った佐倉の髪も、短い。緩やかにうねった黒に近い色の髪が、コートの襟の上で揺れている。
安堵したのも束の間。
「見えたのか、また」
「うん」
正木と佐倉の短い遣り取りに、心臓が止まるかと思った。さらに驚いたことに、微笑み頷いた佐倉が指で涙を拭ったのだ。
「見えた、て。また、て。何が」
声が震えた。
軽く唸って、正木は頭を掻いた。佐倉も、曖昧な表情で首を傾げる。
「信じてもらえないかもしれないけど」
ようやく口を開いてくれたものの、佐倉は言葉を探して視線を彷徨わせた。恐怖と不安で鼓動が変に速まる。急かしたいのを堪え、理人は乾いた唇を何度も舐めながら彼女の考えがまとまるのを待った。
「時々、見えるの。夢とか、ふとしたときに。どこか、ヨーロッパの山岳地帯のような風景。高い山と、なだらかな草の斜面と、一本の桜の樹と。そこに居る、隼人君たち」
人の顔までは明確ではなかったものの、今日ここに集まった隼人の友人を見て、なんとなく懐かしく思ったこと。今、改めて景色と重なる彼らを見て、今まで見てきたのが彼らだったと確信したこと。
「何故かな。凄く胸が切なくなって。なんか、ああ、良かったな、て思えて」
声を詰まらせ、幸せそうな笑みを湛えて涙を流す佐倉の姿に、理人は呆然とした。
「なんで。同じだよ。僕が最近見ている変な夢と、同じものを佐倉さんも見ているってこと? で、同じように感じてるって」
理人のうろたえ振りに、佐倉が眉を潜めた。
「瀬尾君も?」
喉の奥が張りつきそうだ。無理やり唾を飲み込み、頷いた。
「さっきも、隼人の髪や目が、金色に見えて」
「そうそう」
一転して、佐倉は嬉しそうに手を叩いた。
「瀬尾君もね、その光景では金髪なんだ。濃い緑色の、長いマントみたいな上着で」
背筋がゾクリとした。
集団幻覚という言葉が頭を過ぎる。得体の知れないなにかに操られているのか。佐倉は嬉しそうだが、不気味としか言いようがなかった。
「正木君も、見るの?」
恐々と尋ねると、正木は肩をすくめ、首を横に振った。
「俺は、全然。でも、未来は昔から予知夢のようなものを見ることあったし」
「お祖母ちゃんが亡くなる夢は、強烈だったね」
「そうそう。泣きながら『おばあちゃんが死んじゃった』って大騒ぎして、うちの親が宥めて。その翌日に、本当に心臓発作起こして亡くなったんだもんな。びびったよ」
だから、と正木は続けた。
「未来の話も、全く信用していないわけじゃない」
「だけど、そんな」
動揺が収まらない。信じられない。そんなことが、現実にあっていいものだろうか。
正木がポツリと呟いた。
「パラレルワールド」
物語の世界ではよくある話だが、現実にあるとは考えがたかった。顔を顰める理人に、正木はニカッと歯を見せた。
「厨二っぽいだろ。けど、そう考えると妙に納得できないか」
正木は、ヒソヒソ声でふざけあう隼人たちの後ろ姿に目を細めた。
「並行世界のどこかでも、出会って、何らかの関係で繋がっていて。俺たち三人は、隼人君たちを見守る立場にいるんだ」
なるほど、そのように見方を変えてみると、腑に落ちるものがあった。鳥肌の立った腕を摩りながら、理人は唸った。
あるのだろうか。そんな世界が。
受け入れがたい。頭が固いのだろうか。正木のように、すんなりと納得はできない。理人は苦笑した。
「さすがだな、正木君は」
「いや、未来の影響かな。こいつ、時々突拍子もないこと言うから」
「ていうか、本当に見えるんだもぉん」
口を尖らせ、肩でぶつかってくる佐倉を正木が笑いながら受け止めた。
「なんだ、なんだぁ」
面白くなさそうに勇哉が割り込んだ。
「どっちもこっちも幸せそうで、いいことで。りっくん、一緒に」
「やだ」
即座に言葉を遮られ、勇哉はぶつくさ言いながら東の空へ向き直った。生まれたての太陽は、輪郭を柔らかく揺らしながら水平から離れ、オレンジ色に染まる空へ浮かんでいた。
パン、と手が打ち鳴らされる。
「今年こそ、カノジョができますように。あと、隼人に勝ちたい」
「は。一光年早えーよ」
茶々を入れる隼人の隣で、美祈も手袋をはめた手を打ち合わせた。ぽふりと可愛らしい音がする。
「元気で来年を迎えられますように」
心臓移植を受け、難病から生き延びた彼女ならではの、シンプルだが切実な祈りだった。
彼女に続いて、由嵩が神妙に手を合わせる。
「学年順位が上がりますように」
「げ、それ以上頭良くなったら、バカになるぜ」
口を歪める勇哉に、由嵩は顔を赤らめ俯く。
「そういっても、学内だと下のほうだよ。まだまだ、足りてないから」
「医学部、目指したいんだもんね。でも、初日の出って、願い事するものなの?」
首を傾げたのは、風間だった。何にでも神が宿ると信じ、その神に願い事をする日本の風習は、イギリスで育った彼女には不可解なのかもしれない。
そっと手を合わせると、風間は目を閉じた。
「不思議な縁で、由嵩たちと出会えたことに、感謝します」
「感謝、かぁ」
美祈がしみじみと呟いた。腕を組み、納得いかない顔で唸った勇哉が隼人の頭を掴む。
「で、お前は?」
理人の全神経は、おのずと弟へ向けられた。
はにかむように、隼人は理人を振り返った。そして佐倉を、正木を、勇哉たちを順に見ていく。
「やっぱ、感謝、かな」
「ハングリーじゃないなぁ」
大きく口をへの字に曲げる勇哉を、肘で小突く。朝陽へ目を細める横顔はどこか物悲しく、しかし、満足そうだ。
「勇哉と同じ高校に行けて、美祈と会えて。もう一度走ることが出来て。そこから風間や由嵩とも繋がれて。そんなこと、去年は思ってもみなかった」
左の腕に右手が添えられた。自ら切りつけた傷を、優しく包み込んでいるようだった。
「今、ここにこうして立っていることが、俺には凄く奇跡的なことだから。これ以上何か望むなんて考えられない」
背後に立つ兄の存在を意識したのか。肩越しに振り返った隼人の笑顔は、さっき幻の中で見た笑みと同じだった。
「生かされていることに、感謝しかないよ」
生かされていることに、感謝。
弟がそのように考えているなんて、想像もしなかった。
何故だか、無性に胸が熱く、涙が零れそうになる。良かった、と。理由もなく安堵し、感極まった。
パラレルワールドで、と考えている自分がいた。
あちらの世界でも、自分たちは幸せを噛み締めているのだろうか。
「あー、勝手にいい感じで締めるなよ。この初日の出を見る会は、俺の主催だぞ」
うりゃ、と首に腕を絡める勇哉に笑いながら抵抗する隼人は、一瞬にしていつもの彼に戻っていた。
「感謝、か。俺たちはやっぱり、願いたいな」
口の端を上げ、正木が太陽へ手を合わせた。
「第一志望校合格目指して、頑張るっ」
「公志と瀬尾君が頑張れるように、応援するっ」
佐倉も続く。
「佐倉さん、自分は?」
「が、頑張ってるもん。神頼みで学力つかないって、知ってるもん。そこは、どっちかというと、公志サマ、お願いします」
拝まれ、正木は大袈裟に肩をすくませた。
「俺にそんな力があれば、未来はとっくに合格圏に入ってるよ」
「うう、ごめんね。出来の悪い子で」
「そんなに落ち込まないで、佐倉さん。僕も、正木君に縋りたいよ」
宥めると、佐倉は大きく息を吐いた。
「瀬尾君は、大丈夫だよ。自信もって。あ、あと、風邪ひかないように」
小さなお守りを差し出された。朱の縮緬の面に金糸で健康祈願と縫いこまれていた。目を丸くする理人に、佐倉と正木が頷く。
「ここに来る前に、家の近くの神社に寄ったんだ」
「瀬尾君、肝心なときに体調崩しちゃうもんね」
バレンタインデー前日、インフルエンザに罹患したことを思い出した。理人宛ての紙袋一杯のチョコ菓子を、正木は通学経路と真反対にも関わらず、家まで届けてくれた。その後発覚した失恋の痛みもまた、今では懐かしい。
「ありがとう」
佐倉のぬくもりを残したお守りを受け取ると、替わりに正木の手が差し出された。
「これからも、よろしくな」
卒業しても、それぞれ別の道を進んでも。
込みあがる熱い感情を必死に堪え、理人は頷いた。ラケットを握り続け、固くなった正木の手を握り返す。そこへ、佐倉も手を重ねてきた。
「とりあえず、受験を乗り切ろう」
近付いた佐倉との間に、隼人が割り込んだ。細い手が重なってくる。
「みんなの健闘を祈って」
ニヤリと笑った勇哉も、黙って手を伸ばす。美祈が、由嵩が、風間が、次々と手を重ねた。
部活で、試合前に組んでいた円陣が出来上がる。
つい一時間前に顔を合わせたばかりのメンバーなのに、ひとつの円になると、ずっと前から知っていた仲間のように感じられた。
それも、正木の言う、別世界で繋がっている面々だからなのか。あちらの世界での絆が、この面々を引き合わせたのか。
信じられない一方で、どうにも気になり、全てをパラレルワールドありきの視点で見てしまっていることに、ひとり笑ってしまった。
しばらく、円陣内に沈黙が溜まった。
「誰が音頭とる?」
由嵩に言われ、勇哉の視線が彷徨った。
「じゃあ」
全員の顔を見回した後、彼は空いている掌を隣の正木へ小さく差し出した。年上を立てたのだろう。困惑の笑みを浮かべた正木が、肘で突き返した。
「企画したのは勇哉君なんだろ?」
そうだ、そうだと幾つもの頭が首肯する。はにかみ、勇哉は手を重ね直した。お言葉に甘えて、と咳払いをする。
「今年もなんのかんの、笑って過ごそう!」
重ねた手を下ろし、一斉に撥ね上げた。
「あけおめ!」「明けましておめでとう」「A HappyNewYear」
八本の腕が天へ伸びた。
「揃わねー」
笑い声もまた、天へ昇っていく。
ふっと、挙がっているのと同じ数だけの別の腕が薄く見えた。
自分を支え、応援してくれるたくさんの想いを感じ取った。新たな境地へ踏み出す不安が、ゆっくりと溶けていく。
あと数ヶ月。重苦しい受験期を乗り越える気力が湧き出てきた。
指に遮られた陽光が、虹色の筋となって煌いた。
光の筋の先の佐倉と目が合った。力強い微笑みに、彼女にも今、ずっと遠い世界にいるかもしれない自分たちの存在が感じられているのだと確信した。
特別な初日に染まる、この手でなら。
元日の空へかざしたままの手を握った。
虹をも掴むことができそうだ。
〈初日の出Magic・了〉
〈3人集えば三角関係・完結〉
3人集えば三角関係 かみたか さち @kamitakasachi
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