夏のたはぶれ
くれ姫様が十二のころの夏である。
耳の穴からとろけてしまいそうな暑さの日で、いくら衣をくつろげようとも、扇であおげども生ぬるく、屋敷の者らはみな萎えていた。姫様も脇息にもたれかかり、猫の仔のように伸びていらした。
「……暑いわ、」
外ではわしわしと蝉が鳴いている。姫様はほほづきのように赤いお顔をして、どろりと脇息に頬をつけた。
「もう、わたくし、裸になってしまいたい」
「姫様」
私は眉をひそめた。しかし姫様はものうい目をして、恨めしげに私を見る。
「だって堪らないのだもの。……しろはいいわね、いつも涼しそうな顔をして。わたくしのつらさなんて、ちっとも解りやしないのだわ」
「私とて、暑いものは暑うございますよ」
「うそ。汗ひとつかいていないじゃない」
姫様は跳ね起き、つんと唇をとがらせた。
そうしたしぐさや跳ね起きるからだの身軽さは、近々十三となられる姫君のものとも思えない。十三ともなれば、もう婿をむかえる仕度をしてもおかしくはないというのに。
私はため息をつき、姫様の頬にはりついた御髪を梳いた。
「そうお怒りにならないでください、はしたない。それに涼しくなるものも、きちんと用意させておりますから」
「あら、なあに?」
姫様はぱっと顔をかがやかせる。私は少し御簾を上げ、こざと、と名を呼んだ。
控えていた下女が、うやうやしく漆の盆を差し出す。私が受けとるそばから、姫様がそれをすばやく横取りした。
「削り
姫様は
「つめたい!」
「それは、そういうものでございますから」
私は姫様が投げ捨てた盆を拾い、やれ甘いこと、と冷ややかな目を向けた。
この氷を手配したのは、姫様のお父上である。
お父上のあい君はそれはそれは姫様におやさしく、いかなときでも最上のものを整えなさる。お部屋の調度、お食事、衣に櫛に手習いの師匠まで。都のやんごとなき方々にも負けぬほど贅を尽くし、そのときどきの流行りを追う。
姫様が断じて、鄙のむすめに成り果ててしまわぬように。いずれ
この削り氷とて、そうした代物だ。都の貴族たちがたしなんでいるというので、あい君が万金を積んで取り寄せたのである。姫様はそんな執念のかたまりをすいすいと口にし、むじゃきに笑った。
「ああ、おいしい。生き返るわね」
「それはようございました」
私はすげなく相づちを打つ。すると姫様がじっとこちらを見つめた。
「――しろ」
なんですか、と問うより先に匙が唇へ触れる。ひいやりとした、うす甘いあまづらの香が舌に融けた。
姫様はたくらみがうまくいった顔をして、笑みを浮かべる。
「どう、涼しいでしょう? わたくしとおそろいよ」
そのことばは、いつも姫様がおっしゃることだった。
姉妹ごっこでもなさりたいのか、姫様はつねに私をおそばへ侍らせ、姫様と同じことをさせたがる。同じものを食べ、同じものを着、同じものを見聞きして、――否、これは姉妹というよりも
私は姫様のお手の中でもてあそばれる、小さな人形なのであった。そのことを、こういうとき折に触れて思い出す。
私はそう突き放した目でおのれを見、蜜のついた唇を拭った。
「……ええ、ありがとう存じます」
そうして代わりに匙をとり、小鳥のように待つ姫様のお口へ削り氷を運んでやる。
このひと匙が、もし姫様の舌を腐らせる毒であったなら、と夢想しながら。
白ゆり姫 うめ屋 @takeharu811
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