閑話

さくら壮士(をとこ)



 姫様は桜とともに去ってゆかれた。

 春宮とうぐうみやが即位された春である。姫様はあざやかな紅の衣とぐしをまとい、爛漫の花で飾られた輿にかつがれ出立された。

 生涯二度めの旅であり、帰路のない旅でもある。姫様はこれから都へ上り、新たなるすめらみことの后として後宮に入られる。

 さすればもはや、浮世に戻りくることはない。戻るとしたら、それは死して後宮をまかるときである。姫様はみずから決して、こうしたはなよめの道をお選びになった。

 そんな姫様へのはなむけは盛大だった。道中は選りすぐりの随身たちが緋傘をかかげ、花を降らせては声たかく練り歩く。

 見送りにはお父上お母上、そして屋敷のものたちがずらりと居並び、道すがらにはあきの領民たちも走り来た。

 野端にひれ伏し、あるいは輿のあとを追い、朗々と姫様の旅をことほぐ。あおく澄んだ空の下、鋤き返されたばかりの田土がいちめんにくろぐろと広がっていた。

 私はそうして遠ざかる姫様を、屋敷のものたちとともに見送った。

 私は姫様の侍女であり、姫様の災厄を引き受ける形代かたしろであった。ひとでありながら、ひとでないものとして育てられてきた女だ。私は私の生まれをにくみ、姫様をにくみ、それでも離れられずに十と四年をお仕えしてきた。

 されども、それも今日こんにちまで。姫様はおのれの天分を歩み出し、私もまた、ここからおのれの天分を生きはじめる。

 私は姫様の乗る輿に向け、ふかぶかと礼をした。一行はすでに粟粒ほど小さくなり、姫様もこちらなど見ていない。

 だが、それでよいのだった。私は私のけじめをつけるそのために、礼をとったに過ぎなかった。



 *



 屋敷へ戻り、喉がかわいたのでくりやに向かう。

 飯炊き女たちに断って水がめを覗き込むと、そのおもてに花びらが浮いていた。顔を上げれば、格子戸の外にも盛りの桜が咲いている。うららかな日差しの中、音もなく花を散らしていた。

 と、いずこかからはなをすする音がした。

 私は首をかしげ、廚の裏口から外へ出る。するとそこの壁ぎわに、古びた直垂ひたたれ姿の男が膝を抱えてすすり泣いていた。


「……


 屋敷に仕える武人もののふである。私が呼ぶと、ころくは慌てて腕で顔を拭った。


「何用だ。……もうお前は姫様の侍女でもなかろうに、なぜここにいる」


 険のある物言いは、私に泣き顔を見られたことが悔しいのだろう。私はなにも気づかなかったふりをして、桜の樹に目を向けた。


「そうね、私はもう侍女ではない。明日には秋津野を出るわ」


 途端、ころくが弾かれたように顔を上げる。そのまま立ち上がって私に迫った。


「まさか、まことにお前までいなくなるのか」

「なにを焦っているの。貴方が話を振ってきたのでしょうに」


 隣を見やり、喉の奥だけでかすかに笑う。ころくは日に焼けた顔を赤らめ、ずんずんと桜の樹まで歩み寄った。幹に触れ、さめざめと降りしきる花を仰ぐ。


「……姫様は、このようにあっけなく行ってしまわれた」


 薄汚れたころくの背にも、ひとしくうるわしい花が散る。私はなにもいらえず、そのさまをしずかに眺めた。

 ころくは、私より二つ年かさの男である。

 家は、現領主のお祖父様の代より秋津野にお仕えしている武人であった。ころくもその家の嫡男として、幼いころからこの屋敷に住み込んでいた。

 侍女の私とは、朝夕顔を合わせる仲だ。幼なじみか、兄妹あにいもにも似た間柄である。ゆえ、いまもころくが考えていることは容易にはかれた。


――貴方も姫様のことが、おかわいらしくてならなかったのね。


 おそらく、私よりもよほど清らかにひたむきに、この男は姫様を想ってきたのだろう。その想いを忍んで姫様にお仕えし、そしていま、ここで泣いていたのだろう。去った姫様のことを悼んで、独り。


「ころく」


 私は呼びかけ、こぶしを握りしめている男の背に近づいた。肩がわずかに震えている。私はその後ろ姿へ語り聴かせるように言った。


「姫様は、おのれの天分を生きるとおっしゃったわ。与えられた天分のその中から、みずから道を築いてゆくのだと」

「……おのれの天分?」


 ふりむいたころくは、少し目を赤くしている。私は頷いてつづけた。


「姫様はもう、ご自分の道を見つけてしまった。それで私も目が覚めたのよ。私はこれから姫様の形代としてのしろではなく、何者でもない、私だけの生を生きてゆく」

「――」

「貴方にも、ひとしくそういうものがあるはずよ。貴方の、ころくだけの天分が。それを探してご覧なさいな」


 それだけ言い、私はきびすを返した。昔なじみのよしみとして、私が姫様から頂いたものをそっくりと伝えたつもりだった。だが、それをどうするかは受け取った者次第である。私が出る幕ではない。

 そのまま廚へ戻ろうとすると、おおきな声で呼びとめられた。


「しろ!」


 見返れば、ころくは頭を掻き、いや、もうしろではないのか、と独りごつ。かまわない、と首をふると、ころくはキリと強いまなざしをした。


「その……かたじけない。励まされた」

「そう」

「お前は、よい女だ。よい友だ。またいずこかで会えることを願う」


 それはこの朴訥な男の、精いっぱいのはなむけであったのだろう。私は姫様のように盛大に送られることはなく、またその必要もないけれども、このことほぎは喜ばしいものだと思った。

 私は微笑み、風に舞う髪を手で押さえた。


「ええ。またいずこかで」



 *



 その後、私は巫女となった。と名乗り、きよの海に近い神のやしろで暮らしている。

 ころくはというと、その後も秋津野に残ったらしい。姫様のおさとを守ると決めたのだと、たったいちど来た文に書かれていた。

 しかしさらに後年、都よりはるか西の九頭くずしまにて乱が起こる。九頭の領主と外来の僧侶たちが結びつき、朝廷に反旗をひるがえしたのだ。

 九頭はつ国へつながる大海に面し、国の守りや外交のとりでとなる島である。ここが乱れれば都も危うい。そのため朝廷は諸領より兵を集め、また民をきたえて九頭島に送り込んだ。

 折しも、の皇后――つまりくれ姫様三十二歳のときである。

 皇后は夫君であるすめらみことをよくお支えし、三人の御子をお守りして凜々しく乱に立ち向かわれた。ころくはこうした皇后をこそお守りせんと、秋津野を飛び出したらしい。朝廷がつのる兵の一団に加わり、九頭へ向かった。

 それから先、ころくがどのような道をたどったかはわからない。

 たしかなのは、あの男が二度と秋津野には帰らなかった、ということである。私はこの話を、のちのち古い侍女仲間から聞いた。戦で死んだか、逃げたか、もしや海を渡ったか。ともかくも、あの男はあの男の天分を見つけたのだろう。

 なお、この九頭の乱は蜂起からひととせのうちに鎮められた。すめらみことの指揮がすぐれていたからだと言われるが、その陰には、皇后の差配があったからだとも言われる。

 皇后はこの乱でいよいよその御名を高め、かがやく火のみやと称されるほどの権勢を誇った。

 その御世はおよそ五年後、皇后が没するときまでつづくことになる。

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